都・洛陽における董卓の専横は極まっていた。
相国を称した彼は、新帝・劉協が暮らす宮中においてすら勝手気ままに振る舞い、寝台で眠る帝の耳元で『チョナチョナしてやろう』などと囁く始末である。
彼の麾下の横暴とすら言える威圧感は、確かに洛陽における犯罪の抑制に繋がったものの、一方で己の言動を四六時中監視されている様な圧迫感を市民に与えており、良くも悪くも『強い者が支配する世界』を作り出していたのだ。
「...ふう...董卓を、討つ。
力を貸して貰いたい。」
当然、それだけの強過ぎる存在感を示していれば、それに対する反抗勢力が生まれるのも必然であり、帝の心身、そして董卓の専横が続いた場合の漢王朝の行く先を憂う者は、その原因_即ち混乱を齎している董卓を排除しようとする動きを見せ始める。
そんな思惑を秘めていた者の一人_王允の『遂に出た』と言うべき宣言に対し、彼の部屋に集められた戦士達の反応は様々なものであった。
「...。」
(臭いな...。)
先日の王允の養女_貂蟬への宣誓通り、既に覚悟は決まっていると言わんばかりの表情の紫鸞は、王允がいる方向から流れる異臭をいち早く察知し_
「...!?」
(あらやだ、お父さんってば気付いて...まさか自覚なし!?
実は...実は出てないわよね!?)
何故かパンチパーマのカツラに真っ赤な口紅という、典型的な主婦然ときた天の助が、件の異臭の発生源であろう人物の表情が全く変わらない事実に、いよいよ王允も『そういう歳』かと失礼な思考を働き_
「...ふむ。」
(原因は便秘か...?
元化も近頃、同様の症状の患者が多いと言っていたが...。)
この中では特に医術についての見識を持つぬー$の戦士は、仲間にして本職の医者である元化との会話から得た情報と照らし合わせ、王允の体に何かしらの異常が起きている事を察し_
「...すぅー...。」
(何でここで屁こくんだよ!?)
気合いを入れるふりをしながら俯く事で、甘寧は王允のここぞという場面での放屁という気が抜ける様な生理現象に必死に笑いを堪え_
「そのお言葉を、長らく待っておりました。
お義父様、
この命を賭して、成し遂げてみせましょう...くさ...。」
養女の言葉に王允が頷いたのと同時、一同の元に来客の報せが届く。
董卓暗殺_その大事を成し遂げる協力者であるらしい人物を迎え入れるべく、天の助と甘寧は勢いよく扉を開け放った。
「曹操様、お待ちしておりました。」
「...王允殿は?」
一同の待つ部屋へと入ってきた王允の協力者_曹操が、入室早々、この場に自身を呼び出した張本人がいない理由を問う。
それまでの室内の経緯を知らぬ故に、男性陣が若干気まずい雰囲気なのが気になる所だが。
「申し訳ございません、丁度お手洗いに...。
もう間もなく戻られるかと。」
「そうか...。
お前達は、王允殿から話は聞いているか?」
「都を牛耳ってる奴を...って話なら。」
「ふむ、ならば先に話を進めてしまっても構わぬか。」
「...つまり、あなたも暗殺に協力すると?」
王允不在の原因が生理現象である故か、貂蟬からの説明に疑問を挟む事もなく、曹操はそのまま紫鸞達へとこの場にいる事の意味を把握しているかを問う。
その口振りから自然と行き着いたのだろう、紫鸞からの暗殺に参加するのかとの問いに、彼はゆっくりと首肯を返した。
「王允殿に董卓の暗殺を持ち掛けたのは他ならぬ私だ。
暫く機を窺っていたが...体よく、あの男に呼び出しを受けたものでな。」
「成程、確かに表立っての理由が無ければ、奴に近付く事すら出来ないのが現実か...。」
「うむ。
王允殿は宝剣を貸し与えようと言っていたが...ふむ。
成程、何とも麗しい宝剣よな。」
「どうぞ曹操様の思うままに、お振るい下さいませ。」
王允が決起に至った経緯を語ると共に、貂蟬を見遣りつつ彼の暗殺に対する決意の固さを認める曹操。
ぬー$の戦士の反応然り、厳重な警備と丁原軍から吸収した猛将の存在からして、明確な理由が無い状態では董卓へと近付く事すらままならないのが実情だ。
今回、曹操自身が董卓から召集されたのは、天啓か、はたまた彼の気まぐれ故かは定かではないが、千載一遇の好機である事は違いない。
それを活かす為ならば、例え養女であったとしても死地へと向かわせる_貂蟬の力強い眼差しが、それを物語っていたのである。
「董卓は、この機に必ず仕留めねばならぬ。
何進殿が洛陽に諸侯を呼び集めた折、それを諫められなかったのは私の咎。
...故に、私は命を懸けて臨む。
万一の時には、お前達は私を見捨てよ。」
「曹操様こそ、私の命を気に掛ける必要はございません。
この作戦...全てを賭さなければ、決して勝てぬ賭けでございましょうから。」
決死の覚悟をすんなりと_少なくとも他の四人からはそう感じさせる程に逡巡を感じさせない曹操と貂蟬の口振りは、二人が彼らよりも多分に『漢王朝の臣』である意識が強い故であろうか。
その余人では口を挟む事すら憚られる雰囲気には、紫鸞達ですら文字通り言葉が出ないが、その中にあって例外となる者の声が部屋の中に響く。
「二人共、ちょっといいかい。
覚悟を決めるのは確かに大事だが、最初から捨て石上等の考えでいるのは違うと思うぜ。」
「天の助様...。」
「
当然、仕損じればどうなるのかも...。
よもや、今の漢王朝に『救う価値は無い』などと言うつもりではあるまいな?」
(...天の助に注がれる謎の期待の眼差し...、以前にもこんな事があった気が...。)
自身の命の軽さを理解しているだろう天の助が、自身を庇う様な発言をした事に貂蟬が瞠目する中、曹操が敢えて自分の前で理ではなく情を重んじる様な発言をした真意を問う。
黄巾の乱の最中での出会いより、彼を『情を否定はせず、同時に利を重んじ時には冷徹な決断を下す事の出来る同志』であると信じる故に。
紫鸞が、そんな彼に注がれる謎の期待感に既視感を感じているが気にしてはいけない。
「勿論、分かってるさ。
現実として、あの御仁を討とうってなれば、間違いなく命懸けになる筈だって事もな...。
俺が言いたいのは、目的と手段を履き違えないでくれって話さ。」
「目的と手段を...ですか?」
「そうだ。
二人の...特に貂蟬、お前さんのさっきの言い方は、まるで『董卓を討つ事』が目的になってて、その為なら命を投げ捨てても構わないって言ってる様に聞こえる...。
それさえ成し遂げれば、『王允殿への恩返しが出来る』って感じでな。」
「...天の助、流石にそれは言葉が過ぎるのではないか?
彼女が自分の感情にどう折り合いをつけるかは彼女自身が決める事だろう。」
天の助の真意を曹操達と同じく汲み取れていない故か、彼の言葉に静かに怒気を覗かせる貂蟬との間に立つ形で、ぬー$の戦士が彼の言葉選びについて指摘する。
二人の言葉から行き過ぎた覚悟を感じ取り、それを宥める目的があったとしても、先の言い方ではまるで『貂蟬が死に急いでいる様に見える』と言っている様に聞こえ、些か個人の事情に踏み込み過ぎていると考えた故だった。
尤も、指摘された側はと言えば、あっけらかんとした様子でその通りだと返すのだが。
「寧ろ穏便に言ってるつもりだがね。
まあ、本当に暗殺を成し遂げて王允殿への恩返しを済ませ、自由の身になった所で文字通りに姿を消すつもりなら、それでいいんだろうが。」
「私は一度も、『自由になりたい』などと申し上げてはおりませんが...。」
「なら尚の事、生きて王允殿の元に戻らなきゃだろ。
まさか、『董卓を討ちさえすれば万事解決、天下太平』なんて思ってないよな?」
「それは...。」
「卵が先か、鶏が先か...現実として命を張らなきゃならん場面は今回に限らず出るだろうから、遺された人間の感情は置いておくとして、だ。
元は『卵が食いたい、鶏肉が食いたい』、その為には鶏を沢山増やさなきゃなんねえってなってた筈だったのが、今のお前さんは鶏を育てる事が目的になっちまってるって訳だ。」
「...えっと...、はい...。」
「ふむ...。
我らの目的は『世の乱れを断ち、太平の世を取り戻す事』であり、肝要となるのは『董卓を討った、その後』であると。」
(恐らくそういう事なんだろうが、何故今のでここまで伝わるんだろうか...。)
最初こそ天の助の言い分に対し、変わらず不満を露わにしていた貂蟬だが、続く彼の言葉に返す言葉を失ってしまう。
成程、実際の所の貂蟬の胸に秘めた思惑は別として、特定の象徴的な『世を乱す存在』を討伐するだけでは平穏は訪れない事は、黄巾の乱からの数年間を振り返るだけでも歴史が証明している。
事の難易度を考えれば、死に至る状況を想定しなければならないのは事実であり、彼も二人の覚悟自体は否定していない。
その後の独特の表現に困惑する貂蟬を他所に、何をどう繋げたのか高い理解力を示した曹操に周囲の視線が集まる。
「確かに心太の言う通りだ。
命懸けで事に臨む事と、命を捨てる事は同義ではない...。
黄河の流れを阻害する岩を取り除いたとて、河はその先にも続いていく...それを失念するとは、私もまだまだ視野が狭小よな。」
「生憎と、俺は食品だから暗い雰囲気ってのは苦手でね。
どうせ飲み食いするなら、自己満足で死んだ奴を偲ぶより、皆で一仕事した後の乾杯の方がいいだろ?」
分かる様な分からない様な二人の表現に、他の四人も首肯を返し各々が準備に取り掛かる。
決して反応する時間を惜しんだ訳ではない。
左右に居並ぶ衛兵、自分達が立つ場所より一際高い場所へと設置された椅子に腰掛ける彼の男の姿に曹操は思う。
まるで玉座の様だ_と。
「曹孟徳、お召しにより参上した。」
自身の両隣に立つ者達が跪いたのを横目で確認した後、彼は拱手と共に参上を宣言する。
「一つだけ答えろ。
貴様は漢の忠臣か、董卓の忠臣か。」
自分達を睥睨するその男_董卓からの問いに、『そういえばこの男は、無駄な遣り取りを厭う節があった』と場違いな感想を抱く曹操。
成程、敵か味方か_それ以外の情報は不要とばかりの、西涼らしい考え方と言えよう。
「率直な御方よ。
答えを誤った者の首を、幾つ切り離したものやら。」
「御託はいらん。」
自身の牽制と言える言葉を董卓が鼻を鳴らして切って捨てた様に、これ以上機嫌を損ねるのはよろしくないと、曹操は自身の右側にて跪いている者へと視線を送る。
「...我が返答に代えてこちらを。」
彼の視線に応える様に、その女性_貂蟬はスラリと流れる様な所作で立ち上がると、一つの箱を抱えて董卓へと近付いていった。
「ほう、何と申す?」
「貂蟬にございます。」
「ふむ...、その方が持っている『それ』は?」
「ところ天の助様より進呈の『ところてんギフト』をお持ちしました。」
「ほう...!
ふははははは!!
心得ておるな曹操。」
(...別に悔しくなんかないですし...。)
自身へと近付いてくる貂蟬へと名を尋ねると、董卓の興味は彼女の持つ箱の中身へと移った。
その中身を説明するや、一気に興味を持っていかれた事に内心で不満を抱く貂蟬だが、彼女の名誉の為に言うと董卓が箱の中身を確認したのは暗殺を警戒した故であり、例え美女と言えど王允の後ろに立つのを遠目に見ただけの人物と、彼自身が注目している存在からの進呈品とでは後者に関心が向くのも当然の事なのだ。
「ふむ...中々良いではないか。」
董卓の言葉に応える様に彼の座す椅子へともたれ掛かり、その首を抱え込む様に己の身を預ける貂蟬。
訓練を重ねた衛兵達ですら気付かぬ程に鮮やかに簪に紛れさせた暗器を握ったその右手には、使命を果たさんとする明確な殺意が宿り、その命を刈り取るべく真っ直ぐに対象へと振り下ろされた。
「傾国の美貌...。」
殺意の籠もった彼女の右手を己が右手で鷲掴みにすると、董卓は彼女へ、次いで曹操へと視線を移す。
「それだけが武器ではないな?」
自分の命が狙われているという状況にありながら、獰猛な笑みを浮かべた董卓は掴んだ腕ごと彼女を放り投げると共に叛乱者達へと言い放つ。
早く次の手を見せてみろ_と。
「くっ!」
当然、貂蟬の側も黙っている筈はなく、着地と同時に懐から短剣を取り出すと、さながら猫科の動物の如く地面を蹴り上げ、董卓の顔面へと二の矢を放つが。
「っ!? くあぅっ!!!?」
その刃は董卓へと届く事はなく、再度弾き飛ばされた彼女は床へと倒れ伏した。
(あれが...丁原軍から吸収したという『鬼神』か...。)
董卓自身でなければ、周囲の衛兵でもない貂蟬を弾き飛ばした第三者の姿に、曹操は思わず息を呑む。
最低でも六尺以上はあるだろう巨躯、その体躯と併せて見る者に圧迫感を与える漆黒の鎧、その武勇を示す右手に握られた方天戟と頭部の
「これを!」
「うむ...むっ!?」
事が失敗したと判断した刹那、彼の左側にいた人物_紫鸞の動きは早かった。
謁見に当たり、曹操と紫鸞自身の剣を預かっていた兵士を瞬く間に打倒し、自分達の武器を回収。
これによって二人も最低限の自衛の術を得たが、そんな二人の耳に状況の更なる悪化を報せる甲高い金属音が届く。
件の『鬼神』が柱へと突き立てた方天戟_丁度その柱と刃との間に首を収める形で、貂蟬が拘束されてしまったのだ。
本来なら取り回しに難のある筈の得物によって繰り出されたその光景は、改めて『鬼神』の傑出した武技を覗かせる。
「ふん...終いか、だが...。
貴様の返答、気に入ったぞ、曹操!」
先の短剣による攻撃が防がれた時点で、彼らに残された手は無い_己の勝利を確信した董卓はしかし、自身が望んだ『答え』を返してみせた曹操へと笑みを見せ、その場を後にしようとする。
戦いと活気を呼び込む先駆者への手向けとばかりの声と共に。
「むう...。」
「くっ、この状況では...。」
「くっ、紫鸞様、曹操様、私の事は捨て置きお逃げ下さい!!」
「だからよぉ...、そういう自己満足はいらねえって言っただろうが!!」
(ほう...三段構えだったという訳か!)
八方塞がり_敵である董卓ですらそう感じた状況を打開せんとする存在が、貂蟬の持っていた箱の中より飛び出た。
「天の助様!?
あなたが出るのはお二人が囲まれた『いざという時』であった筈!!」
「二人どころか三人とも捕まってる状況が『いざって時』じゃなかったらいつなんだよ!!
プルプル真拳奥義『アメーバ空域』!!!!」
「何!?」
「むう、心太め!
その変幻の体躯を以て、あの『鬼神』すらも絡め取らんとするか!!」
丁度一同の中央に位置していた箱から飛び出たところ天の助。
本来なら今の様に暗殺が失敗した場合に、多くの衛兵に囲まれる事が予想された曹操と紫鸞を救援する役目を受け持って件の箱の中に隠れていたのだ。
しかしそんな貂蟬の声を、天の助は否定すると共に奥義を発動する。
全員で生きて帰ろうと言った筈だ_と。
そんな天の助の体は、技名の如くアメーバ状に変化すると、巨躯を誇る『鬼神』をすら飲み込む勢いとなった。
この状況を支配する『鬼神』_仮にそれを拘束せしめるなら、確かに全員が無事に脱出する事も。
そんな期待を感じさせる天の助の動きに、曹操も思わず声を上げるが。
「体積足りなかった。」
「...。」
「...お二人共早く!!」
「くっ、このまま行くしかないのか!!」
「あれ、皆して俺の事無視して話進めちゃう感じ!?」
『鬼神』の体躯を考えれば致し方ないとも言えるが、天の助の技...と言うより体積では『鬼神』の胸から腰辺りまでを包み込むのが精一杯であり、敵味方問わず何とも言えない空気が部屋を支配する。
いち早く状況から立ち直った貂蟬の声を皮切りに、天の助の一幕を無かった事にして話を進める他の面々だが、当然彼もまたそれを黙って見ている筈がなかった。
「くそっ、止まれやこの野郎!!」
「なっ!? ゴボッ...、がっ...!!」
「そうか!!
奴の顔を包むだけなら...!!」
「さっさと行け、貂蟬!!
捕まりそうになってそんな顔する位なら、もう一回ちゃんと考えろってんだ!!」
「天の助...様...!」
顔面を天の助の体に囚われ、さながら水中に頭部を突っ込まれた様な状況に陥った『鬼神』。
それによって得物を握る力が緩んだ事による隙は、貂蟬が脱出する十分な余裕を生み出した。
「くっ、虫けらが!!」
「ぐおっ...おお、怖い怖い...。」
「...天の助!!」
顔面の天の助を何とか引き剥がし、彼へと憤怒の視線を送る『鬼神』。
その実力の程は、直接対峙していない現時点ですら紫鸞にも感じ取れるものであったが、それでも彼は一つの決断を下す。
これが最も『全員が生き残る可能性が高い道である』と信じて。
「何だよ...。」
「任せていいか...。」
「...帰ったら今日こそはところてん酒呑んで貰うからな!!」
「ふん、面白い...。
少しはこの俺を楽しませてみろ...。」
『鬼神』のその言葉を合図に、一行は二手に分かれる。
絶体絶命の状況に差し込む、微かな希望の光を掴む為に。
本話のアメーバ空域の辺りは、拙作の構想(というか無双+ボーボボとかいうアホ妄想)の中でずっと考えてたネタだったりします。