――このルートは、静かだ。
誰も騒がない。
誰も押し付けない。
誰も「助ける」と言わない。
でも。
気づいたら助けられている。
それがクリスという女だった。
金銀クリスタル世代の、もう一人の主人公。
明るいのに落ち着いてて。
優しいのに距離感が上手くて。
可愛いのに、どこか大人びている。
そして何より。
ジョウトの空気みたいに、自然に隣にいる。
だからこのルートは。
痛い。
静かに、痛い。
ジョウト地方。
コガネシティ。
夜。
俺は駅前のベンチで、ぼーっと空を見上げていた。
「……なんでこうなるんだろうな」
バッジケースを落としただけで人生が落ちて。
伝説と戦って。
悪の組織に巻き込まれて。
神に監視されて。
コメント欄が現実に出てきて。
そして今は。
なぜか、平和な街にいる。
平和すぎて逆に怖い。
そんな時。
「……こんばんは」
静かな声がした。
振り返る。
そこにいたのは、二つ結びで青緑髪の少女。
帽子は被っていない。
でも。
雰囲気が「旅人」だった。
落ち着いた目。
穏やかな笑顔。
そして、静かな強さ。
クリス。
俺は固まった。
「……え」
クリスは首を傾げた。
「え?」
俺は言った。
「いや……」
「今、俺に話しかけた?」
クリスは笑った。
「はい」
俺は言った。
「なんで」
クリスは言った。
「元気がなさそうだったから」
俺は思った。
(この子、自然すぎる)
ナンパじゃない。
同情でもない。
ただ、気づいたから声をかけた。
その「当たり前」が、俺には眩しかった。
クリスはベンチの端に座った。
「旅の途中ですか?」
俺は言った。
「……まあな」
クリスは言った。
「ジョウトは好きですか?」
俺は言った。
「……嫌いじゃない」
クリスは微笑んだ。
「よかった」
その言葉が、なぜか胸に刺さった。
よかった。
たったそれだけなのに。
俺は「誰かに喜ばれる」ことを、ずっと忘れていた。
クリスは少しだけ俺の顔を覗き込んで言った。
「あなた」
「戦ってきた人の目をしてます」
俺は固まった。
まただ。
また見抜かれる。
でも、リーフやアオイみたいな直球じゃない。
クリスは、静かに事実だけを言う。
責めない。
追い詰めない。
ただ、そっと置く。
俺は言った。
「……そう見えるか」
クリスは頷いた。
「はい」
「でも、怖い目じゃないです」
俺は言った。
「……じゃあ何だよ」
クリスは少し考えて言った。
「頑張りすぎた目」
俺は黙った。
言い返せなかった。
少し沈黙。
夜のコガネは賑やかで。
人の声がして。
笑い声がして。
でも俺の周りだけ、静かだった。
クリスが言った。
「私、コガネ好きなんです」
俺は言った。
「……へぇ」
クリスは言った。
「騒がしいけど」
「それが、ちゃんと生きてる感じがするから」
俺は思った。
(この子、言葉が優しいな)
クリスは続ける。
「あなたは、どこが好きですか?」
俺は言った。
「……静かな場所」
クリスは笑った。
「分かります」
俺は少し驚いた。
共感って、こんなに心が軽くなるのか。
数日後。
俺は気づけばクリスと一緒に歩いていた。
自然に。
当たり前みたいに。
クリスは必要以上に踏み込まない。
でも必要な時だけ、必ず隣にいる。
そして。
俺が飯を食い忘れそうになったら言う。
「食べました?」
俺が無茶しそうになったら言う。
「今日は休みましょう」
俺が黙り込んだら言う。
「……話したくなったら、聞きますよ」
俺は思った。
(こいつ……医者か?)
ある日。
焼けた道。
突然現れる、ロケット団。
俺は反射的に言った。
「……あーはいはい」
「出たよ」
クリスが言った。
「ロケット団?」
俺は言った。
「そう、ロケット団」
ロケット団員が叫ぶ。
「おい!そこのポケモンを渡せ!」
俺はため息をついた。
「……なんでどこにでもいるんだよ」
クリスは静かに言った。
「……私がやってもいいですか?」
俺は驚いた。
「え?」
クリスは言った。
「たまには、私が守りたいです」
俺は固まった。
守りたい。
その言葉を、俺は何度も聞いてきた。
でもこの子が言うと。
軽くない。
押し付けじゃない。
ただの願いだ。
俺は小さく笑った。
「……好きにしろ」
クリスは頷いた。
「はい」
バトルは一瞬だった。
クリスのポケモンは、ジョウトの育ち方をしていた。
堅実。
丁寧。
無駄がない。
派手じゃないのに、確実に勝つ。
ロケット団員は泣きながら逃げていった。
「うわぁぁぁ!」
俺は呟いた。
「……強いな」
クリスは少し照れた。
「えへへ」
「ありがとうございます」
俺は思った。
(可愛いな、こいつ)
その瞬間。
俺は気づいてしまった。
このルート。
危ない。
感情が、動く。
夜。
ポケモンセンター。
俺のスマホが震えた。
連絡帳。
嫌な予感。
アルセウス。
悪の組織。
伝説。
レッド。
全部の地獄が詰まった通知。
俺は青ざめた。
「……来た」
クリスが言った。
「どうしました?」
俺は言った。
「……見ない方がいい」
クリスは首を傾げた。
「でも、あなたが苦しいなら」
「私も知りたいです」
俺は言った。
「……知ったら戻れなくなる」
クリスは微笑んだ。
「戻らなくていいです」
俺は固まった。
クリスは続けた。
「今いる場所が、正しい場所かもしれません」
俺は思った。
(この子……怖い)
優しいのに、覚悟が重い。
俺はスマホを見せた。
連絡帳。
サカキ。
アカギ。
マツブサ。
アオギリ。
グズマ。
そして――アルセウス。
クリスは静かに読み、しばらく黙った。
そして言った。
「……あなた」
「一人で背負いすぎです」
俺は言った。
「……そうかもな」
クリスは言った。
「それ、褒められることじゃないですよ」
俺は少し笑った。
「分かってる」
クリスは、少しだけ困ったように笑った。
「なら、よかった」
俺は思った。
(こいつ、俺のこと否定しないのに、逃げ道も潰してくる)
そして。
アルセウスが現れる。
夜空が割れる。
空気が止まる。
俺は言った。
「……またお前かよ」
アルセウスが言う。
『零』
『お前はまだ足掻くか』
俺は笑った。
「足掻くも何も」
「俺、休ませろって話なんだよ」
その時。
クリスが前に出た。
「……神様」
アルセウスが沈黙する。
クリスは静かに言った。
「この人は、もう十分です」
俺は固まった。
クリスは続けた。
「あなたがこの人に与えたものは」
「試練じゃなくて、罰です」
アルセウスが言う。
『……罰ではない』
クリスは言った。
「罰ですよ」
「だって、救いがない」
俺は息を止めた。
クリスはアルセウスを見上げて言った。
「あなたが神なら」
「救いを与えてください」
アルセウスが沈黙した。
数秒。
そして。
『……面白い』
光が降りる。
スマホが震える。
連絡帳が更新される。
【クリス:帰る場所】
俺は呟いた。
「……帰る場所?」
クリスは小さく笑った。
「いいですね」
俺は言った。
「……お前、何した」
クリスは言った。
「お願いしました」
俺は思った。
(お願いで神を動かすな)
最後。
夜のコガネ。
街の灯り。
クリスが隣で言った。
「八雲さん」
俺は言った。
「……何」
クリスは言った。
「あなたは、強いです」
俺は言った。
「……今さらだろ」
クリスは首を振った。
「強いから」
「あなたは、誰も頼らなかった」
俺は黙った。
クリスは言った。
「でも、もう頼ってください」
俺は言った。
「……頼ったら、迷惑かける」
クリスは笑った。
「迷惑、かけてください」
俺は固まった。
クリスは続けた。
「それが人間です」
俺は目を逸らした。
胸が熱くなった。
涙が出そうだった。
クリスは小さく言った。
「私、あなたの味方です」
俺は呟いた。
「……なんで」
クリスは微笑んだ。
「あなたが、頑張った人だから」
その言葉が。
どんな伝説より。
どんな神より。
強かった。
俺は小さく息を吐いて言った。
「……じゃあ、少しだけ頼る」
クリスは頷いた。
「はい」
そして笑った。
「いっぱいでもいいですよ」
俺は思った。
(ああ、だめだ)
このルート。
俺、終わる。
良い意味で。
旅が終わってしまう。
帰る場所を手に入れた瞬間。
俺の「逃げ」が、許されてしまうから。
クリスルート 完
(※このルートの八雲零は、ジョウトの静けさに包まれて、やっと「帰れる」ようになる)