鮫子のヒーローアカデミア
「コンコン」と乾いた音が二回。
それは入室の許可を求める合図ではなく、単なる「今から入るぞ」という宣告だった。
緑谷出久の返事も待たず、乱暴に扉が開かれる。
「わっ! な、な、なに!? いきなり入ってこないでよ鮫子!」
机で「ヒーロー分析ノート」を広げていた出久が、椅子を鳴らして飛び上がった。
入ってきたのは、白い長髪を無造作に揺らし、黒いフード付きのコートを羽織った双子の妹――緑谷鮫子だ。
「なんじゃ? 竿でもしごいておったか? おかずはなんじゃ? オールマイトか?」
「なんでだよ! 勉強してたの! 雄英に行くんだから、少しでも備えないと……」
後半になるにつれ、出久の声はしぼんでいった。
「無個性」の自分が、最高峰のヒーロー科を目指す。その無謀さを一番理解しているのは自分自身だった。
「……やはり、まだその夢を見るか。出久よ」
鮫子はにこやかな笑顔のまま、兄のベッドにどっかりと腰を下ろした。
その臀部から伸びる白く太い「尾」が、カチカチと不気味な音を立てて床を叩く。
「……鮫子は、やっぱり反対? 『無個性』がヒーローを目指すの」
「ヒーローノートとかいうストーカー日記をつけておるうちは反対じゃの」
ぴしゃりと言い捨てられ、出久は傷ついたようにノートを抱え込み、目を伏せた。
唯一の肉親である妹にすら否定されるのは、爆豪に罵倒されるよりも胸に刺さる。
「勘違いするな、早漏。わしの主張は昔から変わらん。――わしは、『無力な正義』が大嫌いなのじゃ」
鮫子は瞳の奥に、この世のものとは思えない冷徹な光を宿し、持論を展開し始めた。
「よいか。あるところに種付けおじさんがおった。今にも金玉が爆発しそうになっておったその男は、精子が脳に回った頭で、手っ取り早く女をレイプしようと考えた」
「た、種付けおじさん!? なんで突然そんなエロ漫画みたいな話になるんだよ!」
シリアスな空気から一転、飛び出した卑猥な単語に、思春期の兄は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「黙って聞け、オールマイトで精通を迎えた兄よ」
「迎えてないよ! 風評被害だよ!」
「……さて。力の弱い、抵抗できなさそうな獲物を見つけたおじさんは、女を茂みに引きずり込んだ。衣服を引き裂き、汚い槍を突き入れようとしたその時――趣味のヒーローストーカーでたまたま近くにいた出久と、絶望する女の目が合った」
鮫子はそこまで言うと、一度「ため」を作った。
にこやかな笑顔は変わらない。だが、その圧力が部屋の空気を重く湿らせる。
「女の顔は、明らかにお前に助けを求めておる。どうする? 出久」
「……助けるよ! 当たり前だろ! ヒーローなら、困っている人を放っておくなんてできない!」
出久は拳を握りしめ、力強く答えた。
だが、鮫子の冷笑がそれを一瞬で切り裂く。
「その細い腕と体でか?」
「……っ」
「ちんぽとフィジカルだけは立派なその男は、助けに入った出久を殴り倒し、女と出久をまとめてレイプしましたとさ。ちゃんちゃん。……これがお前の描くハッピーエンドか?」
部屋が静まり返る。
出久は自分の震える両手を見つめ、何も言い返せなかった。
「わかるか、出久。犯そうとする狂人に必要なのは、言葉ではない。それを物理的に止める『暴力』じゃ。心だけあっても、相手の脊髄を砕く力がなければ、お前の正義はただの自己満足。それどころか、守れるはずの者をさらなる絶望に叩き落とす罪悪にすらなる」
「僕は……」
「夢を諦めろと言っておるのではない。人を助けたいなら、相応の『力』をつけろと言いたいんじゃ。無個性だ何だと言い訳して、現実から逃げている暇があるのか?」
出久は右手で胸を強く押さえた。
妹への嫉妬、力への渇望、そして「無個性だから」とどこかで甘えていた自分への嫌悪。様々な感情が渦を巻く。
それを見計らったかのように、鮫子がベッドから立ち上がった。
その表情は、獲物を見つけた捕食者のように輝いている。
「ので! 中学生になってもヒーローへの渇望を捨てきれぬ愚かな兄に、慈悲深い妹による【お兄ちゃん改造編】をはじめる!」
唐突な宣言に、出久は口をポカーンと開けて固まる。
「……え? 改造……?」
「左様。チャクラ経絡系を無理やり活性化させ、そのひ弱な肉体のリミッターを外す。死ぬほど苦しいが、まあ死んだらその時はその時じゃな! シャシャシャ!」
鮫子の背後で、水分身がいつの間にか形成されていた。
二人の「レ級」のような少女が、逃げ場を塞ぐように出久へとにじり寄る。
「さあ、まずはその脂肪と甘えを削ぎ落とすぞ、出久。地獄へようこそ!」
「わああああ! お母さーん! 鮫子が怖いよー!」
平和な緑谷家の夕暮れに、出久の悲鳴が虚しく響き渡った。
これは、狂暴な妹が、最愛の兄を最強のヒーローへと作り替えるための、地獄の特訓の記録である。