GET BACK   作:今津

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#6 その名の宿命(さだめ) その②

 

 

 

中継地点の街から北へ50km。レッドキャニオンにて。

赤い土の渓谷の、馬がギリギリ通れるだけの幅しかない道とも言えない道を進むことしばらくして。

 

僕たちは『ゾンビ馬』と遭遇した。

 

「…………」

「…………」

 

岩肌に壁画がある。馬の首から上の部分を、荒々しいタッチで描いた壁画だ。

ちょうど、馬に乗った僕たちが腕を伸ばして届く範囲の、限界くらいの大きさで描かれている……これを描いた人物も馬に乗っていたのだろうか。

 

ジャイロが壁画の端っこの方に爪を立てると、絵の線に見えていたものがペリペリと剥がれて、紐のようになった。

彼はそれをクルクルと巻き取っていく。

 

「────つまりオレの祖国は、おまえの存在を知らないってことだ」

「……知られてたら困るな……僕が波紋使いだってことはこのレースに出場するまで誰にも知らせたことはなかったからな」

 

僕はイレギュラーだ。僕という存在を知るには、“知識”じゃあないホンモノの予知能力が必要になる。

「波紋」という万能薬を輸入してしまったせいで、回復手段をお役御免にしてしまったことには申し訳なく感じるが、この『ゾンビ馬』もいずれ役に立つことがあるかもしれない。

 

「…………で、なんなんだ? コレ」

「知らないよ。逆に聞くけどなんで君は知らないんだ? 僕にしてみればそれが意外だったんだけど」

 

僕の記憶が確かなら……『ゾンビ馬』について特に説明はなかった。だけど記憶の中の『彼』は特に疑問に思うことなく受け入れていた気がする。

 

中継地点で、祖国からの手紙を受け取ったジャイロが、便箋を読みながら「深い意味はない質問なんだが『ゾンビ馬』って聞いたことあるか?」と話かけてきたときには、戸惑ってしまった。

彼が知らないなら僕が知るわけがない。

 

「…………ま、深く考えなくていいんじゃあないかな。

 君の祖国という『身内』が、君の行動を支持してくれているってことだろ。それを認識できるだけで十分だ」

「…………」

 

これはスタンド能力なのだろうか? “疲れと傷を癒す縫合糸”……。例えば『クリームスターター』に近い感じの……まあ、想像するだけ無駄か。

 

「君と御父上はいい関係だな」

「………………おたくんトコは違うのか?」

「えぇ? 『ぼく』の父は……調教師としては国一番だけど親としてはダメダメさ。

 実子を育てるより、馬を育てる方が上手いんだぜ。

 父じゃなくて「ジョースター調教師」と呼びたいね」

「げえっ……聞くんじゃあなかった」

「ハハハハハハ」

 

ピッ、と最後の線が剥がれる。

糸玉になった『ゾンビ馬』が、ジャイロの手の中に収まった。

 

「行こう。モニュメント・バレーまでもうすぐだ」

 

 

 


 

 

 

2nd.STAGE(セカンドステージ)のゴール地点「モニュメント・バレー」まで残り約20km。

 

途中、参加選手のフリッツ・フォン・シュトロハイムが襲ってきたがこれを撃退した。

気球がこちらを見失っているのをいいことに腕を改造した機関銃をブッ放してくるヤバい奴だったが、奴はスタンド使いではなかった。前に襲ってきた刺客と比べれば、能力の読み合いが不要だった分だけあっさりと倒せた。

 

二人と二頭は広大な砂漠の終わりをゆく。

ザパラッザパラッと砂を蹴る蹄の音を聴きながら。

 

 

 

 

 

 

 

視界の半分を占める青空に、鳥の群れが飛んでいる。

愛馬と共に砂の上を駆けるジャイロ・ツェペリは、並走している同行者の方をチラリと見た。

 

半開きの口から、空気が吐き出されている。

それは、ジャイロが今までに出会ったどんな人間とも違う特殊なリズム。

だが……不思議なことに、彼の特殊な呼吸法は馬の呼吸と噛み合って、まるで人と馬が一体になっているかのように調和する──……。

 

「なあニコラス……おまえ、いつから『波紋』使えるようになった?」

 

同行者のニコラス・ジョースターは、ジャイロの方を視線だけで振り返って、すぐに進行方向に視線を戻した。

 

「…………だいたい八年か七年前かな。それがどうかしたか?」

「『波紋』のエネルギーには疲労を癒す効果もあるんだろ?

 おまえさんの「B-グッド」がやけにタフなのもそーゆーことか?」

 

ニコラスの愛馬、B-グッド。よく鍛えられた黒鹿毛のサラブレッドで、11歳の古馬と聞いている。

 

2nd.STAGE(セカンドステージ)開幕前に読んだ新聞によると、ジョースター家とは馬乗りの家系であるらしい。

ニコラス本人も言っていた通り、現在の当主──つまりニコラスの父親は騎手ではなく調教師だが、競馬界では既に生ける伝説的な存在だと書いてあった。

しかしレースの相棒に選ばれた“B-グッド”は、そんな父親ではなく、ニコラス自身が鍛え上げた馬だそうだ。

偉大なる父を頼らないことについてインタビュアーに尋ねられたニコラスは、

『父も納得しています。自分の力で走りたいのです。父の威光に頼らずとも、僕は強い騎手ですから、ご心配なく』

──そう、紙面で自信たっぷりに語っていた。

 

「ああ、そうだ。僕は常にこのB-グッドに波紋を流しながら走ってる。

 でも君は真似しない方がいいと思うよ」

「……なぜだ? 馬の体力が保つなら進行するスピードが格段に上げられる」

 

ジャイロとニコラスが手を組んでから、早くも二週間以上が経っている。

過酷なレースだ。

だがこの道中、B-グッドが疲れた様子を見せることは一切なかった。その目には常に力強い光が宿っているし、襲歩で呼吸が激しくなることはあれど乱(・)れ(・)る(・)ことはない。

こうして駈歩のペースを保っている今も……砂漠の日差しと気温に晒されていても、まるで高原の芝生を走るときのように、黒鹿毛の艶やかな毛並みとはち切れんばかりの筋肉が躍動している。

いつまでも、どこまでも、走っていきそうなほどに。

 

この『スティール・ボール・ラン』レースは、馬の乗り換えが禁止されている。参加選手の誰しも、馬の体調管理には相当な気を遣うはずだ。そうしないやつは遅かれ早かれリタイアすることになる。

正真正銘“無尽蔵”のスタミナを持つ馬など誰も所有していない。本来誰もがしなければならない休憩の時間を走りに当てられるようになれば、大きすぎるアドバンテージだが……。

 

「『波紋』は、高い素質を持つ者が、専門の機関でミッチリ一ヶ月死ぬ気で鍛えて、やっと一人前になれるかって塩梅でね。

 「波紋疾走(オーバードライブ)」を流すくらいなら一週間ほどでもできるようになるかもしれないが、それも一日の全てを修行に費やせる場合の話。

 レースの最中に片手間で鍛えるのは難しい」

「……」

「君はまだ初心者だから、一呼吸で起こせる『波紋』のエネルギーはまだ少ない。それを常に放出し続けるとなると、ヴァルキリーには良くても君の方が先に潰れることになる。

 何より────他の選手と差をつけすぎると、刺客からの攻撃が激しくなるだろうからな。レースはあくまで接戦を演(・)出(・)するべきだ」

「……それもそうか……」

 

ニコラスは淡々と説明してみせた。それはジャイロも納得できるものだった。説明無しに、やれ敵の能力はこうだの、あいつ絶対敵だから先制攻撃しろだの言われるのと比べれば、天と地の差がある。

 

彼の馬のように、愛馬ヴァルキリーを思う存分走らせてやりたい思いはあったが────『波紋』もまた技術。一朝一夕にはいかないということだ。

幼い頃、初めて父から『回転』の技術について教わり始めた時も、これほどまでに奥深いものがこの世に存在するのかと衝撃(ショック)を受けたものだが、『波紋』との出会いはそれに匹敵する。

敬意を払わなければならない。

 

……正直なところ。大きく美しく力強い、常に余裕たっぷりで魅力的な“オス”のB-グッドに、万が一…………ないとは思うが、万が一、吊り橋効果などで…………メスである愛馬ヴァルキリーが惚れ込んでしまうのではないかと、ジャイロは気が気ではないのだが。

 

ジャイロが渋い顔をしていたのがよほど口惜しそうに見えたのか、ニコラスは前を向いたままフッと鼻で笑った。

 

「末脚には使えるさ。

 次こそ一着を取ってくれないと困るぜ、ジャイロ・ツェペリ」

 

「…………」

 

────ニコラス・ジョースターという男は、常に冷静で、妙に肝が座っている。

少なくとも、ジャイロがこの二週間で見た限り、彼はそういう人間だ。

 

敵の得体のしれない能力に晒されて死にかけても、激昂することも泣きわめくこともない。

『波紋』という技術が“呼吸法”を力の源にしているゆえに、どんな状況に置かれても、肉体と精神を平静に保つ訓練を積んでいるのか。

あるいは、彼の立場では知っているはずもない、出処も根拠も不明な『知識』──自己申告では“占星術”と言っていたが──に、絶対的な自信があるかもしれない。

 

その“平静”は、人の精神を敏感に感じ取る「馬」という生き物を操ることにも大きく活きている。

それが彼を、レース開催前に新聞で読んだ売り文句『アメリカ競馬史上最優のジョッキー』たらしめる要因のひとつになっているのだろう。

 

「────おまえが味方で良かったと心底思うぜ」

 

だからこそ思う。

この男を相手取る『敵』のなんと気の毒なことか。

騎手としても、戦闘者としても、これほどまでに厄介な相手はいるまいと。

 

「そうだな…………僕もそう思うよ」

 

ニコラスはどこか遠い目をして、そう言った。

……思うところがあるのかもしれないが、まだ彼との付き合いが浅いジャイロには、それがなにかは分からない。

 

ジャイロとニコラスは互いに「壁」を作っていた。

「オレはおまえの事情には踏み込まないのだから、おまえもオレの事情に踏み込むな」。あえて口に出すこともない、そういう空気が二人の間に蔓延している。

いや──……ニコラスの方は既にジャイロの事情も知(・)っ(・)て(・)いて、本人の口から聞き出す必要がないにすぎない……なんてことも、もしかするとあるのかもしれないが。

 

「………………。

 でもよォ〜〜……これって素朴な疑問……そーゆーのってドーピングになるんじゃあねェーのォ〜?

 この『スティール・ボール・ラン』レースはなんでもアリのようだが……。

 フ(・)ツ(・)ー(・)のレースでやれば負ける要素ないじゃん。賭けが成立しねー……。

 それとも……アメリカの競馬っておたくみたいなバケモンがウヨウヨいんのか?」

 

新聞で呼んだ限り、ニコラスのレース勝率はおおよそ五(・)割(・)程(・)度(・)と書かれていた。曰く、ここまでの好成績は前代未聞らしい。

ジャイロの地元では競馬がそれほど盛んではなかったので、ジャイロ自身も競馬に明るい方ではないが……。

この目で見たニコラスの馬術を思えば、二回に一回は負(・)け(・)る(・)なんてのはむしろ不自然だ。

 

────ニコラスは怪訝な顔をした。

 

「……僕、今までのレースで波紋使ったことないけど」

「……エッ?」

「奥の手なんだからずっと見せずにいたさ。特にGIレースなんて誰(・)が(・)見てるか分からないしな……」

「お……おまえマジかよッ!? ニコラス・ジョースターッ! 組んどいて良かったァーッ」

 

こいつ、無敵か? 言うことがめちゃくちゃでも、こいつと敵対するようなことはしないでおこう。ジャイロは胸に決意を固めた。

 

「もういいだろ……見ろジャイロ。あれがモニュメント・バレーだ。

 ゴールまであと一、二時間って────」

 

 

ドシュッ!!

 

 

────遠くを見渡そうと、目の上に庇(ひさし)を作ったニコラスの左手に突然、穴(・)が(・)開(・)く(・)。

 

そしてその姿は幻のようにか(・)き(・)消(・)え(・)た(・)。

 

「なッ────なにィ……ッ!?」

 

騎手分の斤量を失ったB-グッドが異変を感じて急ブレーキをかける。

ジャイロも馬を止めた。瞬時に周囲を見渡してニコラスの姿を探す。だがどこにも見当たらない。

見晴らしのいい荒野だ。彼ほどの騎手が突然落馬するなんて考えにくい。なにより彼が消える直前、手に空いた穴────自分たちは今、間違いなく『スタンド攻撃』を受けている!

 

「ニコラス!? どこだッ!? 返事をしろ!! くそっ……!!」

 

主を見失ったB-グッドは耳を絞っている。気難しいが賢い馬だ。放っておいても問題は無いだろう。

ジャイロは気を研ぎ澄まして、見えない『敵』からの次の攻撃を待った。

……だがそれ以上の異変は一向に訪れない。

鳥の群れが飛んでいき、風が吹きすさぶだけ。

 

「(────狙いはオレじゃあねえって事か……!)」

 

今までの刺客はジャイロを優先的に狙ってきていた。それは祖国の因縁があるからだと思っていた。

そうでなくても、ただレースの上位者を狙った攻撃ならば、ジャイロも攻撃されていないとおかしいはずだ。1st.STAGE(ファーストステージ)で実際にゴール板を一位で通過したのはジャイロの方なのだから。

 

だがこの刺客の狙いがニコラスの(・)み(・)であるならば────ネアポリス王国絡みではない、別の陰(・)謀(・)が絡んでいる可能性が浮上する。

そう、ジャイロとニコラスがレース開始前に初めて顔を合わせた時、彼が語っていた「別の目的」の────。

 

敵の姿も、仲間の姿も見えない。ジャイロは馬と共に荒野に取り残されていた。

 

「どこだッ! ニコラス! ニコラスゥーッ!!」

 

 

────!!

 

 

『B-グッド』は突然前足を上げて嘶くと、一心不乱に走り出した。

 

ジャイロは一瞬戸惑うが、すぐに彼の馬を追って走り出す。

馬は敏感な生き物で、その中でもB-グッドは特に繊細な気質の馬だ。主人のところへ戻りたがっているのは間違いない。

もしかすると、長い訓練の時を共に過ごした主人の気配が、風に乗った臭いや音から分かるのかもしれない。

 

馬が向かっている先には岩山がある。

敵はそこに潜んでいるのか? ニコラスは戦っているのか?

生きていると信じたい。あの男が呆気なく命を落とすなど考えられない。

今は少しの手がかりでも縋らなければ。

 

「おまえ以上の味方は考えられねえッ……!!」

 

 

 

♢

 

 

 

ニコラス・ジョースターという男には謎が多い。

ジャイロもそうだが、彼はそれ以上に。

 

 

マスコミ、運営、観客、参加選手……。

それぞれ程度の差はあれど、このレースに関わる全ての存在は例外なく、ニコラス・ジョースターという騎手に注目している。

 

新聞は言っていた。ニコラスがこのレースに出場しているのは、優勝の名誉を目指すことと、運営の希望によるものだと。

だが本人は言っていた。「とある目的があり、それには敵が多い」のだと。

 

観客は言っていた。このレースでニコラスが親の手を借りないのは、親の七光りだと言われるのを挽回したいからだと。

だが本人は言っていた。「勝つためにはなりふり構っていられないと思ってはいるが、ただ父親との仲が良好ではない」のだと。

 

参加選手は言っていた。ニコラスの勝率が異常に高いのは、きっと父親の権威で八百長が絡んでいるからだと。

だが本人は言っていた。「スポーツは公正でなければならない」のだと。

 

────ニコラス・ジョースターは人気者だが、彼の本当のところは誰も知らないのだ。

内心は?正体は?目的は?

もし、それら全てを知っているものがいるとしたら、それは……。

本人か、あるいは全知全能の神に違いない。

 

 

 

♢

 

 

 

「あああああーーーッ……!!」

 

 

B-グッドに導かれたジャイロが岩山に近付いた時、叫び声が聞こえた。

ニコラスの声だ。彼の馬がためらいなく岩山を登っていく。

 

ジャイロは周囲を警戒しながらニコラスを探した。その間も慟哭は響いていた。敵の拷問でも受けているのかと嫌な想像が浮かぶ。

 

────やがて、地面に這いつくばっている男の姿を見つけた。

ニコラスだった。彼の傍には、先に辿り着いていたB-グッドが寄り添っていて、敵に攻撃されている様子はない。

いや──むしろその近くには見知らぬ……子供のような人間が倒れていて、既に『敵』を倒した後のようだった。

 

 

「ああああ!! あああああっ……!!」

 

 

脅威は去っているはずなのに、ニコラスは恐慌状態で岩の上を転げ回っている。尋常ではなかった。

 

「ニコラス!? 何があったッ!?」

 

ジャイロは急いでヴァルキリーから降りてニコラスの元に駆け寄った。パニックで叫んでいる人間に愛馬を近づける訳にはいかなかった。

それまでどこも見(・)て(・)いなかったニコラスの目がジャイロを映す。

 

「はッ……!! ──あ、あああああ……!!」

「お、おい……!」

 

彼の顔は涙に濡れ砂に汚れていた。胸元は血塗れで、両手を抱えて息を乱している。熟しているはずの波紋の呼吸すらできていない。

 

 

 

────脳裏に過ぎるのは、祖国の記憶。

まさに今から首を刎ねられると知らされ、牢から連行される罪人の姿。

 

 

 

「……!!」──息を飲む。だが精神の動揺とは裏腹に、染み付いた“手順”が体を動かした。

まずは落ち着かせるべきだ。ジャイロはホルスターから鉄球を取り出し……刺激しないようにそっと、ニコラスに触れる。

 

「う……ああああ……」

「落ち着け……おまえらしくもねえ……」

 

彼の動きが止まり、呼吸が静かになっていく。地面に頭をつけて、しとしとと涙を流す。

 

「うっ……うう……ううっ……う…………」

 

こんなふうに泣く人間だとは思っていなかった。

なんでも知っていると言わんばかりの、見透かしたような態度のこいつが……転んだ子供のように泣くなんて、誰が想像しただろう。

 

「で……話せるか?」

 

ニコラスはゆっくりと顔を上げて、ジャイロを見る。

 

「き……君の……赦しがほしい」

「……」

「赦してほしいッ……! “赦す”と一言言ってくれればいいッ! 赦しをッ……!」

「ああ赦すよ」

 

ジャイロは迷いなく答える。彼に対する信頼があったからだ。ニコラス・ジョースターという人間が、少なくとも悪人なんかではないという信頼が。

 

罪人のようだったニコラスは、今は懺悔室の仔羊のようにジャイロの胸に縋り付く。敵の攻撃を受けた左手が血を流して、服を汚した。

 

「こ、声が……声が聞(・)こ(・)え(・)る(・)んだ。『聖人』の声────だってそんなはずは……僕に……、

 僕にそんなもの聞こえるはずが────聞(・)こ(・)え(・)て(・)い(・)い(・)は(・)ず(・)が(・)な(・)い(・)ッ!」

「……え?」

「ハーッ、ハーッ、声が聞(・)こ(・)え(・)る(・)ッ! 『聖人』の声が!!

 そんなこと許されるはずがないんだッ!!」

 

「『聖人』? …………」

 

また取り乱し始めたニコラスの左手が、ジャイロの腕を痛いほど強く掴む。

彼の左腕には文(・)字(・)のように見える傷がビッシリとついていた。『movëre crũs』そして『Recupera』……いずれもラテン語だ。

意味は「脚を動かせ」そして「取り戻せ」……。

 

彼の手のひらには穴が空いている。

敵の攻撃による傷かと思っていた。だが……波紋の呼吸には傷を癒す力がある。ニコラスはさっきの一瞬、呼吸を取り戻していた。

その力で治(・)ら(・)な(・)い(・)のにはなにか意味があるはずだ。

 

 

『聖人』『ラテン語』『手の穴』『治らない傷』。

 

 

「………………」

 

ジャイロの頭から、血の気が引いた。

もし、もしこの勘が当たっているならば。ニコラスの取り乱し方にも合点が行く。腕(・)を(・)抱(・)え(・)て(・)悶えていた理由も。

 

言葉を紡ごうとする唇が震える。

恐怖……いや、畏(・)怖(・)によって。

 

 

「────『聖痕(スティグマ)』か」

 

 

奇蹟が今、目の前にある。

 

 

 

 

 

 

 

ニコラスは体を丸めて縮こまり、ジャイロの膝に顔を埋めて嗚咽を漏らした。その涙が服を湿らせ、脚が濡れても……拒んでやる気は起きなかった。

 

彼は全身の水分が枯れそうなくらい泣いてようやく気を取り直し、真っ赤に腫れた目元を拭った。ジャイロの膝は感覚が無くなるくらい痺れていたが、ニコラスの開口一番が謝罪だったので許してやることした。

ただ……大いなるショックだったのは理解するが、レース中にこんな事をしてる暇はない。

二人はゴールのモニュメント・バレーに向かって馬を走らせるペースを上げた。

 

 

道すがら、ニコラスは語る。

『敵』は体に触れてくるタイプの能力だったために、波紋疾走ですぐに対処できたこと。

だがその直後、既に治したはずの左手に激痛が走り、手のひらの穴が血を流しながら拡がっていったこと。

────背後に誰(・)か(・)の気配を感じ、語りかけられたこと。

 

「“お前の旅において、『ニコラス』は縁起の良い名前だ”と……」

「…………」

 

ニコラスという名前の由来といえば、聖ニコラウス。

…………かの聖人が守護するものは色々あるが、例えば『子供』『船乗り』……『無実の罪に苦しむ人』などがある。

 

「……その『聖人』の声は今も聞こえてんのか?」

「今は聞こえてない。……僕が取り乱しすぎたせいかもしれない……」

「ああ……」

 

聖人というのは得てして慕われるものだが、それが後ろから話しかけただけで過呼吸になるくらい怖がられたら、困惑もするだろう。

 

「…………。

 ……なあジャイロ、すごく言いにくいんだがその……」

「なに?」

「絶対誰にも言わないでくれないか? 僕がその……君の前ですごく取り乱したこと」

「………………」

「本当に……申し訳ないよ……本当に一生の恥だと思ってるんだ……」

 

ニコラスは鞍上で頭を抱えている。その目元はまだ赤い。

ジャイロはそれを冷めた目で見た。

動揺して、いい歳して泣きじゃくったのが恥ずかしいのはわかる。男相手に縋り付いたのが恥ずかしいのもわかる。念を押したいのはわかる。わかるとも……。

だが──「お前はこの恥を誰かにばらすかもしれない」と暗に言われているのと同然なのが、かなり心外だった。ジャイロ自身、なぜこんなに気に食わないのかもわからないほどに。

というか、言いふらしたら何かしらの天罰が下る気がしてならない。

 

「……お望みならアレをネタに一生強請(ゆす)ってやってもいいぜ」

「そうしてくれッ! 君にならいい!」

「おめーなあああ、そーゆー反応が一番つまんねーのわかってんのか!?」

 

いちいち気が削がれる反応をするやつだ。同行するのはいいがこういう面には付き合っていられない。

人間味を感じたのも気のせいだったのかもしれない……こいつは人間離れしすぎている。

 

呆れから気を取り直して前を見れば、2nd.STAGE(セカンドステージ)のゴールがもうすぐそこに見えていた。

 

「要するにお前の目的はその『遺体』を集めることで、レースの順位に興味はない。

 オレが一位でおたくが二位ってことでいいなッ!」

「ああッ! 次こそ一位を取ってくれよ、ジャイロ・ツェペリ!

 ────運命を変えてくれ!!」

 

 

 

 

『2nd.STAGE(セカンドステージ)ゴール前! またジャイロだッ! ここでジャイロが跳び出したぞォォォーーッ!!

 残り直線で600mッ! 過酷な自然地形ッ! 容赦のない気候条件ッ! スタートから18日目はるばる越えて来たぞッ! 行程1,200km!!』

『だがモニュメント・バレーに近付いてみればやはり先頭に揃ったのは馬術の実力のある者たち!!

 1st.STAGE(ファーストステージ)の再現だああーーーーッ!!』

 

 

無数の観客。新聞の紙面が紙吹雪のように舞い散る中を、ジャイロを先頭にニコラスとディエゴが飛び込んでいき、そのすぐ後ろからサンドマンが追っている。

 

 

『ここでディエゴ・ブランドーも加速したあーーッ! サンドマンも驚異の脚力で熱砂を跳ぶッ!』

『ジャイロが更に加速するッ!! 離すッ! 離していますッ! なんということでしょうッ! 抜けている!』

 

 

戦乙女(ヴァルキリー)の脚に力が迸る。常識では考えられない速度で。常識では考えられないスタミナで。

まるでなにか────天(・)が(・)味(・)方(・)し(・)て(・)い(・)る(・)か(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)。

 

 

『ニコラス追いつけないッ! ジャイロが抜けるッ!! ドンドン離すッ!リードは二馬身! 三馬身!! ディエゴが食らいつく! ジャイロ! 強すぎるッ!!』

 

『ゴォォォーーールッ!!

 ジャイロ・ツェペリ一着ぅぅぅぅーーッ!!

 二着ディオ!! ニコラス・ジョースターは三着だあああーーッ!! 四着サンドマンッ!!』

 

『止まりませんッ! 先頭グループ走行をやめませんッ! 休憩を取らないつもりだッ!

 各選手このままレースを続行するつもりですッ!

 3rd.STAGE(サードステージ)突入だあああーーーッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

ゴール板を通り過ぎ走り去っていく選手たちの後ろ姿。

レースの熱狂を見守る者がいた。

 

「来れたのか……。ジャイロ……ニコラス……。

 だが…………わたしは君たちを助けることはできない………………」

 

 

 


 

 

 

「気球上からの報告です。『ポーク・パイ・ハット』がしくじりました……。

 大統領……彼はもう再起不能です」

「………………。

 そんなのは外を見ればわかるだろう……。二人が揃って楽しそうにゴールしてるんだからな……。

 わたしの知らない情報を言いたまえ」

「…………。

 何を意味するか分かりませんが現場の岩肌には無数の文字が刻まれていました……。

 『movëre crũs(モヴェーレ クルース)』。ラテン語であり英訳すると『脚を動かせ』」

「………………フム」

「そしてポーク・パイ・ハットが戦っていた相手はジャイロ・ツェペリではなくニコラス・ジョースターであることが判明しました。

 現場の足跡情報でわかります……。

 つまり「遺体」を隠し持っているのはニコラス・ジョースターの方です。ジャイロではありません。

 「遺体」のどの部分かはわかりませんが……」

「………………。

 『アマタリアのヨセフの地図』によると遺体は全部で九(・)つ(・)に分かれて大地に散らばっている。

 ポークパイハットが倒されたというのならニコラス・ジョースターは次の遺体を探そうと決めたということらしい。彼に見つけさせるのもいいだろう。

 とにかく……あの方の「遺体」は……これで「二つ」見つかった。

 もしジョースターが次の「ロッキールート」で見つけるなら「三体」揃うことになる。

 刺客を向かわせろ」

「はい……既に向かわせております……大統領」

 

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