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ドレス姿で扉から次の部屋へ入る。そこは控え室のような場所だった。ソファに白い大きめの椅子、軽く身だしなみを整えられそうなドレッサー。本来の用途であれば、ここで挙式の最終確認とかをするんだろうけど。
「あいりちゃんはそこに座ってて。流石にドレスじゃ歩きにくいでしょ?」
「あ、うん」
いつもならウチも探すよと言うだろうに、今の王子様ルックなななこさんの前では、素直に頷いてしまう自分がいる。調子が狂うなぁと思いつつも、少し嬉しいウチは、ななこさんの言う通り、白い椅子に腰掛けようてして、止まる。
「なんだろ、これ」
座面にはコインと青いタコのぬいぐるみが置いてあった。コインは外国のもので、ぬいぐるみの方はデフォルメされたかわいらしいもの。
「?」
「サムシングブルーと幸せの6ペンスコイン、だって」
「え?」
見れば、ななこさんは何かの冊子を手に持っていた。
「ここに書いてあるんだ。花嫁が幸せになるための、そうだなぁ、願掛けみたい」
ななこさんはそう言って冊子を手渡してくる。結婚の形式や費用、結構準備まで、色々書いてある結婚情報誌のようで、その中に確かに『結婚式のジンクス』のページが特集されていた。
「あ、気をつけてね。何ページかインクで汚れてるから」
「うん」
「……これ、持っていく?」
「せっかくだしどっちも持っていこうかな。6ペンス硬貨は、あっ、花嫁の左靴の中だって」
「うん。このタコのぬいぐるみも小さいし、私の方のポケットに入れておこうかな。あ、じゃあ、ちょっと失礼するね?」
「え?」
何かを答える前に、ななこさんはウチの左の靴を脱がせ、そこに硬貨を入れた。うーん、なんかこう、ほらぁ、うーん。
「どうかした?」
「ううん、なんでもないよ」
むずがゆい感じがして、ウチは誤魔化した。
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控え室から繋がっていたのはクラゲ水槽だった。
「ここに繋がるんだね」
昼間は意識はしてなかった扉から出ると一気に日常に戻ってこれたのを実感する。『幸せ』はまた今度か。そんな風に落胆しているウチだったけど、その思考が一旦固まる。なぜなら、水槽の中に黒色の『何か』がいたからだ。ガラスの向こう側だから音は聞こえないはずなのに、それは不快な音を立てながら形を作っていく。
まずは胴体らしき部分ができて、そこから4本の触手が生え、最後に頭部が生える。そして、原始的な口がぱかりと開き、にやりと笑った。
「っ」
「やっぱり、『神話生物』……! あれを、あれを、私は……っ」
「……ななこさん?」
隣を見ると、ななこさんの様子がおかしい。水槽の中を睨み付けながらも、過呼吸のようになっていた。
「ななこさん……ほら。一緒に深呼吸しよ? 前やってくれたみたいにさ」
「っ、は、は……」
「吸って……吐いて……」
「うん…………すぅ、はぁ、すぅ……はぁぁ」
「ななこさん、落ち着いた?」
「っ、う、うん……あはは、格好つかないね」
「そんなことないよ。でも……」
ここからすぐに逃げなきゃという気持ちに駆られる。けれど、こんな衣装ではまともに逃げれない。頭を回そうとしていると、背後の扉が開く音がした。そこには従業員の制服を着た誰かが立っていた。
『………………』
「! 助かった……?」
「っ、だめ。あいりちゃん、あれもたぶん……」
『………………』
制服を着たその人はふらつきながらこちらに向かって歩いてくる。そして、話し出す。
『きょしき……ぎしき。女王に見せれば、何もせず帰す。もし嫌がったら、歌を聞かせて、無理やりいうことをきかせなければならない。協力をしてほしい』
たどたどしい言葉と音。その人が人間でないことはすぐにウチも理解した。でも、なんとなくだけど、敵意は感じられない。だから、何もせずに帰す、という言葉も信じられなくは……ない。
「ななこさん……」
「えっと、挙式……か」
考える素振りをしたななこさんは、少ししてから頷いた。
「う、うーん。それでいいなら……」
「うん、分かった」
正直、危害を加えられても別にいいと思ってる。それで『幸せ』になれるなら。でも、今はーー
「花婿さん、一緒に愛を誓ってくれる?」
「……もちろん喜んで。お手を、私の花嫁さん」
甘い、刹那の『幸せ』に浸っていたい気分だった。
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ななこさんの腕に片手を添えてそのまま歩く。幻想的なターコイズブルーの光が降り注ぎ、レースのトレーンに複雑な模様を作っている。幻想的だと思った。
「……ふへへ。ウチ、ななこさんに会えてよかったと思うよ」
「私も。あいりちゃんと会えてよかった」
「とっても綺麗な景色の中で、とっても綺麗なななこさんと歩けて、ウチはすっごく幸せだよ」
「……私も、幸せ者だ」
上を見上げれば、エイが優雅にひれを揺らめかせながら通り過ぎる。その後ろを小魚たちが群れを成し、反射光がちかちかと通路に降り注ぎ、まるで歩く道自体が輝いているように見える。それはまるで、ウチとななこさんを祝福してるみたい、っていうのはロマンチストすぎるかな。
「素敵な景色……これ、一生忘れない、ね?」
「うん。絶対忘れないよ、ふへへ」
そうして、会話をポツリポツリとしながらしばらく歩くと、深海エリアに着いた。前をふらふらと歩いていた誰かがそこで止まる。それに倣って、巨大で暗い水槽を見上げた。最低限の照明で照らされた中で、ふと深海の闇を設置されていた照明がまるでスポットライトのように切り裂いた。
「………………っ」
「あ……」
思わず声が漏れた。切り裂かれたその明かりの中には、ベルベットブルーの中に漂う、白い肌の女性がいた。銀髪をゆらゆらと海藻のように漂わせるその人は一瞬、水死体かと思うくらい白さだった。けど、本能的に理解する。彼女の歌う歌を聴きながら、理解する。『普通ではない何か』がそこにいた。
『さぁ、誓いましょう。この女王の前に愛を』
彼女が歌うようにそう口にすれば、いつの間にか周囲にいた彼らが拍手の真似事をしている。
「ななこさん……」
一瞬怖くなって、ななこさんの手を握る。顔を見れば、険しい表情で水槽を見つめていたななこさんだったけど。
「あいりちゃん、大丈夫。たぶん今は害はないよ」
「…………うん」
その言葉で、その表情で、ウチの心が穏やかになっていくのを感じる。2人、向かい合い、見つめ合う。
「あいりちゃん、貴女を一生大切にする。一夜の関係から始まった私達だけど……今は貴女しかいないと思ってる。愛してるよ」
「ウチも、ななこさんが大好き。ななこさんがいっぱい愛を伝えてくれたから、私も愛を知れた気がするよ。ななこさんのこと、絶対不幸にさせない。大切にする。愛してるよ」
そのまま、ななこさんはウチの眼前にあるフェイスベールを上げて、顔を近づけてくる。目をつぶる。やがて、ウチとななこさんの距離はゼロになった。
拍手の音と歌声が響く。ななこさんの息遣いと香りを感じる。そうしているうちに、どんどんと意識が遠退いてーー。
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目が覚める。最初に目に入ったのはよく知っている天井。ななこさんのお部屋だ。ウチはソファに座り込んで眠ってしまっていたみたい。
「夢……じゃない」
雑に座っていたせいで、少しシワになった純白のドレスが、あの出来事は現実なのだと物語っていた。
「…………あいりちゃん、起きた?」
キッチンから2人分の飲み物を持って、ななこさんがやって来た。ウチと違い、ななこさんは普段着で。
「ああ、流石に着替えたよ。白い服だと飲み物を淹れるのも一苦労だから」
「そっか」
ちょっとだけ残念。
「夢、じゃなかったのは、格好を見れば分かるよね。それに私のスマホにも、たぶん『あの人』たちから連絡が入っていたから。バイト代はいれたよっていうのとまたぜひ来てほしい、ってさ」
そう言って、肩をすくめるななこさん。まぁ、怖い目に遭わないなら、デートは望むところだけれど。その後、ななこさんは着替えておいでと寝室を指差して、それから……。
「ところでさ」
「なあに?」
「今度、改めてうちの親に会ってくれないかな?」
「へ? ななこさんの?」
それは別にいい。昔、お世話にもなったし、なんだったら久しぶりに会いたいくらい。そんなくらいの感覚でいたんだけど、どうやらななこさんは違うようで。
「ぜひ紹介したいんだ。大切な、将来を誓い合った人だって。ね?」
「へ……!?」
「だめ、かな?」
「…………予定、空けときます」
「ありがとう」
挙式の真似事をした夜。最初の一夜以上に、きっと忘れることができないと思う。底なしのベルベットブルーの夜に飲まれ、結ばれたあの夜のことを。
「愛してるよ、ななこさん」
「うん。愛してる、あいり」
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END:A『ブルーサファイアはこのあとで』
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