「あ、が……は、あ……っ!」
心臓が太鼓のように早鐘を打ち、全身の毛穴という毛穴から、生命の危機を知らせる冷や汗が噴き出す。
出久の視界はどろりとした赤色に染まり、経絡系を流れる鮫子の異質なチャクラは、まるで沸騰した鉛か、あるいは数千の鋭利な剃刀の群れとなって内側から肉を削り、神経を焼き切っているようだった。
「……死ぬ、死んじゃう、鮫子、これ……! 身体が……壊れる……!」
「死なせん! 弱音を吐く暇があるなら意識を一点に集中しろ! 暴れる力を飼い慣らせ! お前が憧れたオールマイトは、こんな痛み程度で救う手を止める男か!? 正義の象徴という座は、泥を啜り血を吐いたその先にあるものじゃ!」
鮫子の裂帛(れっぱく)の叫びが、遠のきかけた出久の意識を現世に繋ぎ止める。
そうだ。オールマイトなら。
どんな絶望的な窮地でも、彼は血にまみれながらも笑って立っているはずだ。
その眩しすぎる背中に、一歩でも、一ミリでも近づきたいと願ったのは、他の誰でもない、自分自身だ。ここで脱落すれば、一生「無個性」という名の檻の中で、羨望に焼かれながら生きていくことになる。
出久は混濁する意識の底へ、ダイバーが深海に潜るように深く深く沈み込んだ。
内側で荒れ狂う、制御不能なエネルギーの激流。その濁流の中心に、微かだが確かに存在する、熱の源流を見つけ出す。
彼はそれを暴力的に押さえつけるのではない。鮫子が説いた通り、荒れ狂う猛獣の首輪を優しく、かつ断固とした意志で掴むように、導き、整えていくイメージを重ねた。
(ダムの弁を……。一気に閉めるんじゃない。少しずつ、流れを……僕の、鼓動のリズムに同期させるんだ……!)
ドクン。
一際大きく、身体を震わせるような鼓動と共に、熱の奔流が急激に穏やかな規則性を取り戻した。
剃刀の群れは、凍えた身体を温める陽だまりのような血潮へと変わり、指先から足の甲まで、今まで感じたことのない未知の「力」が満ち満ちていく。
「……あれ……?」
痛みが完全に消えたわけではない。だが、世界が劇的に変容していた。
寄せては返す波の層が重なる音、一粒一粒の砂が擦れ合う微細な感触。そして、目の前にいる妹が纏う、深海のように底知れない呼吸の音が、網膜に焼き付くほど鮮明に伝わってくる。
「……シャシャシャ! やりおったな。流石はわしの兄じゃ。……見ろ、手が光っておるぞ」
鮫子の弾んだ声に、出久は自分の手元を見た。
重なり合った二人の手の隙間から、淡い、それでいて生命の躍動を感じさせる力強い緑色の光が、蛍の光のように、しかしそれよりも遥かに激しく漏れ出している。
「これが……チャクラ……? 僕の中に、本当にこんな力が……」
「お前の眠っていた経絡系が、わしのチャクラを呼び水にして完全に開通した証拠じゃ。おめでとう、出久。お前は今日、ただの『無個性』という名の羊から、万物の理を練り上げ、理不尽を叩き潰す『忍』への一歩を踏み出したのじゃ」
鮫子はそう言うと、慈しむような、それでいてどこか残酷な満足感を浮かべて手を離した。
支えを失った出久は、その場にどさりとへたり込む。魂が抜け落ちたような凄まじい疲労感。だが、その空っぽになった感覚の底からは、決して尽きることのない活力が泉のように湧き上がってくるという、矛盾した万能感に包まれていた。
「……はぁ、はぁ。ねえ、鮫子……これなら、僕も……皆に追いつけるかな。ヒーローに、なれるかな」
「あぁ。地獄の修行を耐え抜き、その力を血肉に変えれば、お前は誰も見たことのない、救うための暴力を持ったヒーローになれる。……が、調子に乗るなよ? 今のは単に『錆び付いた蛇口をひねった』だけに過ぎん」
鮫子はスッと立ち上がり、再びにこやかな、しかしその瞳の奥には決して譲らぬ峻厳さを宿した笑顔を浮かべた。
「さあ、第一工程はクリアじゃ。喜ぶのは走ってからにせよ。次は第二工程——『吸着』と『瞬身』の基礎。チャクラを一点に固定し、重力を欺く訓練じゃ。……日の出までに、その垂直にそびえ立つコンクリート製の壁を足だけで、手を使わずに登り切ってもらうぞ」
鮫子が指差したのは、公園の端に防潮堤として無機質に、しかし圧倒的な圧迫感を持って切り立つ巨大なコンクリート製の壁だった。
「……え? 足だけで? 重力はどうするの!? コンクリートの垂直な壁だよ!?」
「チャクラを足裏に練り、壁に『吸い付く』感覚を掴め。出来ねば、今日の朝飯はお預けじゃな。……いや、登り切るまで永遠に飯抜きというのも一興か。シャシャシャ!」
出久の悲鳴のような絶叫が、修行の本格的な開始を告げるファンファーレとして、赤く染まり始めた朝焼けの空に響き渡った。
それは緑谷出久というヒーロー候補生が、己の運命という名の「壁」を、自らの足で乗り越えるための、泥臭くも輝かしい第一歩だった。