真面目新訳第二章 おてんば姫の望見 おまけ   作:赤色ねんね

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(61) ミントスにて

ミントスに来て何日か。ただ、クリフトの容態が悪化していくのを見ているだけだった。

初日は夜間まで苦しそうにしていた。曰く、息苦しく倦怠感があり、頭もうまく働かないと。横になっていると少しは良いらしい。そして翌日からは、言語を発することも困難に。目は薄く開きながら虚ろ、呼吸は激しく顔面は蒼白で、身体は強張り、動かそうとするとさらに苦しそうで。船酔いなどではない、原因がわからない。

この街に一人いる医者に診せもしたが、症状に全く見当がつかないという。

私はと言うと、クリフトの身体を見るような作業はよろしくないとブライに言われ、看病するブライのサポートをしていた。大したことは無い。ブライと私の食事を用意したり、医者を手配したり。もう少し関わらせて欲しいと言って、クリフトへは、パン粥や水を少しずつあげたりもするようになった。

排泄の関係で2、3時間に一度はブライがクリフトの面倒を見て、つまりブライは間欠的に仮眠を取るようになり、私はブライ仮眠中に、クリフトの最低限の面倒を見る。

今はブライが起きていて、私は彼らの部屋ではなく、自室で一人、一息ついている。

一息も何も、私はブライに比べ、それほど大変ではない。

でもこの先行きが見えないこの感じ、なんだろう。

自然快復に頼るしかない。でもやっぱり、悪くなっていっていない? 明日は? 明後日は? もっと悪くなると?

考えないようにしてきたが、そろそろ、いや今、それを改めなければならないと思う。

このままではクリフトは危ない。死んでしまう。

原因がわからず、悪化していくとは、そういうこと。

自分の拳を強く握っておかないとだめになる。

王城にいた人が消えて、その感覚を心の底から共有できるのは、クリフト、ブライの二人だけだ。

そしてやはり、愚痴や軽口を言えるのはクリフトだけ。半身。彼がいなければ私はどうなるのか。彼がいたから私は今まで。

何度目かの、また、目の周りが熱を帯びる。

だから嫌なんだ、これを考えるのは。

欲しいのは感傷じゃない。次の手だ。次の手。

あるとすれば、コナンベリーから医者をここに呼ぶ、あるいはより確実に、連れ帰ること。

もちろん、それで快復に向かう保証は何も無い。そんなもののために、私はここを数日離れる?

客観的にはそれでも多分、やるべきだ。

他に無い。

だけど、この街を出る1歩は、クリフトと、そうだ、クリフトと死別を覚悟しないと踏み出せない気がする。

今日踏み出す? それは、もっと前に踏み出すべきだったことを認める?

私がここにいて、何か直観するかもしれない? 何故今の今までそれは役立たずなの?

何が正解なのか。何を選べば良いのか。

……私にはできない。

すり切れるまで、それに気付かない振りをして、理由も無く明日全てが良くなることを信じて、何も選択したくない。

何も選択しないことを、選択と思いたくない。

私は何もしたくない。

決断できない。

日に日に自己嫌悪も膨らんで。

私はそういうものと戦っていた。

 

その日は、クリフトに食事をあげていた。仰向けで苦しげに息をする彼の口に、スプーンで粥を少しずつ運ぶ。この量で、20分はかかる。

目はつむったままで、意識はあるのかもわからない。

私はいつものように、何も考えないように、クリフトに話しかけながら、食事をあげていた。

「ブライはね、私一人で旅を続けたらって言うの。クリフトは面倒見るからって。私一人の旅だなんてね。私に何かあったらどうするんだか」

ふと、クリフトにこういった話はしない方が良かったか、と思った。

この状態で、気まで遣われては困る。

それに彼なら、賛成です置いていって下さいと、無表情で言いそうだ。

と。

彼は薄目を開き、こちらを見ていた。

鼓動が高鳴る。動けなくなる。

何秒?

彼は私を見ながら、ゆっくりと、首を横に振った。

どういう意味!? いや、もちろん自分を置いていけという意味だろう。こんな状態で置いていけるわけがない。そう激昂したくなる。

でもその感情すらも包み込まれるような、優しそうな表情を彼は浮かべていて。

まるで、しゃがみこみ、頭を撫でられるような。

苦しみを一切顔に出さすことなく!

私は、喉の奥から出るうめきを抑えようと、体を曲げ、歯を食いしばった。

布団をぎゅっと握った。

苦しい。

彼はもう目を閉じていて、苦しげな呼吸をするだけだった。

 

──夢だ。

これは夢だ。

過去の。

少年クリフトに朝会った時、それも二人の時に限り、彼がいつものセリフを言う。

今日もかわいらしいですねと。

普段は少し照れる私だったが、その日はどうしてか気分が違った、変に意地を張り、「子ども扱いしないで。女性には、美しいと思ったとき、美しいと言いなさい」と返した。

彼は驚きながらも頭を下げた。

それから彼は、かわいいとも美しいとも、数年間、私に言うことは無かった。

……そうか、それは、私だったのか。

いや、彼は定型文を置換しただけかもしれない。

……そうじゃないかもしれない。それは、彼が何を考えているか、聞かないとわからない。

そう思った瞬間に世界が一瞬で崩れた。

 

ドアのノックで目が覚める。

クリフトのベッド横の椅子に座ったまま、意識が飛んでいたらしい。どのくらいだろう、数秒?

軽やかノック音だったような。ブライではないな、誰だろう、ホテルのスタッフ?

クリフトの表情を一目確認して、のそのそと入口ドアを開けた。

……?

淡い金髪の、不機嫌そうな少女が一人。

ウエーブがかった長髪に、これまた淡いブルーのドレス、にしては軽やかな衣装。髪が服によく映える。

……何故私はこんな可憐な少女に睨まれているのか。

「どいて」

と、刺すような口調で言われ、つい圧倒されて右足を半歩下げてしまう。

それが合図に見えたらしい、ずいと体を入れられたため、私はもう一歩下がって彼女を入れた。

彼女は一直線にクリフトに歩み寄る。

一瞬、コナンベリーから医師が来たのかもとも思ったが、後続も無く、いや、さすがに違う。

「あの」

止めようと思うも、既に彼女はベット横で足を止め、クリフトを見下ろしていた。止める必要がない?と思って油断したところ、彼女は少しかがんでクリフトの頬に手を触れた。

「あの!」

あなたは誰ですかという問いは、彼女からの別の問いに遮られた。

「病状、聞きたい?」

「えっ!? わかるの!?」

彼女は目を細めてクリフトを眺め、次に私を見た。

「これは無機結晶症と呼ばれるもの。体の細胞の進化タイミングが合わず硬直を起こし、それが徐々に波及している状態」

言っている意味はわからない。

「どうすれば治ります!?」

「投薬ね。世界樹の葉なら、だけどあれは、厳格に管理されているから、私でも取ってくることはできない」

世界樹の、葉? よく分からないが、一字一句聞き逃してはいけないと思った。

「あるいは、パデキアの根」

「パデキア?」

それは、覚えがある。なんだったか、なんだったか。

「それって、確か、『万能薬もどき』?」

「なにそれ?」

と彼女は眉をひそめた。

「あれ? ええっと、万能薬と言う人もいれば、効果が無かったと言う人もいて、でも結局優位な効果は確認できず、と。それはツェローレンの植物図鑑や、確かマクニタイト原本にも書いてあって、」

「人間がどう評価しているかは興味ない」

と、ばっさり切られてしまった。彼女は続ける。

「パデキアにはわずかに時間停止の効能がある。無機結晶症はその程度のインパクトで簡単に解消されるはず」

パデキア、パデキア、ええと。

いろいろ聞きたいことがある。しかしまず。

「あの、あなたは一体?」

その時、確かに彼女の時間が停止した感覚があった。彼女の目は見開かれたまま。

「覚えて、ないの!?」

えええ、覚えていない。こんな可愛らしい人、絶対に忘れない。その私の動揺はすぐに伝わり、

「会ったでしょう、目が合ったでしょう、さえずりの塔屋上で! 一ヶ月前!」

さえずりの塔? ……塔? 一ヶ月前? 一ヶ月前となると、それは私が王城を抜け出した後の話だ。

塔と言えば、あの朽ちた新緑の、屋上? 消えた妖精と、残されたティーカップ……。

「あの、屋上でティーセットを残して、」

「あなた手紙書いたでしょう!?」

ちょっと待ってちょっと待って、手紙、勝手に蜜を拝借してごめんなさい、とは書いた。あと、そうね、また機会があれば是非、のように書いた、か……。

「信じられない! 私、ずっと待ってたのよ!?」

「ごめんなさい、ごめんなさい! その、いろいろ、あって……」

彼女の身振り手振りがぴたっと止まる。

そして溜息一つして、

「そうね、知ってるわ」

とだけ簡素に言った。

今は私の前に彼女はこう顕現してこそいるが、妖精と言えばいいのか、おそらく、超常的な何かなのだろう。

私の身に起きたことは全て知っているのだ。そう、自発的に信じることが出来た。

パデキア! パデキアか。それも信じられる。

落ち着け、確か、確か、ソレッタ大陸で栽培されていた記憶。もうちょっと思い出せば、より詳細に出てくる、絶対。

どこだどこだどこだ。

「落ち着きなさい」

と、その声で現実に引き戻された。

目の前には彼女。

「あなたはずっと、精神にとても負担をかけた状態。まず一眠りすること。いい?」

と、彼女は水の入ったコップを差し出してきた。

どこから出したの?とは思ったが、些事だった。喉がひどく渇いていたことに気付く。

それに手をつけ口をつけ、飲み始め、どこで一呼吸入れようか迷ったまま、結局全て飲み干し、そして彼女の淡い笑顔を見た。

それしか覚えていなかった。

 

扉が開く音の前か後か、びくりと私は目覚めた。

クリフトのベッド横で座る私。

寝てしまっていたか。

部屋に入ってきたブライと目が合う。

「様子はいかがですかな?」

「いえ、そうね、」

こんなにすっきりとした気分は、

と私はサイドテーブルに置かれた、空のコップが見に入った。

目が見開かれる。

脳が甲高い音を立てて回転する。

夢では、先程あったことは、夢ではない。あるはずがない。

「……ブライ」

「どうかされましたか?」

「今から、荒唐無稽なことを言うけど、なんだったらそれは、私の第六感から来る予知夢ってことでもいいわ」

ブライが隣の椅子に座る。

「なんですかな?」

驚かないから早く話して欲しい、という表情だ。

驚くよ?

私はありのままを話した。

 

「……それが、パデキアの根」

ブライは静かに私の話を聞いていた。

続ける。

「今思い出したわ、パデキアはソレッタ大陸南で栽培されている。南と言えば、ソレッタ王国しかないでしょう」

「次の行き先は決まりましたな」

私の話に賭けない選択肢は無さそうだ。

「私一人で取ってくるけど、良い?」

「御意」

「止めないの?」

「不安が一つでもあれば、止めまする」

「ふふ」

空気が漏れた。

言葉とは不思議で、空虚と思っても、言葉に形取られたそのままの意味は少なからず伝わるのだ、と思った。

「クリフトはあなたに任せれば安心、と」

「全くですな。このアホタレのことはお任せを」

そう。

 

日は暮れようとしていたが、その日のうちに街の医者と会い、パデキアについて尋ねると、彼は眉間に皺を寄せた。それは自然な反応に思えるが、私達はそれに賭けるしかない。日が明けたタイミングで、準備を済ませた私は、単身ソレッタ王国へ向けて出発した。

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