ロシア連邦、異世界にて飛躍する   作:兎の助

6 / 23
本編 第一章
プロローグ:転移の日


2030年5月14日 午後11時30分 モスクワ時間 ロシア連邦 モスクワ クレムリン 大統領執務室

 

セルゲイ・ヴォルコフ大統領は、執務室の窓から夜のモスクワを見下ろしていた。赤の広場に輝く照明が、歴史的な建造物を美しく照らし出している。54歳になる彼の顔には、5年間の改革の重みが刻まれていた。

 

7年前のクーデター。あの日、ロシアは劇的に変わった。

 

長期にわたる独裁政権と隣国ウクライナとの戦争は、反乱を開始したPMC(民間軍事会社)と軍の一部を率いた改革派将校たちによって打倒され終わりへと導かれた。国際社会の支持を得て、新たな民主主義国家として生まれ変わったロシア連邦。ヴォルコフは、その初代大統領として選出された。

 

彼の使命は明確だった。腐敗を一掃し、教育と技術に投資し、真の民主主義を確立すること。この5年間、それは決して容易な道のりではなかった。しかし、確実に前進していた。

 

「大統領閣下」

 

秘書官が部屋に入ってきた。

 

「予定通り、午前0時に就寝されますか?」

 

「ああ。明日は朝から経済会議だ。早めに休もう」

 

ヴォルコフは窓から離れ、執務机に向かった。この時、彼は知る由もなかった。

 

数時間後、ロシアという国家が、文字通り地球上から消失することを。

そして、全く未知の世界で、新たな歴史が始まることを。

 

 

 

 

2030年5月15日 午前3時47分 モスクワ時間

 

その瞬間、世界が変わった。

 

いや、正確には世界そのものが変わったのではない——ロシア連邦という国家が、地球から消失したのだ。

 

北極海からカスピ海、バルト海から太平洋に至るまで、ロシア連邦の領土全てが一瞬にして眩い光に包まれた。その光は人工衛星からも観測され、周辺国に一時的なパニックを引き起こした。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国の首脳たちは、緊急で集められた。核攻撃か、未知の兵器か、それとも自然災害か。

 

しかし数分後、光が収まると、そこにはもうロシアは存在しなかった。

 

広大な空白地帯が、ユーラシア大陸に出現していた。まるで巨大なクッキー型で大陸から切り抜いたかのようにロシアの国土があった場所には、広大な海が広がっていた。

 

1億4600万の人口、1709万平方キロメートルの国土、そして世界第二位の軍事力を持つ国家が、文字通り地球上から姿を消したのである。

 

国際社会は混乱に陥った。これは何を意味するのか。ロシアはどこへ消えたのか。そして、この空白をどうするのか。

 

しかし、その答えを知る者は、地球上には誰もいなかった。

 

 

同日 午前4時32分 異世界・キトグア大陸 ハティリア王国フォルドン王城

 

一方、別の世界では——

 

「陛下!大変です!大変なことが!」

 

ハティリア王国フォルドン王城。深夜にも関わらず、王の執務室には複数の大臣たちが緊急召集されていた。執務室の扉が勢いよく開かれ、国防大臣のガーランドが息を切らして飛び込んできた。その顔は蒼白で、額には冷や汗が浮かんでいた。

 

「落ち着け、ガーランド。深呼吸をして、ゆっくりと説明したまえ」

 

エルドバラン・ゴーンズ・ハティリア国王は、50代半ばとは思えない精悍な顔つきで問いかけた。30年に及ぶ統治の中で、数々の危機を乗り越えてきた彼の声には、動揺よりも冷静さが滲んでいた。銀色の髪と深い青色の瞳。威厳ある風貌は、まさに王者の風格を醸し出していた。

 

「それが…陛下…」

 

ガーランドは一度大きく息を吸い、震える声で報告した。

 

「東方海域に、突如として巨大な陸地が出現したとの報告が…!」

 

「陸地だと?」

 

国王の眉がぴくりと動いた。それは驚きというよりも、理解を超えた事態への困惑だった。

 

「はい。しかも…その規模が尋常ではございません。我が国の領土の…おそらく数十倍、いや、それ以上かと…」

 

魔法大臣のエルヴィン・ベルクマンが、震える声で続けた。彼は通常、冷静沈着で知られる学者肌の人物だったが、今はその顔に恐怖とも興奮ともつかない表情を浮かべていた。

 

「さらに報告があります。その陸地から…何か、巨大な金属の物体が空を飛んでいるのが目撃されました。ワイバーンよりも遥かに大きく、速く、そして…轟音を響かせながら」

 

執務室に重苦しい沈黙が流れた。集まった大臣たちは、顔を見合わせた。

 

「魔獣の類か?それとも新種のドラゴンか?」

 

国王が問うた。

 

「いいえ、陛下。目撃者の証言によれば…それは生物ではなく、明らかに人工的な構造物であったと」

 

「人工物だと…?では、誰かがそれを作り、操っているということか」

 

「恐らくは…」

 

国王は深く息を吐き、椅子から立ち上がった。そして、執務室を歩き回りながら考えた。この状況をどう解釈すべきか。未知の陸地。飛行する人工物。それは脅威なのか、それとも機会なのか。

 

数分の沈黙の後、国王は決断を下した。

 

「すぐに海軍に命じよ。偵察艦隊を派遣し、その陸地の正体を確かめるのだ」

 

「はっ!」

 

「ただし」

 

国王は厳しい表情で付け加えた。

 

「決して敵対行動は取らぬように。もし知的生命体がいるのならば…まずは接触を試み、対話の可能性を探れ。我々が無知から戦争を始めるような愚を犯してはならん」

 

「承知いたしました」

 

大臣たちは深く頭を下げ、それぞれの持ち場へと急いだ。

 

国王は再び窓辺に立ち、西の空を見つめた。夜明けが近づき、空がわずかに明るくなり始めていた。

 

(一体、何が起きておるのだ…)

 

不安と期待が入り混じった複雑な感情が、彼の胸中を渦巻いていた。

 

 

同日 午前8時12分 ロシア連邦 モスクワ クレムリン 国家安全保障会議室

 

「状況を報告せよ」

 

ロシア連邦大統領セルゲイ・ヴォルコフは、緊急招集された国家安全保障会議の席で、硬い表情のまま国防大臣に命じた。

 

広大な会議室には、国防大臣、外務大臣、FSB長官、参謀総長、そして各軍の司令官たちが集まっていた。全員の顔に、困惑と緊張が刻まれていた。

 

5年前のクーデター後、民主化と改革を推進してきた54歳の大統領は、かつて軍人として数々の戦場を経験してきた。チェチェン紛争、シリア介入、そして数々の特殊作戦。彼は修羅場を潜り抜けてきた。だが今、彼が直面している状況は、どの戦場よりも理解不能なものだった。

 

「大統領閣下。現在までに確認できた事実を報告いたします」

 

国防大臣アレクセイ・ソコロフ将軍が立ち上がった。62歳のベテラン軍人で、クーデターにも参加した改革派の中心人物の一人だった。

 

「午前3時47分、我が国全土が正体不明の現象に見舞われました。全ての地域で、同時に強烈な光が観測されました」

 

「そして?」

 

「衛星通信は完全に途絶。GPS、GLONASS共に機能不全。外国との通信も一切不通です」

 

「つまり、我々は完全に孤立したということか」

 

「はい。さらに…」

 

将軍は一瞬言葉を詰まらせ、深呼吸をしてから続けた。

 

「我々の周囲の環境が、完全に変化しています。北極海、バルト海、黒海、カスピ海、太平洋…全ての海域で、沿岸地形が一変しました。既知の地形とは全く異なります。ウクライナを始めとした我が国と陸続きで隣接する国全てが消失しています。ウラジオストクからの報告では北朝鮮、中国、及び日本の消失を確認」

 

「一体どういうことだ?」

 

「さらに、空軍の偵察機Su-35が確認したところ…」

 

「何だ?言え」

 

「我々の周辺に、地球上には存在しない陸地が複数確認されています。そして…」

 

将軍は震える手でタブレットを操作し、大型モニターに映像を映し出した。

会議室の全員が、その映像に釘付けになった。

 

そこには、中世ヨーロッパを思わせる巨大な城塞都市の姿があった。石造りの城壁、塔、宮殿。しかし、それだけではない。空を飛ぶ巨大なトカゲのような生物——ドラゴンかワイバーンのような生き物。城壁の上で、何かを唱えながら光球を発生させる人影。杖を掲げると、そこから炎や氷が現れる。明らかに現代地球には存在しない光景だった。

 

「これは…」

 

「冗談だろう?CGか何かの間違いではないのか?」

 

外務大臣が声を上げた。

 

「残念ながら、複数の偵察機、そして我が国が保持している偵察衛星からの映像を照合した結果、これは事実です」

 

参謀総長のイワン・クズネツォフ大将が答えた。

 

「さらに、地上部隊からも報告が上がっています。国境地帯——というか、かつて国境だった地域——の住民が、未知の生物やを目撃しています。その…具体的には海竜に似た生物です。他にも天文台からの報告では昨日まで観測できた天体が消え、全ての星の位置が変わっています」

 

外務大臣のナタリア・ペトロヴァが、蒼白な顔で口を開いた。

 

「つまり我々は…異世界に転移したということですか?」

 

その言葉に、誰も即座に否定できなかった。科学者たちは、理論上の可能性として平行世界や多次元宇宙の存在を議論してきた。しかしそれはあくまで理論であり、SF小説の中の話だった。まさか、国家まるごと異世界に転移するなど…

 

しかし、目の前の証拠はその「あり得ない」事態が実際に起きたことを示していた。

 

大統領は深く息を吐き、両手を組んで全員を見渡した。彼の目には、動揺ではなく、冷静な決意が宿っていた。

 

「諸君」

 

彼は静かに、しかし力強く語り始めた。

 

「我々は、前例のない状況に置かれた。しかし、パニックに陥ることは許されない。我々はロシア連邦だ。歴史上、数々の危機を乗り越えてきた国家だ」

 

全員が、大統領の言葉に耳を傾けた。

 

「今から、以下の対応を取る。第一に、全軍に第二級警戒態勢を取らせよ。ただし発砲は厳禁だ。我々は今、未知の世界に放り込まれた。ここには独自の文明、独自の国家が存在している可能性が高い。いかなる状況でも、先制攻撃は避けねばならん」

 

「了解しました」

 

「第二に、科学アカデミーに緊急招集をかけよ。この現象のメカニズムを解明する必要がある。そして、可能であれば、元の世界に戻る方法を探れ」

 

「はっ」

 

「第三に、国民へ向けた情報統制を行う」

 

この言葉に、一部の大臣が顔を上げた。民主化を推進してきたヴォルコフ政権にとって、情報統制は本来避けるべきものだった。

 

大統領は、その視線を受け止めながら続けた。

 

「誤解するな。嘘をつくわけではない。しかし、現時点で全ての情報を公開すれば、確実にパニックが起こる。食料の買い占め、暴動、治安の悪化…そうなれば、我々は内部から崩壊する」

 

「では、どうすれば…」

 

「段階的に情報を開示する。まず、『原因不明の通信障害が発生している』と発表する。そして、『政府は全力で原因を調査中である』と伝える。同時に、食料やエネルギーの備蓄状況を確認し、市民生活に支障がないことを強調する」

 

「なるほど…」

 

「幸い、我々は食糧も資源も自給できる。エネルギーも、石油、天然ガス、原子力がある。当面の生活には問題ない。時間を稼ぎ、状況を把握し、然るべきタイミングで真実を伝える」

 

「承知しました」

 

「そして、最も重要なこと」

 

大統領は立ち上がり、窓の外、異様に青い空を見つめた。

 

「外交チームを編成せよ。もしこの世界に知的文明があるのなら、我々は接触し、対話しなければならない。武力ではなく、対話によって。それが、この状況を生き延びる唯一の道だ」

 

「大統領閣下」

 

外務大臣が立ち上がった。

 

「もし、相手が敵対的だったら?」

 

「その時は…」

 

ヴォルコフは振り返り、厳しい表情で答えた。

 

「その時は、我が軍の全力をもって我が国民を守る。しかし、それは最後の手段だ。まずは、平和的接触を試みる」

 

会議は、その後3時間続いた。各省庁の対応、軍の配置、情報管理の詳細、そして外交戦略。全てが、慎重に検討された。

 

そして、この日から、ロシア連邦の異世界での新たな歴史が始まった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。