夜、カルメンの研究室にて。
「ねえ、コナー。私さえ死ねば、研究が一気に進むって聞いたら、どう思う?」
カルメンがいきなりそう言ってきて、俺としては、色々と察するところがあった。
やっぱりというか何というか。
あるいはもっと前から、そんな示唆はあったのかもしれないが……。
釣瓶についての研究もまた、進んでいたらしい。
L旧研は現在、光についての調査と研究、実験を繰り返している。
人の心を解き放つ力を持つ物質、光。
十分な量のこれを高濃度に圧縮し、上手く都市の中に拡散させれば……全ての人々が自分の心に素直になり、自由に生きられるかもしれない。
アインはそんな仮説を立て、現在検証を進めている。
心の病の治療という、夢物語だったはずの最終目標。
それは今や、技術的には可能性があるという段階にまで、現実へと引き落とされた。
……が、しかし。
それはあくまで「技術的には可能性がある」に過ぎない。
現実的に考えれば、現状これは不可能と言えた。
その原因は、コギトだ。
カルメンの理想へ至るための梯子である、光。
それは、今の研究所にとっての希望の象徴であり、最優先の研究対象。
サンプルなんていくらあっても足りないし、最終目標を考えれば莫大な量が必要になるだろう。
……が、ここで一つ問題がある。
光は、コギトの中から微量に抽出できる物質を、更に高濃度に濃縮させたものだ。
1の光を得るためには、1000のコギトが必要であり。
なおかつ、その抽出・濃縮のために、割と冗談にならない資金とエネルギーを必要とする。
資金は俺やカーリーが依頼をこなしまくればいいし、エネルギーは俺の騎士からエンケファリンもらえばいいので、なんとかできるのだが……。
問題は、コギトである。
人の集合無意識の欠片、コギト。
カルメンが発想し、アインが抽出せしめたこれは、しかし現状安定して収集することが不可能。
偶発的な条件がいくつか揃った時だけ極々微量に抽出できる、というのが現状だ。
というのも、まあ、発狂するんだわ。
井戸は何十億という人の思念の在処であり、その中の水であるコギトは思念の一部だ。
これを人の身で汲み上げようとする行為は、言うならば氷で作られた桶で、温かい海の水を汲み上げようとするようなもの。
氷は温かな海にすぐに溶け、緩慢に消えていくばかり。
海の水に染まることなく、溶けることもなく、自らの精神を保ったまま水を汲み上げるとか、ちょっと正気の沙汰ではない。
ビナーあいつホント頭おかしい。
じゃあ機械とか道具使えばいいじゃんとなるわけだが、残念ながら人間の無意識領域である井戸には、人の意志を以て他アクセスできないらしい。
詰んでて草。
そんなわけで、コギトってのは現状、ドパドパと無限に得られるような資源ではない。
色々と条件が揃えばその海が冷たくなって、氷の桶が溶け出すまでに若干の猶予が生まれ、一瞬だけ汲み上げが許されるようになる。
まあそれでも結構自我が希薄化したりしてヤバいらしいけど。
現状アインたちは、このタイミングを狙い、ちょこちょこと微量なコギトだけ抽出しているわけだが……。
これまでのようにコギトを直接研究するのならともかく、その1,000分の1の量しか取れない光の研究するとなると、圧倒的に量が足りなかった。
というわけで、今盛んに行われてるのが、安定して多量のコギトを抽出する方法の模索。
これは様々なアプローチで試行錯誤されているようだが……やはりというか、一番力が入れられていたのは、コギトを汲み上げる桶の改良だ。
人の精神という氷で作られた桶を、例えば樹脂でコーティングするだとか、あるいは海を局所的に凍らせる程の低温を保つだとかして、海に溶け出さない桶を作る。
これさえ完成すれば、どれだけでもコギトの抽出は叶うだろう。
アインは割と人の心とかない系研究者なので、被験者の脳をくちゅくちゅしてどうにかならないかと模索してた。素直に怖い。
ひえ~~怖いわマッドサイエンティストよ~~と思いながらも、俺も彼ら彼女らの悲劇に加担し、わっせわっせと外郭から被験体になってくれる人たちを運び込んでいたのだが……。
……その研究は、ついに釣瓶という可能性にまで辿り着いた、というわけだ。
* * *
「井戸から安定してコギトを抽出する方法が、やっと分かったの。
釣瓶。……適性を持つ人間の脳を用いて作られる、抽出装置。
これさえあれば、コギトはどれだけでも汲み上げることができて、光の研究は一気に加速するでしょう。
そして……現状、釣瓶の適性を持った人間は、私しか確認できていない」
つまり、私が死ねば、光の研究はもっともっと進むの。
カルメンはぼんやりと、何もない天井を見上げて、そう語った。
次に何を言われるか察している俺は、ベッドサイドに置いてあった茶を口に含みながら、ちらりとその瞳を確認する。
あるいは、失意に炎が消えていないかとも思ったが……。
全くもってそんなことはなく、赤い太陽は今もギラギラと燃えている。
ならば、良し。
「……死にたくないわ、コナー。私、全然、死にたいとは思えないの。
昔の私なら、きっとそうしてでも人の心を自由に、って思ってたけど……あなたに私の醜さを思い知らされちゃって、それを認めちゃったから。
私は私を愛したい。私の命を大事にしたいし、もっと生きたいって思ってしまう」
駄目な人間よね、と。
そう、カルメンは苦笑した。
「いや、全然駄目ではないが???」
真顔のマジレスであった。
「あいたっ」
ついでに、真顔のデコピンであった。
なーに言ってんのかねコイツは。アホかな?
……もしもだ。
もしも、俺が前世の記憶を持っておらず、「コナーしか釣瓶の適性を持ってません!」なんてことになれば……。
俺は間違いなく、この研究所を脱走しているだろう。
嫌だよ光の中に溶けるとか。死すらも生温い地獄だもん。
でも、それは俺が特別ってわけじゃない。
きっと多くの人が、自らを犠牲にすることを拒むはずだ。
カルメンが言っていた通り、都市の人も、そして俺も。
結局のところ人は、自分しか愛せず、自分のためにしか生きられない。
人なんて結局はそんなもんであり……。
そんなもんであることを認めるところから、全ての求道が始まるのだ。
「自身の喪失である死を回避しようとするのは、生命として極めて自然なことだ。
生物は須らく生を目指し、適者生存の果てに進化を遂げる。……人は理性が強すぎて本能を超越しちゃってる部分があるとはいえ、それ自体は自然な行為だとも。
むしろ俺としちゃ、自分の本能的な醜さを認めもせず、自分は清廉潔白です、みたいな顔をしてる奴の方が好かんね」
大事なのは、そうして生き残ろうとする我欲を正当化するんじゃなく、自身の利己的な生存欲求を認めて、上手く付き合っていくこと。
誰かの屍の上に生き残った自分を恥じ、傷として自分の中に刻みながらも、次の機会ではもっと上手くやろうと立ち上がり続け、生き足掻くことだ。
お~い、フィリップ君聞いてっか~?^^
……耳塞いでんじゃねえタコ助! マッチの火で炙んぞコラ!!
「……やっぱり、あなたって、あの頃の私のことが嫌いだったのね」
苦笑気味な、そして微かに甘えの混じったその言葉に、俺は容赦なく頷く。
「ああ嫌いだったね、すげえ嫌いだった。とっくに仄めかしてたと思うが。
世間知らずで、楽観的で、甘い目算の下皆を巻き込んで、誰のこともまともに見ないまま破滅に向かって突っ込んで……そうしていつか自分勝手に死んで、そのくせ生きたかったとか宣って、光に溶け、ねじれて歪む。
そんなお前が嫌いだったよ、カルメン」
別にアンチって程じゃないが……。
どうしたって、その在り方は俺の許容の外にあった。
ていうか、Ruina時代のカルメン好きな奴とかいねーだろ。
いや、ファムファタール要素が好きな奴はいるかもしれんけどさ、人間的に好きにはなれんでしょって話でね。
「……見てきたように語るのね。
いいえ、あなたはずっとそうだったかな。
いつも、まるで全て知ってますよ、って風な顔をしてた」
「気のせいじゃね?」
「それで誤魔化せると思ってるの?」
くすくすと、首元に甘い吐息が当たる。
自分は分かっているぞと告げながら、しかしその先は追及しない。
俺も、そこで止まってくれると分かってるから、動揺しない。
互いの距離間を理解しているが故の許容と甘えが、そこにはあった。
「まあ、『だった』ならいいけどね。過去形ってことは、今の私のことは好きってことだろうし?」
「嫌いじゃなくなったのは事実だな。
少なくとも、ダニエル以外の研究所の皆と同列に並べられる程度には好き」
「え? ……と、特別好きとかじゃないの!? コナー、あなた、まさか浮気者っ!? しかもダニエルって、その、特殊性癖!?!?」
「黙らっしゃいこのレイプ魔が! 俺はノーマルじゃい!!」
「合意! 合意したじゃない!」
「事の最中に強要しただろうがよお前はよ!!」
俺がカルメンに抱いている感情は、好きとか愛とかそんなんではない。
では劣情かと言えば、それも違う。いつか言った通り、見た目は別に好みじゃないし。
かつては混沌としていて、判別の付かなかった感情だが……。
これだけ時間が経てば、多少は整理も付く。
これは、強いて言うなら、そう。
憧憬、なんだろうな。
俺の持っていないものを、強さと美しさと気高さを、今のカルメンは持っている。
自分の醜さを直視して、けれどねじれも歪みもせず、ただ愛し受け入れて。
それでも尚、誰かのために何かを為したいという想いは嘘でないと断じ。
なんら衒いも繕いもなく、自身の心の望むまま、信じた道を突き進む。
きっともう、彼女は道に迷うことも、逃げ出すこともないだろう。
かつてその目を覆っていた曇りは、晴らされ。
今、俺の目の前で、赤く黒い太陽は輝いているのだから。
それは、俺のような意志薄弱の雑魚にとって、あまりに眩い光だ。
たとえいつかは燃え尽き、周りを巻き込んで破滅するとしても……。
この瞬間、その心根が美しいこと自体に、変わりはない。
そして、美しさというのは無上の価値だ。
善も悪も何もかも、美の前ではただ首を垂れるだけ。
悔しいが、その光を見せられた時点で、俺の負けだ。
要するに、惚れた弱みというヤツである。
……そして、まあ、十中八九。
カルメンもまた、俺に同じものを見ているのだろう。
頭のネジがぶっ飛んだ聖人じみた善人と、どこまでも小物なくだらん悪人。
基本的には正反対なのに、そういうところだけ似たもの同士なんだわ、俺たちは。
全く、こんな男が良いとか……変な奴に捕まっちまったもんだわな。
俺はベッドに沈み込みながら、鼻を鳴らす。
「別に、自分から死ぬ道なんて選ぶ必要はねえだろ。
この世界でお前以外の誰にも適性がないってわけじゃねえだろうし、研究続けていきゃその内、外郭の奴らの中から適性持ちも出て来るはずだ」
今のカルメンは、自らの目的のため、苦痛を許容できる。
勿論、開き直ってるってわけじゃない。
それを恥じ、自らの悪性として背負い、たくさんの傷を心に刻みながらも……。
それでも今のカルメンは、目的のために歩いて行ける。
自分たちは、「もっといい存在になれるという希望」を抱いて。
だったらその内、カルメンに代わる釣瓶候補も発見できるだろう。
まあそんなことになったら、もう原作の流れなんてあったもんじゃないが……。
そんなんもう今更じゃボケ!!
J社の巣以来、俺はもうぜーんぶオリチャーで行くって決めとるんじゃ!!
そもそもミシェルがぜーんぜん追い詰められてねえんだから、頭への通報が起こらねえ!
頭への通報がなきゃガリオンが来ねえ!!
ガリオンが来なきゃ調律者の脳が手に入らねえ!
ガリオンの脳が手に入らなきゃL社にもなれねえ!
L社になれなきゃ彼女を讃える煉獄が開かれねえ!
あーもう滅茶苦茶だよ!
俺のチャートも原作の流れも、ぜーんぶ壊れまくっとるんじゃボケが!!
いや、別に調律者たちに来てほしいわけじゃねえんだけどさ!
ほーんとどうしようかなこれ!!
いやもう、その場その場でアドリブを決めていく以外、選択肢なんざねえんだけどね!
「強いて言えばアレだ、ドナー……はねえか都市には。
もし自分が脳死でも心臓死でもしたら、遺体を釣瓶に利用してもいいよ~って皆に伝えとくくらいでいいんじゃね?」
というわけで、俺は鼻を鳴らし、そんなアドバイスを送ったのだが……。
「ああ……そうか、確かに、その通り。
ありがとうコナー、やっぱりあなたは、いつも答えをくれるわね」
カルメンは深く安堵したように、そのまぶたをゆったりと落として……。
「ああ、安心したら眠くなってきたわ。
お休みなさい……愛してるわ、ふふっ……」
そのまますこーん、と眠りに就いて。
数秒でもすれば、研究室には静かな寝息が響き始めた。
……は?
おい、コイツマジ?
いきなり所長権限で呼び出され、さっきまですげえ求められて、なんなんだと思ってたけど……。
死を意識して、生存本能が刺激されて盛ってたってことか!?
言うなればコイツ、部下呼び出して強引に抱いて欲求不満をぶつけまくって、自分が満足したら一方的に眠ったってか!?!?
流石にカスすぎんかこのセクハラ上司!!
俺訴えたら勝てるよなァ! ……どこに訴えればいいんだこれ!?
※仕事上の関係を笠に着て性交渉を迫るのは人として最低の行為です。絶対にやめましょう。
なお脅迫抜きで相手が同意している、擬似的なプレイなら話は別です。