あしらわれることは覚悟の上でも、そんな言い方をされるとは思いもしなかった。
僕がポカンとしているあいだに、『ぼく』の従者が身を乗り出して、朝刊を見せつけながら「この田舎モンがッ! 誰にクチ聞いてんだッ! このお方は……」とやいのやいの言ったので、『彼』はうんざりしつつも、僕が怪しいものではないことをひとまず理解してくれたようだった。
『彼』が宿泊用テントを借りる手続きをしに行ったのを待つあいだ、僕はテントの近くにあった小さな放牧場の柵に肘を着いて、芦毛の馬が草を食んでいるのを見ていた。
あの特徴的なブチ模様を見るに、品種はアパルーサだろう。レースまで残り二日しかないのにまだ売れ残っていたらしく、馬売りがこれ幸いにと売りに来たので、さっさと買いとってやって追い返した。
僕は僕が『ニコラス・ジョースター』であることを抜きにしても、馬という生き物が好きだ。
この家に産まれて、初めて馬と触れ合ったときには、感動した。これほどまでに、力強さと賢さと美しさを兼ね備えた生き物がいるのかと。
馬と触れ合ってる時だけは、将来への不安とかどうしようもない怒りを忘れられて、心が安らぐのだ。
……馬と通じ合える(ような気がする)のは、僕が『ニコラス・ジョースター』であることに由来する才能……一種の“能力”のようなものなのだろうとは思うけど。
「で? 貴族の末裔のお坊ちゃんが、“田舎モン”のオレに何の用だよ」
気付けば、僕から少し離れたところに、放牧柵に凭れた『彼』がいた。
「君も『お坊ちゃん』側の人間だと思うけど」
「………………」
反論はなかった。
……何の用、と言われてもだ。
僕がこのビーチに来た理由は、フラグを立てる……または、イベントを回収するためだ。『彼』と出会えた時点で、僕の目的は終わっていると言ってもいい。
名前を聞いたのは、聞いていないはずのことを口走って怪しまれる前に把握しておきたかったから。
……あまりにも
「まだ君の名前を聞いてないな」
「なんでヤローにわざわざ教えなきゃあなんねーんだよ」
「僕は名乗った」
「有名人なんだろ?」
「君の父上はそういうふうに教えたのか?」
「…………『ジャイロ・ツェペリ』」
……ジャイロは僕を恨めしそうに見て言った。親を引き合いに出すのはズルい手だったが、仲が良好なのを
「ジャイロ」
「ツェペリ
「歳、近いだろ……。師匠にでもなってくれるってんならそう呼ぶけど? さっき見た君の『鉄球』の技術、教えてもらえるものならぜひ教わりたいしな」
「あぁ?」
感触は良くなかった。当然だ。
僕の両足は地面を掴んで立っているし、劇的な出会いになろうはずもない。
たとえば“もう一度自分の足で立ち上がりたい”とか、“医療ミスで永遠に視力を失った”とか、そういう憐憫を誘う『切実さ』が僕にはない。彼もそんな奴に教えてやる義理はないだろう。
「無理か……。仕方ない。そういうのは一子相伝なイメージがある」
「……」
「なあ、ジャイロ」
僕は肘を着くのをやめて、彼の方に向き直った。
「単刀直入に言う。僕と組まないか?」
「……」
「このレースの本質はサバイバルだ。独りで戦うより、誰かと協力した方がいい。君は強そうだし、僕の実力はアメリカ中の新聞社の折り紙つきだぜ。悪い話じゃあないと思うよ」
「へ〜〜え……確かに悪くないアイデアだな。プロの超人気ジョッキーがわざわざこのオレの優勝のためにお手伝いしてくれるなんて……ありがたいぜ」
「だろ?」
「…………」
………………。
三拍くらい置いて、彼は僕の方を向いた。
「────なんだと?」
「僕が君を優勝させてやるよ。ジャイロ・ツェペリ」
「…………」
……ジャイロは僕の顔を見たまま固まってしまった。
きっと、優勝候補の僕が踏み台を求めて声をかけてきたとでも思っていたのだろう。見当違いもいいところだ。
僕は周囲をキョロキョロと見渡して、辺りに人影がないことを確認した。
「……ここだけの話……僕は『優勝』に興味はない」
「…………」
「別の目的がある。敵が多い道だ。だから腕の立つ協力者が欲しいんだ」
「……レースの……
「────まだ秘密だ。明かしたくないことの一つや二つ、許し合おうじゃあないか、互いにね」
『彼』が信頼するに足る人間だと言うことを僕は既に知っているが、情報を持ち逃げされるのは面白くない。向こうのことは教えてもらえないのに、こっちばかり教えていたら損だ。ただでさえ、しらばっくれなければいけないことが多いのに。
「自慢じゃあないが、僕はこと馬のレースにおいてはアメリカで一番と自負してる。並の協力者じゃあ、僕の背を追うことすらできない。
その点で言っても君はかなり理想的だ……さっき見た感じだと、君の愛馬は『逃げ馬』だったからな」
これは僕が知識として知っているということもあったが、一応、見るだけで薄らとわかることはある。
大抵の馬は『ぼく』に対して好意的に振舞ってくれるが、彼の愛馬は「誰あなた? ふぅんなかなか悪くないけど、私のジャイロに気安く話しかけないでよね」といった雰囲気を醸し出していた。
僕は彼の目の前まで歩いて、顔を寄せて声を潜めた。
「もう一度言う。僕の目的は『優勝』じゃあない。目的を果たすことさえできれば、ゴールの手前で立ち止まったっていい。
だから僕は君に一着を譲る。僕は二着につけよう。ライバルからの警戒は分け合って二分の一だ……なんにせよ君にとって悪いことにはならない」
「────それをどう信じろってんだ? どうも勘違いしてるようだから言っておく……オレとおまえさんは今日が初対面なんだぜ」
「今すぐ決めろなんて言わないさ。君が『逃げ』を打つ気ならどの道、僕と競ることになるしな」
僕は知っている。ジャイロ・ツェペリの道行には様々な困難が……具体的に言うと本国からの刺客が現れる。
敵が現れた時にたった一人では命がいくらあっても足りないということを、『彼』は嫌でも思い知ることになるだろう。
……いや、この男なら一人で何とかしそうな気もしないではないが……。
まあ、まだ焦るような時間じゃあない。彼もこのビーチに来るまでの移動で疲れているだろうし、これ以上無理に勧誘するのは逆効果だ。
何より僕自身、一刻も早くホテルに戻って休みたい。
僕はジャイロから一歩離れて、柵の中で暇そうに棒立ちしている芦毛の馬に呼びかけた。
「スローダンサー」
馬は、僕の声に気付いてゆっくりと寄ってくる。
彼を買い取るのは前々から計画していた。約6000kmを完走するだけの素質があるというのに、
呼びかけに応えてくれたので首と頭を撫でると、心なしか嬉しそうにした。
「おまえさん、こいつでレースに出場するのか」
「いや、愛馬はホテルの馬房に預けてる」
「…………馬の乗り換えは禁止されてるぜ」
「弟に贈るんだ……従者に連れ帰らせるよ」
「………………」
弟はこの馬を気にいるだろう。……そうであればいいなと思う。
僕はスローダンサーに手綱をつけて、柵の外に連れ出した。
そうして、来た道を引き返そうとして────柵に凭れたままのジャイロの前で立ち止まった。
「レースが始まる前に……僕から君にひとつ助言をしておく」
「?」
ジャイロは片眉を上げた。
今の時点で僕から言えることは、ただひとつだけ。
「ゼッケン番号A-777……ポコロコとは絶対に関わるな。
「…………」
1890年9月25日、午前10時前。
スティーブン・スティール氏のスピーチの後、割れるような歓声が大地を揺らしている。────『サンディエゴニューヨーク』!!『サンディエゴニューヨーク』!!と繰り返しに。
僕は黒鹿毛の愛馬に跨って、息をついた。
いよいよレースが始まる。
失敗の許されない、『ぼく』の人生の大一番が。
『優勝候補たちが入って来たァーーッ!!
アメリカ競馬の星! 我らのジョーキッド、ニコラス・ジョースターがいるぞッ!!
おォーっと、あれはカウボーイのマウンテン・ティムだッ!!
イギリス競馬界の貴公子、ディエゴ・ブランドーの姿も見えますッ!!』
爆音の放送を聞き流しながら、スターティング・グリッド内に立つ。
『サハラ流浪民、ウルムド・アブドゥルもラクダで入って来た!モンゴルから来たドット・ハーンもいるッ!』
『スタート時刻5分前まで迫りましたッ! グリッド内に入る時間はあと3分! 3分以内に各自番号のグリッド内にお並びくださいッ!』
僕のゼッケン番号は『A-001』。
……一年以上前に「こういうレースを企画してるのでご子息にもぜひ出場していただきたい」と言われた父が勝手に了承して、いつの間にか決められてた番号だ。
これは参加選手の中で最も若い英数字で、僕に対する主催側の期待をこれでもかと主張している。
そして当然、隣のスターティング・グリッドに並ぶのはゼッケン番号『A-002』の選手だ。その人物はこの『ぼく』と同じくらいの期待を主催側からかけられているということ。
僕の視界の端で、さっきからこちらを痛いほどの睨みつけてきている、銀の馬に跨った金髪の青年。
圧に負けて視線をやると目が合って、青年の眉間にクッとシワが寄って、切れ長の目が細められた。
「今度こそあんたを負かして一着になる……勝つのはこのディエゴ・ブランドーだ」
「……お互い頑張ろうじゃあないか」
「フン」
「………………」
口角を上げて愛想良く返してみても、ツンと前を向かれた。
…………昔、ジョースター家が英国に一時的に滞在していたころ。まだ幼かった彼、ディエゴがホットウォーカー*1のバイトをしに来ていた。
僕と彼との会話がなかったわけじゃあない。むしろ、他の厩務員より関わりが深かったかもしれない。弟と歳が近いこともあり、僕なりに彼のことを可愛がっていたと思う。
だけど、あれから年月が経ち、彼が祖国イギリスでデビューしてお互いにプロ騎手になってからというもの、こうしてあからさまに敵視にされている。
ディエゴとはこの数年のうちに国際レースで何度か戦った。
結果は今のところ僕の勝ち越しだ。
今回の『スティール・ボール・ラン』主催側も、僕の方が結果に期待できると踏んでいるのだろう。アメリカは僕のホームグラウンドなんだから当然とも言えるが……。ディエゴはプライドが高いので、嫌われてしまうのも無理はない。
「…………」
僕が出場するのはやむを得ないこととはいえ、彼の“一番”の席を奪っている事実にあまりいい気分はしなかった。
『いよいよスタート時刻二分前!! 参加者総数3652名!
各馬グリッド内に入っていきますッ 列の向こう側が見えません!!』
『ビーチ沿いに全員が並びますッ!なんという圧倒的な光景でしょう!』
始まりが刻一刻と近づいてくる。
僕はこのレースに何としても勝たなければならない。
どんな手を使ってでも。全長四キロメートルのスタートラインに連なるライバルたちの、誰の何を踏みにじってもだ。
訓練を積んだ。打てる手は打った。できることはした。
あとは駆け抜けるだけだ。
『世紀の事件がいよいよスタートしますッ!』
手を伸ばし、愛馬の首を軽く叩く。
「行こう────『B-グッド』」
『「スティール・ボール・ラン」スタート時刻ですッ!!』