──話をしよう。
あれは今から22……、
いや、136年前だったか。
まあいい。
どちらも私にとっては懐かしい過去のことだが、
君たちにとっては多分────未来の出来事だ。
彼には無数の名前があるから、なんて呼べばいいのか……。
そうだな、最初に会った時は……。
1890年9月23日。アメリカ西海岸。
サンディエゴビーチの広大な砂浜には、例年では考えられないほどの大勢の人々がひしめき合っていた。
彼らは二種類に分けられる。
ひとつは、『観客』。彼らは年齢も性別も人種も多様だ。近隣住民っぽい田舎者ふうな奴もいれば、都会から来た上流階級っぽい紳士淑女もいる。カメラを持った記者もいる。
もうひとつは、『参加者』。彼らは人種こそそれぞれだが、子供はおらず老人は少ない。性別で言えば圧倒的に男が多く、みなカウボーイっぽい服装をして、それぞれ馬を連れている。
合わせて四桁、五桁の人数がひとつのビーチに集まっている光景は、活気的を超えてもはや異様だ。
彼らの目的は、なにもシーズン終わり滑り込みの海水浴ではない。
……ご存知の通り、二日後にこの場所から始まる、「スティール・ボール・ラン」レースのために集結しているのである。
────「スティール・ボール・ラン」レースとは!
スティーブン・スティール氏を企画発案者として、全米中の企業の出資をうけて開催される、前代未聞の“乗馬による北米大陸横断レース”!
サンディエゴビーチにあるスタート地点から、ニューヨークにあるゴール地点まで、大まかなルートと各チェックポイントが定められており、総距離は約6,000kmにもなる。超がつく長距離にも拘らず、乗り手と馬は指紋と鼻紋で登録され、交換は一切禁止というルールだ。
参加料は1200ドルと少々高額だが、優勝賞金はなんと5000万ドル(日本円にして60億円)!
「ハァ……」
溜息をつき、レースのことばかり取り上げられている新聞を畳んで、テーブルに投げ出す。
イスの背もたれに体を預けて、窓の下に広がるサンディエゴビーチを見下ろすと、美しい海が見えた。
砂浜の方は、端的に言って……人がゴミのようだ。
『ぼく』がこのサンディエゴ・ビーチホテルに宿泊し始めてから、今日で二日が経つ。
窓から見えるビーチは、日に日に人の数が増えていった。レースが始まるまでまだあと二日もあるというのに、当日のことを考えると既に憂鬱だ。
人が集まるところには商売がある。ビーチにはテントが建ち並び、屋台やサーカスなんてものも出店されているが、これだけ人が多いと部屋の外に出る気にはなれなかった。
新聞社の取材を受けるときと、愛馬の世話をするとき以外はずっとこうして部屋に篭っている。
「…………」
だが……『ぼく』は今日、この熱気に溢れるビーチへと足を踏み入れなければならない。
必ず現れるであろう、とある人物と『
♢
砂を踏んで歩く。
せっかくビーチに来たというのに、人混みとかテントとかのせいで海なんか全然見えないし、なにより風向きによってはものスゴい悪臭が漂ってきた。
ただでさえ、人と馬のニオイと海風の香りが混ざりあったのが夏の日差しで煮詰まっているというのに、人が多すぎて急造のトイレがブッ壊れているらしかった。
できることなら今すぐにでも部屋に戻って休みたいが、そういうわけにもいかない。
『ぼく』が鼻をつまんで辛抱強く耐えていると、群衆がにわかに騒ぎ始めた。
耳をすまさなくとも、どこからともなく噂話が聞こえてくる。
「近くで決闘騒ぎが起こっている」と。
人の流れに従って歩いていけばすぐに、人混みの中で妙に開けた空間にたどり着いた。
緊張感の中心に、二人の男が向かい合っていた。
一方は、地面に膝を着いている。
そしてこちらに背を向けて立つ、もう一方は……。
…………初めて
一般的には拳銃が収まっているであろうホルスターに、金属製の球体が収まっている以外には。
「おまえらっ! ここで何やってる!?」
決着は一瞬だった。
スリの男は、駆けつけた保安官が声を荒らげた隙を狙って地面から拳銃を拾い、『彼』に向けた──が、男が引き金を引くよりも先に、『彼』が投げた“鉄球”が男の腕に命中した。
鉄球は回転しながら男の腕を上って、跳ね返ったように『彼』の手の中に戻っていく。
「このクソ野郎がァーーッ!」
激昂した男が引き金を引く──瞬間、男の手首がグルンと“回転”した。
銃口が反転したことで、拳銃から放たれた弾丸は自らの頭をブチ抜くことになった。
砂浜に血と肉が飛び散って、決闘は終わる。
この時代では決闘は合法で、殺人行為には当たらない。保安官は、決闘に勝利した『彼』には何も言わず、部下と思われる人間に、地面に倒れている男の死体を片付けるよう指示を出した。
『彼』は地面に置いていた自分の荷物を抱え直して、どこかへ去ろうとする。
「──失礼、どいてくれ! すまない!!」
『ぼく』は急いで前の人混みを掻き分けた。
なぜなら今、数メートル先に居る『彼』こそが、僕がわざわざこのビーチにまで来て探していた人物だったからだ。
「そこの君、止まってくれ!!」
「……」
『彼』が立ち止まって、振り向く。
長い髪が風に靡いて、帽子の影から、緑色に
────まるで大好きな漫画本の一ページ目を開くその直前のように。
忘れたい過去。覚悟。犯した罪。絶望と失望。「美しいもの」。もはや縋るしかない希望。
それらすべてが、僕の頭の中を駆け巡る。
「あーッ! こんなところにッ!」
刹那、『彼』と僕の間にあった沈黙を切り裂くように、僕の背後から叫び声がした。
ハッと気がついて、呼吸を取り戻す。無意識に息が止まっていた。
「スタート当日までホテルから出ないようにと旦那様に言いつけられておられるでしょうッ! まったくもう!」
声を上げたのは、『ぼく』の実家から勝手についてきた従者だった。黙ってホテルから抜け出した僕を探していたらしい。服の裾を掴まれて、何か話しかけられているが、僕は決して振り返らなかった。
もし僕がこの視線を逸らしたら、怪訝な顔をしている『彼』は、すぐに立ち去ってしまうだろう。
「………………」
「聞いてるんですか、坊ちゃん? あなたはレースの最有力優勝候補! スタート前からどんな妨害に遭うかわからないのですから、勝手な行動は控えていただかないと!」
「お、おい見ろよあの顔。今朝の朝刊でも見たぜ」
「まさかだろ……確かに出場するって話だが、ホンモノかよッ!?」
「握手頼んでみるか!? ご利益ありそーだしよぉ」
騒いだせいで周囲からの視線が集まって、『ぼく』の顔に気付いた人々がざわめき始めた。
そう、目の前にいる『彼』は当然、知らないことだろうが…………。
僕は
その傍ら、数々の大会に出るうちにいつの間にか、特定の界隈では知る人ぞ知る、まあ、ちょっとした有名人になっていた。
今朝呼んだ新聞の優勝候補特集コーナーでの、『ぼく』の紹介文はこうだ。
────「アメリカ競馬界の名門中の名門、ジョースター家の一人息子!クラシック三冠の騎手最年少記録を全て塗り替えた、まさに『神が遣わした天才』!」
「ぼくの名前は『ニコラス・ジョースター』」
ジョースター家の長男。
アメリカ競馬の第一線を駆ける超新星。
──
「どうか、君の名を聞かせてほしい」
「…………ナンパなら他を当たれ……。おまえさんがオトコ好きだろうが、別に背教者だとか思わねぇしまったくもってどうでもいいが……オレを巻き込むことだけはするな」
「────えッ? い、いや…………」
この物語は────僕が『取り戻す』ための物語だ。
……まあ、良い奴なんだよ。