ハルバラトが言うシレモトスに行く前に、ドクターたちは彼の検査をしていた。
まず、ハルバラトはかなりのアーツ能力を秘めていることが分かったようで、錬金術以外のことは大抵なんでも出来た。ただ、ハルバラトはそれらを「アーツ」と呼んではおらず、なんでも「魔法」と呼んでいたということも分かってきたらしい。
そして、ハルバラトは鉱石病感染者ではないということ。そもそも、シレモトスには「源石」や「鉱石病」という言葉自体が実在していないようで、ドクターたちが質問をしても「それはなぁに?」と返されたらしい。
「もしかして、鉱石病に罹らない理想郷のようなところがあるのかも……」
とドクターは呟いていたが、俺は半信半疑だった。ここは裁判所の管轄外で、イベリアとは別の移動都市があるのかどうかも確認出来ていない。移動もせず、天災の被害もないそんな理想郷があるのなら、今後鉱石病の研究は進むのかもしれないが……。
俺はロドス・ラズハが用意した湖を渡る船の中にいた。この船にはココットとナギの他、ドクターと親子の護衛、何人かのロドスの研究者たちが乗っている。その中には、ロドスの最新技術と素材で出来た船に初めて乗る赤子の揺り篭号の船員たちも幾らかいた。こんな船もあるんだなぁと呟くファビアンとミュエルの姿もある。
「このまま真っ直ぐ行ったら、シレモトスが見えてくるよ!」
船首側には案内役であるハルバラトが陽気にそう言った。今のところ緑の水平線以外何も見えないが……いや、何かが行く手を阻んでいる。
「待て。このまま真っ直ぐ進んだら嵐にぶつかる」俺は、ドクターと操縦席にいるエンジニアに声を掛けた。「何かがおかしい……この辺りには嵐が起こるような地形は何もないのに……」
遮る物もない湖の真ん中で、嵐だけが起きているという異質感。俺はこの嵐を、どこかで感じ取ったことがあるような気がしていた。
「切り抜けられそうにないのかい?」
ドクターが心配そうに俺に聞いてきた。嵐の切れ目を探すのはもうやっているが、最適なルートはまだ見つかっていない。
「パパ」
不安を感じたのか、ココットがナギを横に連れて俺のそばまでやって来た。大丈夫だと言いたいが、この嵐の違和感がなんなのか分からずに黙って二人の顔を見つめ返すと、急速に十年以上前のことを思い出した。
そうだ、俺はこの嵐を一度見たことがあるのだ。
「ドクター、この先の嵐は誰かのアーツだ」
俺は言い切った。心相原質でも調べたし、経験上で分かったことだった。まだ目の前には見えない嵐の話のことだ。ドクターは心底驚いた顔をし、それから深い皺が眉間に寄った。
「嵐のアーツ……」
とドクターが呟くと、そこにいたココットが口を開いた。
「もしかして、パラレル……?」
俺はそのサルカズの女についてはよく知らなかったが、ドクターやこの双子たちにとっては因縁があるらしかった。俺がその女にトドメを刺したのは覚えている。
「ならまたソイツをやればいいんだな」
そう俺が言って腰の剣に手を当てると、袖を軽く引かれた。見るとナギが俺の袖を掴んでいる。
「殺しちゃダメ」
とナギが小さく言って首を振ったのだ。
ココットとナギは、殺生について優し過ぎるところがあった。鱗獣の殺生は生きるためだという認識はあるものの、人との殺生は必要ではないのだ、と俺には言葉で言ったことはないが、そういう考えで動いている節がある。
「……分かってる」
俺は剣の柄に乗せた手を下ろした。
大丈夫だ、という意味でナギの強ばった顔の筋肉を撫でたが、浮かない表情は消えなかった。いつもは自分も、と割り込んでくるココットも今日は大人しい。
そこにハルバラトが近づいてきた。
「なんの話をしてるの〜?」
やはりこの小さな子どもに見える彼の周りには、ミストのような何かがチラついている。他の人は気づいていないみたいだ。俺だけ見えているのは、心相原質の影響だろうか。
「ハルバラト。この先に、誰かの嵐があるみたいなんだけど、それがスナタザって人の……魔法なのかい?」
俺の代わりにドクターがハルバラトにそう聞いた。ハルバラトはええっ、と驚きながら向こうを振り向いた。
「ボクには何も見えないけど……スナタザは嵐も雨も雷も落としてくるから、そうなのかも」とハルバラトは答えた。「でも大丈夫! ボクがいるから、スナタザの魔法を消してみせるよ!」
無邪気な笑顔でそう言ってみせるハルバラト。このような子どもがどうやって……と思うが、それはきっと見た目だけなのだろう。見た目に寄らず絶大な力を発揮するのは、ロドス・ラズハには沢山いる。ココットとナギも、あのように才能に溢れているからな。
「嵐が見えてきました!」
間もなく、ロドスの航海士が声をあげた。頬を撫でる風が徐々に荒々しくなり、巻き上げられた細かい水滴が霧雨かのように俺たちに向かって降ってくる。と同時に船が揺れ出した。船員たちがそれぞれ身構え始め、俺はじっと、目の前の嵐を見据えた。
その嵐は、ここに来る途中にあった自然発生の嵐とは断然に大規模なものだった。普通、嵐が壁になる現象ならいくつもの風が渦を巻いているものだが、今目の前の嵐は一つの巨大な天災かのようだった。
俺はもしものために動ける体勢を取りつつ、まずはハルバラトの動きを待つことにした。この巨大な嵐を一体どうするというのか、と俺はハルバラトが船首の方にゆっくりと歩き出したのを確認した。
そして次の瞬間、ハルバラトは左手を空に突き出した。それはまるで誰かに物を渡すような、何気ない仕草にも見えた程だ。
キラリ、とハルバラトの手が光ったように見えた。
それがハルバラトが手首につけている、赤い宝石のある黄金のブレスレットの光だと気づいた時、猛威を振るっていた風の音が忽然と消えた。
嵐は本当に、消し飛んだのだ。
注意深く見ていたはずなのに、ハルバラトが嵐を消した、としか言いようがないそれに俺は息を飲んだ。視界を遮る激しい嵐だった。なのにハルバラトは、アーツの呪文もないまま嵐を消したのだ。一瞬にして。
「このまま進もう!」
ドクターが声を張り、俺は現実世界に戻ったような錯覚がした。たった今見ていたのは夢だったのではないか、と俺はドクターを見、もう一度ハルバラトを見やると、そこには屈託のない笑顔の子どもに見える彼がいるだけだった。
きっと、曇天から一気に晴天に変える力がある人物は、彼のような人材にしか使えこなせないのだろうと俺は考えた。