第二十二話: 世の乱れは増すばかり
黄巾党の決起より数年。
漢王朝の権威は失墜し、その支配は実を失っていた。
黄巾軍の残党による各地での抵抗に加え、これまでは曲がりなりにも漢王朝を支える側であった筈の各地の豪族達が独自に力を付け、相次いで反乱を起こしたのだ。
現王朝に従う意義はない_ 張角が動かした時代は、更なる混迷へと走り始めていた。
「つまり、その『太平の要』ってのは、漢王朝を影から支えてきた集団だって事か。
しかし、何でそいつらの里があんな風に焼かれる事になんだ...?」
幽州州都・
かつて義勇軍と共に黄巾党と戦った戦士_紫鸞とところ天の助が利用していた一室には、その頃と同じく天の助の声が響いた。
黄巾党との最終決戦の後、彼らは紫鸞にとっての故郷である『太平の要』の者達が暮らしていた里跡にて、黄巾党首魁・張角を発見、その想いと秘められていた苦しみを聞き届けた。
その後は各地での騒乱の鎮圧に加勢しつつ、店主が顔馴染みであるこの薊の宿へと戻ってきたのだ。
先の天の助の言葉は、彼らの旅路に新たに加わった『仲間』から、『太平の要』という単語についての説明を受けてのものである。
「経緯については分からないが、ある程度予想はつく...。
漢王朝を支えてきたからこそ、長く続いた国が衰え、世に不満と憎悪が渦巻くのを彼らも分かっていたのだろう。
このまま漢室を支えるべきか、という疑問が芽生えるのも当然だと思える。
何しろ、彼らはかつての『俺』などよりもずっと、漢室の内情にも精通していた筈だからな...。」
天の助に応えたその男性の声がくぐもったものとなっているのは、彼の体調が悪い訳でも、喉に異常がある訳でもない。
彼の口から出た声を遮る存在を、彼自身が顔面に装着している故である。
「...喋り辛いのなら外したらどうだ?
この部屋の中なら気に病む必要もないだろう。」
男性が被る『ぬ』の文字が中央に刻まれた兜_その下に隠された素顔が人目を憚るものであるというのが、彼がこの妙な兜を被る理由なのだが、逆に言えば現在の様に人目を気にせずにいられる前提ならば、紫鸞の言う通りこれを外しても問題は無い筈なのだが。
「いや、このままで構わない。
これは俺が俺自身に科した戒めだからな...。
それに、天の助の言う『ぬ』の力_この命ある限り人を救う事に『努』めよとの使命感が漲ってくるのだ。
今の俺は、『ぬー
紫鸞の提案を退けつつ、男性_ぬー$の戦士は強い握り拳と共に、現状への確かな充実感を覗かせる。
その正体と過去を知る故に、紫鸞の方も微妙な表情ではあるものの、彼自身が満足しているという事実を優先し、沈黙を選んだ様だ。
「話を戻すが、あの里の状態を考えると、『太平の要』は朝廷への叛意ありと見做され、襲撃されたという事だろう...。
紫鸞と件の朱和という者がその生き残りという事なのだろうな。」
「...彼女は何故別行動を?」
里の状態を元に推察したぬー$の戦士に対し、紫鸞が朱和の行動に対する更なる分析を求める。
かつて共闘した義勇軍の将_張飛の口からも出ていた疑問であり、彼自身も疑問に感じていた故だろう。
「安直に考えるのなら、首謀者の捜索と復讐...。
もしくは、他にも生き残りがいる可能性から各地を巡っているか...。」
「紫鸞に記憶が無いってのもあるんじゃねえか?
仮に復讐が目的だとしたら、何も覚えてない奴を巻き込みたくないって感じでよ...。」
そんな彼の問いに、ぬー$の戦士と天の助がそれぞれ自身の考えを口にするも、一同の誰もが納得出来ていないのは明らかだった。
根本的に朱和自身に聞いた訳ではない事に加え、復讐者という可能性は状況を考えれば理解は出来るものの、紫鸞の言う彼女の人物像とは剥離している様にも思える。
無論、天の助が語った通り紫鸞を大切に思うからこそ修羅の道から遠ざけているという事も考えられるが、何れにせよ余りにも情報が不足していると言わざるを得ない。
「失礼致します。
お客さん宛ての書簡を届けに来たんですが...。」
三人の重苦しい空気が伝わったのだろうか。
宿屋の店主が遠慮気味に声を掛けてくるが、それに紫鸞と天の助は思わず目を見合わせた。
「俺達に、かい?」
「ええ、お客さんが留守の間に幾つか。
もしや、お偉方からのご指名ってやつでしょうかね。」
各地を旅する武芸者_そんな自分達宛ての書簡を送る者がいるのだろうかという二人の疑問に応える様に、店主が手に持つそれを差し出せば確かに自分達宛てである事を示す宛名が書かれていた。
黄巾党との戦いでの活躍を知る『お偉方』とやらが、自分達の所在を調べ、送ってきたという事なのだろうか。
「どれどれ...。
おっ、こりゃまた随分な偶然だな。」
試しにと書簡の一つに目を通した天の助の笑みの理由は、程なく他の二人にも明かされる事となる。
幽州・遼東郡_現在の遼寧省と朝鮮半島の一部に相当するこの地では、烏丸の族長_
緯度で言えば日本の北海道から東北地方北部辺りに相当する故の厳しい風土と戦を控えた緊張感に包まれる陣内では、見張りに立つ兵達も身を縮こませており、平時より遼東郡が属する幽州で生活する公孫瓚配下の兵を以てしても厳しい環境である事が窺える。
そんな中にあって、場違いな程の笑みと共に再会を喜ぶ者達がいた。
「久し振りだな、お三方。
また随分と凄い所にいるじゃないか。」
「紫鸞、天の助、来てくれて嬉しいぞ。
それで...、そっちの被り物をしてる彼は、お前達の友人って事でいいのか...?」
かつては義勇軍を率いた将_劉備が紫鸞と天の助の来訪を喜びつつ、彼らの背後に控える兜を被った謎の人物についての素性を問う。
防具としてだけでなく、素顔を覆い隠す効果も発揮している上に、それを一向に外そうとしない事実が警戒感を与えてしまうのは致し方ないだろう。
劉備の背後に控える彼の義兄弟_関羽と張飛も、かつて共闘した仲間と同行している事実から臨戦態勢にまでは至っていないものの、平時より幾分鋭い視線を向けている。
「ああ、紹介するよ。
大将達と別れた後に会って、俺達の仲間になったぬー$の戦士だ。
まあ、本名じゃないのは分かるとは思うが、そこは察してやってくれると助かる。」
「...そりゃ、事情があるのは何となく分かるけどよ。
せめて挨拶位は、それ取って出来ねえのか...?」
「その言が尤もである事は重々承知している...。
だが、彼も『苦しむ人々を救う為に』と戦う者である事は保証する。」
「紫鸞まで...。」
「...。」
謎の人物_ぬー$の戦士を三人へと紹介する天の助だが、それがまともなものになり得ていないのは彼にも紫鸞にも分かり切っていたのだろう。
張飛からの指摘に対して頭を下げる二人の姿には、劉備も思わず目を丸くしてしまった。
一人何やら思う所がある様子の関羽の視線を受けたまま、渦中の人物たるぬー$の戦士が一歩前に出る。
「俺の事を信じられぬのも当然だろう。
だが、俺を絶望の淵から救ってくれた二人に報いる為、そして苦しむ人々を救う為に戦う事を、俺は俺自身の行動で示してみせる。
故に、俺が怪しい動きを見せたと感じたなら、遠慮なくこの兜諸共に斬り捨ててくれ。」
「よいのではないですか? 兄者。
脛に傷持つ身であるのは、我らも同じでありましょう。」
ぬー$の戦士の言葉を受け、ここで彼を擁護したのが、ここまで黙していた関羽だった。
実際、彼程あからさまではないにせよ、客観的に見た人格に問題が無かろうと、素性を容易に明かせない者は存在する。
その言葉にふと思い出したのか、紫鸞と天の助も『そもそも何故彼ら三人がこんな場所にいるのか』という疑問に思い至った様だ。
「そういや、冀州で役職を貰ったって...あっ...。」
「おい、その『あっ』ってのはどういう意味だ?
何で俺の方を見て言いやがった?」
「...何かやらかしたのか...?」
「おめえらは揃いも揃って、何で俺が原因だって決めつけてんだよ!!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!!!!
何で俺だけ!!!?」
黄巾党との戦いの報酬として彼らが与えられていた筈の冀州での役職、それを考えれば彼らがこの場にいる事自体が不自然であり、先の関羽の発言に繋がるのだろう。
役職を追われるとなれば必然問題が起きたという事になり、自然と二人の視線は彼らの中で最も『問題を起こしそうな者』へと注がれる。
勝手に決めつけている二人にも非はあるが、件の人物が『そう思われる要因』を現在進行系で天の助に下している事に気付く日は来るのだろうか。
通例通りに天の助の顔面が凹んだ所で経緯の説明を開始した関羽曰く、彼らは中山国・安憙県という地の県尉として赴任、当初は恙無く職務を全うしていたらしいのだが。
「黄巾を討ったとて、奸臣は滅びず...。
出自の確かではない我らを、面白く思わない役人達もいたようでな。」
「...だが、戦功ともなれば劉備殿らが共闘した官軍の将が与えたものであろう?
文武の違いはあれど、同じ官吏が与えた役職に有象無象の役人が不満を持つなど...。」
「逆に言えば、そういう武官の目が届き難い田舎の小役人の方が、好き勝手やってるって事かもな。
んで、大将の事だからそんな奴と袖の下でよろしくなんて出来ませんってかい?」
「ったりめぇよ!
兄者は督郵の奴に言ってやったのさ、皆が懸命に働いて納めてくれたもんの中にてめえらに渡せるもんなんか無えってな!
けど、そうやって突っぱね続けてたのが気に入らなかったのか、終いには、兄者や皆を馬鹿にしやがった。
だから俺が懲らしめてやったのよ。」
(結局やらかしたんだな...。)
関羽の言葉に対するぬー$の戦士の反応は、本来なら尤もなものとして受け取られる筈なのだろう。
だが残念な事に、そういったまともな意見が通じ、尊ぶ様な役人ばかりなら、民草の生活はもっと楽になっていると言わざるを得ない。
無論、件の一件の劉備や、かつての彼の師_盧植等、賄賂を拒否する者もいるだろうが、結果としては二人共にその職を追われるに至っている。
結局役人を痛めつけたらしい張飛の行動は決して褒められたものではないが、こうして三人が逃げおおせている事実からすると、安憙県の者達の中にも彼の行動に溜飲を下げた者がいるのかもしれない。
「気に病むな、翼徳。あの者の振る舞いは、俺も腹に据えかねていた。
そういう訳で、俺達は旧知の公孫瓚殿を頼って、幽州を訪れたんだ。
さて、間もなく出陣だからな。
続きは作戦の説明をしながら話そうか。」
その言葉を補強する様に、陣内には慌ただしさが見られ始める。
一度話を中断する事を提案した劉備に先導され、一同が幕舎の中へと入っていく中、関羽の視線はぬー$の戦士の背中を捉え続けていた。
「さて、軍議を始める前に...。
言っておきたい事があるんだったな、雲長。」
全員が幕舎へと入った所で、劉備から水を向けられたのが関羽だった。
義兄の言葉に頷くと、彼は紫鸞達に視線を向けつつ、この戦に向けた己の考えを語り始める。
「然り。此度の戦、地の利は敵にある。
周到に罠が張られている可能性もあろう。
紫鸞、天の助、ついては、拙者はおぬしらと共に行動したい。」
彼の言葉は字面だけを切り取るなら、紫鸞達としても吝かではない提案だった。
彼ら二人と共に立つ、彼の言葉の中で名が挙がらなかった者の存在が無ければ。
「...あー、雲長殿...。
やっぱり、こいつの事は信用出来ないって事かい?
いや、それを咎めるつもりじゃないんだが...。」
「それも無いとは言わぬ。
が、拙者の考えは『これから』を見据えての事よ。」
「...と言うと?」
「本軍の指示に縛られず、自由に動く手を作る事で、あらゆる状況に対応する_義勇軍では紫鸞、おぬしがこの役目を担っていた。
しかし、おぬしらはあくまで旅の武芸者...いつまでもその力を当てにする訳にもいくまい。」
関羽の言葉に、紫鸞達も彼の思惑を理解する。
成程、長らく義勇軍に協力する形で黄巾党と戦っていた為に忘れがちではあるが、現状彼らはどの勢力にも属していない中立の戦力という事になる。
関羽自身も、彼の義兄弟達も今後も彼らと共に戦っていきたいという気持ちはあるものの、現状は彼らからの善意ありきの関係なのだ。
気持ちの面とは別に、彼らの居所によってはそもそも物理的に戦への参加が間に合わない事も有り得る以上、今後も劉備を支え続ける関羽とすれば、『紫鸞達の助勢が得られない、もしくは敵対してしまう』状況を想定するのも当然の事と言えよう。
そこで今回、彼らがやって来たのを渡りに船とばかりに、彼らと同行し遊軍として動き戦場全体を見渡す経験を得ようという訳だ。
ぬー$の戦士の件についても彼が正直に明かしている事も、その言葉に裏が無い事を後押ししている。
「そういう事なら、俺達にも依存は無え。
なんだかんだ、冀州の時以来になるな。」
「よろしく頼む。」
「うむ、こちらこそよろしく頼む。
ぬー$の戦士、先程はああ言ったが、おぬしの力も頼りにさせて貰う。」
「ああ、この地に平穏を取り戻す為、俺も全力を尽くそう。」
「...よし、では仕切り直しといこうか。
まず、乱の首謀者は張純。
元は官軍の将だった者らしいんだが、軍内での諍いを機に、北の民・烏丸と組んで反旗を翻したそうだ。」
関羽の話に区切りが付いた所で、軍議を再開するべく手始めに今回の乱の下手人_張純について語る劉備だが、その概要には周囲も目を丸くする。
「揉めたからって、そっちと組むのかよ...。
大それた事をしでかしたもんだな。」
「どうもその辺り...、事の発端に公孫瓚殿も関係しているらしくてな。
俺にとっては同じ盧植殿から学んだ兄弟子に当たるんだが、彼を頼って来てみれば此度の件について散々愚痴を吐かれたよ。」
「ほーん、大将達がこんな所迄来てるのはそういう事情か。」
後世にて『張純の乱』と称される今回の乱だが、その発端は黄巾の乱が一応の収束を見た翌年の西暦185年、涼州にて韓遂・辺章らが起こした反乱になる。
この乱への対応の為、朝廷は張温を車騎将軍に任じ討伐を命じたのだが、この討伐軍への参陣を張純が希望したのである。
彼はこの乱が起きる以前から中山郡太守を歴任しており、立身出世の為にここで更に実績を積みたい所だったのだろう。
ところが、張温は彼の希望を知りながらもそれを退け、代わりに参陣を命じられたのが公孫瓚だったのだ。
張純から見れば折角の好機を逃しただけでなく、何の実績も無い若造に出し抜かれた様に映ったのだろうが、だからと言って異民族と手を組んで反乱を起こすというのは、張飛でなくとも呆れてしまうだろう。
一転して張純討伐を命じられた公孫瓚の下に、劉備達が彼を頼ってやって来たという事か。
「そういう訳で、速やかに張純を倒し、乱を収めねばならないのだが...。
烏丸の首領・
「伏兵を考慮すべきだが、地の利も敵方に...か。」
「ああ、そこで先の雲長の話になる訳だ。
烏丸の動向が不明である以上、雲長とお前達遊軍の活躍が鍵となる。
柔軟に戦況を判断し、機転を利かせてくれ。」
劉備の言葉に全員が頷き、軍議が締め括られる。
紫鸞と天の助、そこにもう一人の戦士が加わった戦場はその模様をどう変化させるのか。
その答えの一端が間もなく、遼東の地で明らかになろうとしていた。
本話より第二章開始。
これまでは基本劉備達と行動を共にしていた紫鸞達ですが、他軍勢の武将達との絡みが一気に増えていくので、書いていくのが楽しみです。