結局、出久はあの後、何度も壁登りに挑戦した。
しかし、チャクラの放出量を一定に保つという微細なコントロールが極限状態の脳では追いつかず、重力に逆らえないまま砂場の地面に後頭部を突き刺すという無様な結果に終わった。無理に経絡系を開いた反動も重なり、最後には指一本、瞼一つ動かす力さえ残っていなかった。
「はぁっ……はぁっ、ごめん鮫子……もう、本当に、指一本動かせない……。全身が、バラバラになりそうなんだ……」
荒い息をつき、砂まみれの手足をがくがくと震わせる出久。その極限まで消耗し、無防備に横たわる姿を眺め、鮫子の中にはぞくぞくとした、慈愛と嗜虐が混ざり合ったような快感が込み上げる。
「よい、今日ぬしは確かに殻をひとつ破ったのじゃ! 誇れ! 出久! 童貞卒業おめでとう!」
「ははは……最後のは、本当によそうね、色々と誤解を生むから……。でも、ありがとう、鮫子。君がいなきゃ、僕は今も……」
乾いた、しかしどこか晴れやかな笑顔を向けつつ、ふと気付くと、出久の目からは熱い涙が溢れ出していた。一度流れ出すと、もう止める術を知らなかった。
「あれ? 変だな……なんで……止まらないや。泣くつもりなんて、なかったのに……」
ぼろぼろと大粒の涙が砂を濡らし、拭いても拭いても、胸の奥に溜まっていた「何か」が堰を切ったように次から次へと溢れてくる。
それは四歳のあの日から「無個性」と言われ続け、母に謝らせ、幼馴染に蔑まれ、独りで抱え込んできた絶望への決別だった。そして、初めて自分の内側に灯った、確かな「可能性」への震えでもあった。
「泣け出久! 大いに泣くのじゃ! 誰よりも泣き、誰よりも怒り、誰よりも笑え! 喜怒哀楽の全てをエネルギーに変換し、人の臨界を極めてこそのヒーロー足り得るのじゃからな!」
鮫子の力強い言葉に背中を押され、出久は子供のように声を上げて泣いた。
ただ憧れるだけの無力な自分を殺すために。今日、この海岸から、全く新しい緑谷出久を始めるために。
すべての感情を吐き出し、心地よい疲労感の中で眠りそうになっている兄を、鮫子は白い尻尾の上にひょいと載せて家路につく。
朝の光が街を白く染め始める中、やるべきことはまだまだ山積みだ。
地獄のようなトレーニング、受験勉強、そしてチャクラの負荷に耐えうる鋼の肉体作り。
「出久よ、家に帰ったらまた修行じゃ。休んでいる暇などないぞ」
尻尾の心地よい揺れに身を任せながら、出久はびくっと身体を震わせ、弱々しくもカラ元気を振り絞る。
「が、がんばるよ! ……ちなみに、次はどんな内容か聞いてもいい? もう壁上りは勘弁してほしいけど……」
「それはずばり……食事じゃ! シャシャシャ! 覚悟せよ出久、わしが選りすぐった、精がつくものをたらふく食わせてやるからな! 目指せ!! 種付けおじさんに種付けするおじさん! お前の細胞一つ一つを、精力とチャクラでパンパンにしてやるわい!」
「また出てきた! そもそも種付けおじさんって何なんだよ! もういいってば!」
鮫子の尻尾の上で、いつものように全力でツッコミを入れる出久。その声には、先ほどまでの悲壮感は微塵もなかった。
朝焼けに染まる街並みを、異形の尻尾に兄を乗せた少女が悠々と歩いていく。
緑谷出久の、理不尽を力でねじ伏せる「最強」への物語は、まだ始まったばかりだ。