ザクザク! カルメンとのデート回。です。
「ありがとう、コナー。今日はすっごく楽しかったわ!」
「それは重畳。エスコートした甲斐もあったってもんだ」
「すっごく強引なエスコートだったけどね!
私、なんだかんだ勉強ばっかりで、ああいう遊びってあんまりしたことなかったから……ふふっ、今日のこと、時々夢で思い出しちゃいそう」
J社の巣で取ったホテル。
くっそ高い値段相応に綺麗な一室で、俺はカルメンと共にワインを嗜んでいた。
ここ、諸々のサービス込みで、一泊で俺の給料が半月飛ぶ。
とんでもねえ観光客価格だ。もはや笑うしかない。
いいもんいいもん! どうせ俺もうすぐ死んで煉獄行きだから、金なんてケツ拭く紙にすらなりゃしなくなるんだもん! ……なんて、自分の心を奮い立てないと折れてしまいそうである。
ともあれ、朝は世界の全てを拒むような様子だったカルメンも、今はいつもの調子を……いいや、いつも以上に楽し気な様子で、ワイングラスを揺らしている。
俺の血と汗と涙の結晶をかち割った意味はあったと思いたいところだ。
「研究も楽しいし、アインやベンジャミンたちと話すのも勿論楽しいけど……なんていうか、こうして何もかも忘れてただ面白いことに熱中するっていうのも、良いものね。
なんだかずっと長いこと、そんなことも忘れてしまっていた気がする」
窓の外、巣のけばけばしい夜景を眺めながら、カルメンは微笑みに歪んだ唇を濡らし……。
グラスを両手で包んで、俯いた。
「……コナーの言う通りね。私、ずっとあの日のことを後悔するばっかりで、時間を無駄にしてたわ。
あの時どうすべきだったとか、これからどうすべきかとかじゃなくて……ただ、なんで私はとか、こんなんじゃ病の治療なんてとか、みんなに嫌われたとか、そんなことばっかり考えてた」
彼女は頭が良い。少なくとも、知識や頭の回りという意味では、俺なんかよりずば抜けて。
こうして一度鬱屈とした気持ちを振り払わせれば、自分がどれだけ歪に歪んだ思考をしていたのか理解し、顧みることができる。
少なくとも……今なら、まだ。
当たり前だが、鬱にも軽度重度がある。
「研究の中で発生したトラブルで人死にが発生した」という事実と、「高い危険性があると理解しながら、自分たちの研究の為に、可愛がっていた子供を実験台にして殺してしまった」という事実。
これら2つの間には、彼女の精神に与える影響に甚大な差があるんだろう。
まあ正確に言えば、原作では前者の上に後者が重なったわけだが。
彼女はまだ、メンヘラリストカッターするところまで重症化はしていない。
やり様にはよるが、十分に立ち止まり、自分自身で道を見つめ直せる段階だ。
だからこそ、俺は一発ぶっ飛ばして無理やり引き留めた後、テンションを上げさせて鬱を振り払わせた。
ショック療法になってしまったことは申し訳ないっちゃ申し訳ないが……。
これでようやく、彼女にも言葉が届くようになったわけだ。
……改めてさぁ! やっぱアインがやってくんねえかなこの役目ぇ!
なーんで俺は嫌いな相手の進路相談なんぞしなきゃならんのだ!
そうでなくともさぁ、せめて今日のあれこれの代金って予算下りねえ?
俺一応研究所のためにやったんだけど、これ福利厚生か交際費で下りねえかなこれ?*1
……さてと。
ここまで落ち着けてれば、話をするには十分だろう。
というか、相手の話題の振り方からして、カルメンもそれを望んでるようだし。
「さて、カルメン。お前がひとまず冷静になれた辺りで、俺はお前に訊くことを訊かにゃならん」
「うん」
カルメンは手に持っていたグラスをデスクに置いて、居住まいを正した。
対して俺は、あくまでも自然体のまま、まるで明日の朝食を尋ねるような気軽さで、それを口にする。
「エノクをどうする」
「…………」
一度、深く息を吸い、吐き……自らの思考を纏めるような、数瞬の空白が流れて。
その果てに彼女は、答えを口にした。
「実験に参加は、させない。少なくとも被験体としては」
果たしてそれは、本来であれば在り得ない、夢のような選択で。
そして同時、俺の指定司書就任チャートが、決定的に崩れた分岐であった。
まあいいか!
エノク、これからもよろしくなあ!!
ガキが実験台にされて死ぬのを見過ごすよりは、チャートの練り直しの方がよっぽど良いわなぁ!!!
* * *
「……焦り過ぎてた、って思う。
みんなが私を信じて付いて来てくれたのに、私は成果を出せなくて……なんとか頑張らないと、なんとか成果を出さないとって、いつの間にかそればっかり考えてた。
あなたに言われて、すごくショックだったわ。それじゃ都市の人間と同じ、病を負った人間だって。
でも、確かにそうだって思った。きっと都市の人々も、こんな気持ちを抱いて……そうするしかないって、狭窄になった視野で思うのね」
感じた痛みを思い出すように、カルメンは胸にその手を当てて想起する。
いやまあ……うーん……。
しみじみと語ってるとこ悪いが、微妙にピンボケした意見だ。
狭窄した視野でそう思うっていうか、そもそもそういう構造をしているっていうか。
人の集合的無意識である井戸からして、都市の人々ってそういうのだからね、どうしようもない。
カルメンも、巣で生まれ巣で育った、立派な都市の人間だ。
その意思の根っこにある無意識は、都市の井戸から組み上げられた一粒。多少色合いや濃度の差はあれど、結局のところ苦痛の循環の中に囚われた存在であることに変わりはない。
別に視野狭窄などせずとも、最初から彼女はその中にいるのだ。
彼女が治したいと願った病気、そのただなかに。
こんな設定作るんだもん、まっことプロムンは鬼畜である。
まあ俺も鬼畜なんで、今からそれを突き付けるんですが。
くらえ!
「違うなぁ」
え、と。
カルメンの驚愕に染まる声が聞こえる。
が、俺はそちらには視線を向けず、手元のワイングラスの中、揺れる赤い水面に目をやっていた。
なんとも都合の良いことに、ここに良い例えがある。
いや、この瞬間のために俺がわざわざ頼んだんだけどね。用意周到系雑魚と呼んでくれたまえよ。
「このワイン、美味いよな」
「……ええ、とっても美味しいわ」
「これを君に与えたのは誰?」
「あなたね、奢ってくれたし。返す返すになるけど、本当にありがとう」
「ああ、違う違う、そういうんじゃなくて。
じゃあこう言い直すか、これを用意したのは誰?」
「……このホテルの支配人、かしら?」
「違うね。少なくとも俺の言いたいこととは違う。
こういうのは作問者が言いたいことを察して答えるもんだぜ」
立ち上がり、窓辺に寄りかかる。
窓の向こうに広がるJ社の巣、その夜景は実に鮮烈で煌びやかで、露悪的だ。もはやグロテスクと言ってもいいだろう。
豪奢な建築物、光り輝くネオン、人の心を惹き付けてやまないユートピア。
……それを維持するために、果たしてどれだけの対価が要求されるのだろうか?
そしてそれを支払っているのは、一体どこの誰なのか?
「このワインを用意したのは、どこぞにある製造工場だろうな。
もっと言うのなら、そこでクソ安い賃金で馬鹿みたいな時間働かされる従業員が用意している。
支配人は、あくまで取り寄せただけだ。これを用意するコストを実際に払っているのは現場の人間で、支配人は金という対価を払ってその苦痛を買っているに過ぎない」
「…………」
「更に言えば、原材料である果物をプラントで育てているのは、人権なんて持ち合わせちゃあいない奴隷紛いの子供たちかな? 外郭に住む、あるいは捨てられた子供たち。
給料なんて与えられない。その日の飯すら覚束ない。あったはずの未来の可能性を大人の手でぶちぶちと千切られ、苦痛の対価を搾取されているわけだ」
都市はいつだってクソったれだ。
いやまあ、別に前世の日本がクソではなかったってわけじゃないし、健全な世界だったと高らかに叫ぶわけでもないが……。
こんなにも、露悪的な世界ではなかった。
苦痛だけではなく、確かに希望も循環していた。
それなのに、都市ってヤツはよお!
そもそも自分たちから苦痛を味わいたがる集合無意識とか、救いようがねえなオイ!
「お前が何気なく楽しんでいたこのワインは、都市の苦痛の凝縮だ。……お前がここ数日で味わっていたそれよりも、ずっと色濃い苦痛のな。
多くの人の苦しみと嘆き、絶望と虚無。……それらの対価として得られたのが、このとっても美味しい、ものの数秒で消費される液体なのさ」
今思えば、前世の「いただきます」「ごちそうさまでした」って挨拶は、確かに必要な過程だったんだよな。
そこで発生した数多の苦痛を忘れず、感謝する。
それは生きることで消費される苦痛への祈りだ。恥じるが故の行為だ。
……本当に。
あの世界は尊い場所だったんだなと、今になって気付かされる。
「何もワインに限った話じゃないぜ。
俺たちが食べるもの、使うもの、住むもの、着るもの、翼の特異点、今日一日の楽しかった時間さえ。
生きるために必要なありとあらゆる資源が、人の苦痛の上に成り立っている。それらを搾取することで、人はようやく生きている。
お前は視野狭窄になってようやく苦痛を味わったらしいが……都市の多くの人間は、自身の状態になど関係なく、強制的にこの世界を回すための歯車として消費されてるんだよ。
むしろそれに知らないフリしてる今のお前こそ、視野狭窄って言うべきなんじゃねえかな」
ここは、都市は、そんな世界で。
俺たちは、血に塗れて錆付いて歯車の上でしか、生きられない。
そんな当然のことを、何故だか多くの人は忘れてしまっているんだが。
「お前の言う『誰もが自分らしく生きる』というのは、言うならば今社会の歯車として搾取される者たちの苦痛をなくし、解放することに等しい。
それにより喪われる多くのものを、お前もまた、受け入れなければならない。
苦痛の連鎖を断つために、お前は、都市の人々は、その手に持っていた大切な全てを手放す必要がある。
まあ……色々な意味で、まさしく夢物語だな」
そこでようやく振り返ってみれば、椅子に座ったカルメンの視線は、テーブルの上の自分のワイングラスに向けられていた。
その顔は……いずれ彼女を元に生まれる誰かのように、蒼白に染まっている。
人生で恐らく初めて味わったのだろう大いなる挫折を以て、カルメンは苦痛というものの重さを、ようやく体感した。
だからこそ、平和ボケし切った彼女にも、少しは理解できたのだろう。
「できない」ということの痛み。
「やらねばならない」ということの重苦しさ。
そしてそれすら比べ物にならない、「奪われる」という絶望。
自覚もなく自分が「奪う」ことを行っていたという事実。
未だ現実のものでない、想像も混じったものではあるだろうが……。
「…………わた、し、は……」
祝ってやるよ。
おめでとう、カルメン。
お前は都市の苦痛の連鎖を、自分が越えると望んだものを、ようやく直視できたんだ。
* * *
「お前もまた、都市の人間だ。苦痛の連鎖の一部だ。だから、お前が事を為すためには、誰かの犠牲が必要になるだろうな。
……コギトの研究は、被験体という誰かの致命的な苦痛なくして、これ以上前には進まない。
逆に、それを受け入れさえすれば、研究は確かに進み、そして成果を出すだろう。
都市は、この世界は……そして人は。そういうものだから」
ワインを一口、含む。
口内に甘く広がり、そして仄かな苦みを残すそれを楽しみながら、カルメンの様子を窺った。
その様子を端的に表せば、混乱、失意、あるいは絶望。
……ああ、ようやく。
ようやくお前も、未来の彼ら彼女らと同じになってくれたんだな。
遥か高みから見下ろすばかりだった奴を、ようやく同じ土俵まで引きずり落とすことができた。
それが少し、痛快だった。
我ながら、なんとも趣味の悪いことだがね。
「勘違いするなよ、俺はお前に対して、犠牲を出すなと怒ったわけじゃないんだぜ。
ただ、出す犠牲を正しく選び、そしてそれの意味することを、お前が都市の人間として痛みを踏み抜かなければ進めないことを理解しろと、ただそう言っているんだよ。
……無自覚な消費と搾取程、醜悪で救われないものも、そうないからな」
正直に言えば、私情は多々含まれている。
これらの理屈の一部は、感情に対して着せた偽り。ただの大義名分に過ぎない。
俺は甘い人間だ。必要なことを割り切ることもできん雑魚。
だから、親しくなった、将来性に満ちた彼が犠牲になることを許容できなかった。
誰よりも年若く素直になれない、けれど人を思いやる心を持った彼女を裏切れなかった。
だが、同時に、これは道理でもある。
エノクは天才だ。きっとアインやベンジャミン、ダニエルに並び、あるいはそれを越える逸材。
そんなものを木っ端の歯車として消費することは、道理に合わない。
そういうのは本来、俺みたいな半端な雑魚が担うべき役割なんだよ。
……いやまぁ、俺は絶対しないけどね!
悪いが自己中のカスなんでな。自己犠牲なんて性に合わん。
指定司書になって、このクソみてえな苦痛の連鎖から一抜けさせてもらうぜ。
いやまあ……。
これから問うことへの答え次第じゃ、それもできなくなるかもしれんが。
ま、その時はその時だ。
仕方ないし、他の道でも探すとしよう。
「これを聞いた上で、お前はどうする?
これ以上都市の苦痛に加担しないようにと、お前たちの求道を止め、これまでの全てを投げ出すか。
それとも、自らの意志で犠牲を許容し、他者と自身の苦痛を抱え、それでも人を救おうと歩き出すか」
選べよ、救世主。
場合によっちゃ、俺のチャートは完全に破綻するぜ。