「宝くじで一等賞を」と願ったら、外れのサイコロ魔法を引かされました。 ~黒羽根に堕ちた私に救いなんてありません~   作:黒陽石

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毎日たくさんやってきて、すぐに散る黒羽根たち。
毎日、毎日、同じ場所で、同じ説明を繰り返し、手とり足とり教えた新人は、すぐに死ぬ。そんなブラック企業で疲弊しているのが、天音姉妹です。


7番という記号、8番という体温

 

七見(ななみ)吾妻(あずま)さん、とおっしゃいましたね。

 マギウスの翼へ、ようこそ。

 ここがホテル・フェントホープですわ」

 

 (あずさ)みふゆ。

 

 マギウスの翼の最高幹部が浮かべた完璧なスマイルは、私の絶望を希望へと塗りつぶした。それと同時に、背筋に奇妙な寒気が走る。完璧すぎて隙がない。慈愛の奥で、何かが決定的に欠落している。

 

 その正体が掴めそうになった。

 その時だった。

 

「……頑張りましたわね、吾妻さん」

 

 彼女の白い指先が、私の頬をかすめる。

 なめらかでしっとりした肌は、確かに温かい。

 なのに、心臓を直接氷で撫でられたようで、鳥肌がたつ。

 それを察したのか、彼女の瞳が微かに細まったのを見た。

 

(この子、意外ね。マギウスの綻びに気づいてしまう)

 

 そんな声が聞こえたと思った。

 次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 

(……ごめんなさいね。今は、眠っていてちょうだい)

 

 脳内に直接、蜜を流し込まれたような感覚だ。先ほどまでの警戒心も、不穏な空気も、すべてが甘い霧の中に溶けていく。ハープの弦を爪弾いたような、心地よい震えを含んだ声が、子守唄のように脳髄に浸透してゆく。

 

「わたし、救われた……んですよね?

 ここは、天国なんですよね?」

 

 私は、みふゆさんの柔らかな手の温もりに明け渡した。

 

(そう……それでいいの。アナタはもう、何も考えなくていい。ワタシがアナタを、救済へと導いてあげるから)

 

 彼女の存在そのものに惑溺してしまう。マミさんと、みふゆさんが、何かを喋っている。秋月さんを始末とか、秘匿は保たれたとか。そんなの、今の私にはどうでもよかった。

 

 マミさんの強引な慈愛と、みふゆさんのとろけるような優待。

 

 互い違いに押し寄せる波に呑まれながらも、私の腕には、さっきまで私を握りしめていたマミさんの指の跡が痣になり、消えない火傷のように疼いていた。

 

 

 マギウスの入団面接でのやり取りは、夢うつつだった。

 黒羽根に促され、私は重厚な扉をくぐった。

 薄暗い廊下とは対照的な、刺すような白い光。

 視界が焼かれる。

 正面には四人の面接官。中央に座るのは、梓みふゆだ。

 

 みふゆの瞳が、臆病な震えを静かに見透かす。

 

 私は心臓の鼓動を抑え、パイプ椅子に深く腰掛けなおした。怖そうな白羽根が口火を切る。

 

「魔法少女になった願いは?」

「……宝くじで、一等になりたくて」

 

 私は、自身の不純な動機に俯き、固有魔法を告白した。

 手のひらに現れる二つの六十面体。

 赤ダイスは分、青ダイスは秒。

 最大で約一時間後の、自身が見る未来の光景を予知する。

 

「戦闘では……役に立ちません。敵に投げれば、爆発するだけ」

 

 巴マミに救われなければ、五分後には魔女になっていた。

 

「魔女になる感覚は、今でも寒気がします。絶対に、嫌だ」

 

 私の叫びは、依存という名の忠誠となって部屋に響いた。

 怖そうな白羽根。吐き捨てるように私を斬り捨てる。

 

「能力は極めて低く、動機も不純」

 

 忠誠心すら、恐怖からくる依存に過ぎないと断言した。

 お嬢様のような白羽根と、コタツで丸くなってる猫のような白羽根は、私の弱さに別の価値があると見出してくれた。

 

「弱い者の痛みがわかる心は、組織の結束を固めますわ」

「戦闘は無理だが、内勤……縁の下の力持ちとして有用かもね」

 

 みふゆさんが、白羽根たちの評価をまとめる。

 

「あなたは、私たちが最も救済すべき対象なのよ」

 

 その言葉は慈愛に満ちている。

 同時に、私の逃げ道を完全に塞いだ。

 みふゆさんが「マギウスと交わす九の約束」を読み上げ、そのたび事に首を何度も上下にふった。

 

「一人で戦うのは嫌。みんなのためにできることを探します。お母さんに隠し事は辛いけど、秘密は絶対に守ります」

 

 グリーフシードの供出も、マギウスによる魔女の独占も、迷いなく頷いた。

 

「これが、私にとっての二度目の奇跡だと信じます」

 

 私は案内役の黒羽根が差し出した羊皮紙に羽根ペンでサインを刻み、マギウスの部品となる道を選んだ。

 

「面接、お疲れ様でした。認めましょう、今日から、アナタはマギウスの翼です」

 

 

 あれ、いつの間にか……。

 

 

 みふゆさんは、私が署名したばかりの羊皮紙を広げた。そして、私の筆跡のあとを、愛おしそうになぞっている。

 

「これがワタシたちの『指針』です。決して、アナタを縛るための絶対的な規律ではありません。 マギウスとして歩むための、ささやかな道標だと思ってください」

 

 羊皮紙から光の粒子がたちのぼり、私の手元に飛んできて、一枚の紙になった。

 

「ですから、守れなかったからといって……」

 

 彼女は、不安に揺れているワタシの瞳に視線をあわせ、優しく微笑んだ。

 

「すぐに、恐ろしい罰があるわけではないのですよ」

 

 みふゆさんの指先が、羊皮紙の端を静かになぞっている。その柔らかな仕草とは裏腹に、部屋の空気がわずかに重さを増した。彼女は言葉を切り、私の反応を測るように目を細める。

 

「とはいっても、これを疎かにしてしまえば、三賢者や白羽根たちの視線は、どうしても厳しくなります。次第に……アナタは、黒羽根の中でも孤立してしまうでしょう」

 

「みふさん、嫌です!!!」

 

「そう。独りぼっちは、辛いものですよね? 度重なる違反があれば、注意や戒告……。 そして、残念ながら『退団』という形になるかもしれません」

 

 みふゆさんの笑みが、完璧な仮面のように固定された。形のよい唇が、秋月スミレさんのように、と呟いたような気がした。「退団」という単語が、冷たい風となって室内を吹き抜ける。窓のない部屋で、彼女の影が巨大な鎌のように壁へ伸びた。

 

「特に、マギウスを揺るがす重大な違反に対しては……」

 

 みふゆさんの声から、一瞬にして温度が奪われた。

 

 

 

「即座に『査問会』が開かれます」

 

 

 

「ひっ」

「そうならないよう、互いに支え合いましょうね。アナタが『奇跡』を信じ続けられるように……。ワタシたちが、全力でアナタを、導いて差し上げますから」

 

 みふゆさんは立ち上がり、私の隣まで歩いてきていた。そして、肩を優しく抱き寄せる。拒絶を許さない温もりが、呪いのように深く染み込んでいく。

 マギウスが支給してくれるグリーフシードが手渡され、濁ったソウルジェムが浄化される。光と共に、私はマギウスという巨大なゆりかごに身を投げ出していた。

 

「……これで、アナタもワタシたちの同志(家族)ですわ」

甘い香りに窒息しそうになりながら。 私は、自分の意志を奪う黒いフードを、自らの意思で深く被った。

 

 

 

『黒羽根』

 

 

 ――それが、新しい私の名前。

 

 

 

 マミさんが微笑んでいる。

 みふゆさんが頷いている。

 もう、あの孤独な路地裏で震える必要はないんだ。

 私は黒羽根(この翼)であれば、どこへだって飛んでいける。

 

「それでは、新しい同志さんたち。ここからは白羽根の天音月夜と……」

「天音月咲が案内しますわ。マギウスの本拠地、ホテル・フェントホープへようこそ」

「今日からは、ここが皆さんの新しいお家と、家族ですよ。仲良くしてくださいね」

 

 白羽根の幹部――天音月夜さんと、月咲さん。

 

 双子の彼女たちが奏でる言葉は、まるでお揃いの楽器のように美しく、完璧に調和していた。黒いフードに身を包んだ同期の新人たちは、豪華なシャンデリアや、見たこともない施設に興味津々だ。

 

「すごい……」

「魔法少女の楽園だ」

 

 私は、目を輝かせている彼女達に同調しきれなかった。

 双子の音楽のような声から、すり減ったレコードのような、ノイズを感じてしまう。よくよく思い返すと、説明が、あまりに雑だ。彼女たちの口調には、仕事中の工員が、一般人の工場見学者を案内しているような、適当さがあった。

 

「ここが食堂、ここが訓練場。武器の貸し出しと返却はあの窓口。他に……なにかあるかな、月夜ちゃん」

「そうね、月咲ちゃん。新人さん達。全部説明しても覚えきれないでしょうから、ひととおり、耳に入れておいて」

 

 月夜さんの声が、ふと、案内人形の仮面を脱いだように低くなった。彼女の手元にある名簿は、新しく書き込まれた名前と、すでに斜線で消された名前で、真っ黒に汚れている。

 

(もしかして、私、歓迎されてない?)

 

 天音姉妹の後ろを歩きながら、私は拭い去れない違和感に襲われていた。月夜さんと月咲さん。みふゆ様の慈悲に感謝しなさい……と口では言いながら、その声に、信仰心など欠片もこもっていない。

 

「……ったく、また置きっぱなし……片付ける方の身にもなってほしいよね、月夜ちゃん」

「仕方ないわよ、月咲ちゃん。あの方は……理想を語るのに忙しくて、自分の靴下さえどこに脱いだか忘れちゃうのよ」

 

 二人のひそひそ声が、冷たい風のように私の耳を打つ。これが二人の本当の声なのだろうか。耳をそばだてていると、月夜さんがこちらを振り返った。その瞳は、私を無能な主人や上司が抱え込んだ余計な荷物として値踏みしていた。

 

「そこの新人さん」

 

「ひっ」

 

「あなた、みふゆさんや、マミさんに何を言われたか知らないけれど」

 

 月夜さんが、私の左手首に巻かれたスミレのミサンガを、ゴミを見るような目で一瞥した。その視線には、激しい苛立ちが混じっている。私への怒りだけじゃない。こんな呪わしい絆を、希望や救済などという甘い言葉で飾り立て、自分たちに管理を押し付けている、最高幹部や、巴マミへの、ドロついた感情だ。

 

「あの方たちは、散らかすのが専門なの。夢も、理想も、脱ぎっぱなしの服も……それを全部拾い集めて、綺麗に畳んで、なかったことにするのが私たちの仕事」

 

 そう言い捨てて、月夜さんは私への興味を失くしたようだった。警戒心が薄れたのか、わざとなのか。双子は、お互いに頬をくっつきそうなほど寄り添って、お互いに何かを囁いている。私は、そのやりとりを聞き取ってしまった。

 

「ねぇ月夜ちゃん。今回のロット、一週間もつかしら」

「さあ……。月咲ちゃん。どうせ……ね? 次から次に来て、嫌になっちゃう。無駄なメモリは使わないのが賢明ですわ」

「レコード用紙がもったいないですものね」

 

 月咲さんが振り返り、その微笑みが、私を見て、ピクリと歪んだ。処理しきれない膨大なゴミを目にした時の、投げやりな諦念ともいうべきもの。

 

 

 ドクン

 

 

 心臓が跳ねた。

 ロット? 無駄な記録……? さっきの名簿……。

 背筋に冷たい氷を這わされたような感覚だ。

 周囲の新人たちはまだ「マギウス万歳!」と浮かれている。

 

 他に信頼できそうな人はいないのか。

 私は、縋るような思いでエントランスを見渡したが、人影はない。その時、廊下の隅、貨物用エレベーターの前に(よど)む異様な気配に気付いてしまった。

 

 そこにいたのは、一人の高校生だ。

 

 修道女のような清廉さと、外科医のような冷徹さを同居させた、細身の黒羽根だった。

 ローブの袖には、不吉なほど鮮やかな赤十字の腕章。フードの奥から覗く瞳は、まるで精巧な義眼のように無機質で、そこには恐怖も、憐れみも、人間らしい感情の色は一切差していない。

 

 彼女の傍らには、その華奢な体躯(たいく)と比較するとあまりにも巨大な、熊のぬいぐるみがそびえ立っていた。二メートルを超えるその巨体は、場違いな愛嬌を振りまきながら、重々しい鉄製の荷車を押している。

 荷台には赤い汚れと、脂の汚れが目立つ緑のビニールシートが被せられているが、その隙間から――。

 

 

 黒いローブを纏った肉塊が。

 

 力なくはみ出していた。

 

 

 不自然な角度で折れ曲がった腕。

 重なり合った足。シートから覗くそれは、ピクリとも動かない。やがてエレベーターの扉が開く。細身の黒羽根と、熊の巨人は、まるで期限切れの生鮮食品を処理するような乱暴な手際で、荷車を奥へと押し込んだ。

 

 

 ――ギィィッ 

 

 

 荷台から垂れ下がった指先が、床に長い血の線を引いた。

 タイルに刻まれる、どす黒い拒絶の跡。

 

「あら。そちらを見てはダメですわ、新人さん」

 

 月夜さんの事務的な声が、私の思考を寸断した。彼女は、エレベーターに消えていく廃棄物には一瞥もくれず、ただ美しく微笑んでいる。

 

「働きグマのウワサに関わるのは、ちょっと早いですわよ」

「まずは生き残ってからですわ」

 

 月咲さんは、薄笑いを浮かべている。どうやって隠そうか……という焦りや、しまった……という緊張感がない。見られたなら、それでいい。バレたところで、代わりの補充はいくらでも後ろに並んでいる。彼女の瞳が、そう語っていた。

 

 私は理解してしまった。

 

 マミさんは楽園だと言った。

 

 どこが? マギウスの翼は、軍隊であり、工場だ。私たちは、魔女にならないためにここに来たはずなのに。この人たちは、私たちが「生きて帰ること」なんて、一ミリも期待していない。

 

 

(……私、また、大外れを引いちゃったの?)

 

 

 支給されたばかりの黒羽根のマントが、急に重く、自分の死装束のように感じられた。マミさんは、私を救ったんじゃない。マギウスという巨大な機械を動かすための、代わりのパーツとして私を拾い上げただけだ。

 

 いや、パーツなら、まだマシだ。

 マギウスの翼という怪物のエサだったとしたら。

 マミさんがくれた慈愛は、私を餌のケージに閉じ込めるための甘い麻酔だった。「良かったわね」と微笑んでいた巴マミの背後に、あの冷え切った貨物エレベーターの光景が重なる。

 

 

 ……ムカつく。

 私がマミさんの行為を反芻している間に、周囲の黒羽根たちが騒ぎ始めた。貨物エレベーターの隙間から覗く、身の毛もよだつような赤黒い汚れ。床に残された、拭いきれなかった生々しい血痕。

 

「あれ……血……?」

「嘘、どういうこと」

「誰か死んでるんじゃ……」

 

 ざわめきが波紋のように広がり、疑念が恐怖へと変わろうとしたその瞬間……。

 

 

「――あら、そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ」

 

 

 鈴を転がすような、あまりにも澄んだ声が。

 局面を一変させた。

 

 みふゆさんが、慈愛に満ちた微笑みを湛えたまま、私たちの輪の中心へと歩み寄ってきた。彼女が言葉を発した瞬間、空気の密度が変わった。脳の奥が痺れるような、甘い黒薔薇の香りが、鼻腔をくすぐる。

 

「哀しいことに、この神浜にはマギウスの理念を理解しない魔法少女も多いのです。不毛な争いは避けたいですが、降りかかる火の粉は払わなくてはならない。皆さんも、いずれは彼女たちとの『実戦』を経験するかもしれません……」

 

 みふゆさんは、まるで迷子をなだめる母親のように、一人ひとりと視線を合わせていく。彼女の瞳が私を捉えた瞬間、視界の端がわずかに揺れた。

 

「あれはダミー人形です。実戦で血を見て、アナタ達が動揺したり卒倒したりしては困りますから……本物そっくりの、赤いオイルを使っているのですよ。

 

 

 

 ……ねえ、そうでしょう?」

 

 

 

 その声には、抗いがたい依存力が宿っていた。

 みふゆさんが「あれはオイルだ」と断言した途端、さっきまで私の鼻を突いていた血臭が、嘘のように消え失せた。代わりに、どこか機械的な、無機質なオイルの匂いだけが上書きされていく。

 

「……なんだ、人形だったんだ」

「びっくりした~~、本物の死体かと思っちゃった~~」

「マギウスの正義を理解しない連中もいるんだ……」

 

 まわりの黒羽根たちが、糸を切られた人形のように、一斉に肩の力を抜いた。安堵が伝染し、黒羽根達は貨物エレベーターや血痕への興味をなくし、天音姉妹のまわりに戻る。

 

(……違う。あれは、オイルなんかじゃ……)

 

 私の本能が、喉の奥でかすかに拒絶の声を上げた。

 すると、みふゆさんが直々に私を手招きした。

 恐る恐る彼女に近寄ると、みふゆさんの優雅な指先が、私の視界を、優しく、なぞるように動いた。

 その瞬間、私は納得した。

 彼女の瞳の奥にある、深淵のような正しさを認めたからだ。

 

 この人が言うなら、それが真実だ。

 この人が笑っているなら、ここは天国なのだ。

 あれは血ではなく、オイル。

 

 

 ……本当に?

 

 

「みふゆさん……」

 私は震える手で、ポケットの中のダイスをぎゅっと握りしめた。その硬い角の感触だけが、私と「現実」を繋ぐ、最後の一点だった。

 

(……違う。あれは、オイルなんかじゃ……)

 

 本能が警鐘を鳴らす。あの人形は、誰かの本当の身体だったはずだ。

 みふゆさんはそんな私の微かな抵抗を見逃さなかった。彼女の視線が、私のポケットに収められた拳に、一瞬だけ鋭く注がれるのを感じた。

 

「吾妻さん……あなたは、とても繊細な方なのね」

「ひっ」

 

 みふゆさんは、まるで透明な糸を操るように、ゆっくりと私に近づいてくる。彼女が私の目の前に膝をついた瞬間、沈丁花(ジンチョウゲ)の香りがさらに濃くなった。そして、私のポケットに収められた拳の上に、彼女の白い手がそっと重ねられた。

 

「その握りしめているもの……。あなたにとって、きっと大切な『お守り』なのでしょう?」

 

温かい、甘い花の香りがするような掌は、凍えきった私の心を溶かすかのように温かい。幼子が抱える不安を、母のように受け止めるその仕草に、私は抗う術を失っていく。

 

「……不安な気持ち、痛いほどよくわかります」

 

 みふゆさんの指先が、私の震える親指をそっと包み込んだ。ポケットの中で握りしめていたダイスの冷たい感触が、彼女の温かさで次第に薄れていく。

 

「もう大丈夫ですよ。あなたは、たった一人で暗闇の中を彷徨い、その小さな手でダイスを振り続けてきたのでしょう? 次はどんな不幸が訪れるかと、いつも怯えながら……」

 

(……なぜ、それを……)

 

 心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。私の『宝くじ』のこと。私の『外れ魔法』のこと。キュゥべえに騙されたこと。誰も知らないはずの、私の最も深い絶望。みふゆさんは、まるでそれが当然であるかのように、さらに深く私の心へと踏み込んでくる。

 

「ここでなら、あなたはもう、運命の『ダイス』に怯えなくていいのよ。私たちマギウスが、あなたが望む『確定された安全な未来』を用意して差し上げますから」

 

 その言葉は、私の心の奥底に眠っていた不幸という呪いを、一瞬で解き放つ魔法だった。私の手から力が抜け、ポケットの中でダイスがカタリ、と小さな音を立てた。

 もう、握りしめる必要はない。

 誰かに、私の不幸のすべてを知られた。

 それでもなお救ってあげる……と言われた。

 それが、どれほど甘く、抗いがたい誘惑であるか。

 

「さあ、吾妻さん。その『お守り』は、もう必要ないでしょう?」

 

 私は、彼女の言う通り、ポケットからダイスを取り出し、美麗な掌の上にそっと置いた。私の唯一のプライド(正気)が、彼女の白い指に包み込まれていく。

 

 みふゆさんはダイスを優しく握り込んだ。

 祈るように少しの間だけ目を閉じ、再び目を開けたとき、私に背を向ける。一瞥の際にも、面接の時の、とろけるような微笑を浮かべていた。ただ、私の顔を、なぞるように見ていた。

 

 そのとき。

 

 みふゆさんの唇が、吐息のような微かな音を零した。

 

「かわいそうですが……。

 神楽さんを納得させるためには、仕方がありませんね」

 

 

 

 え?

 

 

 背骨を直接、氷の指で撫で回されるような悪寒が走った。

 みふゆさんの視線の先に、私はいない。私でもなく、床の赤黒いオイルでもなく。ここにはいない誰か……狂おしいほど大切な、特別な思い出を、切なく、愛おしげに見つめていた。

 

「これで、神楽さんも思い知るはず。

 ――『七海やちよ(やっちゃん)』は、貴女たちが手を出していい領域(ところ)ではないのだと。やっちゃんは、ワタシのものなんですから」

 

 最後に向けられた微笑みは、私に向けられていた。その瞳の奥にあるのは、慈愛ではない。嵐の中に傘をさして出掛けるような生徒を見るような、「どうせ壊れるでしょうけれど、せいぜい気を付けてね」という、残酷なまでの諦観。

 

「……あ」

 

 ポケットの中。新しく生成した私のダイスが、指先を焼くような熱を帯びた。

 脳裏に一瞬だけ、ノイズ混じりの「未来」が走る。夕暮れの路地裏。青いドレスを纏った、美しすぎる死神。そこに横たわる、顔の潰れた黒羽根の山。

 

「……この子は、生き残れるかしら?」

 

 みふゆさんが、聞こえるか聞こえないかの吐息でそう漏らした。それは糖蜜のように甘く、それでいて、深淵のように暗かった。ハイヒールの音がカツカツと冷たく響く。彼女の姿は、ホテルの廊下に漂う霧の中に溶けるように去っていった。

 

 

 うそだ。

 

 見間違いだ。

 

 聞き間違いだ。

 

 みふゆさんは、そんな、私たちが死ぬことを前提に動いているような方じゃない。

 

 

「……そこの黒羽根さん? 遅れているわよ」

 

 天音姉妹の冷ややかな声に弾かれ、私は凍りついた思考を無理やり再起動させた。自分に言い聞かせる。

 

 大丈夫、私は救われたんだ。

 あんな恐ろしい言葉……きっと聞き間違いに決まってる。

 

 私は震える足取りで、狂った聖域の案内ツアーへと戻っていった。

 

 

 

 貨物エレベーターの小さな騒ぎのあと。

 天音姉妹は、食堂の使い方、宿泊時の注意事項、掲示板についてなど、ホテル・フェントホープでの約束事を駆け足で説明した。そして玄関ホールに戻ってくると、足を止め、優雅に振り返る。

 

「そうだわ。一番重要なことを忘れておりました」

 

 仕草とは裏腹に、声音は霜のように冷たかった。

 

「神浜では、魔法少女が魔女になることはありません。ソウルジェムの穢れは『ドッペル』として体外へ放出されますわ」

 

「その代わり、調整屋さんでチューニング(調律)してもらわないと、ドッペルは上手く扱えませんの。新人さんは、気を抜かないように」

 

天音月咲が、教え諭すように笑みをつくり、言葉を継ぐ。

 

「ドッペルに頼った結果、半魔女になっても(恐怖に喰われても)、ソウルジェムが砕けても、マギウスは責任を取りませんことよ?」

 

 神浜は、魔法少女の約束の地と謳われる。

 その希望の根幹ともいうべきドッペルシステムは、諸刃の剣としか思えなくなった。先程のエレベーターといい、絶望すら管理されているホテルの空気に、私は全身が氷の膜で覆われていくようで膝が震えた。

 

「あ……言い忘れてた。月咲ちゃん、お願い」

「最初の任務は、今からよ。精一杯がんばってね」

「ドッペルがあるといっても、神浜には危険が一杯です。気を付けてね」

 

 天音姉妹の軽すぎる言葉に、私は耳を疑った。

 

「 訓練とか、武器の使い方の講習とかは……!?」

 

 私の悲鳴を、双子は打ち合わせたかのような完璧な無反応で切り捨て、連れ立って去っていった。残されたのは、支給されたばかりの黒いフードを被り、顔を見合わせる私たち新人だけ。

 

 天音姉妹の代わりに、新たな人影が湧いて出た。

 

 面接の時に、私を断罪した、怖くて偉そうな態度だった白羽根。そしてアネットと名乗る白羽根と、三人の黒羽根だった。白羽根の二人は、連れてきた黒羽根三人をばらけさせ、新人黒羽根の群に紛れこませた。つづいて、私達を横一列に並ばせた。

 

「右から順番に。お前から……。

 1番、2番、3番、4番。

 お前は5番、6番、7番、8番、9番……」

 

 怖そうな白羽根が、事務的な手際で、私たちに『名前』を捨てさせた。すると、脇に控えていた白羽根が、一歩前に出た。

「今日の出撃では、番号で呼び合いなさい。私のことはアネットではなく、“白羽根の隊長”、あるいは単に“隊長”と呼ぶように」

 

 

 7番。

 

 

 それが、今日の私の名前。

 七見吾妻という、お父さんとお母さんがつけてくれた名前は、このホテルには必要ないらしい。

 私たちの任務は、神浜に配置された『ウワサ』を守ること。

 そして、マギウスに敵対する魔法少女を説得し、止む無くば、捕らえること。

 

「ターゲットは、七海やちよ、環いろは」

 

 怖そうな白羽根の宣言を聞きながら、私は震える手でフードを深く被り直した。鬼教官……と誰が呟いた。アネットという白羽根が、引き続いて任務を解説する。

 

「……彼女たちは、魔法少女の解放を邪魔する宿敵です。まずはマギウスの理念を語り、改心の余地を与える。拒むなら、遠慮はいらない。徹底的に叩き潰します」

「アネット、いいか。マギウスの計画を阻む不純物は、誰であろうと徹底的に排除せよ。誰が相手でも、だ。そうすれば、梓みふゆも目が醒めるだろう……」

 

 鬼教官は、話の終わりに微かに何かを言った気がした。

 他の黒羽根たちは、意外にもやる気に満ちている。皆、鬼教官やアネット隊長の

 

「マギウスに栄光あれ!」という力強い号令に酔いしれ、自分たちが最強の布陣だと信じ切っている。

 

「仲間がいれば怖くないよね」

 

「マギウスの正義を見せつけてやりましょう」

 

「三賢者様のお目にとまれば、親衛隊になれるかも?」

 

 

 ……フードの下で交わされる、熱を帯びたヒソヒソ声。

 一人じゃない。

 確かに、一人じゃないけれど。

 お互いの顔、好きなもの、嫌いなもの、魔法さえも知らない私たちが、本当に仲間なんだろうか。

 

「7番、ぼうっとするな! 動き出しているぞ!」

 

 鬼の白羽根の鋭い声に、私は弾かれたように歩き出した。白羽根のアネット隊長を先頭に歩き出した列についてゆく。巴マミさんが言った希望を信じるなら、目の前の敵は 悪 のはず。

 

 ……そう思わなきゃ、この震えは止まってくれない。

 私は「7番」として、初めての獲物を求めて暗闇へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 




【第5話予告】肥大化する組織。処理しきれない命。黒羽根は救済の歯車として消費されていく。そんな私に突きつけられたのは、あまりにも残酷で、無垢な「善意」。眩しすぎる光に焼かれ、ダイスが示したのは――最悪の出目だった。

次回『九つの約束と、死の予知』運命(ダイス)は、私に「死」を選べと笑っている。


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