年齢は、ある日から数字として現実に迫ってくる。
それまでは、ただのプロフィール欄だった。
何歳だからどう、という話じゃない。
問題は、
「この年齢でそれは未確定なのか」
という視線が、
自分の中に生まれることだ。
周りは進んでいる。
結婚した。
子どもが生まれた。
家を買った。
転職した。
起業した。
誰も誇らしげではない。
むしろ淡々としている。
それが一番、効く。
彼らはもう、
「選ばなかった人生」を
話題にしない。
選んだ側の愚痴だけを言う。
それはいい。
誰だって愚痴を言う権利はある。
俺はというと、
選ばないままの選択肢を、
まだ頭の中に並べている。
並べて、
比べて、
どれも決め手に欠ける、
という顔をしている。
中途半端な顔だ。
実際は、
決め手がないんじゃない。
失効するのが怖いだけだ。
家庭を持つということは、
ある種の賭けだ。
相手がどう変わるか、
自分がどう変わるか、
ほとんど分からないまま
チップを全部置く。
いわゆるオールイン。
それは相当な覚悟がいる。
旅を日常にするのも、
別の賭けだ。
自由に慣れて、
刺激に鈍くなって、
「戻る場所」を
自分で消す賭け。
どちらも、
賢い選択には見えない。
賢い選択をしている人間は、
だいたい退屈だ。
でも、
退屈は安定と相性がいい。
安定という言葉は、
嫌いじゃない。
ただ、
自分に似合わない服みたいに
感じるだけだ。
彼女と会った。
二週間ぶりだろうか。
特別な話はしなかった。
季節の話、
仕事の話、
最近疲れているという話。
俺は彼女の話を聞きながら、
「この人と十年後も
同じ会話をしている可能性」を
想像していた。
悪くはない。
でも、
決定打もない。
この「悪くない」が、
一番人を縛る。
現状維持は一番エネルギーを使わない。
嫌ならやめられる。
でも、
嫌じゃないからやめられない。
帰り道、
信号待ちでふと思った。
俺は、
失敗するのが怖いんじゃない。
後悔が確定する瞬間が
怖いんだ。
今なら、
どっちの後悔も
まだ仮定だ。
家庭を選ばなかった後悔も、
旅を日常にした後悔も、
全部、
未来の話にできる。
でも、
一度選べば、
片方は確定する。
確定した後悔は、
言い訳が効かない。
物語にもできない。
ただの事実になる。
時間は、
その確定を
じわじわ近づけてくる。
「まだ大丈夫」
という感覚が、
少しずつ
有効期限切れになっている。
それに気づいた瞬間、
俺は少しだけ、
焦った。
焦った自分を、
すぐに軽蔑した。
焦るほど、
大した選択を
してきたわけじゃないくせに。
でも、
軽蔑しても、
選択はただそこにあり続けた。