(幽州に涼州と来て、今度は『江東の虎』と一緒に荊州に...か。
顔が広いって言うべきなのか、見境無くって言うべきなのか...。)
長椅子へと寝転び、荊州に広がる晴天を見上げながら、内心で独りごちるその男性は、その姿勢と外見から近寄り難い印象を周囲に与えていた。
鍛え上げられた浅黒い肌、そこに彫られた数多の刺青、己の威を示す為のものか、はたまた単純に男性の好みによるものなのか不明な派手な装飾品。
これらの情報だけでも、男性をよく知らない人間にとっては『関わりたくない』と考えられてしまう事が多いだろう。
事実、男性の仲間なのだろうか、彼の近くで屯している者達もまた、客観的に見て『柄が悪い』と言わざるを得ない雰囲気であり、口の悪い者ならそんな様を『類は友を呼ぶ』と評するだろうか。
そんな男性が、記憶の中の大まかな中国大陸の地図と共に考えを巡らせていたのが、先晩『江東の虎』こと孫堅が長沙での反乱を鎮圧した戦、その他各地で参戦しているとの噂が聞こえてくる『とある武芸者の三人組』についてであった。
振り返ってみると、その者達の噂が武芸者の界隈で聞こえるようになったのは、黄巾の乱前後からであった。
尤も、その当時は件の者達は『二人組』と言われている事からも、二つが同一人物であるかは定かではないが、男性はその『二人組』と『三人組の内の二人』が同じであると睨んでいた。
まず、その二人の外見的特徴が特殊であるという点。
片方は黒装束に赤い帯、もう片方は水の様な軟らかく変幻の体躯。
これだけ特徴的な『二人組』がそう何組も存在するとは考え難い上に、見逃せないのがその活躍に対しての噂の数々だ。
様々な武器を流麗に扱ってみせる、かの黄巾党の呪術を見破った、黄巾党討伐軍の面々だけでなく、黄巾党首魁・張角とも知己の間柄であった、体に穴が空いても再生する、大便に顔が付いているとしか言い様の無い仲間がいる、おならの臭いがしたら突進してくる合図等々。
正味後半のものに関しては、尾ひれが付いている感が否めないものの、それだけ強く印象に残る存在である事、そして黄巾討伐に参加した者達と面識がある可能性が高い事を考えると、件の三人組の行動にも一定の法則が見えてくる。
涼州での戦には董卓、そして今回の荊州での戦には孫堅、何れも黄巾討伐に官軍として参戦しており、どの程度の関係性かは不明だが彼らと繋がりがあると見ていいだろう。
幽州の戦に関しては参戦の経緯が不明だが、官軍以外_義勇軍として戦った者が関係していると考えれば、こちらも同じく繋がりのある者達と言えよう。
黄巾の乱以後に加わったらしい『三人目』の存在も鑑みると、その人物との顔繋ぎも兼ねて各地を転戦しているという事だろうか。
(『三人目』然り、仲間を増やしてる最中...って事なら、一応色んな場所に行ってる理由も分かるが...、或いは誰か捜してる奴でもいんのか...?)
一方で件の者達の行動が読み切れない要因が、その行動範囲の広さであった。
幽州、涼州、荊州、仮に噂通り全ての戦に加わったとすると、中国大陸の北東の端から北西の端、そして荊州南部へと渡り歩いてきた事になり、大陸に巨大な三角形を描く勢いだ。
目的が向かった先で仲間を集める事なのか、或いは特定の人物の痕跡を追ってのものなのかは不明だが、何れにせよ余りに非効率的と言わざるを得ない。
確かにその者達然り、男性然り、己の武芸を頼りとして生きる者は様々な場所におり、現に男性自身がこうして噂を頼りに思考を巡らせている事からも、『行った先で縁を結び、仲間を増やす』というのは存外馬鹿にできない行動ではある。
男性の様に仲間がある程度の規模になった者は、拠点の移動が容易ではなくなり、現在の様な所謂『根城』を構える事となる。
そうなった者達が新たな出会いを得るのは、相手が近くに来てくれるのを待つしかないのが実情である故に、本来なら出会う筈のなかった者達との仲介役を担えるという側面はあるだろうが、それでも普通は何処かしらの州や郡を拠点としてその周辺から_となるだろう。
そう考えると、仲間を増やしつつ、士官する相手を見極めている最中という線が最も妥当な所だろうか。
自身と同じく、己の腕を頼りに自由に生きる者か_
それとも自分では想像もつかない様な壮大な目的があっての行動なのか_
何れにせよ、噂通りの実力ならばせめて無用な敵対は避けたい所だ。
「お仲間なら仲良くしてえが...。
せめて一度、面を拝めりゃあな...。」
男性のその呟きに天が応えたのだろうか、この後の未来を暗示するかの様に、風に揺られた鈴の音が響いた。
「ふう... さて、片付けも一段落といった所だな。
お前達にまで手伝わせてしまって悪かった。」
「構わないさ。
此度の戦、勝因は孫堅殿と姫君殿の知勇によるものだろう。
俺達は殆ど何もしていない。」
「正直、最後の『あれ』は肝が冷えたがな...。」
区星による乱の鎮圧の為に設営された孫堅軍の陣は、戦の終了と共にその役目を終え、陣内の至る所で引き払いの準備が進められていた。
区星の討伐を成し遂げ、そのまま長沙太守としてこの地に赴任する孫堅が、宿将である程普と韓当を引き連れて先に長沙城内へと入った故に、こちらの指揮は黄蓋が執っている。
そんな彼と共に作業を進めていたぬー$の戦士、そして紫鸞からの言葉には、彼も肩をすくめるしかなかった。
先の戦において敵の伏兵の位置を見破った孫尚香、己自身を囮にその伏兵を自陣側へと引き込んだ孫堅_彼ら親子の働きが勝因となった事も、その孫尚香が戦の最終盤に巻き起こした謎の爆発に、三人を含めた周囲の人物が生きた心地がしなかったのも、紛れもない事実である故に。
「彼女は今後も戦場に出るつもりなのか?」
「...殿がどう考えられるかは分からんが、護身術を身に付ける事自体は悪い事ではないし、姫様の姿が兵の士気高揚に寄与しているのも事実だ。
とは言え、程々にして貰いたいのが本音だがな。」
「ふっ...賊を鎮圧しても、孫家の将兵に落ち着いた日々が訪れるのはまだまだ先になりそうだな。」
「...。」
孫尚香が今後も戦場に出ようとするのか_紫鸞からの問いに対して、黄蓋は現時点で見られる事実を話すのみに留めた。
仮に彼女や他の孫堅の子息が本当に戦場に立つとしても、体格や体力の面だけで言ってもまだまだ先の話というのが実情である。
加えて彼女然り、女性が戦場に立つというのは一般的ではなく、孫堅も親としての本音で言えばやはり荒事からは遠ざけたいと考えるだろう。
そういった周囲の反対意見を押し切る程の武勇を彼女が身に付けでもしない限り、彼女自身の鍛錬は護身術程度に留め、将兵の慰労に尽力して貰うというのが現実的な線か。
ぬー$の戦士の言葉も、孫堅という力強い統治者を新たに得た事による暮らしの安定を得るだろう長沙の民と、これまでの話から今後も良くも悪くも孫家の者に振り回されるだろう黄蓋達家臣を対比しての軽口だったのだが、それに対する黄蓋の反応は、意外な程重たい沈黙であった。
「...黄蓋殿?」
「何か気になる事でも?」
「...いや、殿といい姫様といい、孫家の方々は勇猛果敢!
我らも負けてはおられんという事だ!
さて、お前達もそろそろ出立だろう。
姫様と天の助の下に向かおう。」
片付けの間、手持ち無沙汰となってしまう孫尚香に打ち込みの相手を引き受けると申し出た天の助と合流しようと語る黄蓋。
先の彼の曖昧な表情の理由を察する事は出来ず、歯切れの悪さを感じたまま、二人もまた彼へと続いていった。
「えい! えい!」
「おっ、やっておるな。」
三人の目的地は、陣地から程近い場所にある川岸であった。
正真正銘の殺し合いを目の当たりにした事で己の無力さ、無知さを痛感したのだろうか。
周囲からの視線を厭うた孫尚香への配慮として、天の助がこの場を提案した形となる。
先程の態度は鳴りを潜めた黄蓋の言う通り、三人の耳に彼女の威勢の良い掛け声が届いた。
声のする方を見遣れば、やはり小さな子供が木刀を打ち込んでいるのが彼らの目に映るが。
「えい! やあ!」
「ぐえっ...た...助け...。」
「何で磔にされてんの!?」
そこでは間違いなく孫尚香が天の助に対して木刀を打ち込んでいたのだ。
何故か磔にされ、無防備な状態で体のあちらこちらを凹ませた天の助へと。
「ふう...あら、黄蓋。
それに二人も来たのね。
陣の方はもういいの?」
「は、はい...。
いえ、それよりも姫様...。
何故、天の助がその様な姿に...?」
三人の来訪に気付いた彼女に、黄蓋が当然の様に目の前の異変の原因を問うと、彼女もまた突然の出来事であったとの言葉を皮切りに、数刻前の出来事を語り始めた。
『えい! えい!』
『いいぜ、その調子だ。』
当初は天の助の提案通り、互いに木刀を手に持ち、彼女の打ち込みを彼が受けていたのだという。
異変が生じたのは、二人が一度休憩を挟んでいる時であったらしいのだ。
『ふう...天の助、今回は色々とありがとう。
あなた達はとても戦い慣れしてるみたいだけれど、戦場で怖気付いたりする事はないの?』
『そりゃ怖い時もあるさ。
まあ、いざ戦場に出たら、怖がってる暇もないってのが正直な所だろうけどな。』
無知な子供の目から見ても、父達と比べても遜色ない程には戦闘に慣れている様に見えた天の助に、彼女は自身が強く感じた感情を、彼らの様な戦士もまた感じるのかと問い掛けた。
それに対する返答はあっけらかんとしたものであり、実感のこもった彼の言葉に、彼女は改めて自身が『戦場』というものを理解出来ていなかった事を痛感させられる。
『そうなの...?
それでも逃げずに戦い続けられるなんて、凄いのね。
私、戦を甘く見ているつもりはなかった。
父様達が、いつも色んな所を怪我して帰ってくるから...。
でも、本当に文字通り容赦無く...。
敵が振り回す武器も、飛んでくる矢の一本一本も...何もかもが、皆の命を奪いにきていたから...。』
生き残る為に他者を殺す_頭では理解出来ても、いざ戦場で振るわれる武器に、それに込められた殺気の記憶に、彼女は己を抱く様に身を縮こませた。
戦前、丁度彼らと挨拶を交わした時に自身が宣った『皆と一緒に戦う』という言葉が如何に滑稽に映るものであったか_自身を恥じる気持ちと拭い切れない恐怖を抱え俯く彼女の肩に手を置いた天の助は、ゆっくりと諭す様に語り掛ける。
その感情はあって当然のものだ_と。
『皆怖いに決まってるさ...。
誰だって死にたくないし、死なせたくない...。
出来る事なら、戦なんかやらずに生きたいんだ。
けど、何かを勝ち取ろうとしたり、或いは自分の大切な人達を守る為に、武器を取っちまう奴らが沢山いるのが今の世だからな...。
寧ろ、そんな奴らの殺し合いを見ても塞ぎ込まずにいられんだから、姫さんは大したもんだぜ。』
『ふふっ...ありがとう。
私、父様みたいになりたいと思っていたわ。
武門の誇りを掲げて、皆を奮い立たせる存在に。
でも、それがどういう事か...、皆がどんな気持ちで戦場にいるのか、ちっとも分かってなかった...。
気持ちばかりが先走って...、恥ずかしいわ...皆に迷惑を掛けて。』
『いいじゃねえの、そうやって反省出来てんだからさ。
少なくとも、姫さんのそういう気持ちは本物だって皆分かってるから、俺達と一緒に戦場に行く事を許してくれたんだと思うぜ。』
『そう、なのかな...。
ううん、それを私自身が本当の事にしなきゃ駄目よね。
私、もっともっと研鑽を重ねて、強くなって、恐れを乗り越えて...。
父様や皆、あなた達とも一緒に、今度こそ堂々と、戦場を駆けられるようになってみせるわ!』
『その意気やよし。』
『えっ?』
『えっ?』
弱音を受け止め、その上で背中を押してくれた相手との誓い。
今はまだ、それを父や家臣達に対しても堂々と語る力は無いが、いつかは_そんな彼女の声に応えたのは、そこにいない筈の第三者の声であった。
その何者かは孫尚香の木刀を受けていた天の助の背後、即ち川の中から飛び出ると、そのままの勢いで天の助へと襲い掛かったのだ。
『ちくわ殺法...「スプリングマンクラッシュ」!!』
『ぐわああぁぁぁぁ!!』
人間大のちくわに手足と顔が付いているとしか言い様のない存在_チクワンの突然の登場に呆気にとられた故か、反応の遅れた天の助はチクワンの空洞部分に拘束され締め付けられてしまったのだ。
『はっはっは!!
どうだ、俺の締め付けはー!?』
『どすこーい!!』
『力士の助ーー!!!!』
「...という事があったの。」
「待って下さい、意味が分かりません。」
「それで、二人が来たという事は、あなた達は出立の時間なのね。
それじゃ、よいしょっと!」
(一応、自分で解放はするのか...。)
全く説明になっていないとの黄蓋の指摘を華麗に無視した孫尚香は、紫鸞とぬー$の戦士の合流、即ち三人の出立の時が訪れた事を認め、天の助が拘束されている磔を持ち上げる。
会話の流れとその行動から、紫鸞達も彼女が天の助を解放しようとしていると考えたのだが、その予想を裏切り、彼女は磔ごと天の助を川へと放り投げてしまったのだ。
「!?」
「えっ、ちょっ、姫様!?
何故その様な真似を!?」
「何でって、だって出立の時間なんでしょう?
だったらヌズベーは川に還してあげなくちゃ。」
「何を仰ってるのです!?」
自分の行動の何が疑問なのかが逆に理解出来ないといった様子の孫尚香に、当然の如く黄蓋がツッコむ中、未だその正体が明らかではない天の助の生態を熟知していない故に、紫鸞とぬー$の戦士も放り投げられた天の助に注目するが。
「ヌズベー!!!!」
「...溺れておりますぞ!!!?」
(...そもそも『ヌズベー』とは一体...。)
「...俺達は天の助を追う故、これにて失礼する。」
「...また会おう。」
「ええ、また会いましょう!
黄蓋、私達も帰りましょうか。」
川に流されていったヌズベーを見捨てる訳にもいかず、二人はその場を後にする。
彼らとの出会いが、孫呉の姫_孫尚香に何を齎すのか。
その答えが見られるのは、もう少し先の話である。
次回、チラ見せした鈴の人と会う所からです。