海軍本部(マリンフォード)
世界の正義の中心地にある将校育成学校のグラウンドは、今日も怒号と悲鳴に包まれていた。
「甘ったれるなァ!! 能力にかまけて身体を鍛えん奴は、新世界では三秒で死ぬぞ!!」
紫の髪を逆立てた巨漢が、怒鳴り声を上げる。
元海軍大将、現在は全軍の教官を務めるゼファーだ。
彼の右腕には、巨大な岩石のような筋肉が隆起しており、真っ黒な「武装色の覇気」で硬化されている。
ドゴォォォン!!
ゼファーの拳が、俺の腹にめり込んだ。
ロギア(自然系)の流動化防御など意味をなさない。
実体を捉える覇気の一撃だ。
「がはっ……!!」
俺は地面を転がり、受け身を取って立ち上がった。
胃液がせり上がってくる。
周囲の士官候補生たちが息を呑む。
「立て、アッシュ曹長! 貴様の『煤』は攻撃力が皆無だ! ならば覇気と体術で補うしかない。それが出来んようなら、ヴェルゴの下へ帰って雑用でもしてろ!」
容赦ない言葉。
だが、俺はこの男の指導を求めていた。
家族を海賊に殺され、それでも不殺の正義を貫こうともがく(後に闇落ちするが)この男こそが今の俺に必要な師だ。
「……イエッサー!、ゼファー先生!」
俺は血を吐き捨て、構え直した。
◇
昼休憩。食堂。
俺がトレイを持って席を探していると、目立つ集団がいた。
『葉巻を二本咥えた白髪の男』と『ピンク色の長髪の美女』
スモーカーとヒナだ。
彼らは既に少尉クラスだが、有望株としてゼファーの教練に参加している同期生だ。
「おい、煤野郎。…ここ空いてるぜ」
スモーカーが気だるげに声をかけてきた。
俺は黙って対面に座る。
「……スモーカー君…彼はヴェルゴ中佐の部下よ。あまり馴れ馴れしくすると、君まで『ドブネズミ』だと思われるわ」
「うるせェよヒナ。……俺は、コイツの根性は嫌いじゃねェ」
スモーカーは俺のボロボロの制服を一瞥した。
俺とスモーカー。
『モクモクの実(煙)』と『ススススの実(煤)』。
能力の性質は似ているが世間的な評価は雲泥の差だ。
煙は拡散し、捕縛に適している。
煤は……ただ汚れるだけだ。
「午後の模擬戦、相手はお前だってよ」
スモーカーがニヤリと笑った。
「手加減はしねェぞ。ロギア同士の戦い……決着がつかねェ『千日手(膠着状態の事)』になるか…それとも」
「……俺が負けるか、ですか?」
「ハッ、分かってんじゃねェか」
煙と煤。普通に考えれば、質量を持たない煙の方が有利だ。
俺の物理攻撃はすり抜ける。
だが…俺には秘策があった。
◇
第3演習場。
ゼファーが見守る中、俺とスモーカーは対峙した。
「始めェ!!」
合図と同時に、スモーカーの下半身が白煙と化して爆発的な加速を生む。
『ホワイト・ブロー』。
煙となって伸びた拳が、俺の顔面を襲う。
俺は回避しなかった。
身体を瞬時に粒子化し、黒い煤の竜巻となって、白い煙の拳を受け止める。
「無駄だ! 煙は掴めねェ!」
「……そうかな?」
俺は能力を全開にした。
『混合汚染(ミックス・ポリューション)』。
俺の身体を構成する微細な炭素粒子を、スモーカーの「白煙」の中に強制的に混入させる。
本来、純粋な気体に近い彼の煙に、不純物である俺の煤が混ざり合う。
白かった煙が、ドス黒い灰色に変色していく。
「なッ……!? なんだ、身体が重ェ……!?」
スモーカーが驚愕の声を上げた。
煙は軽い。だが、煤は重い。
俺は彼の煙の内部に入り込み、その「質量」を強制的に増加させたのだ。動きが鈍る。
「ヒナ、驚き。スモーカー君の煙が落ちていくわ」
見学席のヒナが目を見開く。
俺はスモーカーの懐に入り込んだ。
今だ。
ロギアの流動性に頼り切ったこの瞬間に、ゼファー先生に叩き込まれた『痛み』を返す。
俺は右腕を実体化させ、渾身の力を込めた。
まだ完全ではないが、微かに纏った武装色の覇気。
そして、ヴェルゴを見て盗んだ六式の足運び。
「『指銃(シガン)』……改め、『煤杭(スス・パイル)』!!」
硬質化した指先を、スモーカーの鳩尾に突き刺す。
ドスッ!!
「ぐ、ァ……ッ!!?」
スモーカーが苦悶の声を上げ、膝をついた。
煙の身体が強制的に実体に戻される。
不完全ながらも覇気が通った証拠だ。
会場が静まり返る。
あの狂犬スモーカーが、一撃をもらった。
「……そこまで!」
ゼファーの声が響いた。
俺は荒い息を吐きながら距離を取った。
スモーカーは腹を押さえながら俺を睨みつけているが、その目には敵意以上の興味が宿っていた。
「勝負あり、とは言わん。実戦ならスモーカーが煙で窒息させにかかれば相打ちだっただろう。……だが」
ゼファーが俺の前に歩み寄ってきた。
巨大な手が、俺の頭に置かれる。
「……工夫したな、アッシュ。ロギアの特性に胡座をかかず、相手の特性を逆手に取った。そして、未熟だが覇気の萌芽が見えた」
褒められた。あの鬼教官に。
俺の胸に熱いものが込み上げる。
「調子に乗るなよ…海にはお前の想像を超える化け物がゴロゴロいる。……例えば、今の三大将だ」
ゼファーは本部要塞の上層階を見上げた。
そこには、俺たちの戦いを退屈そうに見下ろす黄色いスーツの男――ボルサリーノ(黄猿)の姿があった。
「精進しろ。……次はお前だ、ヒナ!」
「ヒナ、了解!」
訓練は続く。
スモーカーが俺の横を通り過ぎる時、小声で言った。
「……借りは返すぞ、煤野郎」
「いつでも来てください、煙突大佐」
俺たちはニヤリと笑い合った。
悪くない。この世代の連中と競い合うのは。
だが、俺には時間がない。
原作開始までのカウントダウンは進んでいる。
そして、ヴェルゴという時限爆弾も抱えている。
その夜。
俺の部屋に、一通の召集令状が届いた。
差出人は「海軍科学班」。
「……Dr.ベガパンク?」
俺の『煤』の成分分析結果に、興味を持ったらしい。
これはチャンスか…それとも実験台への招待状か。