ターニングポイント、その2。
正直に言えば。
俺は少なからず、達成感を味わっていた。
エリヤ、ガブリエル、ミシェル。
実験の中で徐々に擦り減り、壊れ、終わってしまう彼女らに、くすりと失笑を漏らしてしまうような、些細な癒しをもたらせたことを。
リサにエノク、カーリー。
隣り合う関係性を求めていた彼らの近しい他人として、多少なりとも仲良くなれたことを。
ダニエル。
大事な友だちの隣にあり、互いに支え合いながら歩めていることを。
あるいは……アイン。
孤独に煉獄へ堕ちるかもしれない彼の、馬鹿らしく騒がしい、ほんの一時の夢のように在れたことを。
お恥ずかしい話、俺はいつしか、誇らしく思っていたのだと思う。
勿論、俺如きに全てを救えたわけではない。
ベンジャミンに関しては……正直Aキチとして満たされすぎて、どう手出ししていいかわからんかったし。
ジョバンニの、自らの意志に基づく決断を歪める権利を、俺は有さなかった。
研究所に勤める他の事務員たちだって、何人も救えず、アブノマに食われ、フィクサーに裂かれ、化け物に呑まれていった。
そして、カルメンに関しては……。
……どうなんだろうな。
早期に彼女に心の負を直視させたことは、良いことだったのか、悪いことだったのか。
正直、俺にはそれすらよくわからないが。
とにかく、取りこぼしたものは多い。
懸命にこの手で掬おうとしても、水は指の間から零れ落ちていった。
けれど、それでも。
彼ら彼女らの、俺に気付いて、ぱっと明るくなる顔を見れば……。
俺にも、何かができたような気がしたんだ。
何言ってんだ、って感じだけどな、ホント。
元はみんな見捨てて、淡々と地獄を見逃して、煉獄を終わらせて、復讐の終わりを見送って……。
図書館で悠々自適に、自分勝手に余生を楽しむつもりだったのに。
一緒に過ごす内、気付けば彼らに感情移入して、少しでも支えになりたいと望んでしまい。
自分勝手に色々やらかして、事前に立てたチャートなんてぶっ壊して、彼らに干渉して流れを歪めて。
それもこれも、結局は自己満足に過ぎないんだけどさ。
それでも……ちょっとくらいは良いことができたかな、なんて。
そんな、雑魚には不釣り合いな、仄かな達成感なんて持ってしまった。
……ああ、だからだろうか。
罰が当たった、のかもしれない。
あるいは、道理に帰着したとでも言おうか。
あまりにも唐突に。
何の予兆もなく。
けれど、いつか必ず、間違いなく。
人が幸せを掴んだように思えた、その瞬間に……。
都市は、人々を、苦痛に突き落とす。
一連に繋がる意志と、それを元に構築される因果を以て。
俺は。
俺の意志そのものが、都市で生まれていなくとも……。
この体は、そして存在そのものは、都市の因果の中で生まれたことを。
そして、都市の意志に包まれて生きていることを。
もっと、意識すべきだったのかもしれない。
* * *
現実に、虫の知らせなんてものはない。
ダニエルとコーヒーをたしなむ、いつも通りの朝が来て。
研究所メンバーと挨拶を交わしながらも、騎士との対話に赴き。
外郭の近隣市街に出向いているカーリーの代わりに、笑う死体の山を鎮圧して。
いつも通りの日常業務をこなしていると、時は昼下がりになっていた。
違和感なんてものはどこにもなく。
今日の夕も夜も、明日も明後日も、一週間後も一か月後も一年後も……。
未来は当然のように訪れるんだろうと、そう思ってしまうような、退屈なれど充足した日々の中で。
最悪な状況の中で、しかし、ただ一つ不幸中の幸いがあったとするなら。
その時、その瞬間。
俺が、おおよそ最速のタイミングで、それを知れたことだ。
死体の山の鎮圧でまーた馬鹿みたいに体を溶かした俺は、もはや愛用品と化したK社製アンプルをねだるため、アインの研究室を訪れ。
せっかく来たからと、そのまま彼の研究の手伝いをしていた。
この部屋に来るたび思うのは、他の研究室と比べて、圧迫感がすごいってこと。
その主たる要因こそが、研究室の壁を覆う、数多のモニター群だ。
それらには、研究所全体のマップと共に、数えきれないシステムの情報や状況が表示されている。
研究所の主任であるアインは、ここで使われる殆ど全てのシステムの最終管理・調整を行っている。
仮にシステムエラーが発生しようものなら、これらのモニター上に表示され、システムのデバッグやオーバーホールを行ったり、あるいはその指示を研究員たちに命令したりできるわけだ。
この研究所の全ての機器の原理とシステムを理解する怪物だからこそ成し得る、とんでもない重責。
……まさしく、この研究所の「管理人」のような仕事と言えるだろう。
しかしながら、それが実際に機能することは滅多にない。
ウチの研究員たちは優秀で、特にダニエルはシステムエンジニアもできる超人だからな。
命に関わる業務であるが故に、メンテナンスの頻度は高く、システムエラーはそう発生しないんだ。
だからその日、その時。
俺は、研究室に響くシステムエラーの警告音を、初めて耳にすることになった。
「? ……隔壁の開閉システムがエラーを吐いたか」
釣瓶の改良案を練っていたアインがそう呟き、モニターに目をやって。
手伝っていた俺もそれを追い……その先で。
ダニエルの研究室の、隔壁が。
操作されることもなく、ひとりでに開いたことを、知った。
「ッ!?」
全身が、総毛立った。
どうして?
あり得ない、誰が。
本当に? 勘違い? どこでそれを。
どこから、いつの間に、どうして誰も?
瞬間的に、数多の疑問と可能性が、脳裏を駆け巡った。
きっとその瞬間の思考の速度は、横で腑抜けた顔を晒しているアインと同等だったに違いない。
だが、俺は即座にそれを打ち切る。
無駄に悩んでいるような時間は、なかった。
これが、何かの間違いなら、それでいい。
勘違いした馬鹿が突っ込んでいって、恥ずかしい思いをする。それで話は終わるんだから。
けれど……もし、
これが、
皮肉と諧謔、悲劇と破滅、そして人の人たるを好む
悩む暇なんて、刹那も存在しない。
悠長に思考を巡らす間に、俺の友人が死ぬかもしれないからだ。
故に、俺の行動は決まっていた。
「騎士よッ、応えろ!!」
『我が主よ、ご随意に!』
鞘の剣を押さえ、強く思念を流し込めば、彼女は即座に応えてくれた。
クリフォト抑止力はかなり高い状態のはずだが、それすら振り切り、俺の背後に人型が顕現する。
夜闇のような髪とドレス、周囲に浮かぶレイピア、閉じられたまぶたに……誇りを宿す顔付き。
かつては「絶望の騎士」と呼ばれたもの。
しかし、今はその性質を変異させ、正式に改定されたその名を……。
WAW級アブノーマリティ、「正義の騎士」。
俺を守り、共に戦う騎士だ。
「っ、お前、何をしている!」
突如としてアブノーマリティを脱走させた俺に、アインは非難の叫びを上げ。
しかし、俺は努めてそれを無視した。
その言葉に応える時間すら惜しいんだ。
猶予はない。急がなければならない。
そして同時、確実に、事を為さねばならない。
大前提として。
俺に、彼女を殺せる実力はない。
数多の特異点を操り、技量だの条理だのを飛び越えて、絶対的な死を押し付けて来る化け物。
都市を統べ、回す、統制組織「頭」……その中核を担う存在。
その名を、調律者。
都市において、人の物語を紡ぎ続ける、最強の守護者だ。
実際にその姿を見た人間は少なく、しかしその恐ろしさは誰もが知っている。
都市の禁忌を犯し、調律者に目を付けられれば、全ては終わりだ。
裏路地をうろつく掃除屋も。我が物顔の五本指も。幅を利かせるフィクサーも。都市の支配者である翼も。煌めく都市の星々さえも。
皆、ただ一様に、堕ちるだけ。
実際、アレは恐らく、その噂を虚構にしないだけの力を持っている。
あんなのに勝てるのは、それこそ俺の相棒くらいのものだろう。
勿論、俺のような中途半端な雑魚では、ただ蹴散らされて終わるだけだ。
……ただし。
それは、真正面から戦えば、の話だが。
「ふぅッ……」
カチリ、と。
意識を、戦場に立つ戦士のそれへ切り替え、神経を研ぎ澄ます。
調律者には、明白な弱点がある。
頭は都市を、人間の場所として規定している。
当然、都市に住まう調律者たちもまた、あくまで人間でしかない。
彼女たちは、条理を逸したアブノーマリティたちとは違うんだ。
その意識は絶対的なものであり、自らの知らないものを知ることはできないし。
体を為す明確な器官があり、構造があり、欠点があり、脆弱性がある。
であれば……調律者を殺すのは不可能のようでいて、しかし簡単だ。
意識の外からの、一切反応のできない不意打ちで、即死させる。
相手が人間なら、それで必ず死ぬはずだ。
そして……そのための手札は、全て揃っている。
俺は義体の左脚を──その中の武装を稼働させながら、騎士に叫んだ。
「騎士よ、我が道を拓け!!」
『ここに──!』
すぐさま、俺の目の前の空間に、青い魔法陣が展開される。
魔法少女と呼ばれるアブノーマリティたちは皆、転移能力を行使できる。
金の魔法陣を以て飛び回る貪欲の王は勿論、悪者を追って施設を転移し続ける憎しみの女王も……。
そして、俺の騎士も、また。
今回は他者を伴い移動することもあってか、ただ白の光を散らして消え、そして現れるのではなく、表象的な門が現れたわけだ。
これによく似たものを、俺は知っている。
将来、暴走したゲブラ―が使いこなすE.G.O──ゴールドラッシュによる、黄金の道だ。
赤い霧のように、E.G.Oの力を我が物のように振り回すことは、俺にはできない。
他者の殻を捻じ伏せ、従わせられる程に、俺自身の自我が堅固ではないからだ。
カーリーのように、自分だけのE.G.Oを開花させることもできないだろう。
俺の精神は、そもそも井戸と繋がっていない。
ある意味において、俺は「E.G.Oの元となる自我」を持っていないから。
だが……。
それが他者であるのなら、手を貸してもらうことはできる。
強制的に従えるのではなく、仲間として、共に戦ってもらうことができる。
たとえ俺が、雑魚だとしても。
身体能力や技術が、他者に劣るとしても。
それは必ずしも、戦いにおいて、強者たちに劣ることを意味しない。
特色の教えでも、相棒の教示でも、義体化手術でも、遺物でも、卑怯な戦法でも、E.G.Oでも、アブノーマリティでも。
俺に利用できる、ありとあらゆるものを使って……勝つ。
それが俺の、コナーの戦い方だから。
だから、今回も勝つ。
「アイン、敵襲ッ!!」
「待っ」
アインの制止を最後まで聞くこともなく、青い魔法陣へ飛び込む。
瞬間、俺の目に映る景色が切り替わった。
俺の目に見えたのは、綺麗な黒髪の後頭部と。
その向こうに……。
「ッッッ!!!」
……あるべき腕をなくした左肩から、滝のように血を噴き出す、俺の友だち。
それを見た瞬間、惑う理由は全て潰えた。
頭の奥底から溢れ滾る熱のままに、俺は左脚を……。
その中に埋め込まれた「黒」を展開し、叩き付ける。
「黒」。
それは、黒の便利屋が使っていた、巨大なハンマー状の武装だ。
「一定範囲内の『封じ込められているもの』を全て解き放つ」というクソ程使いにくい機能を持つこれは、当然ながらL旧研においては殆ど使い道がなかった。
なにせ下手に使ってしまえば、その瞬間にアブノマ大脱走祭りだ。
一応紫の涙に回収こそしてもらったが、下手に暴発する可能性を考慮すれば、基本的には封印せざるを得ない危険物でしかない。
だが同時、この武装は、俺が持つあらゆる武装の中で、最も重い一撃を叩き込めるものでもある。
短剣、レーザー、霧、反射、ナイフ……死ぬ程使い辛い触手は一旦除外するとして。
それらと違い、巨大なハンマーである「黒」のもたらす被害は非常に単純で、それでいて圧倒的だ。
たとえ俺が、3級フィクサー程度の身体能力しかないとしても。
これが遺物であり、WAW級E.G.Oと並べられる程の破壊力を有していて。
その上で、唐突に背後の空中に現れて、渾身の力で振り下ろされたのならば……。
これを回避できる人間も、防げる人間も、反応できる人間さえも、存在しない。
本来、アインが回収して有効活用する脳みそは……申し訳ないが、ここでぐちゃぐちゃに叩き潰す。
一撃必殺、死角から不意打ちで脳を蹴り潰す。
それこそが、俺がガリオンを殺すと決めて以来練り上げて来た、対調律者戦術。
唯一無二、どのようにして不意打ちの形を作るかだけが悩みどころだったが……。
正義の騎士との協力関係が成立し、転移魔法が使えるようになった瞬間、この策は為った。
都市の中にあり、自らを人の内に縛る彼女に、これから逃れる手段はない。
確かに殺したと、間違いなく勝ったと、そう確信した。
だから。
だから、俺は。
「防いでんじゃねえよクソがァァアアアッッ!!!」
だから俺は、右腕を犠牲にすることで攻撃を逸らされたことに、絶叫を禁じ得なかった。
「頭」の接待を始めますか?