パラドクサス・グレイル・ロワイヤル   作:和泉キョーカ

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「イブキ、なんだこのレジ袋は!」
「えっ!? いや、え……裏手のストアの……?」
「違う! レジ袋の購入元を聞いているんじゃない! 中身だ! またおまえというヤツはこんな不健康そうな添加物まみれの出来合い食ばかり……!」
「しょうがないでしょ! ぼく、自炊とかできないんだし……」
「……いいだろうっ! 今日はおれ特製の火鍋だ!」
「ほんっときみたちの国って、そうやってすぐ何にでも唐辛子入れるよね!!?」


少年、霧の都にて

 畢竟、それは運命――というほか、無かったのやもしれない。

「さて、それじゃあ問うとするか」

 雷鳴轟く豪雨の中で、その凛と澄んだ声は――まるで、雲間から覗く光条のようであった。

 喉の下が、焼けるように痛む。雨と共に流れ落ちる自らの血が、頭蓋の内側で痛覚を暴れ躍らせる。

 肌を伝う曇天の涙は、こんなにも冷たいのに。肌を食い破るアスファルトの牙は、こんなにも熱いのに。

 頭上から降り注ぐその声と、その眼差しは。

「きみが――おれのマスター、かな?」

 ――そのいずれの事物よりも、優しく、柔らかく、そして――温かかった。

 

 英国は首都、霧の都・倫敦。少年は、見慣れぬ街並みの中で孤立していた。

 スマートフォンの地図アプリと、周囲の標識や店舗名を見比べ、尚も首を傾げる。掌からじわりと滲むアルカリ性の水分で、端末を握る手も滑ってしまう。

「だ――だって、さっきこっちだ、って……」

 誰に咎められているわけでもないのに、思わずそんな言い訳が口をついて零れていく。

 少年は、名をイブキと定められていた。幼芽の息吹く季節に産まれたから、イブキ。生国たる日本の、同名を冠する霊峰の麓の産院で産まれたから、イブキ。ただ、それだけ。

 されど――故郷とは、土も風も、道も壁も違う異国の佇まいは、齢14のイブキにとっては、たちの悪い悪夢にも相違は無かった。

「こんなことなら……宿代けちって、変なホテル取るんじゃ無かった……!」

 悔いても、鴉1羽。クリーム色のレンガ壁に囲まれた狭い裏路地で、イブキの脚は再び止まってしまった。

 誰かが通勤用に使用しているであろう、駐輪スペースの川面に並ぶスポーツバイクの群れをぼんやりと眺めながら、薄ら寒くなってゆくロンドンの曇り空の下で立ち尽くす。

「……やばい、かも」

 スマートフォンの充電は、残り12%。時刻は既に午後5時を過ぎ、街灯が次々に灯り始めていた。

「おい、そこの中国人」

 高圧的なクイーンズイングリッシュに呼び止められ、イブキは肩を飛び上がらせて反応してしまう。

 振り向けば、そこにはスコットランド・ヤードの制服に身を包んだ二人の屈強な現地人男性が、イブキの方へと歩み寄ってくるところだった。

「よ、よかっ――!」

 直後、イブキは硬直してしまう。

 今しがた、自身は何をしていたか。――他人の所有物であるはずのスポーツバイクを、じろじろと見下ろしていたのではないか。

 そしてこの警察官たちはイブキの事を『中国人』と断定していた。民族差別的先入観を加味して推察するに――イブキは今、窃盗未遂犯だと思われていたのではなかろうか。

「――ぁ、ち……違っ……!」

 否、どれだけ言葉で否定しようと、14歳の子供の稚拙な言い訳など、誰が「はいそうですか」と納得するものか。

 大人というのは、一度「こう」と自分の中で結論を出力してしまうと、何がなんでも事態を自らの推理通りに組み立てようとする生き物だ。

「――……っ!」

 今宵の寝床が、留置所の硬いベッドと冷たいシーツだ、などとは、ごめんであった。

「あっ、おい! 待てっ!」

 次の瞬間、イブキの脚は全速力で駆け出していた。

 どこへ逃げるかなど、頭の中にあるわけもない。そもそもが迷子の身だったのだ。とにかく、あの欧州的筋骨の見本市のような警察官から、極力離れられれば――。

 

「は、ッ……はぁっ、こ――ここ、どこだろう……っ?」

 当然の帰結である。せめてテムズの畔が目の端にでも映れば、等と楽観視していた事実は否めないが、今の状況はそのレベルですら無い。

 左右は無機質なグレーの壁に挟まれ、道幅はイブキ2人分程度しかない。

「あ――そ、そうだ! 時計塔っ!」

 それは、ロンドンシティ最大級のシンボルマーク。西洋魔術の総本山にして、神秘が薄弱となった現代においては、英国最大規模の私設学舎のひとつでもある。

 魔術師の生まれで無いイブキにとっても、その名と権威は充分に知っている。

 そして何より、ロンドンのテムズ川近辺であれば、どこからでも見上げる事のできる、その特徴的な時刻盤付きの尖塔が特徴だろう。

 故にこそ、イブキはその威容を視界に収めようと、上を向く――が。

「っ……そ、そんなぁ……」

 イブキが腕を広げ切れない程の狭い路地の周囲は、天をも摩らんかと錯覚するような高い壁に覆われていた。

 時刻は間もなく午後6時。スマートフォンの電源は残り9%。アスファルト上には既に、湿気た黒斑点が疎らに現れ始めていた。

 はあ、と誰が聞いている訳でもない聞こえよがしな溜息を吐いて、イブキはバックパックから日本製の折り畳み傘を取り出す。

「……ふぅ」

 もうひとつ、溜息。四方八方、異国の現実感に圧搾される空気の中で、手元の折り畳み傘だけは、イブキと出生を同じくする『同胞』――そんな風に思えて、少しだけ自己満足的な安堵を得る。

 ――わかっていた。イブキは記憶の中の、折り畳み傘の購入タグに記載されていた『Made in Indonesia』の文言だけは、全力で思い出さないようにと、努めていた。

「……感傷で風邪が予防できるなら、苦労しないかぁ」

 年頃特有のニヒルな言葉で強がりながら、イブキは目の前で傘を広げる。

 

 八角形の黒い幕で覆われていた前方の視界が開けた瞬間、イブキは一種の違和感のような感覚を得ていた。

「……?」

 いま、何かが目の前を横切ったような。

「……」

 鼠か、野良猫の類だろうか。それにしては――。

 イブキの脳裏を、俗っぽい推察が過ぎる。ここロンドンは、幽霊や亡霊の温床なのだと、物の本で読んだ覚えがあったのだ。

 どんどんと薄暗くなってゆく路地裏で、イブキは身震いひとつ、足早にその場を去ろうと駆け出した。

 そう。駆け出した直後だった。

「――っ、うわあああぁぁッ!!?」

 空気が鋭く切り裂かれる音と共に、イブキの眼前に『何か』が墜落してきた。

「よう、ボウズ。ちっとばかし怪しす――チッ、んだよ。魔術師ですら無ぇじゃねえか」

 その『何か』とは、物干し竿か競技用の投槍を思わせるシルエットを有する、真紅の長物だった。

 表面に刻まれた非現実的な紋様から考えても、およそ現代の日常生活で目にする物質ではない。

「ボウズ、おいボウズ! ……産まれたての仔鹿かテメェは。聞こえてんのかボウズ!」

 イブキには、その長物の数秒後に同様に上方から飛び降りてきた男性の声も、ほとんど聞こえていなかった。

「ボウズ! ちゃんと聴け!」

 傘の下を覗き込むように屈んだことで、イブキは初めてその男性の存在に気が付いた。

 染めたようには思えない青い髪をオールバックに纏め、自身の髪に合わせるように全体的にブルーで統一させたストリート風のファッションに身を包んだ男性は、神秘的な紅い瞳でまっすぐにイブキを睨んでいた。

「おう、目が合ったな? これ以上無視しやがったら、たとえ魔術師じゃなかろうが問答無用で殺す。だから俺の話をよぉーく聞きやがれ!」

「こ、ころっ……!?」

「おう、殺す」

 大胆な殺害予告も、イブキにはおよそ冗談には思えなかった。

 青髪の男性は、イブキと視線を合わせるために中腰を保ったまま、現状について話し始める。

「いいか? お前さんは今、魔術と神秘を伴う殺し合いの中に迷い込んじまってんのさ」

「ころし……あい」

「……もっとも、けったいな仕組みのせいで、本気の命の奪い合いはできないようになってんだけどな」

 青髪の男性は面白くなさそうに目を細めながら、先を続ける。

「んで、俺の雇い主はお前さんみてぇな一般市民に被害が出るのを何より嫌う御仁でな。邪魔だからとつって、お前さんを蹴っ飛ばして先を急ぐ訳にもいかねぇ。それが魔術師じゃねえってんなら、尚の話だ」

 そこで青髪の男性は膝を伸ばし、アスファルトに突き刺さった長物を引き抜くと、それを肩に担いで踵を返した。

「目的地はあんのか? 見たとこ、この国の生まれでも無ぇんだろ。ガキの身で一人旅た、殊勝なモンじゃねえか」

「え、えぇと……」

 イブキは恐る恐ると、青髪の男性へ自身が目指していたホテルの名を告げる。

 あまりの急展開に、目の前の男性を疑う余裕は無かった。

「……ボウズ、今までよく独りで旅してこれたな。河跨いで向こうじゃねえか」

「う……」

 青髪の男性は、「兎も角」と吐き捨て、イブキがホテルに到着するまでの護衛を申し出る。

「さっきも言ったが、時計塔周辺は殺し合いがそこかしこで起きてるからな。地元の連中はこの時間、不用心に外にゃ出ないもんさ」

「そ、その……ありがとうございます。お兄さん……のことは、何と呼べば……?」

「あー? ……ま、『ランサー』とでも呼べや」

 ――その呼称に、心当たりがあった。

 イブキが産まれた時には既に、世界的に常識になりつつあった、かつて『再現不能』と謳われていた技術の産物。

 即ち、『サーヴァント』。本来であれば唯一絶対の栄光を手にするために、文字通り命を懸けて殺し合う目的で召喚される、過去を生きた英霊たちの写し身。

「ランサー……さん」

「ぁんだ、知り合いに別のランサーでもいんのか? なら『探偵社のランサー』でも構わねぇぞ。何にせ、たとえ人畜無害なボウズ相手だろうと、真名なんぞバラすつもりは無いんでな」

 そう言って、槍兵を名乗る青髪のサーヴァントは、手にした紅槍を肩に担ぎ、イブキを先導するように歩き出した。

「お、始まったみてえだな」

 それとほぼ時を同じくして、少し離れた地点から地響きにも似た轟音が聞こえてくる。あまりに唐突な出来事に、イブキは咄嗟に首を竦めて瞼を強く閉ざしてしまった。

「……ボウズ、お前さん産まれはどこだよ」

「あっ……え、に、日本です……」

「ニホン……ニホン、なあ。俺ァ行ったこと無ぇが、……不思議とどこかムカつく響きしてやがる。いつぞや召喚された時の記憶が悪さしてるのかもな。――日本じゃ出くわした事無ぇのか?」

「な、何に……ですか?」

 恐る恐る尋ねるイブキを、ランサーは一瞥だけして、すぐに正面へ視線を戻し、歩を進める。

「決まってんだろ」

 しかし、その声はどこか弾んでいるように、イブキには思えた。

 まるで、今この状況を心から楽しんでいるかのような。――まるで、こうしてこの地に喚ばれた再三の余生を、心から満喫しているかのような。

 

「――逆理の聖杯戦争、さ」

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