「宝くじで一等賞を」と願ったら、外れのサイコロ魔法を引かされました。 ~黒羽根に堕ちた私に救いなんてありません~   作:黒陽石

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時系列的には、梓みふゆがみかづき荘にやってきて、環いろはにマウントを取る前です。環いろは、ハナミチの魔女を単独で討伐できるぐらい強い魔法少女です。七見吾妻では足元にも及びません。


マギウスと交わす9つの約束と、死の予知

 

 マギウスの翼は、徹底していた。

 私の名は「七見(ななみ)」でも「吾妻(あずま)」でもなく、ただの7番だ。前を行く6番も、後ろを歩く8番も、フードによって誰なのか分からない。

 少し寂しいが、その匿名性が心地よくもある。名前を捨てれば、あの無様な自分からも逃げられる気がしたから。

 

「……ねえ、7番さん。少し、お話しない?」

 

 後ろを歩く8番さんが、突然、声をかけてきた。

 聞き間違いかと思って、スルーした。

 

「7番さん、7番さん」

 

 湿り気を帯びた、震えるささやき声が重なる。

 

 心臓が、警鐘を鳴らすように跳ねた。

 

 私たちは今、マギウスと交わした『九つの約束』の下にいる。任務中の私語、個人の特定、秩序を乱す行為。8番さんが犯そうとしているのは、そのどれにも当てはまる重大な背信だ。

 

 無視すべきだ。

 

 私はフードをかぶりなおした。前を行く6番の背中に集中する。

 黒羽根のローブは、冷たく、重い。個を殺し、改めて組織の歯車であろうと決意する。規則を破れば、あの貨物エレベーターに積み込まれるゴミになる。鼻腔には、先ほど見た廊下の染みの、どす黒い鉄錆の匂いが蘇る。

 

「……お願い、7番さん。聞いて……」

「ひゃっっ」

 

 袖口を掴まれて、小さな悲鳴をあげてしまった。

 8番さんの指先から、抗いようのない熱が伝わってきた。組織の冷徹な規律をじりじりと焼き切るような、生々しい人間の体温だった。怯えた小動物のような拍動が、私の鼓膜を優しく、同時に決断を迫るように揺らす。

 

(話に応じたら、私も同類になる)

 

 舌の上に、胃液のような味が広がった。

 これまでどおりスルーを決め込めば安全だ。でも、この熱を振り払えば、私は本当に、名前のない部品として使い潰されるだろう。視界の端で、秋月スミレから受け継いだミサンガの、不器用な編み目が泣いているように見えた。

 

 私は、乾いた唇を、ゆっくりと。

 罪悪感と共に割り開いた。

 

「……何?」

 

 禁忌を犯した。その瞬間、全身の毛穴が逆立つような恐怖と、言いようのない解放感が同時に突き抜けた。8番さんの視線は、私の袖口からチラつくミサンガに釘付けになっているようだ。

 

「どこで、手に入れたの?」

 

 私は咄嗟に左手を隠そうとしたが、彼女の指先が、私の手首を強く掴んで許さない。

 

「これ、あたしが編んだんだ……色の組み合わせ、独特だから。スミレちゃんとお揃いで、ずっとつけてる。スミレちゃんは、マギウスが嫌になって辞めちゃったけど……」

 

 8番さんも、左手首をみせた。私と同じデザインのミサンガだ。

 

「なんで、あんたが持ってるの」

 

 匿名性の壁が、一瞬で崩壊する。彼女は番号を脱ぎ捨て、当事者として私の領域に踏み込んできた。恐怖と期待の混じった眼差しだ。

 

「……拾ったの。彼女が、魔女になった時に」

 

 私の言葉に、彼女の指先から力が抜ける。代わりに伝わってきたのは、あまりにも切実な体温だった。彼女は泣き笑いのような顔をして、自分の秘密を、私への等価交換として差し出してきた。

 

「あたし……本当は、テニスが得意だったんだ。引退しちゃったけどね。未練なのかな。魔法もね、テニスボールを撃ち出すだけ。笑えるでしょ?」

 

 大砲をミニチュアにしたようなラッパ銃。

 本物のテニスボールを、砲口から装填して撃つ。

 

「魔法少女なのに、リュックの中はボールでパンパンだったの。笑えるでしょ?」

 

 フードの下で、彼女が本当におかしそうに笑う。つられて私も微笑んだ。名前を捨てたはずの場所で、私たちは互いの「呪い」を見せ合うことにした。

 隊長に見つからないよう、掌の中でダイスをそっと振る。

 

 赤の14。青の45。

 十四分四十五秒後の未来予知。

 

 なのに、私の脳内には、何も映らなかった。

 

 心臓が、嫌な音を立てて早鐘を打つ。

 これまで、どんなに中途半端な未来でも静止画は見えていた。真っ暗ですらない。予知そのものが機能しない虚無だった。

 

(これって……その時間には、もう未来が存在しないってこと?)

 

 つまり、死。

 私と、8番さんの死。

 

「……7番さん? どうしたの、急に止まって」

 

 不安げに覗き込む8番さんの顔が見えない。白羽根の隊長に知らせなきゃ。まって。新人の黒羽根が「不吉なダイスが出たから帰りましょう」なんて言って、隊長や、以前からの部下らしい黒羽根が聞き入れるはずがない。

 

 じゃあ、二人だけで逃げる?

 まてまて。

 あの双子になんて言い訳しよう?

 

 マギウスから除名され、巴マミさんという唯一の救いを失って、みふゆさんを失望させて、またあの孤独な地獄に戻るの?

 

「……あれ、隊長たちは!?」

 

 気づけば、白羽根の隊長も他のメンバーも、霧に巻かれたように姿を消していた。路地の角を曲がる9番の黒いローブが、死神の鎌のように一瞬だけ翻る。

 

「8番さん、急いで! はぐれちゃう!」

 

 未来の空白から目を逸らすように、8番さんの手を引いて、夕闇がせまる路地裏へ駆け込んだ。その先に待っているのが、ダイスが予言した終焉だとは分かっていながら。一人で生き延びる恐怖より、二人で地獄へ向かう安堵を選んでしまった。

 

 私達が踏み込んだ路地裏は、昼間でも太陽の光が届きそうにない、街の隙間に切り取られたような空間だった。

 赤茶けたレンガの壁には、血管と神経のようにパイプが這いまわる。頭上の狭い隙間からは、夕暮れ時の、重苦しい黄金色の光が差し込んでいた。それは足元を照らすにはあまりにも弱く、かえって闇を深く、鋭く、際立たせていた。

 

 

 

 七海やちよ。

 

 

 

 雑誌から抜け出したような細身の美女が、そこにいた。

 彼女が魔法少女に変身した瞬間。

 路地の空気は絶対零度まで凍りついた。

 

「ここにいたウワサなら、もう倒したわ」

 

 抑揚のない声。モデルのように美しいはずの瞳は、獲物を屠り慣れた猛禽のそれだ。白羽根隊長を含めた十人の魔法少女と敵対しているというのに。彼女がハルバードを構えただけで、私は数歩後退した。

 

「兵隊は何も知らない」

 

 彼女の戦闘用ドレスの青い裾が、ほとばしる魔力にたなびいた。

 

「だからアジトがどこにあるかぐらいは……教えてもらうわ」

 

 事前の打ち合わせでは、戦闘に入るまえに、私達がマギウスの翼を理念を語ったり、敵対をやめるよう説得する手筈だった。なのに、言葉が出てこない。やちよの短い言葉が、私達を圧倒している。

 

 

「容赦はしない。覚悟しなさい」

 

 

 

 ――ドンッ!!

 

 

 

 視界の端で何かが弾けた。

 気づけば、黒羽根二人が壁に埋まっている。

 

「全員でかかれ!」

 

 隊長の号令。黒羽根たちが跳躍する。次の瞬間、また二人が消えた。ビルの壁が砕ける音と、短い悲鳴。やちよは、まだ槍を振るった姿勢ですらない。

 

(無理だ……! こんなの、勝てるわけない!)

 

 死への恐怖が、マギウスへの忠誠を上書きする。私は戦いに背を向け、出口へと駆け出した。一人でも生き残って、双子の白羽根に報告する。そんな自己欺瞞のストーリーを脳内で必死に組み立てながら。

 

 

 路地の出口。

 

 そこに彼女が立っていた。

 

 

(……どうして、逃げるの?)

 

 

「あ、秋月……スミレ、さん……?」

 

(ワタシは一人で苦しんでいたのに。アナタは、なぜ来てくれなかったの?)

 

 耳鳴りのような、死者の声。

 違う、私は弱くて、足手まといになるから。

 必死に言い訳を重ねる私を、スミレさんの幻影が冷たく見つめる。

 

(アナタが来てくれたら、ワタシは助かった。アナタが来なかったから、ワタシは魔女になった……ねえ、見て。アナタのソウルジェム、ワタシと同じ色だよ)

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 視線を落とすと、ソウルジェムは、ヘドロのような黒い靄に呑み込まれていた。呼吸が荒くなる。心臓が痛い。左手首のミサンガが、手錠のようにきつく締まる。

 

「いやだ……私は、魔女になんて……っ!」

 

(誰も助けてくれない。マギウスも、巴マミも、梓みふゆも、最後は自分だけ……。アナタが私から奪ったそのミサンガを、誰かが形見で受け継ぐのよ)

 

 スミレさんの手が、私に伸びる。

 それは助けを求める手のようで、私を地獄へ引き摺り込む死神の爪に見えた。「来ないで!」と叫び、後ずさった私の前に――。

 

「……大丈夫? あなたのソウルジェム、くすんでいるよ?」

 

 スミレさんの幻影が、白いフードを被った人物に上書きされた。大人びた七海やちよに比べて、いかにも愛らしい印象の魔法少女。白と桜色の狩人の装束に身をつつんだ、(たまき)いろは。

 

 

「無駄なことは、やめよう?」

 

 

 なぜか、目の前に立つ桃色の魔法少女が、秋月スミレに見えた。死んだはずの彼女が、私を連れて行くために現れたのだ。環いろはがボウガンを構えた瞬間、私は誤りに気付いた。彼女は死神ですらない。効率的に敵を排除する正義という名の機械だ。

 

「やめて…! 私を…見ないで…!」

 

「調子、わるそう。心配だよ……」

 

 向けられた瞳に敵意はない。

 それこそが、何よりも恐ろしい拒絶に見えた。

 

 咄嗟に、私は六〇面ダイスを手のひらに具現化し、投げつけた。閃光は一瞬でも、目くらましになり、ひるませる事はできるはず。体勢を崩したところで、マギウスの黒羽根として支給された武器をつかうのだ。

 

 そう思っていた。

 

 

 ――パシュッ。

 

 

 

 乾いた音と共に、私の渾身のダイスが空中で弾け飛んだ。

 環いろはが放った魔法の矢。

 それが、米粒ほどのダイスを、二つ、正確に射抜いたのだ。予知も、爆発も、発動すら許されない。私の運命は、彼女の技量の前で、ただのゴミ屑に過ぎなかった。

 

「ダイス目が確定すれば、何かが起きたのかな?」

「あ……」

 

私の口から間抜けな声が出ると共に、8番さんが動いた。私の真横で、ラッパのような携帯型の大砲を構えて、環いろはに向けてトリガーをひいた。

 

 

 ドゴンッッ!!

 

 

 テニスボールが発射された。

 環いろは……彼女は、8番さんの姿を認めた時点で、対処していた。片膝をついてボウガンを構えていた。連射した魔法の矢が、彼女に向けて低進するテニスボールを空中でとらえる。

 

 

 

 大爆発。

 

 

 

 その爆風で8番さんがゴロゴロと転がった。

 私は、爆発を予期してガードの体勢をとっていたので、踏ん張れた。これはチャンスじゃないか? 環いろはだって、爆風を近距離で浴びたんだ。転んだり、よろけているかもしれない。

 

 私は新たなダイスを生成し、いろはに向けて投げようとする。

 その前に。環いろはのボウガンから、新たな魔法の矢がはなたれた。

 

 

 

 ――パシュッ

 

 

 

 衝撃を自覚した時には、右の太ももを熱い激痛が貫いていた。

 力が抜け、路面に頭から倒れた。路面に這いつくばり、芋虫のようにのたうち回る。すると、環いろはが近づいてきた。彼女は、魔法少女装束の上に、桃色の透明な被膜のようなものをまとっている。

 

「あの一瞬でバリアを!?」

 

「仲間を見捨てて、自分だけ逃げるんですか?」

 

 彼女は道に落ちた石ころをどけるように、淡々と私を無力化した。

 

「妙な真似はしないで。くじいたことにして誤魔化せます」

 

 抑揚のないトーンが私を縫いとめた。

 彼女にむかって投げようとしたダイスが地面に転がる。

 ダイス目は……

 

〔 4 〕 と 〔 9 〕。

 

 ……もう、どこにも逃げ場なんてない。視界の端では、路地の喧騒が消えていた。 七海やちよの槍が、白羽根隊長――アネットさんの喉元を、冷たく、深く、捉えている。

 

「これでおしまいよ。立っている部下はいないわ」

 

 やちよの宣告。隊長の白い衣装は裂け、どろどろの血に染まり、かつての魔法少女の残骸を晒している。

 

「アジトへの入り方を言いなさい。早く手当てしないと、手遅れになるわよ」

 

「……マギウスの翼は、弱い魔法少女にとっての……希望……。お前等には……わからない……」

 

「もう一度チャンスをあげる。ホテル・フェントホープへの入り方は?」

 

「マギウス、万歳!!」

 

 白羽根隊長が、胸元の留め金を引きちぎった。間髪を入れず、網膜を焼くほどの紫黒(しこく)の閃光が走る。

 

 

 ――自爆

 

 

 身を伏せる暇さえない。

 逃げ場のないゼロ距離の爆震と爆炎が路地を飲み込む。

 

 

 ――ゴォォォォンッ!!!!!

 

 

 衝撃に備えて目を閉じた。

 なのに、待っていたのは熱風でも、痛みでも、死でもなかった。

 

「……え?」

 

 恐る恐る目を開けると、そこは水の檻の中だった。立ち昇る毒々しい爆炎を、幾重にも重なる蒼い水の壁が、冷徹に、完璧に、包み込んでいる。

 

 七海やちよ。

 

 彼女がハルバードをひと振りしただけで、白羽根が命を賭した自爆は、小さなボヤへと成り下がった。

 やちよ自身や、環いろはだけじゃない。転がっている私たち黒羽根さえも、彼女の魔法は等しく守り抜いていた。

 

 

「ふう……気骨だけは、認めてあげるわ」

 

 

 息をひとつだけ吐いて、やちよは水のヴェールで紫色の焔を消火した。そして魔法を解き、霧散する水を一瞥する。私は、濁ったソウルジェムを抱え、蒼い静寂の中で、惨敗の味を噛み締めていた。

 

「やちよさん、ありがとうございます! ……白羽根さん、可哀想でしたね」

 

環いろはが、敵であるはずの私に駆け寄り、本気で心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「みんな、怪我はない?」

 

 圧倒的な暴力。

 圧倒的な善意。

 

「ごめんね、痛かったよね?」

 

 環いろはが近づいてきて、私のローブをまくって顔を覗き込んだあと、隣にしゃがんだ。拍動と共に血が流れる私の太腿に、手をかざす。脳裏に、フェントホープのエレベーターの血痕が浮かぶ。それを打ち消す、温かな治癒の光。しかし、私にはそれが、死ぬことさえ許さない呪いにしか思えなかった。

 

「……よかった。これで傷は塞がったはずだよ」

 

 身体が動くようになってしまった。

 そのせいで、私はまだこの地獄から退場させてもらえない。

 

「もう、大丈夫。怖くないから、心配しないで」

 

 うるさい。私に話しかけないで。

 

「やちよさん……この子、私が治しました。話なら聞けると思います」

 

 やめて。余計なことを言わないで。

 

「お手柄よ、環さん」

 

 いろはが微笑んで振り返った先。

 冷徹な青い影が、ゆっくりと。

 こちらへ歩を進めてくる。

 七海やちよ。

 弱すぎる黒羽根達を迷いなく壁に叩き伏せていた猛禽が、今度は私を情報源として選別したのだ。

 

(来ないで。こっちを見ないで。

 お願い、あっちに行って……!!)

 

 心の中で叫んでも、声にならない。

 カツン、カツン、と一定のリズムでアスファルトを叩くヒールの足音。それは、私の余命を削り取る秒針の音だ。彼女の背後に立つ、あの破壊された路地の惨状が、逃げ場のない現実を突きつけてくる。

 

「ホテル・フェントホープへの入館方法を言いなさい。合言葉か、鍵か、それとも特定の座標か。隠し事は無意味よ。あなたの顔を見れば、嘘ついているかすぐわかるから」

 

 いろはにフードをとられ、私の顔は隠すものがない。至近距離で、アイスブルーの視線が私の瞳を貫く。大人びた、あまりにも美しい顔。けれど、その双眸の奥には、マギウスの野望を阻止するための……あるいは愚行をとめるための……焦燥と、一切の妥協を許さない峻烈な意志が燃えていた。

 

 私なんかが、この人を騙せるわけがない。

 かといって、口を開けば……。

 裏切り者としてマギウスに殺される。

 

 マミさんが言った希望も、みふゆさんが語る救済も、今いるこの場所も、すべてが崩れていく。

 

「さあ、話しなさい。無駄な時間を取らせないで……」

 

 蒼い影が私を覆い尽くす。震える唇が、恐怖で何一つ音を紡げない。私は、助けてくれた環いろはを呪いながら、目の前の最強という名の絶望に、魂を削り取られていくしかない。

 

(……言わなきゃ殺される。でも、言ったらマギウスが滅びる)

 

 七海やちよの冷徹な視線に射抜かれ、私の思考は泥沼に嵌まった。嘘をついても見破られる。真実を売れば、七海やちよと仲間達は、間違いなくホテル・フェントホープへ突撃するだろう。

 出入り口を開く鍵は、マギウスの翼の一人一人に与えられた、紋章のブローチだ。黒羽根のローブを着ているときは、留め金となっている。特定の場所でかざし、生体認証を行う。そうすれば、ホテルが存在する異空間への扉が開く。

 

 

 私は、そのやり方と、特定の場所を知っている!

 

 

 エレベーターだって、この化け物(やちよ)なら強引に突破するだろう。

 まして仲間を連れて殴り込んだとしたら……。

 

(私のせいで……マギウスの解放計画が潰れる?

 

 私が弱いから魔法少女は救われないの!?)

 

『運命を変えたいなら、神浜へ来て』

 

 マミさんと、みふゆさんがくれた、あの心地よい温もり。

 私のような弱者でも生きていいと肯定してくれた場所。

 それを壊す引き金を、私が引くというのか。

 

(……どうすればいい。どうすれば、私はここから生きて帰れるの?)

 

 心臓が喉まで競り上がってくる。七海やちよの冷徹な瞳が、私の思考をすべて透視しているようで怖い。最悪のシナリオと、生き延びるための模索が、猛スピードで回転し始めていた。

 

 適当な解除方法と、場所を教えたら?

 二人が納得した隙に逃げ出すというのはどうだろう?

 

 ……無理だ。相手は神浜最強の魔法少女。私の下手な嘘なんて、瞬き一つで見破られる。その時、彼女がどんな報復を私にするか……想像するだけで、ソウルジェムが濁る。

 

 最後の手段は「マギウス万歳」と叫んで、アクセサリーに内蔵された自爆装置を作動させる。導火線はソウルジェムに特殊な振動を与え、大爆発を引き起こす。そうすれば秘密は守れるし、私はマギウスの英雄として死ねる。あの白羽根隊長のように。

 

(冗談じゃない!! 宝くじに当たって、これからお母さんと幸せになるはずなのに。なんで私が粉々にならなきゃいけないのよ!!)

 

 思考が、袋小路で空回りする。

 

「ねえ、早く答えてくれないかしら」

 

 やちよのヒールが、アスファルトを鳴らす。

 

(死にたくない……! お母さんっ……!!)

 

 未来への執着が、忠誠心をいとも容易く粉砕する。混乱と恐怖のあまり、私は無意識に胸元の留め金を弄っていた。カチ、カチ……と、震える指先が金属の感触をなぞる。

 やちよの双眸が、鋭く光った。彼女の経験に裏打ちされた直感は、私のその動作だけで「そこに何かがある」と正解を抽出してみせる。逃げ場を失った私の喉から、ひゅいっ……と、乾いた空気が漏れた。

 

 七海やちよの槍が、ゆっくりと伸びる。死神のナイフのような穂先が、私の胸元に触れようとした。その瞬間。誰もいないはずの路地裏に、場違いなほど軽やかな、乾いた拍手の音が響き渡った。

 

 

 

『お見事、七海やちよ……お姉さま』

 

 

 

 壁に映し出されたのは、マギウス三賢者の一人、里見灯火のホログラムだった。 「灯火ちゃん!」と駆け寄ろうとする環いろはを、やちよが厳しく制する。

 

『この映像は、そこの7番さんのブローチから投影されているわ。残念、アクセサリーの秘密に気づかれてしまうなんて。それはGPSであり、記録装置であり、生体認証であり……そして、忠誠心を見極める天秤でもあるの』

 

 幼い天才魔法少女の瞳が、ホログラム越しに私を冷たく射抜いた。

 

『7番さん。マギウスの秘密を売ろうとしたのは、あなたの罪。でもわたくしには、そんなのどうでもいい。わたくしが本当に腹立たしいのはね――わたくしの至高にして貴重な「灰色の脳細胞」を、あなたの情報漏えいに伴う入り口の閉鎖や移転といった、くだらない雑事に浪費させたことよ』

 

 灯火は心底不愉快そうに、自身のこめかみを指先で叩いた。

 

『わたくしの知性は、全魔法少女を救済するシステムを構築するためにあるの。それを、あなたの安っぽい保身の後始末に1秒でも使わせた……その手間こそが、何物にも代えがたい万死に値する罪だと思わない?』

 

 裏切りそのものよりも、自分の時間と知能を無駄にさせたことを、最大の罪に据える傲慢さ。

 あまりの言い分に、喉の奥が引き攣る。

 七海やちよですら、眉間にシワをよせている。

 

『でも、慈悲深い灯火ちゃんは、手を汚す手間さえも惜しいわ。だから処刑なんてしない……ただの追放で済ませてあげる。さようなら、無価値な7番さん。あとは七海やちよと環いろはに任せるわね』

 

「え……?」

 

『あなたは、もうマギウスではない。ただの魔法少女。そうそう、周りの黒羽根さんたちも、連帯責任で“全部”除籍しておいたから』

 

 灯火の姿が消えると同時に、私の手のひらで金の紋章が真っ赤に焼けついた。

 

「あつっ……!」

 

 思わず手放したブローチは地面に落ち、音もなく燃え尽きた。

 ただの煤となって風に消えた。

 私の居場所も、救いも、一瞬にして風にさらわれた。8番さんや、他の黒羽根達のブローチも、炭となって崩れ去った。

 力が抜けて立てない私を見つめ、七海やちよが静かに口を開く。

 その瞳には、かつて不安に震えていた自分自身を重ねるような、淡い哀れみが宿っていた。

 

「……これでわかったでしょう。魔法少女の運命は、どこへ行っても変わらないわ」

 

 魔法少女は神浜で救われる……なんて、ただの幻想。そういって、やちよは、踵を返して光にむかって歩き出す。

 

「あなたは、あなたの居場所で、戦い抜きなさい」

「待って、やちよさん!」

 

 環いろは。彼女は私に近づく。

 へたりこんだ私の正面に座った。

 膝と膝がふれそうだ。

 

 やめて。

 その、汚れ一つない瞳で私を見ないで。

 私たちが命をかけて守ろうとした救済を、あなたたちはたった二人で蹂躙した。その圧倒的な力の差を誇示しておきながら、なぜ今さら被害者をいたわるような顔ができるの?

 

「あの、これ……」

 

 彼女は、はにかむような仕草で、魔法少女の装束から小さな紙の切れ端を取り出した。友達にお菓子を渡すような、あまりにも軽やかな手付き。差し出されたそれを、私は拒絶することさえできず、ただ受け取るしかなかった。

 

「私、あなたのこと……悪い人には見えない。だから、もし、居場所がなくなって困ったら、ここに来て。私の連絡先を書いておいたから」

 

 脳が、拒絶反応で軋む。

 この子は、本気なんだ。

 私を、自分の正義の内側へ招き入れようとしている。

 私にどんな事情があり、どんな覚悟で黒いフードを被ったのかなんて、彼女には関係ない。ただ、道を間違えた可哀想な魔法少女を救いたい……。それだけだ。彼女は私のプライドを、踏み躙ったことにさえ気づかずに、希望を差し出した。

 

「待ってるね。きっと、だよ」

 

 いろはが立ちあがった。

 やちよの後を追って、振り返らず、そのまま光の中へと消えていった。彼女が去り際に見せた、あの慈愛に満ちた微笑み。どんな鋭利な槍よりも深く、私の自尊心を切り裂く。ポケットの中の紙切れが、熱を帯びているように感じる。

 

「……行った」

 

 二人の足音が遠ざかり、路地裏に完全な沈黙が戻る。

 その瞬間、私の膝はガクガクと崩れ落ちた。肺に溜まっていた熱い呼気が、震えと共に漏れ出す。

 死神だ。

 あの二人は、間違いなく私と8番さんを刈り取るために現れた死神だった。

 

(生きてる。私、まだ、生きてる……っ!)

 

 ダイスが予言した『十四分四十五秒後の空白』。

 あれを回避できた!

 最初に予知の魔法を使った時のように!!

 

 生温い夜風が、冷や汗で濡れた背中にまとわりつく。助かったという安堵が、泥のように全身に染み渡っていく。

 落ち着きを取り戻すにつれ、別の感情が喉の奥からせり上がってきた。

 

 焼けるような、苦い屈辱だ。

 

 渾身のダイスを羽虫のように撃ち落とされた、あの惨めな光景。

 敵としてすら認識されず、慈悲深く、憐みのもとで治療された屈辱。

 あんな風に構われなければ、やちよに鍵の存在を悟られ、尋問され、マギウスから追放されることもなかったのに。

 頬が赤くなるのがわかる。

 ポケットの中で、彼女がねじ込んでいった紙切れの感触が、指先に障る。

 

(これは救いじゃない。私を、あんたの奴隷にするための招待状だ)

 

 震える指でメモを掴み出した。

 私の数字、ダイスの目とは違う字体。

 一点の曇りもない、女の子らしい、可愛い数字だ。

 

 

 力任せに引き裂く。

 

 

 上質な紙が抵抗する感触。

 指先に伝わる細かな振動。

 ズタズタになった紙片を、アスファルトに叩きつける。

 

 私のプライドを切り刻んだ彼女への、せめてもの意返しだった。

 

「マギウスも、あいつも、私も、全部大外れ……」

 

 私は、みふゆさんから感じた甘い香りが、死臭を隠すための、ただの香水だったことに気付いた。彼女の指から伝わってきた悪寒を思い出し、その不快さに舌打ちした。

 

 目の前には、白羽根隊長が飛散した痕跡の煤と、破かれたメモの残骸。私は、自分一人だけが二本足で立っている路地裏で、誰にも届かない罵声を、暗闇へと吐き捨てた。

 

 

 

 




【第5話予告】信じていた救済は偽りで、縋っていた種は友の死骸だった。すべてを失った絶望の底で、私は初めて「本当の名前」を叫ぶ。。
最終回『大当たり』救いなんていらない。私は不幸で、あんたたちの正義を殺してあげる。




環いろはが「マギウスの翼に所属する子は、間違っている」……とみなしているのは、アニメ版設定資料集 イヌカレーのインタビューからです。

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