ロシア連邦、異世界にて飛躍する   作:兎の助

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番外編
第一話:変わりの季節


2030年5月27日 ハティリア王国 フォルドン王城

 

国交樹立の調印式が終わった夜、エルドバラン国王は一人、執務室の窓に向かって立っていた。

 

月明かりが、フォルドン港を静かに照らしていた。その岸壁には、ロシアのフリゲート艦がまだ停泊している。灰色の船体は、夜の闇の中で淡く銀色にも見える。

国王は、窓の外をしばらく見つめた後、深く息を吐いた。

 

今日、自分はハティリア王国の歴史を変えた。いや、それどころではない。この大陸、いや、この世界そのものの歴史を変えた。

 

あの鋼鉄の船と共にやってきた国、ロシア連邦。その技術の深さは、まだ把握すらできていない。しかし、一つだけは確かだった。

 

この国と携わった以上、ハティリア王国はもう元に戻れない。

 

国王は、執務室に向かい、手に取ったのは、ロシア側が提供した「今後の技術協力の優先項目」だった。その資料には、多くの言葉が並んでいた。「発電」「インフラ」「医療」「鉄道」「通信」。

 

彼らが持っている技術の幅は、想像を絶していた。

 

「まず、何から始めるべきか…」

 

国王は、その資料を読み始めた。そして、そこに書かれていたことの一つ一つが、ハティリア王国の明日を形作っていくことになる。

 

 

エネルギーの夜明け――発電所の建設――

 

2030年6月初旬 フォルドン王城 技術協議室

 

ロシア連邦が最初に提案したのは、「原子力発電所の建設」だった。

 

ロシア側の技術顧問チームの筆頭、アレクセイ・コサレンコ博士が、会議室の一方に設置された映像装置の前に立ち、詳細な説明を行った。

 

「原子力発電とは、原子の核を分裂させることで、莫大なエネルギーを放出し、その熱で発電を行う技術です。1つの原子炉が発電する電力量は...石炭を燃やすのと比べると、燃料の量が桁を超えて少ないのです」

 

その説明を聞いているのは、エルドバラン国王のほか、首相エリック・ハートウェル、そしてロシア側の外交顧問アンドレイ・ヴァルコフ、国防顧問ペトロフ大佐らの重要人物たちだった。

 

コサレンコ博士の説明は、丁寧だが、ハティリア側の高官たちにとっては「原子」という概念自体がまだ理解の外にあった。

 

国王がこの提案を受け取った後、国内側の顧問たちとの閉じた会談に臨んだ時、ロシア側の外交チームの一人、エネルギー政策の担当者イリーナ・スタルコバは、率直に懸念を口にした。

 

「正直に申し上げます。原子力発電は、エネルギーの効率としては最も優れた技術です。しかし、その導入には、非常に高度な技術的知識と厳格な安全管理が必要です。そして…その危険性について、王国側に説明することが、非常に難しいと我々は判断しています」

 

スタルコバの表情は、静かだが深刻だった。

 

「なぜ?」と国王が促すと、スタルコバは一呼吸置いてから続けた。

 

「原子力は制御に失敗した場合、非常に広範囲にわたる被害を引き起こします。我国の歴史にも、その事例がありました」

 

「事例…?」

 

「チェルノブイリ原発事故」

 

その名前はロシア側の人々の間で、特別の意味を持っていた。スタルコバはその事故の概要を説明した。制御を失った原子炉が爆発し、放射性物質が広範囲に撒き散らされ、数十年にわたって周辺地域に深刻な影響を与えた事実を。

 

「つまり」とスタルコバは続けた。

 

「原子力は使い誤った場合の損害が、他のどの技術にも比べられないほどに大きい。そしてその損害を防ぐためには、国内の全関係者が放射能という概念を深く理解している必要がある」

 

「しかし、王国側にはその概念自体が存在しない」

 

「その通りです」

 

会談室は静かになった。

 

その後、ロシア側は長い内部検討を経た。チェルノブイリの悲惨な経験は、ロシア国民の心に深い傷を残した。その悲劇の二の舞になることは、絶対に避けなければならない。

 

まだこの世界の国家にも、放射能の危険性を正確に伝える手段も、それを理解する土台も存在しない。そのような環境に原子炉を導入することは、無根拠に無責任であると判断された。

 

「まず風力と太陽光で始めよう。建設期間が比較的短い。そしてその後、時間をかけて水力発電用のダムと火力発電所を計画する」

 

ヴァルコフはこのように決定した。エネルギーの導入は、段階的に進めるべきだと。

 

 

 

2030年7月〜9月 フォルドン郊外

 

フォルドン郊外の丘陵地、海岸に近い風の強い地域が、最初の風力発電所の建設地として選ばれた。

 

この地域は、季節ごとに強い海風が吹く場所で、以前は「風が強すぎて耕地として使えない」と住民たちが敬遠していたのだ。しかし今や、その「強い風」は、電力を生み出す資源となった。

 

風力発電の仕組みを説明するのに、最も適切な言葉を見つけるのに時間がかかった。ロシア側の技術者たちは、まず風車という概念を使った。アサヒノ国やギッフェア共和国にも、風の力で水を汲み上げる風車が存在していたため、「風の力を機械の動きに変換する」という基本的な概念自体は、異世界側にも理解できる。

 

「あの風車と同じ原理で、電気を発生させるのです」

 

ロシアの技術者が、土地に建設される巨大なタービン構造を指しながら説明した。

 

「風がタービンの羽を回し、その回転が発電機の中のコイルを動かし、電気が生まれる」

 

「電気…」

 

ハティリア側の技術者たちは、「電気」という概念にまだ慣れていなかった。しかし、その実用的な効果——光を発し、機械を動かし、遠方と通信できる——は既に体験していたため、「何が起きるか」は理解できた。「なぜそれが起きるか」の解説が、まだ難しかった。

 

建設には、ロシア側から派遣された熟練の技術者たちが中心を担った。しかし、ハティリア王国側の職人たちも参加した。土木のための基礎工事や、現地の地形への適応には、現地の知識が必要だからだ。

 

建設が進む中で、現地の住民たちも興味を持ち始めた。その巨大なタービン構造が丘の上に立ち上がる姿は、近方の村々から見える目立つ存在となった。

 

「あれが電気を作るのか…」

 

村の長老たちは、その姿を見て、半信半疑の表情を浮かべた。しかし、その不信感が消えるのは、後で「電気」そのものを体験した時のことだった。

 

 

 

太陽光発電の導入

 

風力発電と並行して、太陽光発電の導入も進められた。太陽の光を受けて電気を発生させる「太陽光パネル」は、まず王城やフォルドン市内の主要建物の屋上に設置された。

 

「太陽の光が…電気になる…?」

 

ハティリア側の技術者たちは、その説明を聞いた時、最初は理解できなかった。太陽は、空にある。その光は、暖かさを与え、植物を育てる。しかし、その光が「電気」に変わるという発想は、彼らの常識の外にあった。

 

しかし、実演が行われると、疑念は驚きに変わった。

 

太陽が昇る。その光がパネルに当たる。そして、パネルに接続された装置の針が動き、電気が流れていることを示す。

 

「本当に…太陽が電気を…」

 

ハティリア側の技術者の一人が、その装置を見つめながら呟いた。

 

太陽光発電の効率は、風力に比べると低かった。しかし、その設置の容易さと、「太陽が電気になる」という視覚的なインパクトは、異世界側の人々に深い印象を残した。

 

幾つかの住民たちは、最初のうちは「太陽が魔法を遣っているのではないか」と冗談交じりに言っていた。

 

 

水力発電ダムと火力発電所の長期計画

 

電気の安定した供給を確保するためには、水力発電と火力発電が不可欠だと、ロシア側の技術者たちは判断した。しかし、これらの建設には、風力や太陽光に比べてはるかに長い期間が必要だった。

 

ハティリア王国には、北部の山岳地帯から流れる大きな河川がある。その河川の上流には、深い渓谷があり、ダムの建設に適した地形が存在していた。

 

しかし、ダムの建設には、測量、地質調査、設計、工程管理…全てを異世界の環境に適応させなければならない。さらに、その河川の沿岸には、複数の村落が存在し、それらの住民への説明と移動の段階的な交渉も必要になった。

 

「水力発電ダムの建設は、数年単位の計画になるでしょう」

 

コサレンコ博士はハティリア側の技術者たちに説明した。

 

「しかし、完成した時には、この王国の電力の安定供給が確保される」

 

一方、火力発電所については、ロシア側は全く新しい提案を行った。

 

「火力発電所を、廃棄物焼却施設と併用した再生可能エネルギー施設として建設したい」

 

その提案を聞いた時、ハティリア側の高官たちは、最初は理解できなかった。

 

「廃棄物…焼却…?」

 

「はい」とコサレンコ博士は説明した。「都市から出る廃棄物——つまり、ゴミを燃やし、その熱で蒸気を発生させ、発電を行う。同時に、廃棄物そのものも処理できる」

 

「ゴミを…燃やして電気を…?」

 

「そのような…ゴミですら、電気に変えることができるのですか」

 

「はい。現代の技術では、廃棄物は単なる『捨てるもの』ではなく、『エネルギー資源』として扱うことができます」

 

その説明を聞いた異世界側の高官たちは、深く感心した。

 

「ロシアの人々は…何も無駄にしないのですね」

 

首相エリックが、静かに言った。

 

「ゴミですら、役に立つものに変える。その考え方は…我々には無かった発想です」

 

「この施設の建設には、約10年の期間が必要です」とコサレンコ博士は続けた。

 

「廃棄物の収集システムの整備、焼却炉の設計と建設、排ガス処理設備の導入...全てを段階的に進める必要があります」

 

「急がず、しっかりと進めよう」と国王は決めた。

 

水力発電ダムと廃棄物焼却火力発電所の測量と初期調査は、その年の秋には開始された。その後、設計と交渉が並行して進めていくことになった。

 

 

農耕機械の導入と異世界側の農家の反応

 

 

2030年7月下旬 ハティリア王国 中部農業地帯

 

フォルドン王城から南へ二日程度の馬乗りの距離にある中部の農業地帯は、ハティリア王国で最も広大な農業生産地の一つだった。

 

その地域の大半は、小規模の農家たちによって耕されていた。春になると一家の全員が畑に出る。父が種を蒔く。母が草を除く。子ども達も、できる範囲で手伝う。秋になると全員で収穫を行う。そのような生活が、この地域では何世代もの間続いていた。

 

ロシア側が「農耕機械の導入」を提案した時、最初の反応は「それは何だ」という困惑だった。

 

「農耕機械…とは…?」

 

地方の農村代表たちが、フォルドン王城での説明会に呼ばれた。その会議室には、ロシアの農業技術顧問、ドミトリー・ゴルブネフが立っていた。

 

「まず見せましょう」とゴルブネフは言った。

 

 

その翌日、中部農業地帯の一つの村の近くに、実演会が開かれた。

 

村の住民たちは、畑の畦道に並んで、見知らぬ機械を見つめた。それはトラクターだった。

 

全長約4メートルの鋼鉄の機械。後方には大きな耕機(プロウ)が取り付けられており、それが土に刺さって耕す仕組みだった。エンジンの音は、異世界側の人々にとっては馴染みのない音だった。定期的な低い轟音が、その機械の内部から発し続ける。

 

「あれは…何じゃ…」

 

年老いた村の長老が、その音に不思議な表情を浮かべた。

 

「生き物ではないのか…?」

 

「いいえ」とゴルブネフは答えた。

 

「これは機械です。エンジンという装置の中で燃料を燃やし、その力で動く」

 

「エンジン…燃料…」

 

長老は理解できなかった。しかし、実演が始まると、その疑問は急速に消え去った。

 

トラクターが畑に入り、エンジンの力で耕機を引いていく。土が、信じられない速度と深さで裏返されていく。

 

「な、なんじゃこれは!」

 

「あっと言う間に…!」

 

一時間で耕された畑の面積は、数名の強い成人男性が一日かけて耕す面積を遥かに超えた。

 

「これが…一つの機械で…」

 

長老は、その光景に言葉を失った。

 

同様に、コンバイン収穫機も実演された。田や畑に入り、穀物を刈り取り、脱粒までを自動で行う。一つのコンバインが収穫する速度は、数十名の手刈りの速度に匹敵した。

 

 

 

2030年8月〜10月 中部農業地帯各村

 

最初の導入は、王国の農業省と地方自治体が連携して、各村に1台ずつのトラクターと収穫機を配置する形で行われた。

その導入には、時間がかかった。まず、異世界側の農家たちに機械の扱い方を教える必要があった。エンジンの起動と停止。ギアの切り替え。燃料の補給。メンテナンスの基本。

 

最初のうちは、操作に慣れないため、田の畦道に突っ込んだり、耕機の角度を間違えたりする事態も起きた。しかし、異世界側の農家たちは、その熟練の手を持っていた。土の扱いを知っている。畑の地形を知っている。そのような知識と新しい技術が組み合わさると、習得の速度は予想以上に速かった。

 

そして、導入されたことで、最も大きな変化が起きたのは、「時間」だった。

以前は、一家の全員が畑に出る必要があった。父も母も、そして子どもたちも。幼い子どもたちは、畑で草を除く役割を負っていた。学校があっても、特に忙しい季節には通うことが難しかった。

 

しかし、トラクターが来た後、その状況は劇的に変わった。

草除きも土耕も、機械が大量に担うようになった。その結果として、子どもたちが畑に出る必要がなくなった。

 

「子どもたちに、勉強する時間ができた」

 

中部農業地帯の村の母親の一人が、その変化について語った。彼女の娘は、10歳だった。

 

以前、娘は一日の大半を畑で過ごしていた。土に触れ、草を除き、汗をかく。学校には通えるだけで、実際に勉強できる時間は限られていた。しかし今や、娘は朝から学校に通い、放課後も勉強や遊びの時間を持てた。

 

「娘が、初めて算数の成績を上げてきた時…」

 

母親の目には、湿った光があった。

 

「嬉しかった。本当に嬉しかった」

 

同様の声が、中部農業地帯の各村から上がった。親たちは、機械の導入を「技術の便利さ」としてではなく、「子どもたちの未来」として受け取った。

 

それは、ロシア側の技術者たちにとっても、予想外の感動だった。

 

「エネルギーでも武器でも技術でもなく、子どもたちの勉強の時間」

 

ゴルブネフは、その報告を受けた後、同僚たちに静かに語った。

 

「それが、この技術の本当の価値だと思う」

 

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