そうして始まったわがはいの「人」としての生活は、想像以上に過酷なものとなった。
なにせ、わがはいはこの身に化せられた
結果、わがはいは口を噤むことしかできず中学校生活初日にして見事に「腫れ物」となった。
(……やはり、わがはいには無理だったのか)
放課後、この事実に耐えられなくなったわがはいは屋上へと続く階段を登った。ライトノベル等では、よく主人公たちが屋上で談笑しているのを目にする。もしかしたら、屋上へ行けば何か変わるかもしれない。そう考えて錆びたドアを開けると、生ぬるい風がわがはいを拒絶するように強く吹き込んでくる。
(所詮、魔女が人間のふりなど……)
やはり、人の世界に
「桜羽エマ……私と友達になりませんか?」
「えっと……キミたしか、同じクラスの月代ユキ、ちゃんだよね……?」
振り返ると、フェンスの向こうに二人の少女がいた。
一人は、どこか浮世離れをした儚さと美しさを持つ、長い白髪の少女。もう一人は、人懐っこそうな雰囲気を醸し出す、毛先が薄桃色の少女。
(あれは……同じクラスの……)
確か、クラスの中で明らかに孤立していた二人だ。エマと呼ばれた方は他人に上手くなじめず引っ込み思案な様子で、ユキと呼ばれた方はわがはいよりも避けられている様子で、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
どちらも、クラスでは触れづらいようなオーラを発していた者同士。なのに、今の二人が纏う空気はまるで違って見える。温かくて、優しくて、対等な「人間」同士の関わり。それはきっと、わがはいの両親がわがはいに望んだもので、何より今のわがはい自身も求めてやまない光景だった。
(ともだち……わがはいも……)
自然と足が彼女たちの方へと動く。あそこに行きたい。混ざりたい。……だが、その熱に浮かされた感情は一瞬にして凍り付くことになる。
――どうやって?
もし、ここで「混ぜてくれ」と言って、魔法が発動してしまったら? そのせいで彼女たちの自由意志を奪い、笑顔のまま従う人形に変えてしまったら?
(それだけはダメだ……!)
足が竦む。変な汗が出て、喉が引きつる。目の前には「理想の風景」がある。なのに、その尊い風景は、わがはいが言葉を発しただけで簡単に壊れてしまう。
やはり、諦めるしかないのか……? 絶望で胸がいっぱいになりそうだったその時、わがはいの視界の端に、カバンからはみ出した真新しいノートが映り込んだ。
魔法の発動条件は、「声を介した命令」だ。ネットで小説を投稿した際、文字に魔法が乗らないのは確認済み。つまり、これならば……。
(これしか、ない……!)
震える手で鞄からノートとペンを取り出す。不審者と思われるだろうか? 変人と思われるだろうか? 不安が胸いっぱいに広がり、心臓が早鐘を打つ。それでも、やるしかない。
(だって、わがはいは"人になる為に"ここに来たのだから……!)
わがはいは意を決し、二人の背後へと忍び寄った。そして、会話に夢中になっている二人の背中を、トントンと叩く。
「ん?」
「あら?」
振り返った二人の目の前に、わがはいはドンと開いたノートを突き付けた。
『"わがはいは夏目アンアンである。二人とも、確か同じクラスのエマとユキだったな"』
でかでかと書かれたあまりに尊大で力強い文字。エマは目をぱちくりさせ、ユキは小首をかしげている。
「え、えっと……夏目アンアン、ちゃん……? なんで筆談なのかな……?」
「何か事情があるのでしょうか? 喉が痛い、とか……」
早速痛いところを突かれた。だが、「喋ると洗脳してしまうから」などと言えるはずもない。そんなことを伝えれば、変人扱いされ、引かれて終わりだろう。
わがはいは冷や汗を流し、目を泳がせながら必死に思考を巡らせる。拒絶されてはいけない。かと言って、変に壮大な理由付けをして無用な心配をさせ、
『海よりも深い事情があるのだ。それより、わがはいと友だちにならないか?』
……ゴリ押しだった。力強い筆跡を二人の顔の前に突き出し、そう訴えかける。ああ、我ながらあまりに強引すぎる。
(行けるか、これで……)
冷や汗を流しながら二人の様子を観察する。
エマはぽかんとしていて、ユキは首を傾げたままだ。次の反応が来るまでの瞬間が、数時間のように長く感じられる。
「……ふふっ」
エマがおかしそうに吹き出す。そして、それにつられたようにユキがくすりと笑みを浮かべた。
「あははっ! そっか、海より深いなら仕方ないよね!」
「ええ、そういうことならば仕方ありませんね」
予想外の反応に、わがはいは呆気にとられる。ぱぁっと笑顔を咲かせるエマ、口元に手を当て、上品に笑うユキ。二人の反応には、嘲りも、嫌悪も感じられない。
「一日で二人も友だちができちゃうなんて、嬉しいな! ボクは桜羽エマ! こっちは月代ユキちゃんだよ! アンアンちゃん!」
「ええ。月代ユキ、と申します。はぐれ者同士、仲良くしましょう?」
受け入れ、られた……?
その言葉を聞いた瞬間、わがはいの緊張が一気に抜け、歓喜の感情が大量に押し寄せる。
(作れた……。魔法を使わず、自分の力で、友達を……)
嬉しさで視界が滲むのを誤魔化すように、わがはいは震える手でノートをめくり、真ん中にでかでかと二文字書いた。
『うむ』
たった二文字。それだけの返事に対し、エマは嬉しそうに頷き、ユキは優しく微笑んでくれる。しかも、相手は人形じゃなく、人間だ。しかも、このように話していればパパやママのようにおかしくなることもない。
わがはいは、しばらく三人で他愛のない会話をした。筆談だと少しコミュニケーションが難しいが、それでも幸せだった。
「そういえば、エマとアンアンはキリンの首が何故長いか知っていますか? どうやらあれは、地面近くにある空気より重い二酸化炭素を避け、空中を漂う綺麗な酸素を吸うために進化したのだそうですよ?」
「え、そうなの!?」
『そうなのか!?』
「嘘です」
……まぁ、普通の女子中学生の会話とは言い難いものだったが。……それでも、とても楽しかった。
そうして時間が経って筆談に慣れてきた頃、屋上のドアが再び開いた。
「エマ、こんなところに居たのか。探したぞ?」
現れたのは、真っ黒な長髪をたなびかせた凛とした佇まいの少女だった。
大和撫子と言う単語が似合うような、容姿端麗でハキハキとした喋り方。……確か、新入生の代表でスピーチをしていた……何という名前だったか。エマの知り合いなのだろうか……?
此方が怪訝な表情をしていると、彼女は鋭い視線をわがはいとユキに向けた。
「……エマ、その二人は?」
これは……値踏みされているか……?
ユキはともかく、わがはいはノートとペンを離さない変人だ、警戒されても仕方がない。
ユキと目を見合わせ、「どうしよう」なんて考えていると、真っ先にエマが声を上げた。
「ボクの友だちだよっ! ねぇヒロちゃん、ボク一気に二人も友だちが出来ちゃった!」
エマが嬉しそうに笑顔を浮かべ、わがはいとユキの腕を抱きしめる。すると、ヒロの険しい表情がふっと緩むのが見えた。
「友だち、か……。そうか、エマにも友だちが出来たんだな」
ヒロが優しい表情を浮かべ、わがはいたちに向き直る。
「私はエマの幼馴染、二階堂ヒロだ。二人とも、どうかエマと仲良くしてやって欲しい」
「ええ、私は月代ユキと申します。エマのことは私が幸せにしますよ」
まるで保護者とそれに挨拶をしに来た恋人か何かのような会話だ。わがはいは少し困惑しつつも、得意げにノートを掲げた。
『うむ、任せておくといい。わがはいは夏目アンアン、エマとユキの盟友である』
ヒロはノートの文字を見て困惑したような表情を浮かべる。
「……なぜ、筆談なんだ?」
当然の疑問だ。だが、わがはいはもう動揺しない。何故ならわがはいには先ほど成功した作戦がある。
『海よりも深い事情があるのだ』
さらさら~っと文字を書いてみせ、どや顔でその文字をペンで叩いて見せる。
「……う、海よりも深い、か。なら仕方ないな?」
ヒロは呆れたように肩をすくめ、苦笑交じりにそう言った。声を発するまで暫くの間があったが、まぁ問題ないだろう。その顔に先ほどまでのような警戒心はなく、むしろわがはいたちを見て安心したようで口元が緩んでいるのが分かる。
「まあいい。エマが選んだ友人だ、きっと悪い人間ではないのだろう。よろしく頼むよ、ユキ、アンアン」
こうして、わがはいの「人としての生活」が始まった。
このノートとペンさえあれば、わがはいは誰も壊さず、他人とつながりを持つことができる。こうして
……そう思っていた。あの時が来るまでは……。
ここから幸せが崩れていきます。