ユウリの家は、思ったよりちゃんとしていた。
レンガ造りの壁。
小さな庭。
窓から漏れる暖かい光。
煙突から出る煙が、ガラルらしい穏やかさを感じさせる。
……こういうのでいいんだよ。
こういうので。
俺は玄関先で深く息を吸った。
「……やっと平和だ」
背中のショウは、さっきから起きている。
だがまだ疲れているのか、俺の肩に顎を乗せてぼーっとしていた。
ユウリが元気よくドアを開ける。
「ただいまー!」
そしてすぐ振り返り、俺に言った。
「入って入って!寒いでしょ!」
「……助かる」
俺は靴を脱いで家に上がった。
暖房の暖かさが、身体に染みる。
その瞬間、ショウが俺の背中から降りて、ふらっと立ち上がった。
そして――
妙に背筋を伸ばした。
さっきまでの疲れが嘘みたいに、急に「ちゃんとした顔」になった。
……嫌な予感がする。
俺は小声で言った。
「おい、ショウ?何する気だ?」
ショウは俺を無視した。
そしてユウリの方へ向き直り、軽く会釈をした。
「貴方がユウリさんですね。話は聞いてます」
ユウリは一瞬きょとんとして――
次の瞬間、目を輝かせた。
「えっ!?なに!?私、有名人!?」
ショウは真面目な顔のまま頷いた。
「はい。カレー大好きマンだと」
ユウリは両手を上げて笑った。
「それ誰情報!?当たってるけど!」
俺は頭を抱えた。
「……お前、余計なこと言うな」
ショウは小さく笑って、今度は俺の方を見た。
「零が散々言ってた」
「言ってねぇよ」
俺は即答した。
いや、言ったかもしれない。
でもそれは、情報整理のための独り言であって、本人に伝える必要はない。
ユウリはニコニコしながら俺とショウを見比べる。
「ねぇねぇ!その子、ショウっていうの?」
ショウは頷く。
「そうです」
ユウリが首を傾げる。
「ショウって男の子の名前っぽいけど……」
ショウは一切の迷いなく答えた。
「私は女性です」
――空気が止まった。
俺は固まった。
ユウリも固まった。
数秒後。
ユウリが「えっ!?」と叫んだ。
「ええええ!?そうなの!?」
俺は喉がカラカラになりながら呟く。
「……お前、今それ言う?」
ショウは平然としている。
「今言わないと誤解されるので」
俺は心の中で叫んだ。
(いや、今言った方が混乱するだろ!!)
ユウリはショウの顔を覗き込むように見た。
「ほんとだ……めっちゃ可愛い……!」
ショウは少しだけ照れたように視線を逸らした。
……かわいいとか言われ慣れてない反応。
俺はそこで気づいた。
こいつ、ボーイッシュなだけで普通に女の子だ。
いや、そもそもヒカリの祖先みたいな顔してる時点で、可愛いに決まってるんだが。
俺は頭を押さえた。
「……情報量が多い」
ユウリは手を叩いて言った。
「いいじゃんいいじゃん!ガラルは性別とか気にしないよ!」
ショウは頷いた。
「助かります」
俺は思った。
ガラル、優しい。
……この世界観だけは優しい。
俺の人生は優しくない。
ユウリはエプロンをつけながら言った。
「じゃあカレー作るね!」
ショウがすぐ反応する。
「楽しみです」
ユウリは得意げに胸を張った。
「任せて!ガラルカレーは世界一だよ!」
俺は床に座り込みそうになった。
暖かい家。
平和な会話。
カレー。
……やっと普通のイベントが来た。
そう思った瞬間。
俺のスマホが震えた。
ブブブブ……!!
俺は嫌な予感しかしなかった。
画面を見る。
着信。
――ハルカ。
俺は青ざめた。
「……いや、なんで?」
続けて通知。
ヒカリ。
メイ。
セレナ。
ミヅキ。
そしてトウコ。
俺はスマホを握り潰しそうになった。
「……あーまた大炎上だ」
ユウリが首を傾げる。
「どうしたの?」
俺は笑顔で誤魔化した。
「いや、ちょっと昔の知り合いから……」
ショウが俺の顔を見て、真顔で言う。
「零、顔が死んでる」
「死んでるよ」
俺は即答した。
もう隠す気もない。
スマホがまた震える。
通知が止まらない。
俺は天井を見上げた。
「……俺、女癖悪いと思われるじゃん」
ショウが淡々と言った。
「実際、連絡帳ほぼ女性だし」
「違うんだよ!!」
俺は即座に反論した。
「俺は悪くない!アルセウスが悪い!!」
ユウリがぽかんとした。
「アルセウス……?」
ショウがユウリに微笑んで言った。
「気にしないでください。零のいつもの癖です」
「癖じゃねぇよ!!」
俺は叫んだ。
ユウリは困ったように笑った。
「まぁまぁ!とりあえずカレー食べよ!」
俺は心の底から思った。
……そうだ。
今はカレーだ。
カレーは全てを解決する。
俺はスマホを裏返して、床に置いた。
「……電話が来たら教えて」
ショウが頷く。
「了解」
ユウリが鍋を火にかける。
香辛料の匂いが広がり、腹が鳴った。
俺は椅子にもたれかかり、目を閉じた。
この瞬間だけは。
俺はただの旅人でいい。
ただの、カレーを待つ男でいい。
――そう思った。
だが。
俺のスマホは容赦なく震え続けていた。
次回
「…あれがダイマックスってやつ?」