翌日、フレノールへは、サランから海路で。
二年使われていなかった王城所有の船をなんとかメンテし、船商会の船員も融通してもらいながらという、極めて暫定的な移動手段だった。
とはいえ、海路、特に帆船というものは、面白かった。以前の私ではその面白さは分からなかっただろう。風上の目的地にどうやって向かうか知ってる?
叡智を持って進む船。もうちょっと精神的に余裕があるときに、また楽しみたいもの。
フレノールに夕方到着し、そして翌朝となる。フレノールでの顔見せだ。
今回宿となった、旧領主邸。以前も私たちが宿泊し、誘拐事件が起こった場所でもある。この宿は街の中心に存在するが、その周辺は建物群がそれほど密集しているわけでもない。そして宿は高台ともなっている。ここから聴衆に話しかけることになっていた。
そうは聞いていたが。実際に舞台に立ってみると。
通路を埋め尽くす人。通路、狭かったか。複数の家の屋根には、上に人が登っているのだけど……。サランでの聴衆の数よりも多いのでは? 少なくとも密度はこちらが上だ。こんな会場で、申し訳ないな。警備兵と時間があれば、郊外で新たに会場を設けたところだが。
仕方が無いか。
顔見せイベント、やることは同じだ。
そして。
結局、トラブル無く。
サランの時と同じように、終わらせることができた。
翌朝。
公にはこの時間私達は、旧領主邸を発つことになっていた。
姫が身支度を済ませるのを見届ける。
姫。姫役の彼女。
「完璧ね」
と私は言った。
彼女の支度を手伝うコーネリアも、何度も頷く。
「ありがとう、ございます……」
と姫役が赤面する。
いえ、貴方に言った訳ではないのだけど、という若干のすれ違いに、私達二人はふふと反応してしまう。
姫役の彼女。メイと言った。
以前まさにここの宿で、私であると誤解され誘拐された、巡業中の女役者。
彼女らはあの誘拐から解放後、まずオリオン手配の元サランへ移り、そこから陸路で再度フレノールへ向かい、そこからひっそりと国外へ出る予定だった。そのフレノールへの道中、王城へ急ぎ戻るオリオン二番隊ロノフらと遭遇。そこでロノフは、「恩返ししたいのなら王城に来い」とだけ言って別れたらしい。後で彼に聞いたが、万が一には姫の代わり、とは考えがあったと。
とまあ、そうしてメイたちは再度サランに戻り、ロノフと共に聖堂に接触し、カイラス様が交渉。私、アリーナは必ずサランに来る、それまでの代役をお願いできないか?と。それは承諾されるも、その準備が整うより、私のサランへの到着が早かった。代役の機会は無くなった。それでその話は終わるはずだった。
しかしその後、改めて、私の離脱が計画されるようになって。フレノールで顔見せ後、そこからサランへの私の帰還も国としてはイベントの一つとなる。カイラス様がふと提案した策だった。
「代役、立ててみるか」
それで、こんなことになってしまうだなんて。
彼女は髪を茶色に染め、毛先を軽く巻く。立ち振る舞いはサランで教授済み。
遠くから見られる分には大丈夫だろう、多分! 私、そんなに洗練されていないし! ……それを考えるのはよそう。
身支度は整った。
「大丈夫ですか?」
と彼女に聞く。
「はい、夢のようです」
それは、誤解なのでは? 彼女はこれから、地味な移動をこなしてもらうだけだ。そこに、何か良いことがある?
今彼女が来ているドレスは、今だけ彼女が着られるものか? 違う、すでに彼女のものだ。なにか彼女のメリットにならないかと、彼女にドレスを作って譲る約束となっている。サイズが少し大きいでしょうに、ごめんなさい。
今整えた身支度だって、本来は姫お付きのメイドがやるべきこと。普段は身支度される側の二人でなんとか今回整えてはみたが、本当に完璧かと言われてしまうと。
そんな経験、夢のようなとは比喩しないのでは? 言わない方がいいかな?
彼女は続ける。
「お力になれること、とても嬉しいです!」
「……今回はオリオンがついています。必ず無事に、終わらせます」
「はい、ありがとうございます!」
彼女の明るさに、助けられる。ただでさえこの宿だ、誘拐のことを思い出さずにはいられないでしょうに。
「こちらこそ、ありがとう」
私の旅のために。私の国のために。
身支度を済ませたことを言いに、隣の部屋へ。
そこにはオリオン隊員が複数名待機していて。そしてオリオン第二隊長、ロノフがいる。
今となっては唯一の隊長だ。
「準備が整いました。行けます」
と伝える。
「かしこまりました」
オリオンの中では背は小さい方で、体調を心配したくなる程の色白で、やや長い黒の前髪を左右に分け、全く似合わないちょびひげを口に乗せている。目は細く無愛想。丁寧ではある。
彼、ロノフは唯一、これから始まる私の旅に反対していた。
私の身に何かあっては国が途絶えると。
以前の誘拐事件での協力といい、オーボンヌ教会での通行証の件といい、根拠なく、協力的な人なのかと思っていた。
いや、しかし彼の懸念はもっともだ。
どう説得すれば良かったか。彼には、一切の機密事項を話さないという選択肢を取った。私の旅を強行するという、つまり彼の反対意見を無視した格好になる。しかしこうして尽くしてくれる。今、それがどうしても後ろめたく思えてしまう。
私は彼に何も約束できない。
「なんとか、手がかりを探してきます。その間、国をよろしくお願いします」
それだけしか言えない。
彼は跪く。
「承知しました」
何を考えているのかはわからない。でも、ありがとう。何としても報いなければ。
「おっ」
宿の廊下で、カイラス様に会った。カイラス様もここに宿泊している。頭の上には教皇冠。出発の用意ができているらしい。
「今まで、本当に、ありがとうございました。父に代わって、お礼申し上げます」
「ふっ。クラウス本人から聞くから不要だ」
おお、こんな場で呼び捨てだ。
そんな私の気持ちが表情に出てしまう。
「ははっ、俺が隠居するよりも、クラウス様が戻られる方が早い気がするぜ」
と彼は吐き捨てた。
それは、私が神隠しを解決するのが早いというよりは、彼が王代行をやめにくくなっている、という意味に捉えた。
フレノール貴族との昨夜の話し合いがうまくいってないのかも。
「ま、なんとかするさ」
とカイラス様は笑って見せた。私は、何か言おうとして、何も言えなくて。
「姫様の準備はできたか?」
と聞かれたので、はいとしか答えられなかった。
「そうか。なら1階で待機しておくか。貴方も、重い任務だろうが、健闘を祈る」
肩をぱんと叩かれた。
「……はい! そちらも、よろしくお願いします!」
勢いでそう、言葉が出た。
あとは、例の部屋へ。
「お疲れ様」
部屋に入って、ブライとクリフトにそう言った。彼らは私のノックをきっかけに、跪いていたようだ。
「姫はこれから出発されます。私は単なる商家の娘。ほらほら、顔を上げて」
二人、しぶしぶ顔を上げてくれる。
「私とばれてはいけないから、こういう場でも徹底してレナと扱ってもらっても良いかも」
「クローズドな場では、その気遣いは不要でしょう」
レナと扱うことを、気遣いと言うか、この男は。……まあ、好きにしなさい。
深く、一呼吸。
姫様業はまた今度。
「さて、ではまず、計画、聞かせてくれる?」
「はい……、あの、それは?」
私の腰に備え付けた、新しい武器を指してクリフトは言う。
ふふふ。
このフレノールの宿宛てに、予めテンペから送られた品だった。
私は説明を始めると、クリフトは、もう大丈夫ですと遮ってきた。なんでよ!?
「道中で伺います、まずは計画を」
クリフトは丁寧にまとめられた書類を示した。
むむむ。新調したベルトの話もできなかった。
しかし、今から始まる旅の計画か、確かに重要だ。
途中聞こえる外からの歓声を背景に、今後の予定を詰めていった。
夜。
宿の裏口から外へ出る。
辺りは静まりかえっている。朝、昼が異常すぎたと言える。
クリフトを先頭に、宿裏口の階段を降りて、小路へ。そこでクリフトは、右手を斜め下に下ろし、突然止まった。止まれということ。
ん、なに?
小路の先に、マントで身を覆った子供がいた。これってまさか。
「こんばんは、お姫様」
そう、子供は言った。クリフトは抜刀。ブライも周囲を警戒する。
「いや、何もする気は無い。少し不思議に思って張ってただけだ」
両手を挙げるその子供は至って冷静だった。きっと彼は、このフレノールでの以前の姫誘拐に関わった人間!
背も小さいし、声も高い、丸い帽子を被っている。10才くらいの男の子という印象。
「一つ、質問しても良いだろうか?」
しかし口調は子供のものではない。クリフトは答えなかったが、手を下ろした。
「なぜ、あの娘を助けた?」
これは、私への質問だった。
な、ぜ? え、今更言われても覚えていないのだが! 反応のない私に対し、クリフトがこちらを一度伺った。
えええ?
なぜ誘拐から助けたか。
自分のことのように思ったから? いや、ブライ、クリフトがいて、そして私ならば誘拐などされない。自分のこととはおそらく思っていない。
自分が原因だと思ったから? いや、城を抜け出したことが広まったわけでもない、私が城を抜け出さずとも起きたであろう事件だ。
王の責務でもない。
では何?
民を守るというオリオンの責務を代行した?
しっくり来ない。思考が発散気味だ。
そんな逡巡に10秒近く使ってしまい、さらにはそれはとうとう、子供に遮られてしまった。
「もういい。理由は無いということか」
その口調は疑問ではなく断定だった。彼は続ける。
「あなたは謎だな。影武者を使い、そして旅装でこれから、どこに行くのか」
これも疑問の口調では無く、彼は己に問いかけているようでもあった。彼の体は左の小路を向いた。
「もう会うことは無いだろうが、楽しみにしている」
と残し、そのまま左の小路に消えていった。
何を楽しみに!?
私の視線に気付いたクリフトは、
「大丈夫そうですね。行きますか」
とだけ言った。
それだけ!?
「もしかして、この可能性に気付いてた?」
「まあ、そうですね、知らぬ人は騙せるでしょうが、姫とメイを両方知っている人間からすると、昨日の姫と、宿を出発される姫とを見て違和感を覚えても不思議ではないと」
「なるほどね、それは考えてなかった」
「レナ様には、集中すべきこともありましたので」
あ、レナ様。数週間ぶりに聞いた呼び名。
……。
はっ。何を緩んでいるのだ私は。
旅の始まり。フレノールを出るまでは油断できない。
夜の街中を三人、静かに縫っていく。外までの門が見えた。
ふと。
「どうして、私はメイを助けたんだろう?」
と零した。歩いている間、ずっと答えは出ていなかった。
これは私の問題。二人は答えあぐねているようだった。
「私、あのとき何か言ってた?」
「誘拐事件の時ですよね? ……いえ、おそらく、特段は」
「気にならなかった!?」
私のことはどう見えたのだろうと。
「いえ。テンペのこともありましたので」
あれも同じことか。とりあえず人助けに走ったと。何か、誤解されている気もする。
「私は別に、人助けしたいわけじゃない、と思う」
先ほどまで歩いて思っていたことを、語り出す。
クリフトとブライは静かに聞く。
「国には様々な理由で困っている人が、たくさんいる。国が救うべきと思う。漏れはある。それは徐々に無くしていければとは思う。でも、私がそのルートとは別に、旅の中で、見たものにだけ手を差し伸べるのは、違うと思う。不公平だと思う。私が注力すべきは国。今でこそ王代行の役目は投げ捨ててきたとは言え、今も私はそうありたい」
……二人から異論は無い。この考えは正しい? でも。
「でも!」
言葉が止まらない。
「見捨てるなんてできる!? 絶対私その日眠れないわ! 絶対一生覚えてる! この気持ち悪さ! 想像するだけでこう! 絶対無理!」
包みたかったオブラートはどこか行ってしまった。クリフトは足を止め、私もそれに倣う。
長い2秒ほどの沈黙。
耐えられず、
「……感謝や見返りが欲しいわけではないと、思う。変じゃない? 私」
クリフトは私を見た。
「それで良いと思いますが」
ええっ!?
「せ、せめて、せめてもうちょっと言葉を頂戴」
「そう、ですね」
とクリフトは目を泳がせたが、私をまた見て、
「人を助ける理由が欲しいのですか?」
「欲しいというのも変だけど、理由は無いとだめなのでは」
「国は理由が無ければ動くべきではない、ということですか?」
「それは、そうね」
「なるほど……」
とクリフトは三秒、勿体ぶって、
「どちらも理由は無くて良いのでは」
と答え、私は眉を寄せた。
彼は続ける。
「理由があるべきというのは、良い意味で理想です。だからこそ、それで覆えない箇所が出てくる。人の生き死にはどうしても合理的に扱えません。それを悩まれているのは、……健全です」
「悩んでいることが、良い?」
と言われても。
「少なくとも魅力的に映ります」
……はい?
「私も一生を賭して、レナ様をお守りしたくなります、理由も無く」
「あの、なんだか話が」
「国が理屈で動くことで統制は取れやすくなるかもしれませんが、それは、国が魅力的であることとは別です」
話が戻ったような、戻ってないような。
「クリフト、そろそろ」
とブライが助け船を出してくれる。
「失礼しました、先を急ぎましょう」
な、なんだか、なんだかまた別の悩みの種を植え付けられた気がする!
門まで歩く間、クリフトは視線を前に向けたまま、
「理由ですが、あの時彼に答えるなら、別の良い答え方があったかと」
「何?」
「何のことでしょうと、答えるのが良いかと。姫が素性を」
「あっ!」
大きな声が出てしまった、手で口を覆っても遅い、微かな反響が私を襲う。
「……素性を、明かす必要はありませんので」
と、クリフトは丁寧に締めた。
あなた、今ちょっと笑ってない?