通過者及び視聴済みの方のみお読みください。
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『誰かの手記』
ここに来てからどれだけの時間が経ったのでしょう。住めば都とはよく言ったもので、ここは思っていたほど悪い場所ではありませんでした。知らないものが山ほどあって、時には旅人と話をしたりして。退屈する間もないほどに、目まぐるしく日々が巡っていきます。
それでも、私の隣にあなたがいないのは、やっぱりどうしたって寂しいことです。寂しいと思うことさえ、私には大切なことなのです。
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その日はとても寒かった。いつものように残業を終え、時刻は19時半。いつの間にか雪が降っていたようで、オレンジの街灯が照らすアスファルトにはしんしんと雪が積もり、少しずつ街の輪郭を覆い隠していく。周囲に人も車もない。いつもと違う自分の足音だけが聞こえた。雪が積もっているのもあって、音が吸収されてるんだろう。どことなく静かだ。
チカチカと点滅する街灯の下に人影があった。それはあいりちゃんだった。私に気づいたようで、こちらに笑顔を向けてくれる。
「おつかれさま、ななこさん」
「あ、あいりちゃん!? どうしたの? こんなところで……というか、もう遅いのに」
「ふへへ、ウチも一緒に帰りたくなって待ってたんだ~」
鼻の先は少し赤くなっており、擦り合わせている両手は白い。どれだけ待ってたんだろう。
「連絡してくれたらよかったのに……んへへ」
「ななこさん、今日は寒いね…。ななこさんは寒いの、好き?」
「んー? そうだなぁ。あんまり得意じゃない、けど」
不意打ち気味に手を繋ぐと、あいりちゃんは一瞬ビックリしたような表情を見せてから、ふにゃりと笑う。
「こんな風に手を繋げるのは好き、かな」
「ふへへ、今日はいっぱいおてて繋ごうね!」
「うん」
「ここでじっとしてても凍えちゃうし、早いとこ帰ろっか、ななこさん」
「そうだねぇ」
手を繋ぎながら歩く。外気にさらされているから、コートのポケットに手に入れてたさっきよりも寒いは寒い。けど、
「ふへへ」
隣で笑う恋人の顔を見たら、それ以上に心があったかくて。
「それにしても寒いね。ねえねえ、帰りながらあったかいもの食べたくない……?」
「あ、ふふ、実は私もそう思ったところ……いつもは買い食いだめだよーって言う側なんだけどね。コンビニ寄って肉まんとか半分こする?」
「うーん、そうだなぁ……あっ! あそこの喫茶店ちょっと気になるんだけど、ななこさんはどう?」
あいりちゃんの指差す方を見ると、そこには喫茶店があった。普段通る道だけど、こんなところにこんなお店あったっけ? 少し不思議に思いながらも頷く。今は寒さをしのげて、このお腹の虫も収めてやりたかったから。
「ご飯前だけど、寄ってみる?」
「そうしよっか」
カランコロンと鈴の音が鳴り、店内のあったかい空気に包まれる。
「ん、あったかい……」
「わ、眼鏡が!」
「ふふ、まっしろななこさんだ」
「ねー、んへへ」
眼鏡を拭いていると、店員さんが案内してくれる。時間が時間だからか店内はあまり混んでいない。案内された窓際の4人がけの席に座ると、雪の積もる街路がよく見えた。机の上には料理のメニューと注文ボタンがあって。
「……ふふ、いい感じの内装だねぇ」
「ふへへ、そうだね、ななこさん」
笑いあいつつ、メニューを開いてみる。珈琲や紅茶など喫茶店らしいメニューの他に、手書きで書かれたおすすめの文字が目に入る。
「キャロットケーキ、季節のパンケーキ、カモミールティー、だって」
「うん、それに『店主の気まぐれフワフワ』……?」
「なんだろ」
店員さんに詳細を聞くも、「フワフワはフワフワですよ」とはぐらかされてしまう。うーん、フワフワ、フワフワ……なんだろ。
「ふ、ふわふわ……ウチが頼んでみようかな」
「……えぇ!? おむらいすとかじゃない? おむらいすとかだったら、おうちでご飯食べれそう!?」
「うーん」
悩んで出したのは、カモミールティー2つと例のフワフワを2人で1つ。ドキドキしながら待つ。もしこれが店主さんの思惑なら、まさに術中にはまっている。少し待つと、注文したものが運ばれてくる。カモミールティーは至って普通のもの。フワフワは……。
「わたあめ、かなぁ?」
「思ったよりは小さかったね」
例えるなら手のひらサイズのわたあめ。
「食べてみよっか」
「うん」
何が正しい食べ方か分からないけど、スプーンがあるということはきっとこれを使えってことなんだろう。スプーンですくって、口に運ぶと
「あ、ひんやりしてる!」
「うん、甘くて……なんだろ、味の例えが思いつかないや」
「おいしいね、ななこさん」
「うん、そうだねぇ。それにしても、フワフワだぁ……うーん、なんだろ、雪、うーん、雲……うーん」
「……ななこさんってさ」
「んー?」
「本当においしそうに食べるよね……だいすき」
「へ!? も、もう、いきなりなに!? 照れるよぉ……」
急に褒めてくるあいりちゃん。綺麗な黄色の瞳がこっちをジーッと見てくる。
「ふへへ、かわいいねななこさん」
「うぅぅぅ、あんまり見ないでぇ……食い意地がはってる32歳独身女性は痛々しいのは分かってるよぉ」
「へ? 全然痛々しくないよ? すっごく可愛いよ?」
「そ、それはっ、あいりちゃんフィルターですっ!」
「……ななこさんは世界一可愛い、私の、大事な人だから」
「あぅあぅ……わ、私だって、あいりちゃんのこと……とっても大切だよ?」
あいりちゃんはにこりと笑う。ぐぬぬぬ、どんどんあいりちゃん沼に嵌まってる気がするよぉ。
「ふへへ、すっごくかわいいお顔を見せてくれるんだね。うれしいなぁ……ふへへ」
「も、もう~~~っ」
「うぅぅ……て、あれ?」
目を伏せたから気づいた。足元に何かが落ちていた。それは本だ。
「なんだろ……文庫本?」
拾い上げてみると、表紙に『銀河鉄道の夜』と書かれた文庫本だった。誰かの忘れ物かな。
「『銀河鉄道の夜』……懐かしいなぁ。ななこさんは読んだことある?」
「うん、もちろん」
紛いなりにも国語の先生だからね。そう言ってから、あらすじを語る私。あいりちゃんはうんうんと頷いてくれて。
「終盤、一緒に旅をしていた親友のカムパネルラが急にいなくなってしまって、ジョバンニはひどく慟哭するんだよね。それが2人の本当のお別れだったって読者にわかるのはもう少しあとなんだけど。ジョバンニがほんとうのさいわいを探す話なんだよね」
そこまで言って、一瞬あいりちゃんの表情が真剣なものに変わった。
「ねぇ、ななこさん。ななこさんにとって『本当のさいわい』……幸せってなんだと思う?」
急に放たれた質問。なんだろう、雑談の中のものなんだけど、これにちゃんと答えないと、よくない。そんな気がした。
「ええと……その……あんまりかっこよくはないんだけど……笑わない?」
「もちろん、ななこさんの答えなら何でも聞きたいよ」
ありがと、と返し、私は口を開く。
「大切な人といっしょにいて、いっしょに楽しいこととかおもしろいものを共有できたら、それは『幸せ』だなって思う、かも」
国語の先生だから詩的な表現とか文学的な返しができたらいいんだけれど。それでも目の前の彼女には気取らない自分の言葉の方がいい気がした。
「きっと本当の、なんていうには浅いんだろうけどね、んへへ」
「そっかぁ。ウチも幸せだよ、ななこさん」
「うん、私も」
また、笑い合う私達。それから追加で珈琲を2つ頼んで、また待つ。
「ねぇ、ななこさん、五億年ボタンって知ってる?」
不意に、あいりちゃんからそんな問いがきた。たぶん呼び出しボタンが目に入ったからだと思うけど、だいぶ唐突。まぁ、ネットで見ることもある話だったから知ってるよと返す。
「ななこさんならそのボタン押す…?」
「う~~~ん? そうだなぁ」
ボタンを押すと大金がもらえる。けれど、なにもない空間に五億年飛ばされてしまう。年老いることもなく、腹が減ることもなく、その間の記憶は消え、時間も元に戻るらしい。そんな都市伝説というかなんというか。少し悩んでから私は答える。
「押さない、かも? だって、記憶がなくなるとはいえ、五億年過ごすのは……怖いかな」
「そっかぁ……まぁ、そうだよね」
「それより、五億年ボタンの話、あいりちゃんが知ってるの、意外だったな」
「ボタン見てたら思い出しちゃって」
そんな話をしている間に、珈琲が届いた。飲もっかと促し、私達はもう少しだけあったかくて心地よい時間を過ごした。
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「さ、さむぅ」
店のドアを開けて外に出ると、いつの間にか雪は降り止んだようだった。それでも冷えた空気が顔に触れて寒さを感じる。あたたかい珈琲を飲んだお陰で、身体はまだ温もりを保っているけど、きっと長くはもたない。自然と早足になる。
「あ」
あいりちゃんがふと声をあげた。視線をたどると、その先には公園があった。なんの変哲もない公園。けど、芝生の上の雪は溶けにくいのか、街路よりも厚みのある雪の絨毯が敷かれている。
「わぁ、足跡一つない公園だよ! ねぇ、ななこさん……雪だるまつくーろー」
「ドアを開けて~? ふふ、ほんとに作る?」
どこかの映画のように返し、問い返すと、あいりちゃんは頷いてくれた。身体は冷えちゃうかも。だけど、こんな機会はあまりないだろうし。
「ふふ、小さいやつにしよっか。ちゃんとした道具はないし」
「うん。あ、ななこさんには頭をお願いしてもいい?」
「わかった!」
こうして、雪だるまを作るなんて久しぶり。そう思いながら雪玉を転がしていく。ふふ、結構楽しい。
「あ」
気づけば、想像よりも大きな雪玉になってしまった。あいりちゃんの方を見れば……。
「うぅ……ごめんね、ななこさん。ウチあんまり向いてなかったかも……」
なかなか前衛的な形をした雪玉ができていた。あらら。
「いいのいいの、こういうのは作るのを楽しむものだからね? ほら、一緒持ち上げてくれる?」
「う、うん」
私のをあいりちゃんの作ったものの上に乗せる。バランスは悪い。それに歪だけど、これはこれでかわいい、かも。2人で顔を見合わせて笑い、コートについた雪を軽く払う。
「たまにはこういうのもいいね。子供の頃が懐かしいな」
「うん、久しぶりに童心に帰った感じする」
そう話しつつ、公園を出ようとして、つるん、と足元が滑って。
「あっ」
「ななこさんあぶないっ!」
危機一髪。あいりちゃんが私の手を引いてくれたおかげで、お尻を強打せずに済んだ。
「あっ、ぶなぁ……」
「あ、ありがと。あいりちゃん……ふぅ」
「大丈夫だった!?」
「う、うん……せ、せーふ、あはは」
危うく腰をやるところだった。生徒たちに雪遊びしてたら腰を打った、なんて言えないもんねぇ。
「はい、ななこさん」
「うん、ありがと」
手をぐっと引いてくれるあいりちゃん。 触れた手からじんわりと体温が伝わる。目の前にいるあいりちゃんに笑いかけると、どこか照れくさそうに笑って、それから目を伏せた。
「?」
勘違いかもしれない。でも、私は感じていた。目の奥を覗き込まれないようにするような、そんな仕草。まるで、そこに何かを隠しているみたいに……。
「っ」
瞬間、なにかが私の中でストンと落ちた気がした。どうしてなのかはよくわからない。けれど、今見ている景色も、聞こえる音も、すべては現実じゃない。この世界も、あいりちゃんも夢の中の幻なのだと、唐突に理解した。
「帰ろっか、ななこさん」
「え、あっ……」
ふと思う。なんで、こんな夢を……? いや、別にあいりちゃんが出てくるのはよくあることだけど。それにしても、そうか。夢は深層心理の現れ。なら、私はあいりちゃんとこうして帰り道デートしたい、とか? うー、年甲斐もないことを……。少し恥ずかしくなる。けれど、こうして夢見たのも何かの縁。起きたら、帰り道デートのお誘いでもしてみよっかな。
「ななこさん?」
「…………あ、そうだね。帰ろっか」
手を繋ぐ。あったかい。
そのあたたかさに気を取られて、私は気づかなかった。彼女の表情に浮かぶ寂寥を。
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