しばらく前にガス抜きをして以来、沈みこみがちだったアンジェラは、ひとまず調子を取り戻した。
相変わらず、セフィラたちの抑圧や職員の見殺しに対しては、心を痛めてはいるものの……。
彼女にストレスが蓄積するペースは、大幅に下がったように思える。
感じる痛みと苦しさを、そして達成や発見を、時にはどうでもいいことを。
彼女の感じる感情を、積極的に俺に共有し、吐き出してくれるようになったからだろう。
「アブノーマリティの管理にも慣れては来たけれど、やっぱりアブノーマリティによって、管理の煩雑さや難易度に大きな差があるのよね。
地獄への急行列車や無名の胎児、憎しみの女王辺りは……なかなか安定して管理することが難しい。
……いえ、違うわね。この感情は……『面倒くさい』、かしら。
コナー、あなたから見て、何か管理について気付いたことはあるかしら。私に至らない点があれば教えてほしいわ。少しでも状況を良くしたいの」
「前回の反復からするに、ティファレトとケセドに関しては精神抑制の必要性が薄い、という仮説の確度が上がって来たわね。
……正直に言うと、嬉しいわ。ケセドたちをいたずらに苦しめることは、本意じゃないから。
またあの時みたいに話すのは、反復を放り出しでもしない限り、難しいでしょうけど。
それでも、少し、心が軽くなった気がする」
「気付いたわ、コナー。気付いたのよ。
私、苦い味が嫌いなんだって。
だからいらないわ、これ。……いらないわ。いらない。いらないったら!
せっかく作ったのに残されると悲しい? ……う、ううう…………わかったわ……食べる……」
「コナー……少し、疲れたの。
また、抱き締めて、頭を撫でてちょうだい……。
ごめんなさい、統括AIなのに、頼りなくて……どうしても、彼らのあの声を聞くと……」
以前までに比べると、俺たちの距離は結構縮まったと思う。
あくまで統括AIとセフィラとしての距離感を保とうとしていたアンジェラも、今や個人的な感情や好き嫌い、そして何より弱みを見せてくれるようになった。
最近はすっかり閉じがちになったまぶたも、俺と向き合うときには開けてくれるし……。
弱った時には素直に言い、俺を頼ってくれるし。
彼女には落ち着いて睡眠を取れる自室がないからだろう、時々俺の私室に来て、ベッドで休むようなことも増えて来た。
どうやら、多少なりとも信頼を勝ち取れたらしい。良かった良かった。
『多少なりとも……?』
『最近アンジェラがまともに目を開いて見るの、あなただけよ?』
まあ、子供には、頼れる大人が一人はいるべきだからね。
彼女のそういう存在になれてるなら何よりだ。
『駄目だこの夫……早くなんとかしないと……』
夫ではない。
そんな距離感になって、改めて思ったが……。
長い時間をかけて人らしい情緒が育ちつつあるが、それでもまだまだ、アンジェラは子供だ。
いや、むしろ、完全な無地の状態から、立派な子供にまでなったと言うべきか。
最近は俺を頼るようになってくれたが、同時、好き嫌いもちょっとずつ言うようになってきた。
無論、ガキ大好き系セフィラである俺としては、アンジェラのそんな成長が可愛くて仕方がない。
その内反抗とかしてくれるかな。……うわ、反抗期とか来たら、俺泣いちゃうかもしれん。この子の成長が嬉しくて。
そんなわけで、ついついアンジェラを甘やかしてしまいそうになり、いかんいかんと気を引き締める日々が続いていたのだった。
子供には適度な解放と抑制が大事なんで、そこのところは気をつけていきたいね。
『そうよね! 娘よねコナー! あくまで娘!』
脳内に響く、いつもの声に苦笑する。
マジでいつでも元気ね、お前。
あと、娘ではない……と、言いたいところだけど。
……飯作って、コーヒー淹れて、抱きしめて頭撫でて、相談に乗って、寝かしつけて。
考えてみれば、俺がやってることって確かに父親のそれか?
『そうよ! 私たちの娘!!』
どっちかと言うとアインの娘では?
アイツがネグレクトかましてるから、俺が引き取って代わりに面倒見てる感じでは?
……アインお前、俺によく女押し付けてくるよな!
『押し付けられたとか言ってるけど、嫌とは思えないんでしょう? 私のことも、アンジェラのことも』
……………………。
まあ。
少なくともアンジェラのことは、嫌いじゃないしな。
『ふふっ♡』
うぜー。
ともあれ、そんなこんなで。
ここ最近の反復は、アンジェラもある程度落ち着いて臨めていると思う。
勿論、施設が平和ってわけじゃないけどな。
職員はバチクソ死にまくるし、アブノマも死ぬ程逃げる。てか逃がしてる。
管理ミスって職員が死ぬこともあるし、試練への対処にミスって施設壊滅も珍しくない。
なんなら4周前なんて、ウチの処理チームの職員アンバーが孤立し、ALEPH2体に囲まれて死んでしまうようなことさえ発生したしね。
……正直、その時には、自分の感情を抑えることに苦労したりもした。
今日も今日とてL社は煉獄だ。いつになったら俺らの罪が晴れるやら。
勿論、職員たちだけではなく、セフィラたち……主に上層メンバー+ゲブラーも、シナリオによる精神抑圧で苦しめられている。
マルクトはどこか落ち着きがなく、無理めな策を立てては職員を死なせ、表では笑いながらも裏では思い切り曇りまくっているし。
イェソドは10~15日辺りで最初の職員を死なせてからは、俺や処理チームのことはやけに気にかけて来るくせ、自分のチームの職員には厳しめのシフトと規律を敷いたりしてるし。
ホドは、積極的に色々施策を巡らそうとしてはアンジェラによって突っぱねられ、やる気が空回りして情緒が安定しないし。
ネツァクは……原作通り仕事に対するモチベは極めて薄く、死の溢れた職場に嫌悪感を隠せずにいるが、何かを考えるかのようにぼんやりしてるし。
ゲブラーは、30~35日辺りでカーリーに近い人格を取り戻すと同時、アカズキン=サンすら越えるアブノーマリティスレイヤーと化してる。ワザマエ!
そんなこんなで、とても真っ当とは言えない、狂気に満ちた職場だが。
それでも、彼らの苦痛を無駄にすることなく、このシナリオをきちんと遂げるため、俺とアンジェラは少しずつではあれど前へ進んでいた。
……で、そんな頃だった。
普段はあまり自己主張せず、常に俺の意志を優先してくれる騎士が……。
『主よ。誠に恐縮ながら……このまま、ここで長い時間を過ごすのならば、一つ、お力添えを願いたいことがあるのですが……』
珍しく、そんなことを言ってくれたのは。
* * *
セフィラは管理職ではあるが、別に現場に出ることを禁止されてるわけではない。
ゲブラーは戦士に鍛え上げた職員を連れ、色んなE.G.O持って鎮圧に出てるし。
俺だって1人きりの職員を鍛えて、懲戒チームのキャパオーバーした分を一緒に片付けている。
あと、マルクトは自分でアブノマの作業してたこともあったな。そのせいで10回くらいリブートするハメになって、アンジェラから禁止令が出たが。
そんなわけで、俺はその日、現場に出ていた。
目指すは中央本部。
ティファレトが司る、無駄にくっそ広ぇ事故の温床フロアである。
いやマジで、ここのフロア、馬鹿みたいに横に広いんだよ。
その上縦に重なってるくせにエレベーターなしって……最悪だろうが構造がよ。
上層を組み上げた時のセンスはどこにいったんだアイン。
お前のせいで調律者の柱がすごい厄介だぞアイン。
おのれ、殺してやる……殺してやるぞセルマ……!
脳内で愚痴りつつ、無人の記録チームフロアを通り抜け、ケセドや福祉チームの職員たちと挨拶を交わしつつ、黄色がメインカラーのフロアに足を踏み入れると……。
探すまでもなく、手を繋いだ2人の小さな箱が向こうからやってきた。
「やあ、コナー。おはよう」
「ダァトっ、来たのね! 何の用? 前に出した書類に不備でもあったかしら?」
とてもよく似た小さな黄色い箱の体、その胴に刻まれた名はどちらも「Tiphereth」。
その2人の間にある差異は、刻印された文字や目の色がそれぞれ緑とシアンであること、緑色の目の方にのみ結ばれたリボン状の装飾。
2人で1人のセフィラ、ティファレト。
可愛い可愛いガキ共こと、リサとエノクが元になったセフィラである。
……いや、元になったっていうか、うん。
エノクの方のティファレトは、俺と同じように、前回の人生の続きっていう感覚みたいだし。
リサの方もそれに引きずられる形で、既にだいぶ記憶を取り戻している。
もう殆どエノクとリサだこれ!
* * *
この世界のティファレトは、原作Lobotomyのティファレトとは、結構差異がある。
その最大たるものが、ティファレト(エノク)がぶっ壊れないことだ。
推測するに、原作のエノクが頻繁におかしくなっていたのは、別に前世の記憶を思い出したからってわけじゃないんだろう。
ていうか、記憶なんてホクマーとビナーは最初から持ち越してるわけで、それ自体は発狂の原因にはなり得ない。
自分の存在意味を見失ったからとか、大きすぎる疑問に押し潰されたから、ってわけでもないだろう。
いや、それが発端ではあれど、問題の核ではない、と言うべきか。
大きな疑問とか苦痛でぶっ壊れるんなら、他のセフィラだって発狂したり交換したりが発生するだろうし。
では、なんで原作では彼だけが、あんなに再起動が必要だったかっていうと……。
多分、コギト実験で脳みそぐちゅぐちゅな状態で無理やり正常化され、箱詰めされたんちゃうかな。
要はエノク、脳がコギトに侵されて発狂してる状態こそが「普通」で、それを初期化で抑え込もうとしてたんだけど、あまりにエノク自身が賢すぎてすぐその「異常」に気付いちゃうんじゃないかな、と。
いやまあ、真実はわからんけど、状況証拠からするとそう思えるって感じだ。
公式さんのご意見を窺いたいところだけど、俺はもうそれを知れる場にいないしね。
しかし、その一方で。
こっちの世界のエノクは、そもそもコギト実験の被検体にもなっていない。
それどころか、なんだかんだでリサとのディスコミュニケーションによるすれ違いすら解消していた。
俺が死ぬちょっと前なんて、極論を突き詰めがちなエノクを、リサが強引に引っ張って止めるようなことさえあったくらいだ。
では、そんなエノクがセフィラ化したらどうなるかと言えば……。
なんとビナーと同じ、生前とほぼ同一の人格持ちであった。
エノクは完全に精神の連続性を保ち、あの頃と何も変わらない。
俺のことはコナーと、リサティファレトのことはリサと呼び、時には「すごく……大変そうだね、コナー。僕に手伝えることがあれば、何でも言って」なんて言ってくるくらいだ。
ヤバすぎるよぉこの子!
多分反復のことすら勘付いてるよぉこの子!!
で、だ。
エノクが再起動を繰り返さなければ、当然リサは傷付くことがない。
少なくとも、原作におけるセフィラコア暴走のメインの動機は失われるのだ。
過度に傷付くこともないままに、エノクと同じ景色を見るべく彼と話し合い、その背中から学び、彼女なりに歩みを進める。
更に言えば、俺やエノクに名前を呼ばれたりもする。
その結果……どうやら、前世の記憶の一部がフラッシュバック的に戻って来るみたいだ。
で、それが続くことしばらく。
20日を越えたあたりから、リサは徐々に、人間だった頃の自分にかなり近づくのだ。
普通に快挙じゃないかねこれ!?
上層セフィラたちが自分のことで手いっぱいになる中、このガキ共は互いに助け合って正常な精神を保ち、取り戻しているのである。
すげえよこの子たちホント。大人たちよりよっぽど立派!
当然、そうして正気を取り戻したティファレトたちも、アンジェラが職員やセフィラを抑圧することに思うことがないわけではない。
ていうか、リサはかなりキレてる。
俺も怒られたことがあった。
「なんでアンタは、あんな嫌なヤツに従ってるの!? アンタはっ、アンタだけはっ!! そんなヤツじゃなかったじゃないっ!!!」って、涙目の鬼の形相で。
ンンンンン! まさに! 正論!
痛ェ~w リサ視点では正論すぎて胸が痛ェ~~~www
これまでに何十回か言われてるんだけど、未だにぐうの音も出ずに言葉に詰まっちゃう。言い返せることもなければおちゃらけられる内容でもないし。
……が、そんなリサの猛攻を止めてくれるのがエノクだ。
彼はアンジェラの瞳の底に深い悲しみを見出したらしく(なんだその観察眼!?)、何か事情があることを察知し、いつもリサをなだめてくれている。
その際の殺し文句は、「コナーが意味もなくこんなことをするわけないよ。リサ、コナーを信じよう」らしく、こう言うとリサは決まって引き下がってくれる。
ワハハ、ガキに信じられてめちゃくちゃ嬉しい!!! L旧研で頑張ってて良かった~~~!!
まあ俺は現在進行形でそんな子の期待を裏切ってるんやけどな! 吐きそう。
ちなみに、それならこの2人は精神抑圧とコア抑制どうすんだよと思われるかもしれないが、心配ご無用。
なんとこの世界のティファレトのセフィラ崩壊、下層組と同じく自己暴走の試練タイプっぽいのだ。
いや、別にシナリオにそう書いてたわけじゃないんだが……。
1,000回を越えるシナリオリブートによる対照実験によって、ティファレト組には殆ど精神抑圧が必要ないことがわかりつつあった。
だから、多分そういうことだ。
エノクとリサが良い感じに、中層に入ったXの、最初の門番をしてくれるんだろう。
……もしかしたら妨害内容も変わったりすんのかな。
あの子の抑制、中層唯一の良心だったんだけど。
ただでさえ原作から難しかった50日突破の難易度が上がってたらどうしようねマジで。
ごめんなアイン、頑張れ! お前ならいける!! 俺も応援するからさ!!
* * *
とまあ、そんなわけで。
俺はティファレトとは普通に仲良くできる。
やり過ぎると時間の浪費とか依存し過ぎとかでリブートするので、思う存分とは言わないけどね。
いや~~これがマジで嬉しい!
ガキ可愛がることもできないとかマジ地獄だからな! 煉獄だけど!
「やあエノク、リサ! 僕はコナーだ!
書類に不備はなかったと思うよ、一応。よく纏まってたし、何より真面目な頑張りが見えた。相変わらず偉いなーリサは!」
「っ、ふふん! 当然よ! 当然だけど、気分が良いからもっと褒めてもいいわ!」
「おーよしよし、本当にリサは努力家だな! 偉い! まあ時々トチるけどw アルリウネ逃がしたりw」
「しっ、仕方ないでしょっ!! あの子は逃げやすいのよ!!」
ふふーんと胸を張ったり、むきーとぷんすこしたり、情緒豊かな彼女の頭(箱上面)をなでなで。
そして当然、その横の彼の頭もなでなで。
「エノクも、いつもありがとうな。何より、俺たちを信じてくれて」
「ううん、そうすべきだと思ったから。……それに、僕は期待してるんだよ」
「ほう、何に?」
「コナーが言ってくれたじゃないか。これからの未来に、だよ。
いつかは、この状況は変わるかもしれない。アンジェラさんとも分かり合える。そう期待してるんだ」
「……そっか」
相変わらず、視座の高い子だ。
そして同時、とても優しい子でもある。
俺は穏やかな感情で、彼の頭を撫でた。
……この感謝の情を言葉にできないのが、もどかしいな。
「私はあんな人と分かり合えるとは思えないんだけど……まあいいわ。
確かに、これから先に期待するのは大事だろうし。
……とにかくっ! 今日は何の用かしら、ダァト。今のところ、ウチのチームで困ったことなんかは起こってないわよ?」
俺たち処理チームは、基本色んなチームの助っ人とか雑用係だ。
当然、彼と彼女からすれば、そっちの印象が強いんだろうが……。
今回俺は、処理チームのセフィラとして来たわけじゃない。
俺は彼女に、今回の……あるいは、これからしばらく通うことになるだろう用件を告げた。
「ちょっとアンジェラから指示を受けて、アブノマの作業をすることになってな。
憤怒の従者の収容室に案内してもらえるか」
Wonder Labは未読のため、解釈が間違っている場合があります。
そうなったら本当にごめんなさい。プロムン知った時には既に原作読めなくなってたのでどうしようもなく詰んでました。
なんとか自分なりに解釈したものをお出ししますので、どうぞご容赦ください。