勇者ヒンメルの死から11年後。北方諸国のとある地にて。
彼女の名はソリテール。無名の大魔族である。
彼女と言っても生殖本能も無く、ただ女性に見た目が近いだけではあるが。
そんな彼女は、会話を通じて人間の研究をするという魔族の中でも屈指の変わり者である。
しかし、人間と魔族の共存は不可能であると結論づけており、人間を殺すことにも躊躇はない。今もまさに彼女は1つの村を滅ぼしている最中だ。
血に塗れ、血の中で生きる。
それは悠久の時を天涯孤独で生きてきた大魔族の日常であった。
そこに1つの泣き声が響いた。
しかし、それは恐怖に満ちた物とは違う。
“赤子”の泣き声であった。
家族
それは人間を研究するソリテールにとっての不可解な事象の1つであった。
ソリテールは思う。
親は見返りを求める訳でもないのに、子に多くの時間と財と労力をかける。まさに不合理の塊と言える行為であるが、成る程、種としてみれば同族を増やすという極めて合理的な行為である。
これは社会性に富んだ人間が進化の過程で獲得した機能であろうか。
そんな考えをソリテールはすぐに切り捨てた。
子を産むのは魚や鳥も同じことである。これは自身が
ソリテールはその赤子を見つめた。
腹をソリテールが作り出した剣によって貫かれ息絶えている母親に抱かれた赤子を見て、ソリテールはあることを思い付いた。
「この子を育ててみようかしら」
子供を育てる。それによって何か仲間たちと協力し合う人間たちの力の秘訣が、何か分かるかもしれない。
彼女は死臭に満ちて、返り血を浴びたグロテスクな見た目でありながら、手を体の前で合わせた可愛らしい挙動が不気味さを感じさせる。
そうしてソリテールはその子を抱こうとしたが、母親があたかもソリテールに赤子を渡すことを死してなお拒んでいるように抱きしめ続けた。
ソリテールはそれに何を思ったのかを無表情な彼女から知ることはできないが、剣を創り出して母親の腕を切り落とし、赤子を奪った。
ソリテールは黙ったままその赤子を見つめた
すると赤子は青みがかった瞳で見つめ返した。
その時の赤子の感情は分からないが、いつのまにか泣き止んでいた。
「貴方は今日から私の娘よ。名前は…そうね…『グローベ』にしましょうか。よろしくねグローベ。君は私にどんなことを教えてくれるのかしら」
これは長い時を生きる大魔族ソリテールの軽い気まぐれであったが、この瞬間こそ、ソリテールとその義理の娘グローベという魔族と人間の親子の誕生であった。
勇者ヒンメルの死から16年後、北方諸国のとある地にて。
グローベは5歳になり、すくすくと元気に育った。
…1人で魔物を倒してしまえるほどに。
「お母様、どうでしたか?」
5歳といえばフェルンやシュタルクもまだ実践を経験していない頃なのだから、とんでもない戦闘の英才教育である。
これ程までに強く逞しく育ったことの要因はやはりソリテールの子育ての仕方にあるだろう。
魔族と人間の食事というのは当然異なる。初めは村の食糧を食べさせていたが、それがなくなった後は適当に山菜を食べさせていたのである。
しかし、人間にとってどれが毒でどれが食べられるのかなどをソリテールが当然知っているわけもなく、グローベは何度も顔面蒼白になり、生死の境目を彷徨うこととなった。
また、ソリテールはグローベに魔法の教育もしてきた。
人間に魔法を教えることに関してはソリテールはマハトより断然長けている。
といっても5歳の子供に実践を経験ばかりをさせている時点でその教え方は人間の指標で考えれば明らかに異常なものではあるのだが、事実グローベの魔法の成長は同年代と比べ物にならない程速い。それにグローベには
そうして、グローベは5歳とは思えないほどの強さを手に入れたのであった。
「よかったわよ。
そう言ってソリテールはグローベの頭を撫でてやる。
これはソリテールの人間と、グローベの観察の成果の1つである。
親は子の頭を撫でる。子はそれに喜ぶ。その理由は分からないが、それを知識として知り真似事をしているのだ。
「もうすぐ人間の村につくわよ。そうね…グローベ、今日は貴方に戦って貰おうかしら。」
ソリテールは今さも当然のようにグローベにこう言ったのだ。
『同族を殺せ』
と。
普通の5歳の子ならば正気を疑う命令だが、グローベには違う。
「はい。
このグローベという少女は人間であるが、魔族に育てられた人間である。故に人間を、同族を殺すことを躊躇う価値観など持ち合わせていない。いや、理解はしている。人間として人間の感性を理解はしているし、共感する部分もあるだろう。しかし大魔族ソリテールの教育によってその価値観は歪められつつあるのだ。
「『
その瞬間、死体ができた。
前触れなど一切ない。騙し討ちさえもしようともしない。正面からでも十分勝てる、取るに足らない相手だからだ。
弟が目の前で死んだ。
王都で見たことがある。これは
人類《・・》の魔法だ。
その
そこに居たのは1人の少女と1人の魔族であった。
熟練の戦士が故に弟が殺されたにも関わらず驚くほど心は落ち着いている。
弟を殺したのはあの魔族であろう。あの少女は人質か何かのつもりか?
そう思ったのも束の間、俺は信じ難いことを目にした。
少女が
「お前は…魔族なのか?」
「いいや、私は人間だよ。」
「なら、そこの魔族に脅されているのか?」
「いいや、私の意思だよ。」
淡々と話すその少女に恐怖が滲み出してくる。
「なんで…なんで殺した!」
そう俺が叫ぶと、少しの静寂が訪れた。
「…そうだね。君から見れば私がおかしいのかもしれない。でもね、私にとっては君にも、君の仲間にも、あまり興味がないんだ。」
そう言うと人間の少女は返り血の付いた顔で笑った。その恍惚とした表情はまるで恋する乙女の様であった。そして少女はその両手を体の前で合わせてこう言った。
「私はね。お母様のためなら、全然知らない人間が千人死のうと一万人死のうと構わないんだよ。」
そう言った次の瞬間、男の意識を落とし、二度と目覚めることはなかった。