第三話:三義兄弟との出会い
無名、関羽、ところ天の助が張角と共に官吏と戦った日から時は流れ、次の年となる西暦184年。
張角を教祖とする太平道は困窮する民から絶大な支持を得ると共に、漢王朝に反旗を翻した。
その蜂起の規模たるや実に八つの州に上り、彼らは皆無名達が見たのと同じ黄色い布を身に付け、団結の証とした為『黄巾党』と呼ばれる。
後の世に言う、『黄巾の乱』である。
未だ混迷を深め、乱世へと傾いていく時代において、無名と天の助は中国北部、現在の北京市一帯に当たる幽州州都の
「...なあ、お前さんカンチョーってされた事あるか?」
お前は唐突に何を言い出すんだ_そんな言葉を込めた視線を天の助へと送りつつ、一応は何らかの意図を持った質問であるという可能性を考慮し、無名は自身の記憶を探る。
彼らが宿泊する宿屋の店主から、この薊において黄巾党討伐の義勇軍の募集がされている事、最近その義勇軍が幽州太守劉焉に目通りをしたとの話を聞き、件の義勇軍について調べるべく街へ繰り出してきた中での先の質問なのだ。
まず、前提として自身が記憶喪失である事は彼も理解している筈である。
その上での先の質問の意図を考えると、字面通りの意味ではないと捉えるべきだろう。
覚えていないから分からない、そう自身が答えてしまえば話が終わってしまう上に、そうなる可能性が高い事もまた簡単に行き着く予想と言える。
そこでまずは、彼の言う『カンチョー』とやらについて説明を求めると、両手の人差し指、場合によっては中指も含めて伸ばした状態で腕を組み、その指を相手の尻の穴目掛けて突き立てる行為なのだと言う。
この時点で考えるのを放棄したくなった無名だが、その行為が齎す影響を分析した所で彼の隠された意図を察した。
一見するとその行為、子供の悪戯としか言いようがないものに思えるがその実どうか。
人体にとって肛門とは排泄を行う上での重要な器官であり、そこを破壊せしめれば対象は日常生活に支障をきたすどころか、程度によっては死に至るだろう。
仮に対象が軍人であったなら、間違っても戦場に出られる状態ではない。
自身の指_即ち武器どころか道具すら用いずに行われるのも見逃せない点だ。
対暗殺の為の検閲によって跳ね返そうにも、人間の指ではお手上げである。
都の宦官よろしく、宮廷への出入りの為に指を切り落とせとは流石に言えないだろう。
ある程度対象の服装が軽装であるという条件は付くが、そもそもこれを使用出来る状況を考えれば大した問題とはなるまい。
そして何より重要な点_何が『子供の悪戯』であろう、それは即ち『子供ですら可能な技術』という事である。
即効性や確実性には欠けるものの、それを加味しても十分人を害する事が出来る技術だと言わざるを得ない。
街を歩く中、駆け回る子供にすら警戒しなければならない_想像するだに恐ろしい光景だ。
以上を踏まえると、天の助はこう言いたいのだろう。
お前は、お前がかつていた場所の者達は暗殺を生業としていたのか_と。
(天の助とは何度か戦場を共にしている。
そういった可能性を考慮するのも当然、か...。)
自身の身のこなしが並の技術でない事は、彼に限らず様々な者からの反応から無名も察している故に、彼が自身の過去が後ろ暗いものではないかと考えるのを非難する気にはなれない。
こんな時勢とは言え、誰も好き好んで暗殺者かもしれない人間と付き合いたいとは思わないだろう。
その上で、彼が敢えてこの開けた不特定多数の人間がいる状況で先の質問をしてきたのは、もしかすると彼なりの気遣いなのかもしれない。
もし後ろ暗い過去を思い出していたとしても気に病む事はない、無理に話す必要もない、何も言わずともお前の顔を見れば察する_と。
就寝中か、或いは何かの仕草に異変を感じたのか、存外彼は他人をよく見ているという事なのかもしれない。
「...その『カンチョー』というのは、教わった覚えもされた覚えもない...。
だがまあ...、覚えていないだけで素手での技も...仕込まれているかもな...。」
自身の返答の声が余りに力が無い事に無名は驚く。
彼に_天の助から距離を取られる事に、恐れを抱いているという事なのだろうか。
人殺しの技を平然と披露しておいて、自分は誰かを失う事を恐れる_何と滑稽な存在だと言わざるを得ない。
恐る恐る、返答に対する彼の反応を窺うが。
「ほーん、そっかー。
いやほら、あの桃見てたらよ、昔ケツにブスーっていかれた時の事を思い出してさ。
『泣く程痛い』ってのはああいうのを言うんだって思ったね。」
今このバカを営業妨害として店主に突き出したら、返礼として桃を幾つか貰えたりするだろうか_そんな事を考える無名の視線の先で事態が動き始めた。
「許してくれ‼︎
家族皆、もう何日も食べてないんだ‼︎」
地面に頭を擦り付け、桃屋の店主に謝罪と懇願を行う男性。
桃を盗んだのも束の間、彼の横に立つ大男に衝突してしまった事であえなく捕まってしまったのだ。
その身なりは見窄らしく、確かに彼の言葉通り家族を食べさせていく事が出来ていないのだろう事が窺える。
尤も、そんな話で態度を軟化させられる筈もないのだが。
「だから何だってんだ!
どうせ納めるもん納めずに逃げた流民だろ。
働かねえなら、食うに困って当たり前だろうに。」
「そんな...、真っ当に働けるなら、俺だって...。」
「ああいうのが、黄色い布を巻くんかねぇ...。」
「さてな...。
だがだからと言って、店主が責められる謂れはない。」
その様子を見ていた天の助と無名がそう口にする。
成程、男性の様に困窮した民の受け皿となってきた太平道が、今ではかつての自分達と同じ『奪われる者』を作り出しているのだから皮肉なものだ。
そうなってしまった者が現状から脱却するには、自らも黄色い布を身に付け『奪う者』になるのが手っ取り早いという事だろう。
とは言え、店主もまた自らの生活を守っていかなければならない。
誰しも男性やその家族が飢えて苦しんでいるのを分かった上で、『そのまま大人しく死ね』と言いたくはないだろうが、全くの赤の他人に恵んでやれる程の余裕がある訳でもないのだ。
ああはなりたくない_この場にいる野次馬の殆どがそう思っている事だろうし、そして男性と同じ立場になってしまった時同じ過ちを犯す者も沢山いる事だろう。
成り行きでその場に居合わせる事になってしまった大男にしろ、男性を助けようとする者が誰一人現れないのがその証左だ。
ある声が響く迄は。
「店主、これを。」
大男の横からスルリと現れた男は、軽やかな口調と共に店主に袋を渡した。
尤も、受け取った店主の手が中身の重さによって若干降下した事、その感触から中身を確認した店主の驚愕の表情からして、その口調とは裏腹に相応の金額が渡されたのだろう事が窺えるが。
「代金はこれで足りるか?
この人の家族、全員の分だ。」
「いや、こりゃ、へえ...。
十個でも二十個でも...。」
「おめ...いや、兄者...。
甘過ぎじゃねえか?」
何故か見知らぬ者に代金を立て替えて貰えている_そんな状況に唖然とする男性の手を取り立ち上がらせつつ、大男の指摘に対し男はあっけらかんと言い放った。
「はは、そうかな?
そうかもしれないな。
ではこうしよう、これは前貸しだ。
俺の所で働いて、返して貰う。」
「それって...。」
「...!
おい、あの人...。」
「ああ、恐らく彼らが宿屋で聞いた...。」
男の提案に困惑する男性の視線の先、そして無名と天の助の視線の先から、続々と武装した者達と共に二人にとっては見知った人物が現れ、高らかに自分達の存在を宣言した。
「我らは、劉玄徳が率いる義勇軍。
国を守り、乱を治めんが為に立ち上がった忠勇の士なり。」
「む、おぬしらは...、無名に天の助か。
冀州で別れて以来だが、壮健だった様だな。」
「知り合いか、兄者?」
先の一幕が落ち着いた後、無名と天の助は義勇軍の中心人物なのだろう三人の男達へと近付いていった。
その中の一人_長髯の偉丈夫である関羽が二人の姿を認め、再会を喜ぶ。
その横にいる先程男性と衝突した大男の方からは、その声色から険が感じられるのが気になるが。
「うむ。
かつて、冀州で共に戦った事がある。
二人にも紹介しよう。
先頃、拙者と義兄弟の契りを結んだ義弟、張翼徳。
そして、義兄の_」
奥義『コビ売り』
「お、おいおい...。
俺はまだ名前も知らない相手だぞ...?」
「何だおめぇ...。
兄者に媚び売ろうってのかよ。」
(...天の助、兄者の大器を一目で見抜いたか...!)
「フッ...、天の助、気持ちは分かるが先に紹介をさせてくれ。
改めて、義兄の劉玄徳だ。」
(何故少し嬉しそうなんだ...?)
関羽から義弟張飛が紹介された後、彼ら三義兄弟の長兄である劉備の紹介がされようという瞬間だった。
天の助がまるで見計らっていたかの様に奥義を炸裂させ、かつて関羽に贈ったのと同じギフトを劉備へと差し出す。
とは言え、この時点では彼の素性どころか名前すら知らない状態での行動であり、双方に理解のある関羽以外に訝しまれるのも当然だろう。
「よろしく、無名、それに天の助。
雲長から聞いているぞ、気高き義心を持った者達だとな。」
「兄者、覚えていらっしゃったとは...。
酒宴の場で、少し話しただけの筈...。」
「十分だ。
人の名と評判は決して忘れない_俺の特技の一つだからな。
地味ではあるが。」
「...立派な特技だと思うが。」
「...何だ、面と向かってそう言われると、些か照れ臭いな。
ンン、ところで二人共、俺達は明日、太守殿の命で黄巾の先遣と戦う。
どうだろう、共に来る気はないか?」
「何だよ、兄者。
俺達だけじゃ不満だってのか?」
紹介が終わった所で、劉備が二人へと義勇軍への参加を要請するが、それに待ったを掛けたのがここまで不満な様子を隠そうともしていなかった張飛だ。
幾ら関羽と面識がある相手とは言え、その実力すら不明の者達である。
相手から参加を希望してくるならまだしも、自分や関羽もいる状況で尚、総大将たる劉備自ら参加を要請するのはやり過ぎではないかと感じている故だった。
先の天の助というらしい謎の存在の行動がどう見ても劉備に媚びている様にしか見えない事、そしてそれを何故か関羽は高く評価している様な表情だったのが、彼の不満を助長させたのも大きい。
尤も、劉備の側にも当然言い分はある様だが。
「いいや、全く。」
「じゃあ何だって...。」
「俺達は結成したての義勇軍。
気骨のある者なら誰でも歓迎してきただろ?」
「...。」
「官軍相手に、雲長と大暴れしたそうじゃないか。
そんなお前達と一緒に、俺は戦いたい。」
劉備の言い分は単純明快、戦力は多ければ多い程いいという事だ。
何しろ彼らは義勇軍と名乗ってこそいるものの、その実情は訓練どころか碌に武器すら握った事の無い農民の集まりである。
士気こそ高いものの、戦力としてはお世辞にも質が高いとは言えないのだ。
幾ら関羽、張飛という猛者がいても、人間一人が対処出来る内容には限界がある。
そこに既に関羽と知己の仲であり共に戦場を駆け抜けた経験を持つ者達が現れたのだから、彼が二人に参加を要請するのも当然であった。
そんな総大将として当然と言える彼の弁に、張飛は反論こそしないもののやはり未だ不満ではあるらしい。
「ふん...、兄者がそう言うなら構わねえが、どれだけのもんかは確かめておかねえとな。
腕試しといこうぜ。
俺様に勝てたら、歓迎してやるよ。」
「分かった。」
使い物にならなければ、義兄も諦めるだろう_そんな思惑が透けて見える張飛の提案に彼の兄弟達は呆れた様子だが、無名の即答の前にはそんな事は意識の外なのだろう。
獰猛な笑みと共に空き地へと歩き出してしまった。
「お前さんもやる気あるねぇ。
俺は見学してるから、怪我だけはすんなよー。」
「何言ってんだ?
おめぇもやるに決まってんだろ。」
憤懣やるかたない張飛であるが、何もこの謎の二人組を全否定したい訳ではなかった。
義兄の言い分は至極尤もであったし、無名という黒装束の者に関しては立ち姿だけを見ても隙が無く、己の武に自信を持つ彼をして只者ではない事が窺えた。
既に知己の仲であったという次兄の存在を考慮しても、黄巾討伐を謳う義勇軍として自分達が戦うだろう事を恐らくは分かっていながら近付いてきたのだから、少なくとも無闇矢鱈に悪意を振り撒く者達ではないのだろう。
問題は、今自分と相対している謎の物体_ところ天の助である。
理性的な会話が成立している事から、一旦人外としか思えない点については置いておくとしてだ。
彼の中で引っ掛かっているのが、先の天の助の言動である。
さながら権力者に媚びる様な振る舞い自体彼の性分とは反するものだが、これだけならまだ許容出来た。
自分達に近付いてきた段階で、劉備が義勇軍を率いる身である事は把握していたのだろう。
同行している無名の方が、余り口数が多くは無さそうである事からも、新参者として自分達の心象を良くしておきたいという気持ちは理解出来る。
問題は、関羽の話を遮ってまで行動に移した事、そしてその後のまるで戦う気等一切無いと言わんばかりの他人事の様な態度である。
百歩譲って関羽とは既に親交があった故であるとしても、あの態度はこの場にいる意味を理解しているのかと問い詰められて然るべきものだろう。
幾ら義兄の知り合いとは言え、義勇軍総大将の心象を良くし、その後の名声にあやかろう等と考えていようものなら許す訳にはいかない。
「腹ん中で何考えてるか知らねえが...。
来いよ、俺様が相手になってやる!」
「...。」
(チッ、馬鹿にしてんのかこいつ...、それとも本当にやる気無えってのか...。)
動く素振りどころか木刀を構える事すらしない相手に、彼の苛立ちは更に募っていく。
「来ねえってんなら、こっちから行くぜ‼︎」
繰り出したのは相手の顔面目掛けた突き。
それまでの鬱憤も含まれたそれはしかし、同時に一つの事柄を確かめる動きでもある。
自分の顔面に脅威が迫った状態で平然としていられる者は、そうはいない。
だがそれでも、『それを避けてはならない瞬間』というのはやってくる。
それは即ち、自らの主君を守る瞬間、自らを肉の壁としなければならない瞬間だ。
(これでも尚、そのままでいられるってんならやってみろ‼︎)
「『ぬのハンカチ』ガード‼︎‼︎」
「なっ⁉︎
何だそりゃ、まさか受け止め...。」
布切れ一枚で突きが止まる筈もなく、天の助の顔面に風穴が空いた所で彼らの模擬戦は終了した。
そんな彼を見つめる張飛の表情が一人の戦士を見つめるものとなっていたが、それを知る者はいない。
カンチョーに何文字使ってるんだって?
私の作品はこんな感じです。