警告:
*自己満注意
*キャラ崩壊注意
*妄想注意
*にわか注意
以上の項目に少しでも不快感がある方はブラウザバックを推奨します。
初期説明:原作開始から少し前、みなが4年生に上がった所から物語は開始します。細かく言えば始業式三日後から始まります。
一ノ瀬優:性格は無邪気かつ純粋無垢の一言。しかし、中々強情な所もあったり、家族を失っても笑顔を失わなかったり、偶に会話が妙に噛み合わないことがある。それも全て精神年齢の幼さが理由なのだろう。
短めにするつもりなのでテンポが妙に速く、ついていけなくなることもあるかもしれません。
読む専だった者が手がける駄作ですので、見ている最中に不快感があればブラウザバックを推奨します。
違和感や齟齬感もかなりあると思います。
それでもよい方は是非、この物語を楽しんでいただければ幸いです。
ざわ…ざわ…と子供たちの喧騒が、薄い扉一枚を隔ててくぐもって聞こえてくる。春の柔らかな日差しが、古びた校舎の廊下をまだらに照らし、空気中を舞う細かな埃をきらきらと輝かせていた。これから始まる新しい生活への期待と、ほんの少しの不安が入り混じったような、独特の空気が漂っている。ここは、とある地方の、どこにでもあるような小さな小学校。4年2組の教室の前で、一人の小柄な少年が担任の教師に連れられて立っていた。
「それじゃあ、一ノ瀬くん。私が合図したら入ってきてね。緊張しなくていいからね」
人の良さそうな、少し疲れた顔をした若い女性教師がそう言って、少年の小さな肩をぽん、と軽く叩いた。少年――一ノ瀬優は、その言葉に「はいっ!」と元気よく返事をすると、きらきらと輝く瞳で目の前の扉を見つめた。大きなランドセルが、その華奢な体には少し不釣り合いに見える。優の胸の中は、不安よりも圧倒的に大きなワクワクで満たされていた。どんなお友達がいるんだろう。どんなことを勉強するんだろう。給食は、美味しいのかな。次から次へと浮かぶ期待に、自然と口元が綻んでしまう。親戚に言われるがまま、たった一人でこの見知らぬ町へやってきた寂しさなど、今はどこかへ吹き飛んでいた。
がらり、と教師が教室の引き戸を開ける。途端に、堰を切ったように騒がしい声が廊下へと溢れ出した。教師が「はい、席に着いてー」と少し張りのある声を出すと、喧騒は徐々に潮が引くように収まっていく。そして、完全に静かになったのを確認した教師が、廊下に立つ優に向かって手招きをした。
***
優は、こくりとひとつ頷くと、小さな体で精一杯扉を開けて教室の中へと足を踏み入れた。三十人ほどの視線が一斉に自分に突き刺さるのを感じる。好奇心、無関心、あるいは値踏みするような視線。そのどれもが、優にとっては新鮮な刺激だった。きょろきょろと教室を見渡すと、壁には子供たちが描いたであろう色とりどりの絵が飾られており、窓の外では桜の木が風に揺れている。素晴らしい場所だ、と優は素直に思った。
「えー、今日から新しくこのクラスの仲間になる、一ノ瀬優くんです。みんな、仲良くしてあげてくださいね。じゃあ一ノ瀬くん、自己紹介をどうぞ」
教師に促され、優は教壇の前に一歩進み出ると、ぺこり、と深々とお辞儀をした。そして、満面の笑みを浮かべて顔を上げる。
「はじめまして! 一ノ瀬優です! 好きな食べ物はお米です! これから皆さんと一緒に勉強できるのが、すっごく楽しみです! どうぞ、よろしくお願いします!」
太陽のように明るく、一点の曇りもない声が教室に響き渡った。そのあまりにも元気で純粋な挨拶に、教室の空気が一瞬、ぽかん、と弛緩する。何人かの生徒がくすくすと笑い、また何人かは「よろしくー」と気の抜けた返事をした。そんな中、優の視線は自然と教室の隅へと吸い寄せられた。
窓際の後ろから二番目の席。そこに、一人の少女が座っていた。長く艶のある黒髪が印象的だが、その表情は抜け落ちたように無感動で、まるで精巧に作られた人形のようだった。着ている服は少しよれていて、顔の隅には微かに青い痣のようなものが見える。彼女だけが、優の方を見ようともせず、ただじっと窓の外を眺めていた。その姿は、賑やかな教室の中でそこだけが切り取られたかのように、静寂に包まれている。優は、不思議な子だな、と思った。どうして笑わないんだろう。悲しいことでも、あったのだろうか。
もう一人、優の目を引く少女がいた。教室の中央あたり、女子のグループの中心にいる、華やかな雰囲気の少女だ。綺麗なカチューシャで留められた髪が光を反射して輝いている。彼女は、優のことを見定めるようにじっと見つめていたが、その瞳は笑っていなかった。むしろ、冷たく光っているようにさえ見える。優がにこりと微笑みかけても、彼女はふい、と顔を背け、隣の友人と何事か囁き始めた。その唇が、嘲るような形に歪んだのを、優は見逃さなかった。
「じゃあ一ノ瀬くんの席は…そうだな、久世さんの隣が空いてるから、そこでいいかな」
教師が指差したのは、先ほど優が気にしていた、窓の外を眺める無表情な少女――久世しずかの隣の席だった。しずかは、自分の隣が指定されても何の反応も見せず、相変わらず虚空を見つめている。優は「はい!」と再び元気よく返事をすると、小さな体でランドセルを揺らしながら、その席へと向かった。
机の横を通り過ぎ、自分の席に着くまでの短い間にも、優の大きな瞳は好奇心に満ちてきょろきょろと動いていた。埃っぽいチョークの匂い、窓から吹き込む春の風が運ぶ土の匂い、そして隣に座る少女から微かに漂う、陽の光に当てられていない古い布のような、どこかかび臭い匂い。その全てが、優にとっては新しい世界の構成要素だった。とん、と小さな音を立てて自分の椅子に腰を下ろすと、少し硬い木製の椅子の感触が伝わってくる。優はまず、背負っていた重いランドセルを机の横のフックに慎重に引っかけた。どうやら後ろの棚にランドセルは入れるみたいだが空きスペースが無いらしい。そして、改めて隣に座る少女――久世しずかの方へと向き直る。
「はじめまして! 僕、一ノ瀬優です! これからよろしくお願いしますね!」
太陽をそのまま閉じ込めたような、一点の曇りもない笑顔。優は、人との出会いは素晴らしいものだと信じて疑わなかった。だから、隣の席になったこの少女とも、きっとすぐに仲良くなれる。そう確信して、にこやかに挨拶の言葉を紡いだ。しかし、その純粋な期待は、静かな壁にぶつかって霧散する。
しずかは、ぴくりとも動かなかった。その視線は変わらず窓の外の、どこか遠い一点に向けられたまま。まるで優の声など最初から聞こえていないかのように、その存在を完全に無視している。その横顔は感情というものが抜け落ち、まるで精巧に作られた石膏像のようだ。教室の喧騒も、新しい転校生の挨拶も、彼女の世界には届いていない。ただ、虚無だけがそこにあった。
投げかけた言葉が何の反響もなく虚空に消えた。優の満面の笑みが、ほんの少しだけ揺らぐ。あれ? と首を小さく傾げた。聞こえなかったのだろうか。それとも、何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか
「うーん…」
優は小さな唸り声を上げ、ぽりぽりと自分の頬を掻いた。新しい友達ができるかもしれないという期待が大きかった分、その完全な無反応は少しだけ胸にちくりとした痛みを残した。けれど、優の思考はすぐに別の方向へと向かう。もしかしたら、この人はすごく人見知りなのかもしれない。あるいは、何か嫌なことがあって、今は誰とも話したくない気分なのかもしれない。そう思い至ると、優は無理に距離を詰めようとするのをやめた。人にはそれぞれ事情というものがある。それを無理やりこじ開けるのは、優しさではない。優はそう理解していた。
「…機嫌が、悪いのかな…。そっとしておいてあげよう」
独り言のように小さく呟くと、優は気持ちを切り替えるようにぱん、と軽く両手で自分の頬を叩いた。そして、正面の黒板へと向き直る。これから始まる授業に意識を集中させようと、机の中から真新しいノートと筆箱を取り出した。表紙に可愛らしい動物の絵が描かれたノートを開くと、まだ何も書かれていない真っ白なページが目に映る。ここに、これからたくさんの知識が書き込まれていくのだと思うと、また心が弾んだ。
一時間目の授業は国語だった。教科書の指定されたページを開き、教師の朗読に耳を傾ける。時折、隣のしずかの様子をちらりと盗み見たが、彼女は教科書を開くでもなく、ノートを取るでもなく、ただじっと窓の外を眺め続けていた。教師もそれを咎めることはない。まるで、彼女がそこにいないかのように、授業は淡々と進んでいく。教室の中には、奇妙な不干渉の空気が満ちていた。
やがて、あっという間に時間は過ぎ、待ちに待った休み時間になった。チャイムが鳴り終わるや否や、教室は再び活気を取り戻す。
「一ノ瀬くん、どこから来たの?」「前の学校はどんなだった?」数人の男子生徒が、物珍しそうに優の席の周りに集まってきた。優は、その一つ一つの質問に「えっとですね!」「はいっ!」と元気よく、そして嬉しそうに答えていく。その屈託のない様子に、初めは遠巻きに見ていた他の生徒たちも、少しずつ優に興味を示し始めた。
そんな和やかな輪の外で、冷たい視線が優を射抜いていることに、彼はまだ気づいていなかった。教室の中心、女子グループの女王のように君臨する少女――雲母坂まりなは、取り巻きたちと笑いながらも、その鋭い視線で優と、その隣にいるしずかを交互に見比べていた。*
「ねえ、あの転校生、しずかの隣に座って平気なのかな」「さあ? 馬鹿なんじゃない?」「うけるー」
取り巻きたちの囁き声に、まりなは鼻でふんと笑う。
そして休み時間が終わり、午前中の授業がつつがなく過ぎていく。優は、新しい教科書に書かれた知らない言葉や、先生が黒板に書く複雑な漢字の一つ一つに目を輝かせた。隣の席の久世しずかは、相変わらずだった。教科書は開かれているものの、その視線はどこか遠くを彷徨っており、鉛筆を握ることもない。時折、優の活発な動きが視界の端に映るのか、ほんの僅かに眉をひそめるような気配があったが、それ以上の反応はなかった。
やがて、校舎に軽快な音楽と共にチャイムが鳴り響き、待ちに待った給食の時間がおとずれた。教室は一斉に活気づき、当番の生徒たちが白衣とマスクを身につけて、慌ただしく配膳の準備を始める。今日のメニューは、子供たちに人気のカレーライスと、フルーツポンチ、そして牛乳だ。食欲をそそるスパイシーな香りが教室中に満ち溢れ、あちこちから「やったー!カレーだ!」という歓声が上がる。
優もその一人だった。配膳台から自分の分の給食を受け取ると、その温かいお皿を両手で大事そうに抱え、自分の席へと運ぶ。ほかほかと湯気の立つカレーライスを前に、優の目は期待でらんらんと輝いていた。一人で食べる夕食とは違う。みんなで一緒に食べるお昼ごはんは、どうしてこんなにも心を弾ませるのだろう。
「いただきます!」
*クラス全員の元気な号令に合わせて、優も大きな声で挨拶をした。そして、スプーンを手に取ると、まずはカレーを一口。ごろっとしたジャガイモと人参、柔らかく煮込まれた豚肉が、甘口のルーと絶妙に絡み合う。その優しい味わいが口いっぱいに広がった瞬間、優の頬が幸福感で緩みきった。*
「んん〜っ! おいしいですっ!」
思わず声に出てしまった感嘆の声に、周りの生徒たちがくすりと笑う。優は少し恥ずかしそうに口元を手で覆ったが、その瞳は喜びで細められていた。もぐもぐと、小さな口で一生懸命に頬張る。その姿はまるで、冬ごもりの前に木の実を蓄えるリスのようだ。夢中になってカレーライスを食べ進め、時々フルーツポンチの甘酸っぱさで口の中をリフレッシュする。なんて幸せな時間なのだろう。優は心の底からそう思った。
ふと、その幸福感のさなか、優は隣の席に意識を向けた。久世しずかさんは、美味しく食べているだろうか。そう思って横目で盗み見ると、優の動きがぴたりと止まった。
しずかの前にも、同じカレーライスが置かれている。しかし、それはほとんど手つかずのままだった。彼女はスプーンを握ってはいるものの、食べるわけではない。ただ、その先端でご飯の山を意味もなくつついたり、ルーをかき混ぜて模様を描いたりしているだけ。その行為には食欲も、喜びも、何の感情も見て取れなかった。まるで、色のない世界で色のない作業を延々と繰り返しているかのようだ。その目は、目の前の食事ではなく、もっと別の、誰も見ることのできない何かを映しているように虚ろだった。
あんなに美味しいのに、どうして食べないんだろう。
優は、小首をこてん、と傾げた。お腹が空いていないのだろうか。それとも、カレーが嫌いなのだろうか。優にとって、「食事」とは幸せと直結するものだった。温かいものを食べれば心が温かくなり、美味しいものを食べれば元気が出る。それは当たり前の、疑いようのない真理のはずだった。だが、目の前の少女は、その幸せの象徴を前にして、まるで石のように動かない。
その時、教室の反対側から、わざとらしい大きな声が響いた。
「あーあ、せっかくの給食がマズくなるわー。寄生虫が近くにいると空気まで腐るのかしら」
声の主は、雲母坂まりなだった。彼女は自分の席で優雅にスプーンを運びながらも、その視線は侮蔑の色を隠そうともせず、まっすぐしずかに向けられている。その言葉を皮切りに、まりなの取り巻きたちも「ほんとそれー」「うける」「残さず食べろよなー」などと、クスクス笑いながら同調の声を上げた。
教室の賑やかだった空気が、一瞬にして冷たく張り詰める。他の生徒たちは、そのやり取りに気づかないふりをしたり、あるいは面白がるように遠巻きに眺めたりしているだけだ。教師は職員室に戻っているのか、この場にはいない。それは、この教室で日常的に繰り返されている光景なのだろう。
しかし、優にとって、それは初めて見る異様な光景だった。「寄生虫」という、小学生が使うにはあまりにもどぎつく、汚い言葉。それが、すぐ隣にいる物静かな少女に向けられているという事実。優は、まだその言葉の本当の意味を完全には理解できていなかったが、それが人をひどく傷つけるためのものであることだけは、本能的に感じ取っていた。
しずかは、その罵詈雑言を浴びても、なお石像のように動かなかった。表情一つ変えず────いや、顔色は確かに悪くなっている。が、ただスプーンで目の前のカレーをかき混ぜ続けている。それはまるで、嵐の中で葉を揺らすこともなく、ただ静かに佇む一本の枯れ木のようだった。その無抵抗さが、かえってまりなたちの嗜虐心を煽る。嘲笑の声はさらに大きくなり、教室の冷たい空気はより一層その濃度を増していった。
優は、目の前で起きていることが信じられなかった。スプーンを握りしめたまま、硬直する。美味しい給食。楽しい時間。それが、一人の少女に向けられた、悪意に満ちた言葉のナイフによってズタズタに切り裂かれていく。どうして。どうして、こんな酷いことを言うんだろう。どうして、周りのみんなは見て見ぬふりをしているんだろう。どうして、久世さんは何も言わないんだろう。
理解が、追いつかない。
優の世界は、優しさと善意で成り立っていた。目の前で親が命を落とすという絶望を経験してもなお、彼の魂の根幹は純粋さを失っていなかった。だからこそ、この剥き出しの、理由のない悪意は、彼の理解の範疇を遥かに超えていた。それはまるで、生まれて初めて「毒」という概念に触れたかのような、根源的な混乱だった。
…………やがて、優の中で何かが静かに形を結んでいく。それは怒りや悲しみとは少し違う、もっと静かで、もっと確固たるものだった。
理解できない。でも、これは、間違っている。
この美味しい給食を、この人は美味しいと感じられない。この楽しい時間を、この人は楽しめない。それは、この人自身のせいではない。周りから投げつけられる、棘だらけの言葉のせいだ。だったら、僕が。
僕が、その棘を全部抜いてあげよう。僕が、この人の盾になろう。
それは、あまりにも純粋で、そしてあまりにも無謀な決意だった。世界の歪みも、人の心の複雑さも知らない、幼い子供だからこそ抱ける、聖なる誓いだった。
***
終わりのチャイムが鳴り響き、ざわめきと共に生徒たちが教室を後にしていく。明日またね、と手を振り合う声、帰路へと急ぐ足音。その喧騒の中を、久世しずかは誰に声をかけるでもなく、ひっそりと席を立った。ボロボロになったランドセルを背負い、まるで自分の影だけを連れて行くように、静かに昇降口へと向かう。
その小さな背中を、優は追いかけた。とたとたと軽い足音を立てて駆け寄り、昇降口で靴を履き替えようとするしずかの前に回り込む。
「久世さん!」
呼びかける声は、昼間の教室でのそれと同じように、明るく弾んでいた。しずかは億劫そうに顔を上げる。その瞳には何の光もなく、ただ面倒だという感情だけが微かに浮かんでいた。優の存在など、道端の石ころ程度にしか認識していないようだ。
「……なに」
かろうじて紡がれた声は、乾いていて、ひどく冷たかった。優は、その拒絶のオーラを全身で受け止めながらも、一切怯むことなく、にこりと笑みを深める。
「今日のこと、ごめんなさい! 僕が転校してきたせいで、嫌な思いさせちゃいましたよね…!」
優は、まりなたちの言葉が、自分がしずかの隣に座ったことが引き金になったのだと、そう解釈していた。だから、まずは謝らなくてはならない。ぺこり、と小さな頭を深々と下げた。
しずかは、その予想外の謝罪に、ほんのわずかに目を見開いた。だが、それも一瞬のこと。すぐにいつもの無表情に戻ると、ふい、と顔を背ける。
「……別に。どうでもいいよ。あなたのせいじゃないし」
それは事実だった。優がいようがいまいが、あの状況は変わらない。日常の一部でしかない。だから、どうでもいい。関わらないでほしい。その言葉には、そんな突き放すような響きが込められていた。しずかはそのまま優の横をすり抜け、外へと出ようとする。
しかし、その腕を、小さな手が優しく、しかし力強く掴んだ。*
「いいえ!」
優の声は、先ほどよりも強く、明確な意志を帯びていた。しずかが驚いて振り返ると、そこには満面の、一切の迷いも曇りもない笑顔を浮かべた優がいた。その瞳はまっすぐにしずかを射抜き、太陽の光を宿したようにきらきらと輝いている。
「久世さんが良くても、僕が嫌なんです! だって…僕はあなたと仲良くなりたいんですから!」
その言葉は、命令でも懇願でもなかった。ただ、揺るぎない事実として、そこに提示された。あなたがどう思おうと、あなたが拒絶しようと、僕のこの「あなたと友達になりたい」という気持ちは変わらない。あなたの意思とは無関係に、僕はあなたに関わっていく。それは、傲慢とも取れるほどの、絶対的な宣言だった。
あなたの孤独も、絶望も、諦めも、僕の前では意味をなさない。僕があなたと友達になると決めたのだから、そうなるのだ。その小さな体から放たれる、あまりにも強烈で純粋な意志の光に、しずかは一瞬、言葉を失った。
何を言っているんだ、この子は。
しずかの心に浮かんだのは、そんな呆れと困惑だった。今まで、たくさんの同情や偽善、あるいは好奇の視線を向けられてきた。だが、こんな風に、相手の都合を一切無視して、自分の「友達になりたい」という欲望を真正面からぶつけてきた人間は初めてだった。それは理解不能で異質な存在だった。
しずかは、掴まれた自分の腕を振り払うことさえ億劫に感じた。抵抗する気力も、言い返す言葉も見つからない。ただ、その熱のこもった小さな手を無視して、無言で背を向け、昇降口から外へと一歩踏み出した。もう関わらないで。その無言の行動が、彼女にできる最大限の拒絶だった。
しかし、優はその拒絶を意にも介さなかった。しずかが歩き出せば、その手に繋がれたまま、とてとてと隣について歩き出す。まるで、当然のように。
こうして、奇妙な二人組の下校が始まった。夕暮れのオレンジ色の光が、二人の小さな影を長く長くアスファルトに伸ばしている。一人は、死んだ魚のような目をして、感情の全てを世界から遮断するように黙って前だけを見て歩く少女。もう一人は、その少女の手を固く、しかし優しく握りしめ、太陽のような笑顔を浮かべて絶え間なく何かを話しかけ続けている少年。
「久世さんの家はこっちの方向なんですね! 僕の家は、もっとずーっと先の方なんです! だから途中まで一緒ですね、嬉しいです!」
しずかは答えない。
「今日のカレー、すっごく美味しかったですよね! 僕、おかわりしたかったくらいです! 久世さんは、好きな食べ物ってありますか?」
しずかは答えない。その視線は虚空を彷徨い、優の声はまるで遠い国の雑音のように、彼女の意識の表面を滑り落ちていく。
「あのですね、僕、この町に来たばかりで、まだ何も知らないんです。だから、もし良かったら、今度おすすめの場所とか教えてくれませんか? 綺麗な石が拾える川とか、面白い形の雲が見える丘とか!」
その言葉は、春の小川のせせらぎのように、途切れることなくしずかの耳に注がれ続けた。優は、しずかの無反応に傷ついたり、怒ったりする素振りを一切見せなかった。彼はただ、自分が話したいことを、伝えたいことを、嬉々として話し続けているだけだった。それは、返事を期待しての会話ではない。ただ、自分の隣にいる「久世しずか」という存在に向けて、自分の世界の楽しさや輝きを、一方的に共有しようとする純粋な行為だった。
しずかにとって、それは拷問に近かった。外では静寂こそが、彼女が唯一手に入れた心の平穏だった。誰からも干渉されず、何も感じず、ただ無でいること。それだけが、痛みに満ちた現実から身を守るための鎧だった。しかし、優はその鎧を、遠慮なく、無邪気に、内側から叩き続ける。その明るい声は、彼女が必死で守ってきた静寂の世界に亀裂を入れる、不快なノイズでしかなかった。
やめて。話しかけないで。ほっといて。
心の内で叫んでも、その声が外に出ることはない。声を出すエネルギーさえ、とうの昔に枯渇してしまっていた。
どれくらい歩いただろうか。見慣れた分かれ道に差し掛かった時、しずかは初めて足を止めた。彼女の家へと続く、細い路地。優は、それに気づいてぴたりと足を止め、不思議そうに小首を傾げる。
「……わたし、こっちだから」
絞り出すような、か細い声。それが、今日優に向けて発せられた、二言目の言葉だった。しずかはそう言うと、掴まれていた手を、今度は少しだけ力を込めて引いた。離してほしい、という明確な意思表示。
しかし、優はその手を離さなかった。それどころか、逆にきゅっと力を込めて握り返す。そして、悪戯っぽく笑った。
「分かりました! だったら、家まで送ります!」
「……は?」
しずかの口から、間の抜けた声が漏れた。予想の斜め上を行く返答に、彼女の思考が初めて追いつかなくなる。
「だって、まだ途中じゃないですか! 家に着くまでが帰り道です! だから、僕がちゃんと、久世さんが家に入るまで見届けますね!」
当たり前のことのように、優はそう言い放った。それは、この世界の常識や機微が一切通用しない、異星人の論理のようだった。しずかは、もはや抵抗する気力も失い、呆然とその場に立ち尽くす。その間にも、優は「さあ、行きましょう!」と彼女の手をぐいと引き、ためらいなく細い路地へと足を踏み入れていく。
抵抗する気力すら奪われたしずかは、もはや優に手を引かれるまま、自宅へと続く細い路地を歩くしかなかった。その背中は諦念に丸まり、足取りは鉛のように重い。対照的に、優の足取りは軽やかそのものだ。彼は、しずかの家までの短い道のりも、まるで楽しい遠足の一部であるかのように、目を輝かせていた。
「わあ、こっちの道は静かでいいですね! カラスさんの声がよく聞こえます!」
「あ、見てください、久世さん! あそこのお家の屋根に、猫さんがいますよ!」
優が指さす方を見ても、しずかの瞳には何も映らない。猫がいても、鳥が鳴いていても、彼女の世界の色は変わらない。ただ、一方的に浴びせられるその明るい声が、耳の奥で不協和音のように響くだけだった。早く、早くこの時間が終わってほしい。ただそれだけを願いながら、無心で足を前に進める。
やがて、古びた木造の一軒家の前にたどり着いた。所々塗装が剥げ、雨戸には錆が浮いている。庭には雑草が生い茂り、人の手入れが久しく入っていないことを物語っていた。ここが、久世しずかの「家」であり、彼女の世界を閉ざす城壁であり、唯一の安寧のある場であった。
しずかは家の前でぴたりと足を止め、優の方を振り返りもせず、掴まれていた自分の手を、するり、と引き抜いた。まるで、汚れたものから手を離すかのように、静かで、それでいて明確な拒絶の動作だった。優の小さな手の中に、ふわりとした空虚感と、しずかの肌から伝わった微かな冷たさだけが残される。
「……じゃあ」
それだけを、消え入りそうな声で呟くと、しずかは玄関の引き戸に手をかける。振り返ることも、さよならを言うこともなく、ただこの場から消え去りたいという一心で。
しかし、その背中に、追いかけるように明るい声が投げかけられた。
「久世さん! また明日! 明日も、一緒に帰りましょうね!」
優は、満面の笑みを浮かべていた。拒絶されたことへの悲しみなど微塵も感じさせず、ただ純粋な好意と、明日への約束を当たり前のように口にする。その声には、しずかの心を覆う分厚い氷を、いともたやすく溶かしてしまえそうな、不思議な熱量がこもっていた。
ぴしゃり。
しずかの返事の代わりに、古びた引き戸が静かに閉められる音が響いた。それは、優の言葉を断ち切るための、彼女にできる唯一の抵抗だった。扉一枚を隔てた向こう側で、しずかは壁に背中をもたせ、ずるずるとその場に座り込んだかもしれない。あるいは、何も感じないまま、自分の部屋へと向かったかもしれない。優には、それを知る術はなかった。
閉ざされた扉を前にしても、優の笑顔は消えなかった。彼はしばらくその場に立ち、扉をじっと見つめていたが、やがて満足そうに一つ頷くと、くるりと踵を返す。しずかは帰った。自分の役目は果たした。そして、明日もまた会える。その事実だけで、彼の心は満たされていた。
来た道をとぼとぼと一人で戻り始める。夕日はさらに傾き、世界は深い茜色と群青色のグラデーションに染まっていた。一人になった帰り道は、少しだけ静かだった。優は、先ほどまで握っていた自分の左手を開き、じっと見つめる。しずかの、驚くほど冷たかった手の感触が、まだそこに残っているような気がした。
どうしてあんなに冷たかったんだろう。僕の手、温かかったかな。少しでも、温かくなってくれたかな。
優は、自分の身の上を多くは語らない。親を亡くし、親戚に厄介者扱いされ、この見知らぬ土地へたった一人でやってきた。その胸の内には、大人でさえ抱えきれないほどの孤独と悲しみが眠っているはずだった。しかし、彼はその闇に飲み込まれない。むしろ、その闇を知っているからこそ、他人の心の内に灯る、どんなにか細く、消え入りそうな光も見逃さないのかもしれない。
しずかの瞳の奥に、ほんの一瞬だけ揺らいだ光。それは、優だけが見つけた、誰にも気づかれない小さな星のかけらだった。
「よしっ」
優は再びぱん、と自分の頬を叩き、空元気ではない、本物の元気を奮い立たせる。明日も学校へ行こう。明日も久世さんに挨拶をしよう。明日も、一緒に帰ろう。彼女が「もう来ないで」と言うその時まで。いや、たとえそう言われても、僕は行くのかもしれない。だって、友達になりたいのだから。
それは、世界の理不尽さを知らない子供の無邪気さであり、同時に、世界の理不尽さをその身に受けながらも、なお人を信じようとする、あまりにも強靭な魂の輝きでもあった。この歪んだ小さな町で、二つの孤独な魂が出会ってしまった。その出会いが、これからどのような物語を紡ぎ出すのか。まだ、誰も知らない。
1話はこれで終わりです。
もし、ここまで見てくれた方が居たのならありがとうございました。