黄昏の姫と緑の勇者: RTA Any%怪異譚~ミドナが語る『世界線物理学』のミステリー 作:nocomimi
ハイラル王国南部、ラトアーヌ地方の農村――トアル村。
この静かな村に、一人の若者がいた。
名をリンクという。
彼は、のちに「ザント・ガノンドロフの乱」という未曾有の危機から王国を救った勇者としてうたわれることになる英雄である。
しかし、彼にまつわる“世にも奇妙な話"。これは果たしてどれほど知られているだろうか。
それは、巷で言われるように、「狼に変身できる」といったたぐいの話だけではないのだ。
申し遅れた。私、ミドナは、影の国の王女である。
影の国とは、太古の昔に魔術に長けた一族がハイラルから追放されて成立した、もう一つの王国である。
そして、その国でザントという男が起こした蜂起により、私は故国を追われ、ハイラルに迷い込んだのである。そして私はこのリンクと出会い、彼と協力関係を結ぶに至った。
そして、彼の助力により私は影の王国を取り戻し、いっぽう私は彼がハイラル王国を魔王の手から救うのを助けたのである。
それは読者諸君よくご存じの通りかと思う。
だが、彼は同時に、私の目の前で世にも不思議な技をいくつか行った。
私自身、影の魔力を操る魔法使いであったのだが、その私でさえ原理を知り得なかったような怪異を、彼は起こしたのである。
その記憶が薄れぬうち、私は彼と冒険を共にする過程で経験したいくつかの奇怪な逸話を、ここに記そうと思う。
それらが、現実のことであったかどうかは、読者諸君のご判断に任せたい。
だが、私ミドナは、確かに経験したのである。言葉では言い尽くせないような怪奇現象を。
そして、目撃したのである。このリンクが、世界と時間の裂け目をすり抜けるさまを。
* * * * * * * * * *
まず、このリンクが私、ミドナと出会う前の経緯を、伝聞によるものではあるが、一通りまとめておきたい。
このリンクは農夫であり、山羊追いであった。
彼はあるとき、剣の師であるモイから、ハイラル城へ献上品を運ぶ仕事を託された。今まで村から殆ど出たことのないこの素朴な若者にその任務が持ちかけられると、彼はそれを二つ返事で引き受けたという。
そしてその日の夕刻のことだ。
山羊飼いのファドが、山羊を小屋に戻すのを手伝ってほしいとの用件でリンクの家を訪れた。
リンクは呼び声に応じて家を出てきた。
ちょうどその頃、彼の愛馬エポナは、幼馴染のイリアによってラトアーヌの泉で手入れを受けていた。
村人たちは当然、リンクがエポナを迎えに行くものと思っていた。
だが――彼はなぜか、家の脇に転がっていた岩を抱え上げて運び、村の北端にある境界の柵の前に置くと、
助走もなく斜めに跳躍し、そのまま柵の中へ“メリ込んだ”というのだ。
次の瞬間、彼は柵をすり抜けて外側に立っていた。
そして、何のためらいもなく、村の外れの橋から“飛び降りた”。
彼の奇行について、誰も理由を説明できなかった。
ある者は「気が触れたのだ」と言い、別の者は「魔物に魅入られたのだ」と噂した。
だがその後――彼は翌日の昼、村の北にあるフィローネの森に突如として現れたのである。
しかも、緑のチュニックと鎖帷子、しっかりしたブーツに鉄の剣と盾まで身につけて。
村人たちは驚き怪しんだ。いったいどこから、そんな装備を手に入れたのか。
そして、なぜ彼は“村の外側”から突然現れたのか。それは誰にも分からなかった。
その後リンクは森の奥へと踏み入り、そこからタロを連れて戻ってきた。
村人たちは口々に不思議がった。
「一体タロはいつ、森に迷い込んだのだろう?」
タロが森へ向かったのを見た者が、どこにも存在しないのだ。
さらに奇妙なのは事件の起きた時間軸である。
リンクが橋から飛び降りたのは夕方だった。だが彼が再び姿を現したのは、翌日の昼頃である。
その間、リンクはどこにいたのか。何をしていたのか。誰もこれを説明できなかった。
村人たちは推測するしかなかった。
「魔物にさらわれていたのだろう」
「いや、気が触れて森に迷い込んだのだ」
だが、どの説も辻褄が合わなかった。
タロが森の奥に連れ去られた“原因”も、
リンクが装備を手に入れた“経緯”も、
この村の誰一人として、見ていないのだ。
* * * * * * * * * * *
だが、怪異はそこで終わらなかった。
その翌日のことである。リンクはいよいよ任務を果たすべくハイラル城へ向かうに先だって、いつものようにファドの山羊たちを小屋へ追い込むのを手伝った。そこまでは、いつも通りの朝だった。
だがその後、リンクは城へ向かうのではなく、まっすぐボウの家へ上がり込んだ。
ボウはリンクにとって養父のような存在であり、家に入ること自体は不自然ではない。
問題は――その会話の内容だった。
ボウはリンクを見るなり言った。
「無事だったのか。一体どうしたんだその格好は?」
だがリンクは、まだどこにも出かけていない。昨日の奇行を除けば、その日はまだ村の外に出た形跡すらない。
それなのに、ボウの口からは次のような言葉が自然にこぼれ落ちていった。
「子供たちはカカリコ村に?ではイリアも一緒なんじゃな?……ああ、よかった。あの村なら安心だ。あそこの祭司のレナードはわしの旧友でな。あいつなら信頼できるからの。だが五人もうちの村から世話になりっぱなしというのも、なんとも心苦しいのう。わしにも何かできることがあれば……」
そこまで言って、ボウはようやく気づいた。
――ワシは一体、何を話しているのだ?
だが、気づいた時にはもう遅かった。彼の口は、まるで他人のもののように勝手に動き続けた。
「なに、ゴロン族が?」
ボウは自分の声に驚きながらも続けた。
「レナードがそう言ったんだな?」
その瞬間、ボウの背筋に冷たいものが走った。
ゴロン族ははるか遠く、オルディン地方に住む亜人。トアル村では話題にすら上らない存在だ。
知人のレナードがオルディン地方で牧師をしていることは事実だが、そのことをリンクに話した覚えは一度もない。
ワシは……何を知っている?なぜ知っている?誰がワシの口を動かしている?ボウは恐ろしくなった。
まるで何者かに、口と思考を支配されているような感覚に襲われた。
そしてまた、彼の意思とは無関係に口が動いた。
「確かにその通りだ。だがそこには秘密があっての。リンク、お前……誰にも口外しないと約束できるか?」
その後、二人は相撲を取った。
とはいえ、ボウはリンクが幼い頃から相撲を教え込んできた男である。昔を思い出して稽古をつけているのだと考えれば、それ自体は不自然ではなかった。
だが、しばらく稽古を続けた後、ボウはふとリンクに言った。
「リンク、どれほど相撲が強かろうと、人間がゴロンに勝てる道理はない。わしがゴロンに勝てたのは……別の理由があったのじゃ」
これもやはり、ボウ自身が望んでそう言ったというより、まるで操られるようにその口から言葉が出てきたのだという。
この会話について、のちのち村人たちは噂したものである。
「リンクが橋から飛び降りて姿を消したとき、彼は魔物の住む怪異の世界を覗き見たのではないか?」「そのせいで、ボウの言葉が操られたのではないか?」
しかし、怪異はそれだけでは終わらなかった。リンクは確かに、この会話の後、本来なら知るはずもないオルディン地方を訪れ、レナード牧師やゴロン族に会ってきたというのである。
その知らせを聞いた村人の中には、こう論じる者まで現れた。
「ボウは女神から“未来を見抜く目”を一時的に授かったのだ」
だが、真相は明らかではない。
なぜなら――ボウ自身が、自分の口が勝手に動いた理由をまったく説明できなかったからだ。
彼は後にこう語っている。
「わしは……あの時、自分の口が“知らぬ未来”を勝手にしゃべっておった。まるで、誰かに操られたようじゃった……」
そして、それらの会話のあと、ボウは金属でできた重いブーツをリンクに授けた。
リンクはそれを受け取ると、エポナを迎えに行くためにラトアーヌの泉へ向かった。先だって、イリアが怪我を負ったエポナを治療するため行っていたのだ。
ところが、ここでも奇妙なことがあった。
鉄のブーツを持ったリンクが、平然とボウの家からラトアーヌの泉まで全速力で走っていったのである。
あの重さを知る者なら誰でも分かる。普通の人間なら、持ち上げるだけで精一杯だ。
なぜリンクは、あれを抱えて走れたのか。これもまた、謎のままである。
そして、これらの謎は、その後に続くさらに大きな謎の前触れに過ぎなかった。
トアル村の者たちはまだ知らなかった。
リンクの奇行も、ボウの口を奪った不可解な言葉も、
タロが“いつの間にか救われていた”という因果の欠落も、
すべては――世界そのものが“別の線”へ進み始めた兆候だったことを。
この村で起きた小さな綻びは、やがてハイラル全土を巻き込み、
時間と空間の境界を揺るがす“巨大な裂け目”へと変わっていく。
そしてその中心には一人の若者――
リンクという名の、人間の姿をした“何か”がいた。
(次回に続く)