スマホの着信は止まらなかった。
セレナ。
ハルカ。
ヒカリ。
メイ。
そして知らない番号。
……いや、知らない番号が一番怖い。
俺は震える手でスマホを裏返し、テーブルに置いた。
「見なかったことにしよう」
ユウリは首を傾げた。
「レイ、電話出ないの?」
「出たら死ぬ」
「えぇ……?」
ショウはあくびを神殺して、カレーの皿を片付けながら言った。
「零、現実逃避しても無駄だよ」
「知ってるよ」
俺は額を押さえた。
今はもう、戦う気力がない。
伝説相手ならまだいい。
女の子の怒りは無理だ。
マジで。
俺が人生で一番怖いのは、ポケモン世界に来てから「女性」になった。
ユウリは明るく手を叩いた。
「じゃあ!とりあえず今日は休も!疲れてるでしょ!」
ショウも頷いた。
「うん。歩き疲れた」
そう言った瞬間。
ショウがふらっとよろけた。
俺は反射的に支える。
「おい、大丈夫か?」
ショウは目を瞬かせて、小さく呟いた。
「……平気。でも、眠い」
眠い、じゃねぇよ。
お前、さっきからずっと限界じゃねぇか。
俺は溜息を吐いて、しゃがみこんだ。
「ほら、背中乗れ」
ショウは一瞬だけ驚いた顔をした。
「……いいの?」
「いいから。早く」
ショウは少しだけためらってから、俺の背中に乗った。
……軽い。
軽すぎる。
これが「ヒスイで鍛えた身体」ってやつか?
いや、鍛えた結果がこれならおかしいだろ。
ユウリが嬉しそうに笑った。
「わー!なんかお兄ちゃんっぽい!」
俺は疲れた声で返した。
「お兄ちゃんっていうか……保護者だな」
ショウが背中で小さく笑った。
「保護者って……」
俺はユウリに向き直る。
「で、どこ行けばいい?」
ユウリは指を立てた。
「まずはポケモンセンターかな!ショウちゃんも診てもらった方がいいよ!」
「だな」
俺は歩き出した。
夕方のガラルの街は、どこか落ち着いている。
石造りの建物。
パン屋から漂う匂い。
遠くで鳴くポケモンの声。
……こういうの、嫌いじゃない。
嫌いじゃないんだけど。
背中がくすぐったい。
ショウが俺の肩に顎を乗せて、ぼんやり外を眺めていた。
近い。
普通に近い。
距離感がバグってる。
ユウリは俺たちを見てニヤニヤしている。
やめろ。
そういう目で見るな。
俺は小声でショウに言った。
「なぁ、ショウ」
「なに?」
ショウは眠そうな声で返す。
俺は周囲をちらっと見て、さらに声を落とした。
「……警戒心は?」
ショウはきょとんとした。
「警戒心?」
「いや、お前さ」
俺は言葉を選びながら続ける。
「さっきから距離が近いんだよ。普通、初対面の男におんぶされるか?」
ショウは少し考えた後、あっさり言った。
「零なら大丈夫」
俺は足を止めた。
「……は?」
ユウリも止まった。
「え、何その信頼」
ショウは俺の肩に顔を寄せたまま、淡々と答える。
「ヒスイで助けてくれたし」
「いや、助けたっていうか」
「それに、零は優しい」
俺はその言葉に、一瞬だけ息が止まった。
優しい。
俺が?
……俺はただ、生き残るために必死だっただけだ。
ショウは続ける。
「あと、零は女の子にモテそうだけど、変なことはしない」
俺は思わずツッコんだ。
「いや、モテそうだけどって何だよ!!」
ユウリが吹き出した。
「ショウちゃん、見る目ある~!」
「見る目ってなんだよ!!」
俺は叫んだ。
ショウは不思議そうに首を傾げる。
「違うの?」
「違わないけど違う!」
俺は訳の分からないことを言った。
……ダメだ。
俺の精神が限界に近い。
ポケモンバトルの疲労じゃない。
人間関係の疲労だ。
ポケモン世界に来てから、ずっとこうだ。
信頼されるのは嬉しい。
嬉しいけど、怖い。
何が怖いって、俺は「何もしてないのに誤解される未来」が見えている。
すでにスマホが地獄だ。
俺は深呼吸して、ショウに言った。
「……とりあえず、もうちょい距離取れ」
ショウは素直に返した。
「わかった」
……素直かよ。
素直すぎるだろ。
その瞬間、ショウが少しだけ体を動かした。
そして。
俺の首元に、ショウの息がかかった。
ぞわっと鳥肌が立つ。
ユウリがにやにやする。
「……あのさぁ」
俺は思わず睨んだ。
「ユウリ、絶対変な想像してるだろ」
「してないよ!」
「嘘つけ」
ショウは眠そうに呟く。
「零、顔赤い」
「赤くねぇよ!!」
俺は即答した。
そしてその瞬間。
俺のスマホがまた震えた。
ブブブブ……!!
俺は背筋が凍った。
嫌な予感しかしない。
ユウリが覗き込む。
「電話?」
俺は固まったまま画面を見る。
――レッド。
俺は目を見開いた。
「……え?」
ショウが小さく言った。
「零、出たら?」
俺は震える声で言った。
「レッドは……ヤバい」
「え、なんで?」
「男の方が怖い時もあるんだよ……」
俺は悟った。
俺の人生、もう詰んでる。
ユウリは笑って肩を叩いた。
「大丈夫だよ!きっと普通の用事だよ!」
俺は乾いた声で呟いた。
「普通の用事で、レッドから電話来るわけねぇだろ……」
俺は震える指で通話ボタンを押した。
「……もしもし」
電話の向こうは、沈黙。
数秒後。
『……』
何も言わない。
けど、圧がすごい。
俺は汗をかきながら言った。
「……レッド?」
『……(ため息)』
そして、短い一言。
『迎えに行く』
通話が切れた。
俺は青ざめた。
「……迎えに行く?」
ユウリが首を傾げる。
「迎えに?」
ショウは眠そうに言った。
「迎えに来るんだね」
俺は呟いた。
「……終わった」
俺の人生、終わった。
ユウリが笑う。
「え、レイってほんと面白い!」
俺は笑えなかった。
背中のショウが小さく寝息を立て始めた。
俺は空を見上げて、心の底から思った。
――アルセウス、お前これ絶対楽しんでるだろ。
次回
「なんで俺おんぶしてるんだ?」