2032年12月5日 午前5時 ネレシア島沖合50キロの地点
シサフィール港を出発した揚陸艦部隊は、沖に停泊していたロシア・アサヒノ国連合艦隊と合流後、ネレシア島に向けて移動を開始した。
夜明け前、漆黒に包まれた海の上を艦隊は静かに航行する。旗艦であるキーロフ級ミサイル巡洋艦『ピョートル・ヴェリーキイ』の艦橋では、艦隊司令官のアレクセイ・クズネツォフ少将が、レーダー画面をじっと見つめていた。
「敵艦隊の位置は?」
「UAVにて捕捉中。ネレシア島周辺海域に展開しています。事前情報通り、竜母4隻を筆頭とした艦隊です」
少将の問いに、レーダー担当の士官が即座に報告する。帝国海軍はロシア側のUAVとレーダーによって完全に位置を捉えられているが、逆に帝国海軍側は連合艦隊の接近に一切気づいた様子がない。
近代海軍と帆船時代の海軍――その決定的な情報の非対称性が、如実に現れていた。
「了解した。全艦に通達する。我が艦隊はこれより、敵艦隊に向けたミサイル攻撃を実施する。総員、戦闘準備態勢を発令。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない」
司令官の冷徹な声を合図に、各艦内へとアラーム音が鳴り響き、乗員たちが慌ただしく動き回る。各艦のVLSハッチが重々しく開き、その穴から3M-54カリブル長距離巡航ミサイルの白い頭部が覗いた。
「アサヒノ国海軍の諸君にとってはこれが初めてのミサイル攻撃となるが、慌てる必要はない。これまでの訓練通りの手順を踏めばいい。諸君らの奮闘に期待する」
「全艦、対艦ミサイル発射準備完了」
クズネツォフ少将の言葉に続き、士官からの報告が艦橋の緊張感を一段と高める。乗組員たちは、それぞれの持ち場で最終的な計器の確認を行っていた。
「空軍との連絡は?」
「既に待機中との報告があります。合図があり次第、そちらも攻撃を開始するとのことです」
「よろしい。では――帝国軍の連中に、地獄を見せてやるとしよう」
午前5時半 ネレシア島周辺海域 帝国海軍 東部方面艦隊
ヘルマン提督は艦長室でコンパスを片手に、海図を睨みつけていた。
彼の心中は実に穏やかであった。自分に全責任を押し付けて逃げたことについては癪だったが、同時にあの
既にネレシア島周辺には東部方面艦隊の主力の配置が完了しており、各艦には島に接近する船や飛行物体を見つけ次第、迎撃するよう命令が下されている。
甲板上では、まだ暗さの残る時間帯だというのにもう水夫たちが朝の作業を始めていた。帆の点検やロープの確認、大砲や甲板の清掃など――。
マスト上部のクロウズ・ネストでは、若い水兵が望遠鏡を手に周囲を見渡していた。
朝の海は実に穏やかだった。波は静かに揺らぎ、風も弱い。航海には最適な天候だ。これが戦時中でなければ、のんびりと釣りにでもしゃれ込んでいたことだろう。
だがその時、見張りの水兵が奇妙なものを見つけた。
水平線の向こう。遥か遠くの洋上で、何かがチカリと何度も激しく光っている。それはまるで、雷雲の下で轟く稲妻の光にも似ていた。
「なんだ、あれは……?」
水兵がもっとよく見ようと、望遠鏡でその光の先を捉えようとした、その時――
空間を引き裂くような轟音が空を震わせ、何かが凄まじい速度で飛来した。それはすぐ近くの海域に停泊していた竜母の一隻――グラン・シエルへと直撃し、直後、巨大な火柱と黒煙を噴き上げて爆発した。
「なっ、なんだぁっ!?」
その凄まじい爆音に驚き、ヘルマンは慌てて艦長室から飛び出した。船尾楼の上へと駆け上がると、他の多くの水兵たちと同じように、轟々と燃え盛る竜母を茫然と見つめた。
竜母の内部には、対艦攻撃用に大量の油壺が搭載されていた。先の爆発によって引火した油が炎の濁流となって船内を駆け巡り、巨体の全域を瞬く間に火だるまへと変えていく。
船の甲板からは悲鳴が上がり、次々と水兵や竜騎兵たちが炎に包まれながら漆黒の海へと転げ落ちていく。その光景はまるで、罪深き者たちが地獄の底へと叩き落とされるかのようだった。
あまりの出来事に、ヘルマンをはじめとする水兵たちの血の気が引いていく。
「て、提督!! グラン・シエルが、燃えています!!」
「そんなもの見れば分かる!! 一体何が起きた!? 事故か!?」
「分かりません! 突然、何の前触れもなく爆発しました!!」
その時、見張りの水兵がマストの上から必死の形相で大声で叫んだ。
「提督!! 爆発が起きる直前、遠くの海で何かが光っていました! 南の方角です!!」
「なに……?」
ヘルマンはその報告を聞くや否や、副官から望遠鏡を奪い取るようにひったくり、見張りの言う南の方角へとレンズを向けた。
遠くの水平線上で、確かに何かがチカチカと不気味に発光しているのが見える。
「あれは……一体、何だ?」
ヘルマンが激しい疑問と悪寒を抱いた、その瞬間――
別の竜母――ドミニオンが、先ほどのグラン・シエルと同様に、謎の轟音が聞こえた直後に大爆発を起こした。無数の木片と残骸、そして絶叫するワイバーンたちの亡骸を空中に放り上げながら、巨体は中央から真っ二つに折れ、海面へと叩きつけられていく。
それを皮切りに、他の戦列艦やガレオン船でも同様の爆発が巻き起こり、次々と吹き飛ばされていった。
直後、ヘルマンは戦慄とともに理解した。これは事故などではない、――自分たちは正体の分からない「何か」から、一方的な攻撃を受けているのだと…
彼は知る由もないが、遠方で起こる謎の発光はVLSから撃ち出されるミサイルの発射炎であり、爆発の直前に聞こえる轟音は、音速を伴うミサイルの飛翔音そのものだった。今こうしている間にも、更なる死刑宣告が空へと放たれ、帝国艦隊の方へと突き進んでいる。
突然の事態にどう動くべきか分からず茫然とする水兵たちをよそに、ヘルマンは首から下げたマナストーンの魔伝媒体に向かって、声を張り上げて命令を下した。
「各艦、直ちに行動開始! 我が艦隊は敵の攻撃を受けている! 急ぎ帆を張って回避運動に専念せよ!」
その声が響いた瞬間、跳ねるように水兵たちが動き出した。錨を上げ、帆を張り、大砲の発射準備を整える。ヘルマンはすぐさま、残る二隻の竜母にも通信を飛ばした。
「マテル・ドラコニス、トルトゥール! 両艦とも急ぎワイバーンの発艦準備を行い、魔法障壁を展開しろ! 一騎でも多く発艦させるんだ!!」
《で、ですが……! 魔法障壁は艦隊戦における最後の切り札――》
「今その切り札を使わなくて、いつ使うつもりだこのバカ者! さっさとやれぇ!!」
《りょ、了解しましたぁ……ッ!》
彼の凄まじい怒号に気圧され、両艦の魔導士たちは慌てて防御魔法の準備に取り掛かる。
この世界の艦隊戦において、魔法障壁は文字通り最後の防壁だった。これを発動せざるを得ないということは、自船のすぐ近くまで敵の攻撃や接近を許したことにほかならない。
そのため、帝国海軍では最重要戦力である竜母を守るため、優秀な魔導士が必ず10名ほど配置されていた。
魔導士たちはマナストーンの触媒を握り締め、必死に防御魔法の詠唱を紡ぐ。青白い半透明の膜が船全体を覆い、強固な光の殻へと包み込んでいく。
それと同時に甲板上ではワイバーンの発艦準備が進められているが、度重なる爆音と閃光に怯えた巨獣たちは激しく暴れ、作業は思うように進まない。
混乱の極みにある中、誰かの絶叫が響き渡った。
「またあの唸り声だ……! 南の方角から来るぞッ!!」
その言葉に、竜母の船員たちは恐怖に慄く。だが魔導士たちは冷や汗を流しながらも、仲間の不安をかき消すように気丈に言葉を紡いだ。
「だ、大丈夫だ……! 10人がかりで構築した大規模魔法障壁だ。ちょっとやそっとの攻撃で、この防御が破れるわけが――」
だが彼らは知る由もなかった。飛来してくるミサイルはマッハ2.9の超音速で標的に激突し、強烈な運動エネルギーと装甲貫通弾頭でもって敵艦の内部深くまで突き刺さり、その最奥で大爆発を起こすという事実を。
――刹那、彼らの世界は白く染まった。
強大な魔法障壁は、過剰なエネルギーの前にまるで薄いガラス細工のように粉々に砕け散る。ミサイルはマテル・ドラコニスの甲板中央を易々と穿ち、その身に秘めた数百キロの高性能爆薬を余すことなく解放した。
凄まじい爆発が木造の船体を内側から粉砕し、解放されたエネルギーは太い竜骨や厚い甲板をまるで紙きれのように引き裂いていく。
甲板は巨大なうねりとともに跳ね上がり、折れたマストや船員たちの身体は、猛烈な爆風に吹かれて枯れ葉のように虚空へ舞い散った。
ヘルマンは、目の前で起きたあまりの出来事に、ただ呆然と凍りつくしかなかった。
(そ、そんな……バカな……ッ!!)
残された最後の竜母――トルトゥールの船員たちもまた、沈みゆく仲間の残骸をただ茫然と見つめることしかできなかった。
「嘘だろ……」
「魔法障壁が……たった一撃で食い破られるなんて……」
絶望の底へと叩き込まれ、すでに抗う気力すら失いかけていたその時、甲板上で声を張り上げる者がいた。
「諦めるなッ!! まだ我々がいるッ!!」
その声に振り返ると、そこには竜騎士たちが命がけで発艦準備を整えていた。
「我々の手で、非業の死を遂げた仲間たちの仇を討つぞ……!!」
「「「おぉぉぉぉぉぉぉ――――ッ!!」」」
咆哮とともに、竜騎士たちは愛騎を駆って次々と空へと飛び立っていく。甲板に残された船員たちは、涙を流しながらその背中に大歓声を送った。
「やっちまえ……!」
「頼んだぞ……ッ!」
「あの怪物どもに、空の覇者の力を見せつけて――」
だが、その願いや決意すらも冷酷な現実にかき消された。
直後、トルトゥールの巨体にミサイルが被弾。大爆発の閃光が空を焦がし、竜騎士に願いと声援を送っていた船員たちごと、最後の竜母も海の藻屑へと変わり果てた。
「て、提督ッ!! トルトゥールが……!!」
「くっ……! おのれ……ッ!!…何騎だ…何騎、発艦できた…?」
歯噛みするヘルマンに、副官が震える声で告げる。
「き、奇跡的に……飛び立てたのは31騎だけです……」
「そうか……もう、それしかいないのだな……」
ヘルマンは、空へ駆け上がったわずかな竜騎士たちを見送るかのように、黒煙を上げて沈みゆく竜母の残骸と、そこに消えた部下たちへと思いを馳せた。
だが、浸る暇などなかった。彼の脳裏には、今まさに自らの旗艦――インペラトールも同様に粉砕される未来が、鮮明な悪夢として脳裏に浮かんだ。
生き残るには、船を捨てるしかない。歴戦の提督としての勘が、彼の行動を素早く突き動かした。
「総員、退艦! 総員、退艦準備急げッ!!」
ヘルマンは甲板に、そして魔伝媒体のマナストーンに向かってあらん限りの声で怒号を飛ばした。
「生き残った全ての船に告げる!! 今すぐ船を捨てて海に飛び込めッ!!」
その常軌を逸した指示に、副官は驚愕の表情で振り返る。
「て、提督!? しかし、我が艦はまだ戦闘を――!」
「いいから飛び込め! 全員だ、急げッ!!」
彼の声には、隠しきれない恐怖と切迫感が満ちていた。僚艦たちの凄惨な最期を目の当たりにした水兵たちも、ヘルマンのただならぬ気迫に気圧され、次々と海へと飛び込んでいく。
ヘルマン自身も、船尾楼から甲板へと駆け下り、荒れ狂う冷海へと身を躍らせた。そして二次爆発や渦に巻き込まれないよう、必死に水をかいて船体から距離を取る。
直後、インペラトールの巨体に向かってミサイルが飛来。船体中央部――砲列甲板に命中した。
海面に浮かぶヘルマンの背後でも、すさまじい熱風と衝撃波が水面をえぐり、海水が激しく逆巻いた。
振り返った視界の中で、インペラトールは瞬く間に火の海へと変わっていた。船体が、帆が、ロープが、あらゆる構造物が業火に包まれ、黒煙が天を衝くように立ち上る。中央部に空いた直径十メートルもの巨大な大穴からは、赤く焦げた内部がまるで抉れた内臓のように露わになっていた。散乱する大砲、誘爆する火薬樽、そして原型を留めぬ兵士たちだった者の肉片が、炎とともに舞い散る。
船首楼が轟音とともに崩落し、前方のマストがへし折れて海面へと倒れ込む。そして耐えきれなくなった船体は、ミシミシと悲鳴を上げながら中央から真っ二つに折れ始めていた。
飛び込むのが遅れた水兵たちは、すさまじい爆風によって海へと投げ出され、赤く染まった無数の木片とともに物言わぬ骸と化して波間に漂っていた。
一方、運良く海へ飛び込むことのできた者たちも、今度は12月の凍てつく海上で助けを求め、必死に手足をバタつかせている。阿鼻叫喚の絶叫が、広大な海のあちこちから響き渡っていた。
「――助けてくれッ!」
「提督ッ……!」
「死にたく……ガボッ……!」
12月の冷たい海水は全身の体温を容赦なく奪い、肌を突き刺すような凍てつく寒さが襲い掛かってきた。
ヘルマンは必死に手足を動かし、近くを漂っていた木製の瓦礫――おそらくは折れたマストの一部にしがみつく。震える体で辺りを見回すと、そこには正真正銘の地獄が広がっていた。
他の艦艇も同様に、見えない死神の鎌によって次々と沈められ、海面に無事な姿をとどめる船はもはや数えるほどもない。
ヘルマンはただ茫然と、その光景を眺めることしかできなかった。40年以上にわたる海軍生活。自らが指揮を執り、数々の海戦を共に潜り抜けてきた誇り高き艦隊が、今やただの瓦礫の山と化し、冷たい海の底へと吸い込まれていく。
一隻、また一隻と、帝国海軍の威信を象徴する戦列艦が消えていく。
これは戦いなどではない。一方的な虐殺――帝国海軍は、敵の姿かたちすら捉えられないまま、ただ空から一方的に降る死の雨に蹂躙されただけだった。
木片にしがみついたまま、ヘルマンは力なく波に揺られていた。全身の感覚が薄れ、低体温症の魔手が確実に忍び寄っている。このままでは、長くはもたないだろう。
だが、もう彼にはどうでもよかった。今の彼は、もはや帝国海軍の提督ではない。ただ沈みゆく艦隊の残骸を眺めることしか許されない、無力な一人の男に成り果てていた。
そんな彼を嘲笑うかのように、朝日が、今昇る。
午前6時 ネレシア島沖合50キロの地点
「ミサイルの全弾命中を確認。敵艦隊は壊滅、残存しているのは海上の漂流者とわずかな小舟のみです」
士官の報告に、クズネツォフ少将は満足そうに頷いた。
UAVから送られてくる赤外線映像のモニターには、熱を持ち真っ白に輝く艦船の残骸と、あちこちから黒煙を吐き出す海面が映し出されている。
「うむ……」
その時、レーダー担当の士官から新たな報告が飛んだ。
「司令官! 最後の竜母が沈む直前に発艦したワイバーンが、こちらに向かって接近中です!」
「数は?」
「数は30……いえ、31です!」
「空軍に連絡せよ。接近中の敵ワイバーンを迎撃、排除しろ。それから各艦に伝達。対空警戒を厳とせよ!」
「はっ!!」
敵の航空戦力が接近中との報を受け、連合艦隊の各艦に再び緊張が走った。
同時刻 ネレシア島沖上空 帝国軍ワイバーン部隊
一方、辛うじて沈みゆく竜母から飛び立つことのできた生き残りのワイバーン部隊は、全滅した仲間たちの仇を討つため、血走った目で海面や水平線を凝視していた。
「どうだ? 何か見つけたか?」
「いえ、隊長! まだ何も……」
「くそっ……! 敵は一体、どこからあんな化け物じみた攻撃を……」
南の方角から飛んできたこと以外、攻撃の正体も敵の居場所も分かっていない。それどころか、姿かたちすら捉えられないまま、彼らは手掛かりを求めて空を駆けている。
既に昇り始めた朝日の光が、復讐に燃える彼らの背中を眩しく、そして残酷に照らし出していた。
その時、部下の一人が東の空を指さしながら叫ぶ。
「隊長! 東の方から敵のワイバーンが、こちらに向かって高速で接近中ッ!」
「来たか――!?」
隊長が遥か彼方を凝視すると同時に、閃光を放ちながら空を駆けるロシア・アサヒノ国空軍のジェット戦闘機群が小さく視界に入る。彼らはすでに射程内と判断したか、容赦なく空対空ミサイルを発射していた。
白い尾煙を引いて殺意の塊が迫る光景に、竜騎士たちの顔が恐怖で引きつる。
「全騎、避けろぉッ!!」
隊長の絶叫に合わせ、部下たちは手綱を引いて左右へ散ろうとする。だが驚異的な追尾性能を持つミサイルを相手に、ただの空中機動で振り切るなど不可能なことは、先のペルデア大森林での戦いで嫌というほど思い知らされていた。
だからこそ、隊長が選んだのは回避ではなく――急降下だった。
「付いてこい……!」
隊長騎が翼を畳み、一直線に海面へと身を投げ出す。部下たちもそれに続いた。
猛烈な気流が竜騎士たちの身体を押しつぶし、油断すれば手綱から手が離れかねないほどの過酷なGが全身に襲い掛かる。だが彼らは復讐心と執念だけでそれに耐え抜いた。
眼前に広がる蒼い海面が、凄まじい勢いで迫りくる。そして激突する寸前、隊長は全身全霊を込めて愛騎の手綱を引き絞った。
「上がれぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
巨体がしなり、ワイバーンは海面すれすれで凄まじい引き起こしを成功させる。だが、あまりの超低空かつ急激な機動に耐え切れず、数騎のワイバーンが水面に激突して凄まじい水飛沫とともに消え去った。犠牲はゼロではなかった。
だが、彼らの命を賭した賭けは、決して無駄ではなかった。
竜騎士たちを追尾していたミサイルは、ワイバーンの生体ならではの急激な軌道変化と超急上昇に対応しきれず、次々と海面へと激突していったのである。後方で次々と凄まじい水柱と爆発が連鎖した。
機械の計算では弾き出せない、生物としてのワイバーンの変則的な機動と地形の利用――それが初めて、近代兵器の牙を凌駕した瞬間であった。
その様子を、上空を旋回していたロシア空軍のパイロットは、信じられないものを見るような目で見据えていた。
「マジかよ…ミサイルを回避しやがったぞ……」
《隊長、どうします?》
「あそこまで低空じゃ、海面の乱反射でミサイルはまともに機能しねえ。――全機、機銃に切り替える。蜂の巣にして落とすぞ!!」
《了解ッ!》
Su-35とMiG-29SMTの編隊は、ミサイルの追尾を振り切ったワイバーンたちの後を追い、轟音とともに急降下を開始した。この時点で、猛爆と直前の回避機動により、ワイバーンの数はすでに20騎へと激減している。
ジェット戦闘機群はまるで獲物を狙う猛禽類のごとく、海面スレスレを滑空するワイバーンの群れに肉薄し、30mm機関砲のトリガーを引いた。
凄まじい発射音とともに、曳光弾の嵐が空間を切り裂く。隊長のすぐ横を弾丸が掠め、水面に叩きつけられた無数の弾が、白煙を上げる一筋の線を描き出した。
飛沫が顔面に容赦なく降り注ぐが、隊長はそんなものに構うことなく、左右に蛇行しながら必死に間隔を開けて飛行し続ける。未だ見ぬ死神の本体――その姿を捉えるためだけに。
だが、圧倒的な機動力の差はいかんともしがたい。
一騎……また一騎と機関砲弾に穿たれ、ワイバーンたちの血肉が飛び散りながら水面へと叩きつけられていく。
それでも彼らは決して諦めなかった――いや、彼らはもはや、生きて帰ることなど最初から考えていなかったのだ。帰るべき竜母はすべて海の藻屑と消え去り、島からもすでに遠く離れすぎている。たとえここで奇跡的に一矢報いたところで、岩礁すらない洋上のど真ん中では、いつかワイバーンが力尽きて冷たい海に沈むのは目に見えていた。
それでも……彼らには、無惨に殺された仲間たちの仇を討つという選択肢しか残されていなかった。
もはやプライドと執念だけで空を駆ける、哀しくも誇り高き死兵たちの群れは、怒涛の弾幕の中を突き進んでいく。
そして彼らは、ついに見つけた。どこまでも広がる洋上に、異様な威容を放つ鋼鉄の大艦隊――その姿を。
「見えた……ッ!!」
「なっ、デカい……!?」
「ば、馬鹿な……これだけ離れているのにもう巨体が視認できるぞ…要塞か……!?」
「怯むな……! もっと近づくぞッ!!」
隊長の怒号に応え、ボロボロになったワイバーンたちは血を吐くような思いでさらに翼を羽ばたかせ、艦隊へと肉薄する。だが、ここまでの激しい消耗と弾幕により、残存するワイバーンの数はすでに10騎ほどにまで落ち込んでいた。
敵がここまで接近したことにより、上空の戦闘機隊だけでは誤射の危険と機動の制約があると判断され、迎撃の主役はついに海上の艦隊へと引き継がれた。
接近する敵航空戦力を捕捉したロシア軍艦艇では、慌ただしくも冷徹に対空戦闘への移行が完了する。
「対空戦闘用意! 対空戦闘用意!」
「目標のロックオン完了!」
「短距離対空ミサイル、発射準備よし!」
「――全基、攻撃開始ッ!!」
艦隊の外周部に展開していたゴルシコフ級フリゲートのVLSやナヌチュカ型コルベットの格納発射機から、9M33Mや9M100といった短距離対空ミサイルが次々と火を噴き、射出されていく。
轟音とともに白煙の尾を引き、幾筋もの死の線が、残された最後のワイバーンたちの群れめがけて一斉に空を駆け抜けていった。
発射されたミサイルの一部は低空を飛行するワイバーンの頭上を飛び越えて海面に着弾するが、運悪く直撃してしまった者は、その原型さえ留めぬほどバラバラに吹き飛ばされ、飛沫とともに四散していった。
「隊長――ッ!!」
「母さん……ッ! 母さ――ッ!!」
彼らはミサイルの牙が迫る直前、肉親や仲間の名を叫びながら、次々と非業の最期を遂げていく。そして、紅蓮の空の下に残されたのは、もはや最後の1騎となった隊長騎だけであった。
だが、仲間の命を賭した犠牲と執念により、隊長騎とロシア艦隊との距離は残り5キロまで肉薄していた。
彼は最後の賭けに出る。愛騎の手綱を荒々しく引き絞り、急上昇から艦隊の真上へと飛び込むと、一気に機首を転じて急転直下。ワイバーンの喉の奥で禍々しい赤い炎が渦巻き、すべてを焼き尽くす怨念の火炎攻撃の準備が完了する。
目標はただ一つ、艦隊の中央に君臨するひと際巨大な船――ピョートル・ヴェリーキイのみ。
「食らいやがれ……ッ!! この化け物がぁっ!!」
絶叫とともに、艦の甲板めがけて灼熱の息吹を放とうとした、その瞬間――
「敵騎、直上! 急降下!!」
「全艦、対空射撃始めぇ!!」
ロシア軍艦艇の各所に搭載された3M87コールチクやAK-630が一斉に唸りを上げ、毎分何千発もの弾が鉄の暴風雨となって視界を埋め尽くし、彼へと襲い掛かった。
圧倒的な物量と弾幕の前に、回避する余裕など存在しない。それどころか、彼らは自分たちに何が起きたのかを理解することすらできず、愛騎のワイバーンと共にその身体をズタズタに引き裂かれ、そのまま血と臓物撒き散らしながら海面へと墜落していった。
午前6時10分 ネレシア島沖合50キロの地点
「敵騎の撃墜を確認、上空はクリアです」
「危なかったですね…まさかワイバーンでここまで近づいてくるとは…」
オゼラ本国との連絡係として乗船していたエルフの男性、セリオンがクズネツォフの傍らで冷や汗を拭いながら息を吐き出す。
一方、クズネツォフは艦隊の真ん中に落下し、今もなお冷たい波間に漂うワイバーンと騎士の亡骸を、険しい表情のままじっと見つめていた。
そして、彼はその方に向かって静かに敬礼した。国や立場は違えど、死を覚悟して突撃してきた勇敢な戦士を弔うかのように。
「……我が艦隊はこれより、ネレシア島に向けて移動を開始する。道中、海上の生存者を見つけ次第、速やかに救助、収容作業を開始せよ」
「…は…?」
その指令を聞いたセリオンは、信じられないものを見る目で驚愕の表情を浮かべ、聞き返した。
「な、なぜ……なぜ敵の兵士を救助するのですか!? 奴らは我が同胞を虐げ、島を不当に占領し、民に非道な仕打ちをしてきた者たちですよ……ッ!」
クズネツォフに詰め寄るセリオンの声には、隠しきれない怒りと激しい困惑の色が滲んでいた。そんな彼に対し、司令官は動じることなく真っ直ぐな瞳で見据えて静かに告げる。
「…ジュネーヴ諸条約第2条約というものがある。この条約は、海戦において難船した者や傷ついた者を、敵味方の区別なく救助し保護することを定めている。たとえその相手が、非道な侵略行為を行った帝国の兵士であろうとも、海原で溺れ、死にゆく者を見捨てることは軍人として断じて許されない」
「ですがっ――!!」
「それに遭難者や投降した捕虜を保護することは、今後の停戦交渉や帝国側の戦争犯罪を追及するための貴重な証拠ともなる。……いいか、これは慈悲などではなく、軍の規律であり命令なのだ」
冷静かつ厳格なその響きに、セリオンは言葉を失い、悔しげに唇を噛み締める。やがて彼は震える声でかろうじて頷いた。
「…了解しました」
クズネツォフの号令の下、連合艦隊の各艦は侵攻の手を緩めずとも、海面を漂う生存者たちの救助と収容へと動き出した。
午前6時半 ネレシア島
一方、ネレシア島はまるで蜂の巣をつついたような凄まじい混乱と騒ぎに包まれていた。
それも当然のことだろう。島を護るはずの最大の盾であった東部方面艦隊の主力は一夜にして壊滅し、沖合に見えるのは無惨に浮かぶ船の残骸と、果てしない黒煙の柱だけなのだから。
「どうなってやがる…!? 艦隊はどこへ消えちまったんだよ!!」
「お前、あれが見えねぇのかよ……ッ! あそこに浮かんでるバラバラの木くずが、あの艦隊の成れの果てだ…!」
「冗談だろ… 一体、何が起きたってんだ……」
「夜間の警備にあたっていた連中の話じゃ、突然あちこちの船が爆発したらしいぞ。あの竜母ですら、一瞬で木端微塵に吹っ飛んだって…」
「そんな化け物じみた攻撃、魔法だって聞いたことがねぇよ…!」
「い、今のうちに船で逃げ出した方が…」
「バカ野郎…! そんな真似をしてみろ、見せしめに反逆罪で処刑されるぞ…!」
砦や港のあちこちで、守備兵たちの恐怖に満ちた怒号や、現実逃避じみた悲痛な会話が飛び交っている。
「ひ、一先ず動ける全ての兵士は港と海岸線に集結させろ…! 敵が上陸してくるとしたらその二ヶ所だ。村にいる連中も総動員しろ! 敵は、すぐそこまで迫ってきているぞ…!!」
「り、了解しました…ッ!」
混乱の極みにある中、かろうじて階級の残る士官が必死に声を張り上げ、残された守備隊に指示を飛ばす。
自分たちが置かれた絶望的な状況の現実から目を背けるように、彼らは震える手で防衛の準備を進めるよりほかなかった。