ロシア連邦、異世界にて飛躍する   作:兎の助

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第二話:最初の混乱と、その後の感嘆

親方たちの驚き――電動建築機材の導入――

 

2030年8月〜9月 フォルドン及び周辺地帯

 

インフラ設備の建設が本格化するにあたり、ロシア側は建築機材も異世界に持ち込んだ。電動のドリル、電動のノコギリ、電動のミキサー。そして、小型の電動クレーン。

 

フォルドン市内の建築現場で、ハティリア王国側の建築家の親方たちが初めてこれらの機材を見た時、その反応は複雑だった。

 

「これは…何だ」

 

建築組合の親方の一人、バルトロメオ・ドルツは、電動ドリルを手に取り、その重さと構造を確認した。彼は40代半ばの、筋肉質の男性で、20年以上の経験を持つ熟練の石細工師だった。

 

「ロシアの技術者の説明では…電気で動く道具だとのこと」

 

「電気で…」

 

バルトロメオは、その言葉の意味を理解した。電気は、今や王国の一部の建物にも導入されていた(現在はまだ主に王城やロシア側の施設に限られていた)。しかし、それが「道具を動かす」という用途で使われるとは、まだ想像していなかった。

 

「使ってみてください」

 

ロシアの技術者が、石板を置いた。

 

バルトロメオは、電動ドリルのスイッチを操作した。

 

機械の音が響き、石板に穴が開いていった。

 

「…」

 

バルトロメオは、しばらく黙っていた。

 

以前の手動のドリル(鋼鉄の刃を手で回す道具)で、同じ大きさの穴を開けるのに、彼には10分以上かかる。しかし、電動ドリルは数秒で完了した。

 

「これは…」

 

バルトロメオは、その道具を見つめた。熟練の職人としての誇りと、目の前の事実の間で、葛藤を感じていた。

 

「私の技が…何十年も磨いてきた技が…この道具には勝てない」

 

しかし、その日の午後には、バルトロメオの気持ちは変わった。

 

電動ドリルで速く穴を開けた後、その穴の精度を確認した。そして、次の木材の切り出しに電動ノコギリを使った。そして、次の組み立てに電動ミキサーで漆喰を混ぜた。

 

一日の仕事量が、以前の数倍になった。

 

「これは…道具に負けているのではない」

 

バルトロメオは、その夜、同僚たちに語った。

 

「私の技は、材の選び方や組み立ての判断には勝る。しかし、筋力や時間の節約には、この道具が優れている。つまり、道具と組み合わせれば...私たちの技がさらに生きる」

 

その言葉に、他の親方たちも同意した。

 

「確かに…組み合わせれば…」

 

その後、電動建築機材の導入は、王国の建築組合に急速に広まった。最初の混乱と不安は、使っていくうちに消え去り、「これは私たちの仕事を大きく変える道具だ」という認識に変わった。

 

作業効率の上昇は顕著だった。電動機材を使った建築チームが、以前に比べて数倍の速度で現場を進めていくことは、現場を見る住民たちにも明らかだった。

 

「あっ、もう完成したのか…」

 

「先週まで骨組みだったのに…」

 

 

 

異世界から来た技術者たちと出稼ぎの労働者

 

2030年5月16日 ロシア連邦 首都モスクワ 緊急対策本部

 

話は一度、ロシアが異世界に転移した翌日に戻る。

 

首都モスクワの緊急対策本部では、昼夜を問わず会議が続いていた。異世界との外交前に、ロシア政府は別の問題に直面していた。

 

転移の瞬間、国内には大量の外国人が存在していた。観光客、留学生、ビジネス渡航者、外交官、そしてその家族たち。

 

全員が、ロシア人と同じく、この異世界に飛ばされた。そして今、彼らは自国に帰る方法を持っていない。

 

「現在把握している外国人の数は、約十八万人です」

 

国民問題担当大臣のアレクサンドラ・ペトロワが、報告した。

 

「国別内訳としては、中国人が最も多く約六万人。ドイツ人が約二万人。日本人が約一万五千人。その他ヨーロッパ諸国や中東、アフリカなどの国籍の者がそれぞれ数千人規模です」

 

「彼らの現状は?」

 

ヴォルコフ大統領が尋ねた。

 

「モスクワやサンクトペテルブルグなどの主要都市には、外国人が集まっていたホテルや寄宿舎がそのまま残っています。彼らの多くは、今現在、何が起きたのか理解できず混乱しています」

 

「帰国希望者は?」

 

「全員です。しかし…帰る場所がありません」

 

その言葉が、会議室に重く響いた。帰る場所がない。それがこの問題の本質だった。

ロシアは地球から切り離され、異世界にやってきた。つまり、外国人たちが故郷と呼んでいた国や大陸は、現時点では辿り着く方法がなかった。

 

少なくとも今の段階では、地球に戻る道は開かれていなかった。

 

「では、彼らを長期的にどう扱うか」

 

ヴォルコフは、腕を組んで考え込んだ。

 

「彼らは本質的には難民だ。いや、それ以上に窮乏した存在と言える。国家を失い、帰る故郷もなく、言葉も通じない異世界に今や置かれている。しかし彼らを単なる難民として扱うのは、政治的にも道徳的にも問題がある」

 

ヴォルコフは続けた。

 

「特に中国人や日本人の数が多い。本来であればその国の政府が対応すべき問題だが、現実には、その国の政府とは連絡が取れない。つまり、実質的に彼らは国籍を失った存在になっている」

 

ヴォルコフは、深く息を吐いた。

 

「臨時国民制度を検討する。彼らに、一時的なロシア国籍を付与し、社会に統合する」

 

 

2030年6月15日 ロシア連邦 国民問題特別法案 可決

 

「臨時国民制度法案」が、ロシア議会で可決された。

 

この法案の主な内容は以下の通りだった。

 

第一条:ロシア領内に存在する外国人は、臨時国民として扱われる。

 

第二条:臨時国民は、ロシア国民と同等の基本的権利を享有する。就労の自由、教育の自由、医療へのアクセス。

 

第三条:臨時国民は、ロシア社会の建設や発展に貢献することが期待される。

 

第四条:地球側との連絡が再開された場合、臨時国民は本国籍に戻すことができる。

 

この法案は、異世界への適応を加速させる目的で制定された。十八万の外国人が、臨時国民として徐々にロシア社会に統合していった。

 

 

 

2030年7月〜12月 ハティリア王国各地

 

インフラ設備の建設が本格化するにあたり、ロシア側から大量の人材がハティリア王国に流入した。

 

その中の主要な存在が、ロシアの大手ゼネコン(ゼネラルコントラクタ——つまり総合建設企業)から派遣された技術者たちだった。

 

「ゼネコン」という概念は、異世界には存在しなかった。ハティリア王国の建設は、建築組合や個別の職人たちが手工業的に行っていた。規模の大きな建設(城や砦など)は、王室や貴族が資金を出し、複数の組合が分工協力で行う仕組みだった。

 

しかし、インフラ設備——上下水道、電気線、ガス管、アスファルト道路——の建設には、その規模と複雑さが、従来の仕組みを超えていた。

 

ロシアの大企業「ストロイガード」や「インフラテック」から派遣された技術者たちは、プロジェクト管理、測量、設計、品質管理などの高度な知識を持っていた。彼らは、異世界側の現地の技術者や職人たちと組み合わせて、建設現場を運営していった。

 

「この現場の全体を見る人が必要だ」

 

ストロイガードの現場総監督、ヴラジスラフ・ポノマレンコは、最初の現場で感じた。

 

「異世界側の職人たちは、技術は優れている。しかし、大規模なプロジェクトの全体を見る経験がない」

 

そのためポノマレンコは、異世界側の建築組合の若い職人たちに、プロジェクト管理の基礎を教え始めた。測量の方法、工程の立案、資材の調達と管理。それらは、一気には習得できない知識だが、異世界側の職人たちは熱心に学んだ。

 

 

そして技術者たちの他に、大量の労働者も現場に携わった。

 

その多くは、臨時国民制度法案によって臨時ロシア人となった外国人たちだった。

 

ドイツ人の機械エンジニアたちが、電動機械の整備や修理を担った。彼らの精密な技術は、機械のメンテナンスを安定させた。

中国人の建設労働者たちは、土木や基礎工事の力仕事に携わった。彼らの組織的な動きと勤務の効率は、現場の進捗を加速させた。

日本人の技術者たちは、測量や品質管理に携わった。彼らの仕事に対する丁寧さと正確さは、建設の信頼性を高めた。

 

これらの臨時国民たちは、異世界に帰る場所がない存在だった。しかし、ハティリア王国での建設に携わることで、新しい「場所」を見つけていった。

 

現場では、ロシア人、ドイツ人、中国人、日本人、そしてハティリア王国の人々が混在して働く。言葉の壁はある。文化の壁もある。しかし、「建設する」という共通の目標は、その壁を少しずつ縮めていった。

 

 

清潔への革命――ゴミ回収と衛生概念の導入――

 

 

2030年8月 フォルドン市内 調査開始

 

廃棄物焼却火力発電所の計画が立案される中で、ロシア側の衛生調査チームは、異世界側の「衛生概念」そのものを詳細に調査する必要があると判断した。

 

その調査の結果は、ロシア側の医療チームや技術者たちに、深刻な懸念を抱かせるものだった。

 

「まず、廃棄物の処理方法から説明します」

 

衛生調査チームの責任者、オルガ・ペトロワ博士は、フォルドン王城での報告会で、調査結果を説明した。

 

「現在、フォルドン市内では、家庭から出る廃棄物——食べ物の残り、壊れた道具、使い古した布などは、各家庭が自宅の裏や近くの空地に捨てています。定期的に回収する仕組みは存在せず、蓄積したゴミは悪臭を放ち、害虫や病気の温床になっています」

 

「排泄物の処理については…」

 

ペトロワ博士は、少し言葉を選んだ後、続けた。

 

「肥溜めに捨て、定期的に回収人が集めて農地に肥料として持っていく仕組みです。しかし、その過程で衛生管理がなされておらず、排泄物が道路や水源に流れ込む事例も多数確認されました」

 

その説明を聞いた国王や高官たちは、静かに頷いた。それは、彼らにとっては「当たり前」の光景だったからだ。

 

「トイレでの処理については…お尻を拭くのに、乾燥させた藁を使用しています」

 

「手洗いは行われていますが、石鹸は高価で庶民には手が出せないため、大半の人々は水だけで洗っています」

 

「入浴についても、風呂桶は貴族くらいしか持っておらず、庶民は行水か蒸し風呂で済ませています。頻度も、週に一度程度が一般的です」

 

ペトロワ博士の報告は続いた。

 

「この衛生状況では、感染症の蔓延リスクが極めて高い。特に、夏季における消化器系の病気や、冬季における呼吸器系の病気が広がりやすい環境です」

 

国王は、その報告を聞いた後、静かに尋ねた。

 

「では…ロシアでは、どのように対処しているのですか」

 

「まず、廃棄物の定期回収システムを導入します」

 

 

 

2030年9月〜11月 フォルドン市内

 

ロシア側が提案した「ゴミ回収システム」は、異世界側にとっては全く新しい概念だった。

 

「各家庭に、専用のゴミ箱を配布します」

 

ペトロワ博士は、実物のゴミ箱を見せた。頑丈な金属製の容器で、蓋がしっかりと閉まる仕組みになっている。

 

「家庭から出るゴミは、全てこのゴミ箱に入れてください。そして週に二回、回収車がこのゴミ箱を回収に来ます」

 

「回収車…?」

 

「はい。ゴミを運ぶ専用の車両です。回収したゴミは、市外の指定された場所に運ばれ、分類され、焼却可能なものは将来の火力発電所の燃料として保管されます」

 

その説明を聞いた住民たちは、最初は困惑した。

 

「ゴミを…回収してくれる…?」

 

「そうです。ゴミを家の裏や空地に捨てる必要はありません。専用のゴミ箱に入れるだけで、私たちが回収します」

 

「なぜ…そのようなことを…」

 

「ゴミを放置すれば、悪臭と病気の原因になります。しかし、適切に回収し処理すれば、清潔な環境が保たれ、病気のリスクも減ります」

 

住民たちは、その説明に驚いた。

 

「病気を…防ぐために…」

 

「はい。清潔さは、健康の基礎です」

 

ゴミ回収システムの導入は、フォルドン市内の中央地区から開始された。各家庭にゴミ箱が配布され、回収日が告知された。

 

最初のうちは、住民たちはゴミ箱の使い方に戸惑った。「本当に回収に来るのか」という疑念もあった。

 

しかし、最初の回収日——

 

「本当に来た…!」

 

回収車が、定刻通りに各家庭の前に停車し、ゴミ箱を回収していく光景を見て、住民たちは驚いた。

 

「ゴミを…本当に持って行ってくれる…」

 

「これで、家の裏の悪臭がなくなる…」

 

その便利さを実感した住民たちは、急速にゴミ回収システムを受け入れていった。

 

 

石鹸と清潔の革命

 

2030年10月〜12月 フォルドン市内及び王国各地

 

 

ゴミ回収システムと並行して、ロシア側は「衛生用品」の大量供給を開始した。

 

その中心となったのは、「石鹸」だった。

 

ロシアから運ばれた石鹸は、異世界側で流通している石鹸とは全く異なっていた。高品質で、泡立ちが良く、香りも良い。そして、何よりも重要なのは、「価格が安い」ことだった。

 

「この石鹸を、王国内の全家庭に配布します」

 

ペトロワ博士は、王国政府との協議で発表した。

 

「手洗い用の薬用石鹸、体を洗うためのボディソープ、髪を洗うためのシャンプー、そして髪を柔らかくするリンス。これらを、庶民でも手が届く価格で提供します」

 

「シャンプー…リンス…?」

 

異世界側の高官たちは、その言葉に困惑した。

 

「髪を洗うための専用の洗剤です」

 

実演が行われた。ロシア側の担当者が、シャンプーで髪を洗い、リンスで仕上げる。その結果、髪は驚くほど柔らかく、艶やかになった。

 

「…これは…」

 

王国の貴族のご婦人たちが、その実演を見て、目を見張った。

 

「髪が…こんなにも柔らかく…」

 

「香りも素晴らしい…」

 

特に、リンスの効果は、貴族のご婦人たちに衝撃を与えた。異世界では、髪を柔らかくするための方法は限られていた。高価な油を使うか、特定の薬草を煮出した液で洗うか。

しかしリンスは、その効果が圧倒的で、しかも使用が簡単だった。

 

「これは欲しい…」

 

貴族のご婦人たちの間で、リンスは瞬く間に人気商品となった。

一方、庶民の間では、「手洗い用薬用石鹸」が爆発的に普及した。

 

「手を洗うだけで、病気が防げる」

 

ペトロワ博士の説明を聞いた庶民たちは、最初は半信半疑だった。しかし、実際に石鹸で手を洗った後の清潔感を体験すると、その効果を実感した。

 

「手が…こんなにも綺麗に…」

 

「油汚れもすぐに落ちる…」

 

手洗い用薬用石鹸は、特に食事の前や、トイレの後に使用するように推奨された。そして、その習慣が広まるにつれて、消化器系の病気の発生率が明らかに減少していった。

 

衛生改革の一環として、ロシア側は「トイレットペーパー」も導入した。

 

乾燥した藁でお尻を拭く習慣に代わり、柔らかい紙を使う。最初のうちは住民たちは「紙を使うのは勿体ない」と思っていた。しかし、実際に使ってみると、その快適さと衛生面の優位性は明らかだった。

 

「これは...藁よりもずっと良い...」

 

トイレットペーパーも、徐々に普及していった。

 

 

入浴文化の変化

 

ボディソープとシャンプーの普及は、異世界側の「入浴文化」そのものを変えていった。

 

以前は、庶民は週に一度程度の行水か蒸し風呂で済ませていた。しかし、ボディソープの便利さを知ると、「もっと頻繁に体を洗いたい」という欲求が生まれた。

 

ロシア側はその欲求に応えるために、「公衆浴場」の建設も提案した。

 

「各地区に、公衆浴場を建設します。そこでは、温かい湯が常に供給され、ボディソープとシャンプーも用意されています」

 

その提案を聞いた住民たちは、大いに歓迎した。

 

「温かい湯に…いつでも入れる…?」

 

「はい。料金も、庶民が負担できる程度に抑えます」

 

公衆浴場の建設は、フォルドン市内の各地区で開始された。そして、最初の公衆浴場が開業した日——

 

「これは天国か…」

 

温かい湯に浸かり、ボディソープで体を洗い、シャンプーとリンスで髪を洗う。その体験は、庶民たちにとって、これまでの人生では味わったことのない贅沢だった。

 

「毎日でも来たい…」

 

公衆浴場は、瞬く間に庶民たちの生活の一部となった。

 

 

 

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