私のたった一つの望み、ドゥー・ムラサメ救済 作:黙っている一般将校
カミルは自分がなにをしようとしているのか、わからなかった。
しかし、カミルの脚は確実に『何処か』へ向かおうとしていた。
レンタルしていた
そうして、彼はとうとう『歓楽街』にまで来てしまった。
まるで其処に行く事が必然であったかのように。
もはや開き直り始めていたカミルは、
其処は『30バンチ』の中でも比較的治安が悪いエリアだったが、彼は不思議と恐怖を感じなかった。
真っ昼間だというのに、酔っ払いが道路脇で酔い潰れている光景。
カミルは顔を顰めながら、そんな視界から目を逸らした。
「ぐへへ、いい子だぁ………」
それは、決して大きな声ではなかった。
しかし、カミルに確実に聞こえた。
その意味するところもわかってしまった。
「許せないヤツだ……!」
カミルは堪らず走り出し、『路地裏』に飛び込んだ。
今にも握り拳を振り翳さんと、全身に渾身の力を込めながら。
そして彼は、路地裏の影の中で、大柄なチンピラが一人の『少女』の腕を掴んでいる様子を見た。
その腕は、白磁が如く色をしていて、すぐにでも手折れてしまいそうなほど細かった。
「何やってんです!アンタは…!」
カミルは叫びながら、チンピラに殴りかかった。
渾身の力が込められた拳は、容易くチンピラの顎に吸い込まれていく。
「うぐっ!…コイツぅ!?」
「そこの女の子っ…もたもたしないで…!」
「……?」
「いいから!」
顎を殴られ、たたらを踏むチンピラには目もくれず、カミルは目前の『少女』の手を引いて走り去った。
路地裏を脱し、できるだけ人通りの多い道に出て、人々の合間を縫うように走り抜けながら、カミルは思った。
(まだこんなに細い子を相手に…!)
もうこの時、さっきまで感じていた……彼を突き動かした『直感』の事など、頭の片隅にもなかった。
ただ、目の前にあった……劣情を催した男に襲われそうな『少女』の危機を、なんとかしてあげたいという、純粋な願いだけが、彼の頭の中で芽生え始めていた。
(…もしも、もしもだ……俺がいなかったら…)
その時カミルの脳裏に、悍ましい妄想が広がった。
路地裏の影の中、無茶苦茶にされて、服を剥ぎ取られ、テラテラと濡れる髪ごとゴミ箱に顔を突っ込まれ、全身を埃と擦り傷で汚しながら、力なく横たわる少女の身体。
なんと無惨な姿だろうか!
(こんなの俺の妄想だ……酷い妄想なんだ…!)
カミルは、脳裏にチラつく惨い妄想を振り払って、なんとか思考を回してレンタルしていたエレカをもう一度借りる事とした。
駐車場まで走って、カードキーを取り出して、助手席に『少女』を座らせる。
そうしてエレカを発進させようとしたのだが、そこでカミルは注意深く辺りを見回した。
どうやら、もうチンピラは追っては来ていないようだった。
「……追ってはきてないか」
カミルは危機を脱したと見て、一度深呼吸をした。
「ねぇ」
「えっ…?」
その時、『少女』は初めて声を発した。
まるで鈴を転がすような声だ。
それは美しいというよりも、可憐な声だった。
カミルは、改めて目の前の少女を見た。
歳は15くらいだろうか。
けれど、その身体はまるで枯れ木の様に細かった。
血が通っているようにはとても見えない白磁のような肌と、顎に引っ掛けている…マズルガードのような、黒いマスク。
彼女の貌は西洋人形のように整っていたが、どこか歪に感じる異様な装いや雑多に伸びっぱなしとなっている白髪、そして白い肌のせいで余計に目立ってしまう…その目元の隈や
「僕をどうしたいの?」
「は?」
「さっきのもそう……一体、どうしたいの?」
カミルは、咄嗟に答えられなかった。
目の前の少女は、第一印象と変わらず、人形のように無表情であったが、その青い瞳の中には、僅かな困惑を孕んでいた。
狭っ苦しいエレカの中で、しばらく沈黙が続いたが、カミルは目の前の少女が安心できるように、気がきく台詞を考え始めた。
「君が、困っている気がしたから助けたかったんだ」
「僕が……?」
「だってそうだろ?あんな……女の子相手に酷いことをしようとするヤツなんかに絡まれて……」
「酷いこと?」
「酷いことさ」
結局、カミルは上手く物を言えなかった。
少なくとも、彼は自身の物言いにそう思った。
けれど、目の前の少女は、カミルの飾らない物言いに何か思うところがあったのか……青い瞳の中の困惑は静かに消え、また、元の無機質な表情に戻った。
「名前は?君の」
カミルは、そんな少女を見て、すぐにでも『何処か』へ行ってしまいそうな気がして、堪らず、
「ドゥーって呼ばれてる、ドゥー・ムラサメって」
「難しい名前だな………」
「そっちは?」
「名前かい?…カミル・リンクスってんだ」
「カミル……………そう………」
『ドゥー』という少女は、そう小さく呟くと、顎にかけた黒いマスクを装着して、深く息を吸った。
「君、何か予定とかあるのかい」
「
「じゃあ時間潰しだ、さっきのは忘れた方がいい」
カミルは努めて笑顔を作り、態とらしく明るく振る舞おうと決意した。
ドゥーは、そんな様子を見て心が動いた訳ではなかったが、だからといってエレカから出て何処かをブラつく気にもならなかったので、曖昧に首肯いた。
こうして、少年は『少女』と出逢った。
それが、きっと必然であったから。
◆
カミルとドゥーの二人は、エレカを走らせ別の繁華街に来ていた。
サイド1『30バンチ』は、大都会と呼べるほど栄えてはいなかったが、田舎町と蔑まれない程度には、それなりに店が揃っていた。
カミルは裕福ではないので、彼の財布には僅かばかりの『
「
「勝手にして」
「食べてみなよ、きっと美味いぜ」
カミルは普段は貧乏性な性分である為、安価な合成食品しか食べない。
けれど、それだけでは味気がないし、なにより目の前の少女…『ドゥー』を楽しませてあげたいと思ったから、彼は躊躇なくホットドッグを2つ購入した。
今時、電子決済ではなく律儀に現金で支払うカミルに、ホットドッグ屋の店主は一瞬怪訝な顔をしていたが、カミルはそんな様子を意にも介さず、ドゥーに小走りでホットドッグを1つ手渡した。
「…………どうだい」
ドゥーは、その小さな口でホットドッグを一口齧ったが、表情は依然として、そのままだった。
「わかんない」
「そう?……美味しいじゃないか、
カミルは自分が空回っている気がした。
目の前の少女は、まるで
それもエレクトロニクスの
何故か、そう連想した。
だから、彼は次第に意地になってきた。
目の前の少女は、すぐにでも生気を取り戻すべきだと考え始めた。
そこに大層な理屈はなかったし、理路整然とした正しい根拠もなかったが、それでも、今の少女には必要な事だと思った。
その為なら幾らだってナンパになってやろう、とさえ決意した。
ホットドッグを片手にショッピング・アーケードを歩きながら、カミルはどうにか楽しいと感じられる『何か』を探した。
「……………あれ」
「ああ、ぬいぐるみか……」
ふと、ドゥーはゲーム・センターの中にある『クレーンゲーム』を見て、消え入りそうな声で呟いた。
視線の先には『ぬいぐるみ』があった。
それは、深緑の軍服を着ている、デフォルメされた黒い熊だった。
一見可愛らしいそれは、右眼があったであろう部分にオレンジ色の裂傷痕(のようなデザイン)があり、左脚が欠損している。
(これ作ったヤツ、趣味悪いんだな)
カミルは内心で毒づいたが、表に出さないように努めた。
「こういうのって大体インチキだけど、なんとかやってみせるさ」
「おお」
物欲しそうな目をしていたドゥーの為、カミルは腕まくりをしながら、クレーンゲームの筐体をあちこちから睨みつけ、それから狙いを済ませた。
財布の中には僅かな硬貨しか残っていなかったが、カミルは器用にクレーンを操り、ドゥーの目に留まった『ぬいぐるみ』を容易く手に入れ、そしてぬいぐるみの軍服をまじまじと眺めた。
その軍服には地球連邦軍と全く同じデザインをした『階級章』のワッペンが縫い付けられていた。
「へぇ〜…コイツ、『曹長』だってさ」
「この子、下士官なんだ」
「コイツらも連邦の連中みたいに軍縮すべきだよ」
カミルは肩をすくめて軽口を言ってみせたが、ジーッと『ぬいぐるみ』を眺めているドゥーには聞こえなかった。
「あげるよ」
「いいの?」
「君が欲しそうなんだ、その方がいい」
ドゥーは、ぬいぐるみ……つまり『曹長』をギュッと抱きしめて、ようやく表情を柔らかくした。
(なんだ……笑えるじゃないか…)
カミルは、微笑む少女の姿を見て、ようやく肩の力を抜く事ができた。
これまでの間ずっと、彼は気張っていた。
何故なら、ドゥーはずっと笑わなかったからだ。
緊張だとか警戒だとか、そういった『外的要因』によるものではなく、まるで最初から笑みを浮かべるという手段を持たない、つまり『内的要因』によって、彼女は笑えないのではないか……彼はついさっきまで、そう思ってしまっていた。
けれど、どうやらそれは間違いらしい。
ドゥーは、微笑む事ができる。
たったそれだけの事であるが、それがどれだけ大切な事なのか、カミルは分かっているつもりだった。
◆
それから二人の少年少女は『曹長』と共に、街中を練り歩いた。
ドゥーは、カミルに心を許したのか、それとも別の思惑があるのか……ともかく、彼女は柔らかな表情を携えて、様々なものに興味を示し始めた。
『カミル、あれはなに?』
次第にドゥーは、カミルの名を呼ぶようになった。
『あれはね、ドゥー…』
カミルもまた、自然と彼女の名を呼ぶようになった。
夕方になる頃には、二人はすっかり打ち解けていた。
しかしカミルは既に、目の前の少女が『普通の少女』ではないと察していた。
何故なら、この少女『ドゥー』は、あまりにも物を知らなかったからだ。
行く先々で、純粋な顔をしながら疑問を浮かべる姿は、どこか『痛々しさ』さえ感じさせた。
もし普通に育ったのなら、彼女は既にペット・ロボットやぬいぐるみのような
けれど、ドゥーは……
(俺はドゥーに同情している…何様なんだ、俺……)
カミルはふと、少しだけ自己嫌悪をした。
何故、この様になってしまったのか。
何故、彼女と一緒に街中をブラブラしているのか。
何故、わざわざ見栄張ってケチらず外食をして、ゲーム・センターの中で遊び歩いているのか………
それはきっと、彼女に同情しているからだ。
チンピラに絡まれた事への同情ではない。
とてもこの『
それが、カミルから見れば痛々しくて仕方がなかった。
「楽しかったか、ドゥー」
「ん?……んー、どうかな」
「
「まぁ、
「
「うん、でも……どうなのかな…」
カミルとドゥーの二人は
行先は『リニア・カー』のステーション。
ドゥーが『そろそろ帰らないといけないから』と言って、指定した場所だった。
カミルは運転しながら、チラリと横目で助手席を見た。
ドゥーは、ダラリと身体をシートに預けながら、トマトをチビチビと齧っていた。
(
「……なに、カミル」
「なんでもない」
「ふーん」
車内での会話は、そこで途絶えた。
ドゥーは、ボンヤリと窓の外を眺め始める。
それは名残惜しさの現れなのか…?
或いはただの気まぐれなのか……
真意を聞けないまま、二人はステーションに到着した。
そろそろ暗くなる時間であっても、ステーションは人々の為に輝きを放っていた。
「たぶん、もう会わないね」
「そうか、寂しくなるよ」
「……もういらないからトマトあげる」
「えっ」
「じゃ、
「あっ、ちょっと…!」
ドゥーは、薄情なくらい淡白な態度で、さっさと別れを告げてしまった。
カミルの呼び止める声を無視して歩く姿は、出逢ったばかりの時のように、無機質な雰囲気を帯びていた。
時刻は22時30分。
カミルは門限を破ってしまった言い訳と、今日だけで一体どれだけの生活費を使ってしまったのか、エレカのレンタル費用はバカにならないのに、などと考えながら、寮に帰った。