第一ステージは、サンディエゴビーチから15,000m先にあるカトリック教会がゴールとなる、短距離スプリントレースだ。
一着には1時間のタイムボーナスと、賞金10,000ドルが与えられる。
スタート地点から近いこともあって、気球による監視が行われているため、ここで襲ってくる刺客はいない。
────だからまあ、正直ここで急ぐ意味は、僕にとってはあまりない。
『二頭だけ3600の群れから飛び出したものがいるぞッ!
何者なのか〜〜!?ゼッケンを確認しますッ!
速いッ!速いッ!すごい加速で走らせているッ!信じられないスピードだッ!すごいぞッ! 「
『一人はゼッケン001ッ!!ニコラス・ジョースターだッ!ニコラス・ジョースターだッ!!そしてもう一人は……ツェペリ……ジャイロ・ツェペリと記録されていますッ!!
スゴいッ!二頭が群れを抜け出たーーーッ!!
総距離6,000kmにもなるスティール・ボール・ランレース! この超超超序盤から熾烈な先行争いィーーーーッ!!』
3600頭の馬の足音が地鳴りのように響き渡る。スタート前はあんなにうるさかったナレーションが全く聞こえない。
『彼』──ジャイロ・ツェペリと僕が飛び出したことで、後続の馬がつられて混乱して多重クラッシュしている気配がある。
その後ろから、スタート直後に飛ばした僕を「えっ」って顔で見送ったディエゴが、気を取り直して追いかけてきていた。
僕の愛馬「B-グッド」は元々気性が荒いので、ジャイロの愛馬「ヴァルキリー」と競り合うことに高揚している。
だが若い頃とは違い、内面には確かな冷静さがある。もうずいぶん人にも慣れた。普段は噛み癖も蹴り癖も見せるが、騎手を落馬させるなんてことはそうそうないだろう。──僕もこいつも、八年前とは違うのだ。
ふと、僕の斜め左前にいるジャイロに向かって、後ろから迫ってくる影がある。
馬よりも巨大な影はラクダ。僕と同じく優勝候補とされているウルムド・アブドゥルだ。
ヴァルキリーがラクダに体当たりされて姿勢を乱され、スピードを落とす。僕の方は先んじて横に距離をとったので巻き込まれることはなく、スピードを維持したままジャイロとウルムドより前に出た。
僕が次に振り向いて見た時には、ウルムドは既にサボテンの中で転倒して気絶していた。──まったく、名前負けしている騎手である。
早くも丘陵地帯が終わろうとしている。
ジャイロは僕の五馬身後ろ。そしてそこからおよそ二十馬身後ろにディエゴがつけている。あとの軍団は
スタートから3,000m地点。前方に枯れた川と橋が見えてきた。
(ちなみに
先頭にいるとレース展開が見えにくい。いつの間にやら、僕の背後でディエゴがジャイロと並んでいた。
僕が二人より数秒先に橋に入る。
────背後で凄まじい音がして、振り返ると木製の橋板がバキバキに砕けていた。
ジャイロは依然僕の後ろにいるが、ディエゴは橋を渡りきれず立ち往生しているのが見える。
「(ここまで
僕の愛馬の消耗も想定内に収まっている。
僕はあえてじわじわと馬のスピードを緩めて、追い上げてくるジャイロを僕のすぐ斜め後ろにつけさせた。
「……おい……お前さんよォ〜〜……」
「
「……!?」
テクニックは色々あるが、少なくとも『風圧シールド走法』はこの世界でも確実に有効な技。使わないのは損だ。ヴァルキリーには悪いが、先頭の景色を譲ってもらおう。
蹄の音が響いているのに、不思議と相手の声は届いてくる。ジャイロは僕になにか文句を言いたそうな雰囲気だったが、その後は何も言わずに僕に続いた。
『さあああ〜〜〜いよいよゴールまで6000mの看板を越えたーーーッ!
依然トップはニコラス・ジョースター!そのすぐ後ろにジャイロ・ツェペリが追走ッ!!
後続との距離はおよそ60から70馬身と広がっている! 圧倒的ッ! このまま二人きりのレースが続いてしまうのか!?』
「あ〜〜〜……おいあんた……ニコラスとかいったっけ? ここまでくっついてもらって悪いんだが──」
「──ああ、
『どうしたんだ!? 先行の二人がコースを外れています!! 右に外れてるッ! ニコラスとジャイロが揃ってコースを大きく外れているッ!何を考えているッ!まさか先行集団!
“ショートカット”する気なのではッ! 先は雑木林! コースを外れて雑木林へ向かっていますッ!
コースを右に外れているーーーッ! “ショートカット”するつもりだーーーーーッ! この雑木林を突っ切れば走行距離が800から1,000m浮くことになるッ!
“ショートカット”だッ!林越えの“ショートカット”ォーーッ!!』
「……“知ってた”かよ」
前方の雑木林に向かって突き進みながら、ジャイロは面白くなさそうに呟いた。それを見た僕がつい口元を緩めたら、彼に気付かれてやたら嫌そうな顔をされた。
僕は当然、知っている。彼が林越えのショートカットを選択することを。
この
極論、僕の目的はこのレースの勝敗と関係ないからといって、確実性を取って遠回りなんてしない。してはいけないのだ。
『障害もありますッ!! 雑木林というより“森”! 木が密集しすぎていますッ! 危険な賭けだッ!木が多すぎて当然馬の速度も落とさなくてはならないし体力も使いますッ!!
だが仮に! 二人のどちらかが“ショートカット”に成功すれば差は決定的なものになってしまうッ!! 互いに譲りません! どこまでも続く二頭の一騎打ちッ!!
後続はどうする!?後続馬たちはどっちのコースを選択するッ!! 「雑木林」か!?「通常ルート」か!?
後続行ったああーーーッ!! ゼッケンA-777!! ああっとさらに六頭! 七頭! 後続がさらに続くぅぅぅーッ!!
ニコラスとジャイロが森の中へ姿を消しますッ!いったいどうなってしまうのかァーーッ!!』
一旦ジャイロとヴァルキリーから離れ、僕たちはそれぞれ雑木林の中に突っ込んだ。
僕は限界まで膝を曲げ、身体を折りたたんで愛馬に密着した。B-グッドは木々の隙間を縫うように進み、僕の頭や身体のスレスレのところを木の枝が掠めていく。
雑木林があるのは知っていた。そこに突っ込む必要があることも。
だから僕はこの八年間、人気ジョッキーとして多忙を極める中でも、暇さえあればこの愛馬とともに森へ川へ山へ行って訓練を重ねた。
経験を積んだこいつは、僕がどんな姿勢でしがみついていてもバランスを取って平然と走れるし、どれだけの隙間があれば問題なく通れるかを熟知している。
「てめぇ〜……マジに“譲る”気あんのか!?」
「フフ……君たちとは年季が違う!」
後続の姿は木々に遮られて見えないが、障害物に阻まれて進めずにいるのだろう。──そう、ただ一人を除いて。
ザザザザザザと何かが後ろから迫ってくる気配がする。ジャイロは後ろを二度振り返った。二度見だ。
「なんだ……あいつ!?」
「………………」
僕はジャイロより一足先に森を抜け出て、姿勢を整え、余裕を持って後ろを見た。
見知らぬ馬が木々の隙間を一直線に追い上げてくる。鞍上に人影はない。────騎手は落馬して鐙に引っかかり、木の根っこや石が転がる地面の上を引きずられていた!
「痛そうだな」
森の終わりに生えていた木々が突然
後続の騎手はジャイロに続こうとして、
「痛そうだな!」
「言ってる場合かよッ!!」
『おおお〜〜っとッ! 一頭!二頭!抜けて出てきたああ!! 来たッ! 来たッ! 馬が森を抜けて来ましたッ! ニコラスだッ! その2馬身後ろジャイロだッ! まだ続いている! 一騎打ちはまだ続いているッ!
成功ですッ!ショートカット成功ですッ! 正規のルートを走る集団からおよそ800mは差を────
何ィィィーーーッもう一頭いるぞッ! もう一頭森を抜け出てきているぞッ! せまっているッ! ジャイロに迫っている5馬身ッ! いや3馬身だッ!』
「本物だぞッ! やはりオレは本物のラッキー・ガイだったぞッ!
ウゥホォーーッ木の幹にブチ当たって体ごとはじかれたら鞍の上に戻れたぞオ〜〜〜〜ッ!」
ジャイロは奴をしきりに気にしているが、僕は気に留めない。なぜなら奴は僕の敵ではないからだ。
もちろん、このレースを優勝しようというジャイロにとっては、ある意味で最大の『敵』と言っても過言ではない。
ゼッケン『A-777』、ポコロコ。それが奴の名だ。
ゴールまで残り4,000m、長い下り坂が始まる。
2,000mのうちに高低差が約50m。ところによって勾配が30°にもなる。
下り坂はスピードを落として走りをおさえなければならない。最終直線の2,000mは平地だ。どんな気性難で闘争心の強い馬でも足をためなければいけない。
「『B-グッド』……心を落ち着けて……こらえるんだ」
僕は愛馬に語りかけた。別に速度をブッ飛ばしたってこいつがつぶれることはないが、それでは後続との差が広がりすぎてジャイロに勝ちを譲ることが難しくなる。
愛馬はいきり立っている。今のところは素直に僕の言うことを聞いて走ってくれている。だがこの長いレースでいつか我慢の限界を迎える可能性は否めない。
「一位を取らない」ことは長年言い聞かせてきたけど、やはり実際に走ると、勝ちたい気持ちになるんだろう。
「お前も好きになってくれよ……ジャイロと彼女のこと」
チラリと横目で振り返る──だがそこに彼の姿はなかった。
「ハッ」と気付く。僕の視界に飛び出して来る者がいた。いつの間にか隣に並ばれている。この下り坂で先頭を走っていた僕に追いつくには、常識ではありえない加速が必要だ。
「(ポコロコ!!)」
ポコロコの馬はガクガクとつんのめりながら僕を追い抜いていく。恐ろしいことをする。僕は愛馬の動揺をなだめた。
ジャイロはまだ後方で足をためていた。遥か後方の馬たちはポコロコにつられて加速してしまい、この下り坂に耐えきれず大きく転倒事故を起こしている。
ドバァッと──僕の前方でポコロコの馬が転倒した。
僕は
だがジャイロは違う。
僕が次に振り返った時にはもう、彼はその手のひらで鉄球を『回転』させていた。
「ジャイロッ! 言ったはずだぞッ! 奴と関わるな!!」
僕は後方に向かって声を張り上げた。
世の中、どうにもならないこともある。ポコロコは
そいつ一人が幸運になるということはつまり、周囲の人間は割を食って
「お前さんにも言えることだ……いつまでもケツ拝んでちゃあ〜〜……このオレの愛馬が泣くぜッ!」
「ッ!」
ジャイロは鉄球を投擲してしまった。鉄球は近くの岩場にぶつかって、砕く。
ポコロコが並の相手なら、落下した岩に進路を妨害されていただろう。現実はそうじゃない。
岩の上には
「なにッ!?」
「クソッ」
僕の愛馬、B-グッドは難なくジャンプして岩を避けた。
ジャイロへの忠告は逆効果になったかもしれない。だがこの事態はむしろ予定調和。そう悲観することじゃあない。
しかたがないと割り切って先を見る。先頭に人間が走っているのが見えた。馬に乗っているのではなく、人間がその足で走っている。
長かった下り坂が、終わる。
『何者でしょうかッ!? あの人物はッ! ランニングだッ!! 自らの脚で坂を駆け下りて行きますッ!
乱入ですッ! 速いッ! 速いぞッ! どこのルートを通ってきたのでしょうかッ!』
『「サンドマン」! サンドマン! 名前はサンドマンと大会に記録されていますッ! 超波乱です!予測不能ッ! 一位はサンドマンで最終直線突入だあーーーッ!!』
そう、悲観する必要は無い。ここまで「予定通り」。逆に言えば、この
彼は今もこうして加速して、僕とポコロコを追い抜いて仕掛けてきたのだから。
サンドマンが突っ切っていく岩場を僕たちは回り込み、最終直線に入るとそこには──ものすごい人数の観客からの大歓声が待っていた。
『すごいッ! 直線が見えたらすごい人の数だああーーーッ!!
この西の果ての地にッ! 見捨てられた荒野の終わりの教会にッ!
熱狂していますッ! 一万人ッ! いや! 二万人は確実に超えてるッ! 開会式よりも何倍も多いッ!』
『予想外ッ! 数えられませんッ! わたしにはとても何人いるか数えることはできませんッ!
何もかも未知の扉だーーッ! 『スティール・ボール・ランレース』ッ!』
何万人分の歓声が折り重なってワーワーと響いている。スタート時とは逆に、もはや馬の足音も聞こえないほどだ。
ゴールまで残り1,000メートルほどになって、先頭はジャイロ。僕とポコロコはほぼ並んでいる。
後続の集団の先頭はディエゴだった。無事に追いついてきたらしい。
『もの凄い勢いだあああーーッ! ゴール前に集まった観衆の声は大津波のようだあーーーッ! 到着する機関車の音が全く聞こえませんッ!』
ポコロコの馬は騎手がムチャクチャなのでかなり疲労がきているし、ジャイロの愛馬はペースこそ落ちていないもののまた再加速するほどの体力は残っていない。
これまで温存していたディエゴは十馬身以上後ろからかなりの追い込みで突っ込んでくる。
今、ジャイロより八馬身くらい先の方にまた、サンドマンが合流してきた。先頭はサンドマン。
「(……?)」
僕は何か違和感を覚えながらも、愛馬を走らせる。
サンドマンの強みはコースの大幅なショートカットだが、最終直線にはそれがない。純粋な脚力の勝負となれば、ウマとヒトの差はどんどん縮まっていく。
『サンドマンを追って四騎が襲いかかるぞッ! ジャイロ!サンドマンに三馬身ッ!
並んだ! 並んだ、並んだッ! サンドマンを追って四騎が並んだああーーッ』
僕の左隣にディエゴが現れた。僕の右にはジャイロが、そのまた向こうにポコロコが並ぶ。
『四騎の鼻が横一直線に並んだぁーーッ! さらにサンドマンが加速したッ! いやわずかにニコラスが出ているか! 残り100メートルになった!!
誰が一位になるんだ!? ゴール前のものすごい攻防となったああーーッ!』
B-グッドの力強い足が、進路上に落ちていた
僕は気付く────この位置に本来
【な…なんだコイツッ! バカなッ! ソコにダレかがいてイイハズがねェッ!!ソコにいるハズがねェんだッ!!】
「……!!?」
ポコロコの馬は限界だった。本当にじわじわとだが、向かい風に負けて減速しているように見えた。この争いから脱落していく。僕たちはサンドマンに追いつく。
僕はジャイロを見た。────
ゴールまで残り50メートル。まだ横並びなのはおかしい!
「
「!!」
僕は叫んだ。ジャイロからの返事はなかったが行動で示してくれた。元から彼が思いつくことなら、長々と説明する必要はない。
この横並びから、ジャイロがフッと抜け出て、また一段と加速する。そのマントに向かい風「サンタアナ」を受けて、帆船のように進む。
僕はそれを少し後から追いかけた。
つい追い抜こうとする愛馬を抑えながら、他の誰よりも絶好の位置で。
風と土、馬の躍動、人の熱気を感じながら。
『あと30メートル! 出たッ! 抜け出たッ!! ジャイロ抜けて来たッ! ニコラスも来る! ニコラス来る! ジャイロ先頭! ニコラス躱すか! ジャイロか! ジャイロだ! ジャイロ先頭ッ!ジャイロ先頭ッ!』
────僕は、彼の横顔を最初のゴール板に見届けた。
『ジャイロ・ツェペリ一着ううう〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!
ニコラス・ジョースター、クビ差で届かずッ! 大波乱の
栄冠を手にしたのはッ! ジャイロ・ツェペリだあああああーーーーッ!!』