海軍本部科学班:通称「ベガパンク研究所」。
そこはカビ臭い書類と薬品、そして焦げたような機械油の臭いが充満していた。
「――キミが『煤』の能力者かね? ん〜!実に地味だ!」
白衣を着た男が開口一番そう言った。
頭頂部が異常に長い……わけではなく、リンゴのような妙な被り物をしている(当時のデザインはまだ「サテライト」分割前だ)。
世界最大の頭脳、Dr.ベガパンク。
俺は直立不動で敬礼した。
「ハッ! 曹長のアッシュです。…地味で申し訳ありません」
「いやいや!謝ることではないよ!だが勿体ない!今のキミは、自分の体が『炭素(カーボン)』の塊だと理解しているのかね!?」
ベガパンクは俺の手を掴み、勝手に顕微鏡の下へ引っ張っていった。
「いいかね?キミが出しているのは『無定形炭素』。いわゆる燃えカスの集合体だ。結合が弱くスカスカだ。だから脆い」
彼は黒板にチョークで猛烈な勢いで数式と図を描き始めた。六角形の網目構造。
「だが!同じ炭素原子でも配列を変えれば『黒鉛(グラファイト)』になり、さらに極限まで圧縮し、結晶構造を変えれば――」
ベガパンクが振り返り、ニヤリと笑った。
「地球上で最も硬い鉱物……『ダイヤモンド』になる」
心臓がドクンと跳ねた。
ダイヤモンド…。
ジョズの『キラキラの実』の専売特許だと思っていた。
科学的に考えれば、煤もダイヤも元は同じ元素だ。
「確かに理論上は可能です、博士。ですが……それには地底深部並みの高熱と圧力が必要です。人間の精神力で制御できるレベルじゃ……」
「だから『実験』なのだよ!やってみたまえ!今ここで!!」
無茶振りだ。
けれども、俺はこのチャンスに賭けたかった。
もっと強くなる為に。
ただの煤では新世界の覇気使いには勝てない。
もし一瞬でもダイヤの硬度を手に入れられれば――。
俺は右手に意識を集中した。
煤を出すのではない。
体内の炭素原子を一点に押し込め固めるイメージ。
ギチチチ……と、俺の腕から聞いたことのない音が響く。
骨が軋んでいるのではない。分子が悲鳴を上げている音だ。
「もっとだ!もっと熱を込めろ!圧力を逃がすな!」
「ぐッ、うううぅぅぅッ!!」
視界が明滅する。
覇気とは違う脳の血管が切れそうなほどの集中力。
黒い腕が徐々に熱を帯びて赤熱し…
そして――
「……おやおや〜。熱心だねェ〜」
その時、部屋の奥から間延びした声が聞こえた。
黄色いストライプのスーツと色のついたサングラス。
海軍大将、ボルサリーノ(黄猿)
「ボルサリーノか!ちょうどいい、キミのレーザーを彼に撃ち込んでくれたまえ!」
「えぇ〜? 死んじゃうよォ〜?」
「構わん! 死ねば理論が間違っていただけのことだ!」
マッドサイエンティストの発言に俺は反論する余裕も暇もなかった。
黄猿が人差し指を俺に向ける。指先に眩い光が収束していく。
「――逃げるなよォ、曹長ちゃん」
ピカッ!!
光速の閃光が放たれた。
死ぬ、直撃すれば蒸発する。
俺は死の恐怖を燃料に右腕の一点に全ての全存在を圧縮した。
黒鉛を超えろ。
光さえも通さない、最強の屈折率を持つ結晶へ。
『金剛灰(アダマス・アッシュ)』!!
カィィィィン!!
甲高い音が研究室に響き渡った。
俺の右手の甲でレーザーが四方八方に弾け飛んだ。
壁が焼き切られ周囲の機材が爆発する。
真っ黒だったはずの煤が、その瞬間だけ透き通ったクリスタルのように変質し、虹色の輝きを放っている。
「……ほォ〜」
黄猿がサングラスを少しずらし感心したように声を上げた。
「……は、ぁ……はぁ……ッ!」
俺はその場に膝をついた。
右手の感覚がない。
それなのに激痛が遅れてやってくる。
透明だった腕はすぐにボロボロと崩れ落ち、元の汚い黒い灰に戻った。
「成功だ!!見たかねボルサリーノ!わずか2秒!だが確かに彼は『構造』を変えた!」
ベガパンクが子供のようにはしゃぎ回り、俺の焼け焦げた手を取り記録を取り始めた。
「実に素晴らしい結果だったが燃費が悪すぎる。今のままでは一発撃てばガス欠だ」
「確かに…改良の余地ありですね……」
「うむ。だが!これでキミは『最強の矛』と『最強の盾』の素材を手に入れたと言うわけだ!」
俺はいまだに震える手で拳を握った。
たった2秒。
だが、あの大将のレーザーを防いだ。
この2秒があればミホークの斬撃も、赤犬のマグマも防げるかもしれない。
「……Dr.ベガパンク、感謝します」
「礼には及ばんよ。データが取れたからね」
黄猿が俺の横を通り過ぎざま、ポンと肩を叩いた。
「あまり無理しなさんなァ……ま、期待してるよォ」
その言葉は初めて俺が「戦力」として海軍最高戦力に認知された瞬間だった。
◇
研究所を出た俺は、夜空を見上げた。
手に入れた「切り札」。
だが、これを使う相手は海賊だけではないかもしれない。
数日後。
俺のもとにヴェルゴからの通信が入った。
『アッシュ。本部での遊戯は終わりだ。……"仕事"がある』
冷たい声。
俺は現実に引き戻される。
俺は海兵でありながら、ドンキホーテファミリーのスパイ(の部下)だ。
『南の海(サウスブルー)へ向かえ。……ある男を探してもらう』
「……ターゲットの名は?」
『ポートガス・D・エース。……ロジャーの血を引くガキだ』
俺の心臓が凍りついた。
まだエースがスペード海賊団を結成する前か、あるいは出航直後か。
いずれにせよ、ヴェルゴ(ドフラミンゴ)がエースに目をつけた?
バタフライエフェクト
これは原作にはない展開だ。
コラソンとローを助けようとしたせいなのか?
それとも俺の存在のせい?