今回と次回は別視点になります。
本当は1話で済ませようと思ってたんですが、文字数がいくらなんでも膨らんでしまったため2話構成。お許しを。
何も変わらない。
私たちが、愚者と戦った日のように。
ガリオンが、あの研究所を襲った日のように。
残酷な瞬間は、いつも唐突に始まり、終わる。
その日も、その瞬間も、まさしくその通りで……。
私は、目の前で、見ることになりました。
あの日、私たちが呑まれた虚無に。
我が最愛の主が、呑み込まれていく様を。
必死に手を伸ばしました。
剣を飛ばし、その闇を斬り裂こうとしました。
けれど闇は、凄まじい速度で主の身を呑み込み、覆い切り。
剣は主の身を傷つけることが出来ず、空中で制止して。
────私は、何も、成し得なかった。
主が、目の前で虚無に飲み込まれる様を。
あの日の私たちと同じように、闇に堕ちる、その様を。
ただ……見ていることしか、できなかった。
「あ、あ、あああ……」
知らず、声が口から漏れ出しました。
私は、知っています。
その、昏い虚無を。
その、底のない絶望を。
その中で行われるのは、永遠に続く、自我への責め苦。
まともに抵抗することも許されず、脱出することも能わず、支え合うことすらも出来ないまま。
ただただ何時までも、己の瑕となった過去を、黒ずんだ欲望を、他者を苦しめる悪徳を……。
人の、そして己の中の悪たる本質を、直視させられ続ける。
それはいつまでも終わらない。
いずれ虚無に呑まれるまで、永遠に続き、決して解放されることはない。
遅効性の毒のような理解が、自身の本質を侵し、変えていってしまう。
信じていたものが丹念に塗り潰され、風化し、黒ずみ、腐ってしまう。
そんな、この煉獄にも等しき、無間地獄。
あれだけは……。
あれだけは、主に、味わってほしくはなかった。
主の正義の穢れなきことを、私は知っています。
私の抱いていた正義よりも遥かに頑強で絶対的な、カルメンの言う「月の光」。
それは、単純な痛みによって曇ることは、決してない。
幾度となく戦場を共にし、最後の最期まで私の誇りを想ってくださったことで、私はそれを知ったのです。
この人は決して私を裏切らず、決して自分を裏切らず、最後まで正義を貫くのだと。
……けれど。
主とて人の身、人の心。
かつて、「10,000年もあれば、俺の自我だって簡単に狂うだろう」と言っていたように……。
永劫は、主の心をしてもなお、耐え難いものなのでしょう。
そして、今回、光の種シナリオは……きっと主を守らない。
本来であれば、主は光の種シナリオというシステムに保護されている。
もしも強い精神汚染を受けることなどあれば、すぐさまリブートが働き、舞台を初めに巻き戻すでしょう。
けれど……。
エレベーターを使った際の異次元のように、こちらの時間を基準とした一瞬の間に永劫が過ぎるならば、時は巻き戻らない。
シナリオは、その須臾の違和感を感知できない。
道化師の精神汚染は、それに近い性質を持っている。
私がそれに呑まれたのは、外の世界では、ほんの2分程度の間で……。
けれど私の体感では、3か月を数えていた。
再起動もそう。
本来、セフィラである主は、その命が絶えた瞬間に予備の機体で目覚める。
けれど……道化師に呑まれた者は、死ぬわけではない。
ただ、その心を捕らえられ、無理やりに変質させられ、道化師の一部となるだけ。
だからきっと、再起動は機能しない。
……無理やりに、主を取り戻すことは、できない。
もう、避けられない。
主は、今から……それを、味わうことになる。
あの暗がりに、主が、引きずり落とされてしまったら。
主の光が、主の誇りが、主の正義が……。
永遠の暗闇の中で、虚無の中に引きずり落とされてしまったら?
あの時、私が絶望の種を植えられ、いつかそれを花開かせたように。
輝かしき主の誇りが、風化し、空虚に堕ちてしまったら……。
その時、主は……私の愛する主と、その誇りは、どれだけ穢されてしまうのか?
勿論、同期する記憶さえ選べば、次の主にその穢れは引き継がれないでしょうが。
それでも……主の味わう苦痛は、絶望は、決してなくなるわけではない。
私はそれから、主を……私の大切な人を、守らなければならなかったのに。
「主、主、主……ああ、そんな……!」
咄嗟に、闇の浸食を少しでも止めようと、手を伸ばす。
私を温めてくれたその人の体温を、私を救ってくれたその人の心を、繋ぎ止めようと。
しかし、私の手に触れたのは……。
どこまでも冷たい、虚無の闇だけ。
そこにあるはずの、主の箱状の体は、既に闇に包み込まれていた。
「────っ」
主、主よ、どうかお答えください!
無事であると、一言でもお声を聞かせてください!
そう、剣を通して語りかけても、返って来る言葉はなく……。
主が常に、その腰に提げてくださっていた、剣までもが。
私と主を繋いでくれていた、その誇りの象徴までもが……黒く、染まってしまっていて。
そうして、プツリ、と。
その表面にあった電光表示が、途絶え。
「Daat」という名と、その灰色の瞳までもが、消えて。
今や、私の前には。
暗黒の闇に染まり、ぼんやりと俯く……主であったはずのモノが、いた。
今すぐに鎮圧しなければならないと、そう、分かっているのに。
……ああ、駄目だ。
私は。
主の騎士であると同時、あの方を愛する女である、私は……。
「……ある、じ……」
主だけは、斬ることが、できない。
カランと。
宙に浮かせていた剣が、床に堕ちた音が聞こえた。
* * *
──あるいは。
彼女がそうしてくれたのは、必然であったのかもしれません。
私たちが迷い、足を止めた時。
何時だって彼女は、誰より先に立ち上がった。
かつて私たちを率いていた彼女は、誰よりも心が強く、リーダーシップに優れ。
故にこそ主から、「もしもの時は頼むぞ」と……そんな言葉を頂いていたのですから。
「馬鹿野郎がッ!!」
「ぐッ!?」
唐突に、後頭部に強い衝撃が与えられ、忘我していた私は正気を取り戻しました。
続けて、温かい手に、後ろへと引っ張られる感触があり……。
……直前まで私がいた場所を、黒い軌道が通り過ぎる。
道化師による、攻撃。
その軌道から、温かい手が、私を間一髪で逃がしてくれた。
そう気付けたのは、全てが終わった後で。
「主ちゃんを想うなら、あの人を1秒でも早く取り戻す方法を考えろッッ!!!
あの人のおかげで私たちは救われたんだぞ!? 今更絶望に沈んでる場合かッ!!」
耳元に響く、聞き慣れたそれは──王の、幸福の王の一喝。
それを受けて、私はようやく、ここが戦場であることを思い出しました。
「王、よ……ですが、主を……!」
震える言葉を投げる私に。
いつも私たちを支え、先導してくれた彼女は、叫びます。
「怯むな! 堕ちるな! あの人の献身と想いを無駄にするなッ!!
殺す必要はない! お前の本懐は守ることだろ、攻撃を防いで時間を稼いでくれ!!
主ちゃんを助けられる可能性は、ある!! 諦めるな!!!」
「助けられる」。
その言葉に、意識にかかっていた霧が、一気に払われたように感じました。
体勢を立て直して横を見れば、王は既に黄金の道を開き、どこかへと向かおうとしています。
明らかに何かの策を持って……主を、救おうとしている!
「何を……どこへ行くつもりですか!?」
「主ちゃんから『愚者』を切り離す!
そのためには、アイツを……従者を頼るしかない!
確証はないけど、アイツなら、主ちゃんを包んでる愚者を『溶かせる』かもしれない!!」
ハッと、しました。
その可能性は、ある……かもしれない。
愚者の闇は、私の剣や王の拳でも払うことはできない。
けれど、彼女──今や憤怒の従者と呼ばれる、彼女であれば。
毒と腐食のエキスパートであり、例外なくどんな物でも溶かすことのできた、彼女ならば。
あるいは、愚者の闇すら溶かし、脆くすることができるかもしれない。
そうすれば……あるいは、ほんの少しの可能性は生まれ得る。
ですが……。
それはあくまでも、従者の力を借りられたら、という仮定の話でしかない。
彼女はまだ、虚無の中にいる。
助けを求めようにも、今は憤怒に呑まれ、暴れ回っているはず。
そう思った私に、しかし、王は首を横に振りました。
「いや! アイツはもう、主ちゃんと繋がり始めてたはずだ!
精神の均衡を欠いてた女王や眠っていた私と違って、アイツはずっと主ちゃんにたぶらかされたんだ。
必要なのは、あと一歩……それを埋めるしかない!」
その必死な声は、確信があるという風ではなく。
そう推理しているという訳でも、あるいは自分の言葉を信じてすらいないようで……。
頼むからそうであってくれと、祈るようなもの。
王もまた追い詰められているのだと、私は今更ながらに悟ることとなりました。
……それは、本当に、仮説の多い話で。
従者が既に、主に感化されかけているかも。
私たちが彼女と話して、それを埋められるかも。
彼女の腐食が、愚者に有効かどうかも。
それによって、主が助けられるかも。
何一つとして、確証はありませんでした。
────ですが。
それでも王は、自らの信ずる人のため、立ち上がった。
それならば……主の騎士たるこの身が、どうして膝を折っていられましょうか。
それに、何より……。
きっと、我が最愛の主なら、立ち上がるはずなのです。
「すべきことがあるんなら、やらないとか馬鹿だよなぁ!」なんて笑って。
当然のように、誰かのために、死力を尽くすのでしょう。
そんな方だからこそ、私たちは救われたのです。
そんな方だからこそ、私たちは愛したのです。
私は、あの方の騎士。
あの方に誇りを預ける者であり、あの方の正義を体現すべき者。
であれば、あの方の忠節の騎士として、私が今為すべきは。
絶望に膝を折り、屈することではない。
残酷な現実にも、諦めずに抵抗する。
主の言葉を使うのなら……今、できることをする。
……まったく。
その答えにすぐさま至れないとは、なんと情けないことでしょう。
これからも、もっと多くのことを、主より学ばねばなりませんね。
そのためにも……ええ。
必ずや、我らが主を、取り戻す。
「……ありがとう、王よ。
そちらは、お任せします。この道化師は、私が食い止めてみせます」
「おうッ、頼んだぞッ!!」
王は私の言葉に笑顔を浮かべ、すぐさま転移魔法の向こうへ。
互いが互いの役目を果たすため、異なる方向を向きました。
王が向き合うべきは、憤怒に呑まれた我らの友。
私が向き合うべきは……主の体を乗っ取る、不逞の輩。
「いざ」
私は再び、地に墜ちた剣を飛ばし……揃って、剣先を下へ。
既に、主の同僚たるネツァク様やその部下の方々も退避し、2人きりとなったメインフロアの中で。
不気味にその身を揺らす、かつての仇敵と向き合いました。
道化師よ。
かつて私を突き落としたあなたよ。
……そして、主と出会う前の、私自身よ。
以前のように、あなたを受け入れず、拒絶するためにこの剣を突き立てはしません。
この度は、自らのためでなく、我が主と誇りを守るために。
私は今、再び、剣を振るいます。
「主よ。あの日、あなたから剣を賜ったように……。
あなたの正義と誇りを守るため、この剣をあなたへと向けること、どうかお許しください」
……あぁ、目に浮かぶようです。
きっとあなたは、「やっちまえ!」なんて言って、笑ってくださるのでしょうね。
愛の女王はボロボロ涙を零しながらも、職員を助けるために施設中を走り回ってます。
エラはリブートも発動せず、再起動もしないのを見て、頭が真っ白になってます。