私のトレーナーさんが素晴らしいことは周知の事実ですが、なによりも素晴らしいのはまず、その誠実さでしょう。
彼は自分の気持ちを偽りません。それが親密な相手ともなれば尚更。己の気持ちを正直に話してくれる。
それだけでも凄いことです。成長するにつれて失われてしまう素直さ。純粋なまま大人になる人は希少で、気づけば社会から淘汰されてしまう。
ですがトレーナーさんは、純粋なまま大人になった稀有な人物。性格的に嘘が吐けず、ありのままの気持ちを伝えてくれます。
勿論、よく思わない方もいるでしょう。社会が決めた醜い大人の枠組みでは測れないものですから。
(ですが、私にとってはこれ以上ないほど望ましいお方。あの頃から何も変わらない素敵な人)
彼との出会いですぐに気づきました。変わらずに成長してくれたのだと、煩わしいコバエには成長しなかったと、私の心は歓喜に震えました。
優しい貴方。誠実な貴方。真面目な貴方。努力家な貴方。どの顔も素敵で、私を惹きつけて止まない素敵な貴方。
「だからね、オル。私のトレーナーさんはとても素晴らしいお人なんだ。子供さながらの純真さ、守ってあげたくなるこの気持ち。そのどれもが」
「何度も聞いた話だ。さすがの余にも飽きが来たぞ」
寮の部屋でオルにトレーナーさんの素晴らしさを説く。オルも素晴らしい妹ですが、トレーナーさんも勝るとも劣らない。どちらも私にとっては大切な存在、優劣はありません。
オルにもこの素晴らしさを分かってもらいたい。何度も何度も教えることで、私のトレーナーさんの素晴らしさを理解してもらわないと。
「分かるかい? オル。大人になるにつれて忘れてしまう当たり前の優しさを、彼は大人になっても持ち合わせているんだ。実直で、真面目で、無垢。あぁ、やはり私のトレーナーさんは素晴らしい……」
「聞いておるのか姉上。余は聞き飽きたと……言っても聞かぬか。これほどの執心、姉上を狂わせた罪は重いぞ」
おや、オルが頭を抱えているね。どうしたのだろうか? もしかして、体調を崩してしまったのだろうか?
それはいけない。急いで部屋の温度と湿度の確認、体温も測らないと。それから寒くないように湯たんぽも用意しないといけないね。
「大丈夫かい? オル。最近は季節の変わり目で風邪を引きやすい。体調にしっかりと気を配っておかなといけないね。お前が風邪でも引いたりしたら大変だ。父さんや母さんに申し訳が立たない」
「良い。余の頭が痛いのは別の理由だ」
「別の理由?」
風邪以外の理由で頭が痛い。はて、どういうことでしょうか?
結局、オルは理由を教えてはくれませんでした。それもまた良いでしょう。誰にだって隠したいことの1つや2つはあるでしょうから。
「隠し事と言えばオル。トレーナーさんは私に隠し事をしないんだ。黙って何かをしない、と言うべきかな? 私に必ず話を通して、協力をお願いする時は決まって私に申し訳なさそうな表情をするんだよ。えぇ、えぇ。彼の気持ちはとてもよく分かります。手伝わせてしまって申し訳ない、と感じているに違いない。でもねオル? 私は彼の頼みならば二つ返事で了承するんだ。断る理由なんてないし、拒絶するなんてもっての外。彼の頼みはそれだけ重大なことなんだ。私が手伝うと分かった時の表情もまた愛おしい。愛らしい眼差しを私に向けてくれる。その眼差しだけで、私に対する報酬はすでに払っていると言っても過言では」
「余はもう寝るぞ姉上」
本当にトレーナーさんは素晴らしいお人だ。明日も会うのが楽しみで仕方がない。
……願わくば、彼と一緒に起きたい、今以上の時間を共有したい、なんて思うのは。私のワガママなのかもしれませんね。
◇
ある日のトレーナーさんの一言。
「恋人を作ろうと思っているんだ」
誰もこの時間この場所には寄り付かないようにしている遠征支援委員会の部室。2人きりで紅茶を嗜みながら、彼の愛らしい顔を眺めるいつもの時間。
そんな時に放たれた、トレーナーさんの一言。思わず固まってしまいました。動くことさえも忘れて、トレーナーさんの顔を凝視してしまう。
微動だにしない私を不安に思ったのでしょう。
「いや、先輩から言われたんだ。早めに恋人を作っておいた方がいいって。後から手遅れになっても知らないぞ、って」
必死に弁明をしている。とても可愛らしく、自分の過ちをなんとか誤魔化そうと頑張っている。
さながら子供が親に叱られてしまうと分かってしまった時のような、とにかく分かってもらおうと言葉を紡いでいる姿。その姿の、なんと愛おしいことでしょうか。
このまま眺めているのも良いですが、口を開かねばなりませんね。名残惜しいですが、ここまでにしましょう。
「それはそれは……ですが、トレーナーさんはまだお若かったですよね?」
「うん、まだ20代半ば。俺もそう言ったんだけど、時間はあっという間に過ぎていくもんだって言われてさ。確かに、って思ったよ」
私が口を開いたことで少し安心したのか、緊張した表情がどんどん和らいでいきます。分かってもらえた、なんとかなった。きっと、そう思っていることでしょう。
それにしても、恋人探しですか。
(それとなく、他のトレーナーさんに話題を振った甲斐がありましたね。トレーナーさんが、危機感を抱くようになってくれた)
上手くいった。これでトレーナーさんが恋人を探すようになってくれますね。根回しは無駄ではありませんでしたか。
別に変なことはしていません。私はただ、トレーナーさんの恋人関係の噂を流しただけ。
ドリームジャーニーのトレーナーは結婚しないのだろうか?
そう、あくまでこの噂を広まらせただけです。私から他のウマ娘へ。ウマ娘からそのトレーナーへ。人から人へ、少しずつ広まらせていった。
結果切り込んだのは、先輩にあたる人物。話題を振ったことで、トレーナーさんは将来への不安を抱くことになった。
(独身は嫌だ、と前に言ってましたからね。私がトゥインクル・シリーズを引退した今、時間も空いて都合が良い。そのタイミングで誰かから話を振られれば、丁度良いタイミングだと誰もが考える)
驚いて固まっていたわけではありません。むしろこの話が出ることは分かり切っていたこと、予想の範疇です。固まっていたのは、やはり、その。
(彼の口から恋人、などという言葉が出て来るなんて。フフ、フフフ)
多くは語りませんが、とても良きものだった、と。これに尽きます。
それにしても、本当に彼は愛らしい。
「ですが、トレーナーさんは今まで彼女をお作りになったことがないのでは? 学生時代も、浮いた話は1つもなかったはずです」
「あはは……恥ずかしい話だけど、一度もないんだ。勉強勉強で遊んでる時間がなかったから」
何故私が貴方の学生時代の事なんて知っているのか。そんな疑問すらも口にしない。分かってて泳がせているのか、本当に分かっていないのか……おそらく後者でしょう。
疑問を口にしないのも、私を信頼しきっているから。私は彼に、とても信頼されている。
(3年間の道のりで、私は積み上げてきました。彼のパートナーたるウマ娘として、信頼を勝ち取った)
彼に信頼されている。なんて嬉しいことでしょう。私の細胞という細胞が喜びで悲鳴を上げ、願うことならば今ここでうまぴょい伝説を踊りたくなるほどの喜び。
その喜びをグッと抑えて、さらに先へと発展させる。
「では、私がトレーナーさんの恋人になるというのはいかがでしょうか?」
これもまた用意していた言葉。いざ口にすると、頬が熱くなってしまいますが……大事なことです。ここで私を、意識させるためには。
トレーナーさんは、予想外の表情をしていました。まさか私の口から、なんて顔。そんな顔もまた美しい。食らいつきたくなる。
足は自然とトレーナーさんの方へ。ソファから立ち上がって、ゆっくりと彼へと向かう。
「トレーナーさんは恋人が欲しいのでしょう? 人生を共にするパートナーが」
「そ、そうだね。欲しいよ」
「では、私なんていかがでしょうか? 私はトレーナーさんのことを好ましく思っていますし、恋人になるのも嫌ではありません。どうでしょう?」
嘘偽らざる気持ちを彼へ。少々気恥ずかしさがありますが、彼はいつも思いの丈をぶつけてくれる。だから私も、同様に思っていることを素直に口にする。
やはり、難しいですね。自分の気持ちをそのまま口にするというのは。どうしても、照れや恥ずかしさが出てしまう。
(これを何でもないようにやってのけるトレーナーさんは、本当に凄いお人だ。好ましく、惹きつけられる)
初めて出会った時からそうでした。誰にでも分け隔てなく接し、善意を振りまいて、人の悪意を疑いもしない綺麗なお人。
気づけば姿を収めるだけで胸が高鳴り、まともに視線を向けることすら難しくなった貴方。年月を重ねるごとに慣れるばかりか、鼓動はさらに早くなる始末。
恋心を自覚したのはいつの話だったでしょうか? そんなことはもう気にならない。
「貴方の心は、とても綺麗だ。素直で、純粋で、無垢」
「う、あ、じゃ、ジャーニー?」
「誠実な人柄、何時いかなる時も、貴方は偽ろうなんて考えようとしない。その純粋さがとても眩しく、私を惹きつけて止まないのです」
顔を赤くする愛らしい貴方。あの日からずっと私の心に残り続ける愛しい人。貴方の視線を釘付けにするためならば、この恥ずかしさも我慢しましょう。えぇ、全ては貴方から愛されるために。
……ですが、彼は真面目だ。
「ダメだよ。俺はトレーナーで、君は担当ウマ娘。その関係が変わることはないんだから」
「──左様ですか」
一線を超えてはくれない。私は担当ウマ娘で、彼はトレーナーだから。その関係でいようと優しく諭す。
これも分かっていたことです。彼は真面目だから、担当ウマ娘と付き合うはずがないと。分かっていたことでした。
ですが、えぇ。やはり心にクるものがあります。
(もし私がもっと早く生まれていたら……彼のように、大人だったら。付き合えていたのでしょうか?)
私は彼に恋愛対象として見られていない。その事実を突きつけられて、悲しさが押し寄せてくる。
どうして私はもっと早く生まれなかったのだろうか? なんで、なんでこんな時に出会ってしまったのか?
なんで彼は大人で私は子供なのか? なんで世界は大人と子供の恋愛を許してくれないのか?
嘆く。この世の不条理を。
悲しむ。私が恋愛対象として見られていない事実を。
絶望する。私が大人になるよりも先に……トレーナーさんは私の知らない誰かと結婚してしまう未来を。
(……いけませんね。悲しんでいる暇はありません)
表情に出してしまえば、彼は苦しんでしまう。私が傷ついていることを悟って、心配する言葉を口にしてくれることでしょう。
悪くはありません。彼の言葉は万病に効く特効薬。私の気分はたちどころに回復して、またいつものように過ごすことができるに違いない。
ですが、それは一時的なものにすぎません。効果が切れればまた、同じような言葉を欲してしまう。
トレーナーさんの負担になってしまう。心優しい彼の、偉大なる彼の負担になるわけにはいかない。
(私が我慢をすればいい。それだけの話です)
表情には死んでも出しません。彼を心配させないために、私は私の気持ちを押し殺す。えぇ、私は大丈夫ですので。
その後は、トレーナーさんに具体的なプランを提示しました。彼の旅がより良いものになるために、紅茶を嗜んでいた時と同じように。
それにしても。
「えぇ、間違いなく。マッチングアプリを使う女性というのは、大多数がそうですから。それでも、一晩しか経っていないのにこれだけの数は、さすがの私も予想できませんでしたね」
不意に漏れてしまった失言さえも、彼は気に留めませんでしたね。普通なら、なんで昨晩にアプリを入れたことを知っているのか、と問い詰めそうなものですが。
(これもまた信頼の証。私だからか、と信じられている)
なんと喜ばしいことでしょうか。身に余る光栄、私の骨身に彼の優しさが染み渡る。
セッティングを済ませ、旅の準備は終えた。後は、トレーナーさんの頑張り次第。
「ありがとうジャーニー。君が少しでも安心できるように、俺も頑張るよ!」
……私を安心させたいのならば、私と付き合うと一言くだされば済む話ですのに。それだけで私は極上の気分に浸って、この世の全てに感謝をしながら安心することができるというのに。
ですが、口にはしない。口にしたが最後、彼が傷ついてしまうから。
だから、私にできることはたった1つ。とてもシンプルな、私にしかできないこと。
「──はい。陰ながら、応援していますよ」
彼の恋人を見初めることです。どんな手段を使ってでも、私は彼に相応しい伴侶を探してみせましょう。
私がなれないのであれば、仕方ありません。ならばせめて、私が満足するような、納得するようなお相手を探さなければ。
彼の品格に相応しい人物を。彼のように無垢で純粋で汚れなき女性を探しましょう。
あぁそうだ。彼のような素晴らしい人物が、低俗なコバエに汚されてはなりません。人類の損失、ひいては世界の損失です。
彼は尊ぶべきお方、この世で最も素晴らしいトレーナーだ。その相手となる女性には、それ相応の品格が求められる。
用意しなければならない。彼のために、この先の素晴らしい未来のために。
目の前には笑顔のトレーナーさん。ご安心くださいね。
(私が貴方の相手を見繕って差し上げます。貴方に相応しい……素晴らしい人物を)
貴方の旅は、このドリームジャーニーが全力でサポートしますから。
う~ん素晴らしい愛。