鮫子のヒーローアカデミア   作:鯖缶詰

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第四話:愛妻弁当編4

砂場に大の字になり、泥と汗にまみれた出久は、天を仰ぎながら「ぜー、はー」と喉を鳴らして荒い息をついていた。

先ほどまで彼を圧倒していた水分身は、役目を終えたかのようにパシャリと音を立てて崩れ、ただの水溜りとなって砂に吸い込まれていく。その冷ややかな水が砂を濡らす音が、静まり返った海岸にやけに大きく響いた。

 

「どうじゃ? 【闘い】とは苦しいもんじゃろ……」

 

防波堤の上から飛び降りた鮫子が、砂を蹴立てて歩み寄る。彼女は疲れ果てた出久を覗き込むように、長い白髪をさらりと揺らして腰を折り、顔を近づけた。その瞳には、獲物を愛でる肉食獣のような光が宿っている。

 

「実戦ではこれに打撃、個性、地形、心理戦、そして命の奪い合いといった様々な要因が複雑に絡み合う。慣れぬチャクラを練りながら、その全てを同時に捌くのは、凡夫には不可能に近い難業よ。……のう、出久。こんな茨の道より、わしと【禁断卵配合】に耽るルートの方が、よほど簡単じゃと思わんか? 体も、心も、わしに委ねてしまえばよいのじゃ」

 

至近距離で、鮫子の髪から漂う潮の香りと、彼女自身の持つ、深海を思わせる冷たくも甘い匂いが出久の鼻腔をくすぐる。その誘惑は、極限まで疲弊した肉体には抗いがたい安楽への招きだった。

 

「……そんな、不純なルート……ありません! ……はぁ、はぁ。でも、ありがとう鮫子。君がこうして、僕には見えなかった高い壁を……圧倒的なまでの現実として見せてくれるから、僕は自分の現在地を、正確に知ることができる」

 

出久は震える右手を重い瞼に当て、残照を遮りながら言葉を絞り出した。その声は掠れているが、言葉の節々に、かつての彼にはなかった鉄のような硬質な意志が宿っている。

 

「僕は、恵まれすぎてるんだ。君が隣にいてくれて、母さんが信じて応援してくれて、そして、チャクラという奇跡みたいな力まで手に入れた。ここで立ち止まる理由も、あきらめる理由も……もう、僕のどこにも残ってないんだよ」

 

泥に汚れ、打ち捨てられた廃材のようにボロボロになりながらも、出久が見せたのは、暗い情熱を奥底に秘めた「決意を秘めた男の顔」だった。

それは以前の、ただ他人の背中を眩しそうに追いかけて、ヒーローノートを埋めることで満足していた臆病な少年ではない。自らの血を流し、痛みに耐え、運命という名の猛獣の喉元を掴み取ろうとする者の眼差し。

 

「……っ。あ、はぁ……っ」

 

その力強い眼差しを正面から受け止めた瞬間、鮫子の喉から、堪えきれないような熱い吐息が漏れ出た。

自分色に染め上げ、一度は壊し、再び鍛え直して、いつか「最強」へと至らせるべき最愛の兄。その成長の萌芽が、これほどまでに自身の深い部分にある嗜虐心と独占欲を激しく突き動かすとは予想だにしていなかった。

 

鮫子は溢れ出る情欲を鎮めるように、右手の中指と薬指を無意識に立て、厚手のコートの上から自身の秘部を強く、確かな重みで押さえつけた。布越しに伝わる自身の体温と、鼓動の早まりが、彼女の冷静な理性を心地よく削り取っていく。

 

「シャ、シャシャシャ……。よい、実に良い面構えじゃ」

 

完全に沈み切った夕日の代わりに、二人の間にはチャクラの微かな火花と、誰にも踏み込めない歪んだ絆の熱が渦巻いていた。

潮騒が遠く聞こえる中で、それは十ヶ月後の奇跡を約束する、暗い情熱の交歓であった。

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