川から上がった俺は、びしょ濡れのまま膝をついた。
寒い。
冷たい。
死ぬほど疲れた。
……いや、さっき死にかけたんだった。
サンダースが隣でブルブル震えながら、水を振り払っている。
パシャパシャと水滴が飛ぶ。
俺は息を切らしながら、空を見上げた。
青い。
普通に青い。
なのに俺の人生は真っ暗だ。
「……なんでこうなるんだよ」
口から漏れた声は、自分でも驚くほど弱かった。
サンダースが「サン…」と鳴く。
心配してるのか、呆れてるのか、どっちか分からない。
俺は立ち上がり、濡れた髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
そして――
森の奥を見る。
オヤブンは消えた。
だが、あいつが「終わり」だとは思えない。
絶対また来る。
というか、この時代そのものが敵だ。
俺はボールケースを開けて、指で一つずつ触れていく。
どのポケモンを出すか。
いや。
出していいのか。
それが問題だ。
この世界に来てから、ずっと感じてる。
アルセウスの視線。
「それ出すなよ?」っていう圧。
俺は唇を噛んで呟いた。
「……えーと、誰ならオッケーだ?」
サンダースが首を傾げた。
俺は言い訳するように続ける。
「いやさ、俺だって好きで伝説出してるわけじゃないんだよ」
「でもさっきのオヤブン、普通に殺しに来てたし」
「俺が死んだらゲームオーバーだろ?」
サンダースは「知らんがな」という顔をしている。
……そうだよな。
ポケモンは俺ほど人生に疲れてない。
俺はボールを一つ取り出した。
……こいつを出したら、アルセウスが怒るかもしれない。
でも、怒られてもいい。
だって死ぬよりマシだ。
俺は苦笑いして言った。
「とりあえず行くか、サンダース」
サンダースが「サン!」と鳴いた。
ちょっと楽しそうだった。
その反応だけで、俺の心が少し軽くなる。
……こういうところだよな。
ポケモンって、ずるい。
こっちが勝手に救われる。
俺は立ち上がり、森の奥に向かって歩き出した。
ギンガ団の村に戻る道。
泥道。
濡れた草。
折れた枝。
森は静かだが、気配がある。
どこかで、何かが俺を見ている。
俺は呟いた。
「……ヒードランがまた来たら、今度は本気でやる」
その瞬間だった。
ゴォォ……!!
地面が震えた。
遠くから熱が伝わってくる。
空気が一気に乾く。
嫌な予感。
俺は顔を上げた。
森の奥、岩肌の向こう。
赤い光。
――あいつだ。
ヒードラン。
さっき倒したはずなのに、普通に復活してやがる。
いや、復活っていうか。
こいつ、最初から「一回倒したら終わり」枠じゃない。
俺は引きつった笑いを漏らした。
「……は?」
ヒードランがこちらを見た。
目が赤い。
さっきより怒ってる。
いや、怒ってるっていうか――執着してる。
俺に。
俺はボールを握りしめた。
サンダースが前に出る。
ヒードランが咆哮した。
熱波が押し寄せる。
草が一瞬で枯れた。
俺は目を細めた。
「……やっぱお前、アルセウスの差し金だろ」
返事はない。
当然だ。
神はいつも無言で嫌がらせをする。
俺は歯ぎしりして言った。
「サンダース、無理すんなよ」
サンダースが「サン!」と鳴く。
その目は真剣だった。
……頼もしいな。
でも、相手はヒードランだ。
タイプ相性は最悪。
電気なんて通りにくい。
しかも炎と鋼。
硬いし、熱いし、鬱陶しい。
俺はヒードランを睨みながら、ボールケースを見た。
他に出すべきポケモンは――
いる。
いるにはいる。
だが。
出した瞬間に、この世界のバランスが崩れる。
俺は自分で自分に問いかける。
――ここで、どこまでやる?
――どこまで許される?
そして脳内に響く、嫌な答え。
「死ぬくらいなら、出せ」
……結局それだ。
俺は深く息を吸って、吐いた。
そして決断する。
「……よし」
俺はボールを持ち直し、森の奥を指さした。
「サンダース、あそこにいるランドロスをボコボコにしといてくれ」
サンダースが「サン!?」って顔をした。
そりゃそうだ。
いきなりランドロスの名前が出たら、誰でも驚く。
でも俺は見えてしまった。
木々の間。
空中でこちらを見下ろす影。
茶色の身体、雲。
――ランドロス。
お前までいるのかよ。
俺は半笑いになった。
「……あー、なるほどね」
ヒードランだけじゃない。
ランドロスまでいる。
この状況。
つまり――
アルセウスが「イベント戦」を仕込んだ。
完全にそういうことだ。
俺は肩を落とした。
「俺さぁ、普通に平和に暮らしたいんだけど」
ヒードランが吠える。
熱波が来る。
サンダースが走り出す。
ランドロスに向かって、一直線。
雷が走る。
バチバチバチ!!
ランドロスが「ギャッ!?」みたいにひるんだ。
……効くんだ。
効くんかい。
俺は思わず突っ込んだ。
「お前、飛行なのに雷効くのかよ!!」
いや、地面飛んでるからか。
納得したくないが納得した。
その間にヒードランが突っ込んでくる。
俺は叫ぶ。
「サンダース!そっちは任せた!!」
サンダースはランドロスを追い回している。
……すげぇ。
やっぱ相棒だ。
だが、問題はヒードラン。
こいつは俺がやるしかない。
俺はボールケースに手を伸ばし、指先で一つのボールを弾いた。
重い。
冷たい。
この中には、出したら絶対怒られるやつがいる。
俺は唇を噛んだ。
「……えーと、誰ならオッケーだ?」
もう一度呟いた。
答えなんて出ない。
だから俺は、最悪の妥協をする。
怒られない程度に強い奴。
強すぎない。
でも死なない。
そのライン。
俺は一つのボールを取り出して、投げた。
「来い――」
光が弾ける。
そこに現れたのは。
紫色の身体。
赤い目。
そして、圧倒的な存在感。
――伝説でも幻でもない。
だが、普通のポケモンでもない。
俺が最も信頼する、古参の相棒。
「……グライオン」
グライオンが翼を広げ、低く鳴いた。
ヒードランが一瞬だけ動きを止めた。
俺は苦笑した。
「伝説出すと怒られるっぽいしさ」
「お前で行く」
グライオンはニヤッと笑ったように見えた。
そして俺は叫ぶ。
「グライオン!じしん!!」
ドンッ!!
地面が割れた。
森が揺れる。
ヒードランの足元が崩れ、バランスを崩す。
だがヒードランは倒れない。
さすが伝説。
耐久がおかしい。
俺は舌打ちした。
「硬すぎだろ……!」
ヒードランが怒りの咆哮を上げる。
炎が渦巻く。
そして地面から噴き出すマグマ。
俺は叫んだ。
「グライオン!空中に上がれ!!」
グライオンは俺を掴んで飛び上がった。
炎の海の上を滑空する。
熱が肌を焼く。
俺は歯を食いしばった。
「……これ、完全に死ぬやつじゃん」
その時。
上空から雷鳴。
サンダースがランドロスを叩き落としていた。
ランドロスが地面に落ち、土煙を上げる。
サンダースは誇らしげに鳴いた。
「サァァン!!」
俺は叫ぶ。
「ナイス!!」
でも喜んでる暇はない。
ヒードランがこちらを見上げた。
口を開く。
炎が溜まる。
俺は瞬間的に悟った。
(あ、これ焼かれる)
俺は反射的に叫んだ。
「……マナフィ!!」
ボールを投げた。
マナフィが現れ、すぐに雨雲を呼ぶ。
雨が降り始めた。
炎の勢いが弱まる。
ヒードランが嫌そうに唸る。
俺は叫ぶ。
「マナフィ!みずのはどう!!」
水が叩きつけられ、ヒードランが後退する。
グライオンが上空から突撃する。
俺は叫んだ。
「グライオン!つばめがえし!!」
ザシュッ!!
ヒードランに傷が走る。
だが、倒れない。
しぶとい。
俺は思わず叫んだ。
「もういいだろ!!しつこい!!」
その瞬間。
森の空気が変わった。
重い。
圧が増した。
そして。
頭の中に響くような声。
――「やりすぎだ」
俺は凍りついた。
……来た。
アルセウスだ。
俺は空を見上げた。
雲の奥。
何かがいる気配。
俺は歯を食いしばって叫んだ。
「じゃあお前がやれよ!!」
返事はない。
だが、圧だけは消えない。
俺は肩で息をしながら呟いた。
「……やっぱ趣味悪いって」
雨の中。
ヒードランはまだ立っている。
ランドロスもまだ動く。
ギンガ団の連中は遠くで呆然としている。
そして俺は思った。
――この時代、平和に暮らすのは無理だ。
アルセウスがいる限り。
俺がここにいる限り。
俺は、戦うしかない。
俺はボールケースを握りしめ、最後にぼそっと呟いた。
「……次は誰出せばいいんだよ」
次回
「ああもうだるい!」