──ここに、いるよ。
本当なんだよ。
ただ、もう──誰も、見つけてくれないだけで……
その日はざあざあと、滝のような雨が降っていた。
こんなに雨が降っていると、猫である僕でも自由気ままに動くのは難しい。
日頃の行いが良いので、運良く屋根のあるバス停で雨宿りできたものの……僕の自慢の毛も汚れそうだし、こうも動けないのは困りものだ。
(ねぇねぇ、お空さん。一体何がそんなに悲しいのかなー? ここは少し楽しいことを考えて、その涙を止めてくれませんかねー?)
──なんてことを考えていると、雨音の中に固い足音が混じって聞こえてきた。
走っているらしい足音が近づいてくる。少し嫌な予感がして端に寄ると、大きな影が屋根の下に飛び込んでくる。
人だ。
癖のある濃いめの青……じゃないな。恐らく紫色であろう髪の毛を濡らして、ビニール袋に入れた鞄からタオルを取り出した少女は一つに束ねた髪や顔から水滴を拭って。
「……猫?」
「にゃっ?」
その青い瞳がこちらを映したことに、僕は驚いた。
まさか僕を見ているとは思わなかったので、ついつい目が合ってしまった。
少し気まずくて少女から外へと目を逸らしてみるものの、向こうの視線を強く感じる。
いくら相手が人間の少女だとしても、まじまじと見るのは不躾だろう。
ここは少し、謝罪の意を示さなければ畜生であっても不作法というもの。
「にゃぁ」
昔は『美人な三毛だ』とよく褒められた僕の頭を撫でる機会なんて、そうそうない。
最近だとありえないぐらい光栄なことだから、その運の良さを噛み締めてもいいかもよ。
撫でやすいように頭を差し出すと、何を思ったのか少女は口元に手を当てて取って付けたように笑った。
「……えっと、撫でてもいいの?」
「にっ、にぃ……」
いや、こっっっわ。
さっきまで無表情だったのに、急に不気味なぐらい綺麗な笑みを浮かべるのは怖いからやめてほしい。
(ひぇぇ。これもたぶん、この子なりの気遣いだろうから、怒るに怒れないのもタチが悪いよねぇ)
猫も恐れる猫被りなんて、普通の動物なら一目散に逃げるからやめた方がいいと思うよ。
このアドバイスも伝わらないから、改善されるかは不明だけど。
とはいえ、今回は運が良かったね。
僕はそこらの猫とは違うスーパーお猫様なんだ。1度許したことを取り消したりはしない。
……雨が降ってて濡れたくないから、逃げるタイミングを逃したってわけじゃないんだからね。そこは間違えないように。
そうやってこっちが寛大な心で許しているのに、少女は手を中途半端な位置で踊らせている。
「にゃーお」
焦ったくて、ゆっくりと手を伸ばしてくる少女に頭を押し付けた。
ほれ、可愛い僕の頭だぞ。早く撫でたまえ。
「あなたは怖がらないんだね」
「にゃー」
いや、怖いよ?
その笑顔、今すぐやめて欲しいぐらい怖いからね。
あなたはってことは、しょっちゅうその辺の子達をビビらせてんでしょ。
僕みたいなハイパー精神力のプリティーキャットじゃなかったら今回も逃げられてたよ。
そこんところ、感謝して。
後、慣れてなさそうなのに結構上手いから、もっと撫でて。
「……こう?」
「にゃあ」
「あぁ、ここもいいんだね」
「ごろごろ」
最初は差し出されたまま頭に手を伸ばしたのに、首の後ろや頬の横、顎の下と指先でゆっくりと撫でてくる。
しかも、ずっと同じところを撫で続けるわけじゃなく、ちゃんとこっちの様子を見ながら撫でる手を止めたり、再開してくる気遣いがたまらない。
素人だと侮ってたけど、プロだよこの子。
笑顔ももちろん恐ろしいけれど、もっと恐ろしい才能を見つけてしまったよ、僕。
「にゃー」
「もういいの?」
「にゃっ」
僕の自慢のヒゲがねっちょりとしてるというか、めんどくさそうな気配を感じ取った。
少女に絡まる雁字搦めな糸の色が濃くなってきたので、彼女のお迎えがすぐそこまで来ているのだろう。
名残惜しそうな少女の手から抜け出すと、予感通り、こちらに向かって走ってくる車が1台。
バス停近くに停まる車はないらしいけれど、その車はまるでここが目的地だと言わんばかりに近くに駐車する。
「まふゆ」
車の窓が開き、紫の少女にどこか似ている女性が現れた。
こちらには全く目を向けず、少女に向かって「早く車に乗りなさい」と声をかける。
ほら、迎えが来たんだから僕の縄張りから立ち去りな~。
「……うん、さようなら」
「にゃーん」
小さく手を振る少女にひと鳴きして、僕は元の場所に戻る。
車も走り去っていったし、もうあの子と会うこともないだろう。
大きなエンジン音も消えて、ざあざあと降る雨の音だけが残った。
「くぁっ」
体を丸めて力を抜くと、久しぶりの営業モードで疲れたのか欠伸が出た。
愛想の販売はもうおしまいだ。ここからは雨が止むまでお休みの時間である。
(……温かかったな、あの手)
ざあざあと、雨が降っている。
この雨ならきっと。
久しぶりだったせいでちょっと感傷的なこの感情も、一緒に洗い流してくれるだろう──
☆★☆
──時はほんの少し遡り、車の中。
母の車に乗り込んだ紫髪の少女──
「お母さん、雨の中なのに迎えに来てくれてありがとう」
「風邪をひいてしまって、勉強ができなかったら大変でしょう。丁度、仕事の帰りだったからいいのよ」
何故か胸が締め付けられるような寒さを感じて、まふゆの体は小さく震えた。
……音楽も何も、流れていないせいだろうか。
さっきまで落ち着くと思っていた雨の音も、寒さを助長させている気がする。
(何でなんだろう)
同じ雨の音なのに、車の中と外と出こんなに違って聞こえるなんて不思議な話だ。
(それに、あの猫と一緒にいる時間は悪くなかった。そんな気がする)
社会の教科書に出てきそうなマロ眉を彷彿とさせる黒い模様が目の上にある、特徴的な三毛猫。
あの猫を撫でている時に暖かい気持ちになったのは、アニマルセラピー的な何かだろうか。
撫でた手を見つめてもいつも通り、何もわからなくてまふゆは視線を前に戻した。
「まふゆ、今日は早く休んだ方が良いかもしれないわね」
「え、どうして?」
「今も手をみてボーっとしてたでしょう。車に乗る前も手を振っていて、まふゆらしくないもの」
「ふふ。大丈夫だよ、バス停にいた猫のことを思い出していただけだから」
安心させるために言ったまふゆの言葉は逆効果だったようで、酷く震えた声が聞こえてきた。
「何を言ってるの、まふゆ」
「何って、おかしなことを言ったかな?」
「おかしいも何も、バス停に猫なんていなかったじゃない」
──あなた、何もないバス停で急に手を振りだしたのよ。
「……え?」
ざあざあと雨が降っている中、車が走っている。
(どういう、ことなの?)
嫌に車内に響いた声も、手に残っていた毛並みの柔らかさと温かさも。
どちらも『本物』にしか思えなかったまふゆは、家に到着するまで呆然とすることしかできなかった。
……………………
──大雨が降った日が過ぎて、すでに夕日が顔を覗く頃。
(にゃぁー、困ったな~)
あんな大雨の次の日に地面がカラッカラになるなんて天気のいい日ぐらいしかあり得なくて。
予想通り、しばらく待ってみても辺り一面びちょ濡れで乾いた足場なんて全くなかった。
これでは今日も、晴れてるのにバス停に留まるしかないではないか。
本当に、お天道様といえども猫の行動を縛るなんてけしからん。
え? 物理的に縛られてないんだから、自由に歩けばいいじゃんって?
このおばか!
そんなことできるわけがないだろう。僕の自慢の毛並みが汚れたらどうしてくれるんだ。
そういうわけで、こんな地面を歩くのはパス。
今日はお気に入りじゃない場所で日向ぼっこをしているのである。
(んー、やっぱり寝心地は良くないなぁ。誰かお気に入りの場所に連れてってくれないかなぁ)
丸めた体を少し起こし、閉じていた目を開く。
目を開いたら綺麗な青空……ではなく、何だか圧のある青い両目がこちらを焼きそうなぐらいの熱視線を向けている。
何も言わず、笑いもせず。
じぃっと見てる人間がいると頭が認識したその瞬間、僕の体は勝手に跳ねて、バス停の看板の裏まで逃げた。
「ゔー、まーゔっ!」
「……」
び、びっっっっくりしたぁっ!?
思わず蛇を目撃した時ぐらい、飛び跳ねちゃったんだけど!
何なのこの子、この可愛いお猫様相手に何の恨みがあるんだ。
可愛いは無罪って言う人間もいるんだから、僕は無罪を主張するぞ!
「昨日、あなたのことで驚いた」
僕は今、君の行動にすごく驚いてるよ。これでおあいこだね!
「だから、確かめさせてほしい」
少女はムスッとした顔で手を差し伸べてくる。
その目は何かを期待しているようにこちらを見据えていて、僕の動きを待っているようだ。
(おぉん? この僕をビビらせてるのに、頭を撫でられるとでも?)
そっちの都合なんて知らないし、こっちを脅すような悪い子には猫パンチだ。ていっ。
「にゃっ」
「……やっぱり」
おかしいな。僕は確かに彼女の手に猫パンチを喰らわせたはず。
それなのに……どうして急に、この子は嬉しそうな空気を醸し出してるのだろうか。
最近の子の気持ちが全くわからない。
思わず長老猫さんになっちゃうぐらいわからないよ、僕。
「また、会ってもいい?」
「ゔー」
えー。君ってよくわかんないし、笑った顔はちょっと怖めだし、僕はそこまで乗り気じゃないや。
気分が乗らずに渋っていると、少女は徐に鞄から取り出す。
「会う時には、こういうおやつを渡すこともできるんだけど」
その手に握られている細長い個包装は、ま、まさか。
「にっ、にゃあ」
「うん。猫が喜ぶ液状のおやつなんだって」
それはイエっ子が餌を分けてくれる大きな同族から貰えると自慢し、ノラっ子達が羨む悪魔の食べ物!
悪魔的な人気がある魅惑のおやつ様じゃないか!
毎日食べるとあんまり良くないらしいとの情報はあったけど、幸いなことに僕は初体験。
目を逸らそうにも本能に逆らえないし、封を切って目の前に差し出されたらもう……こんな魅力的なものに反抗するなんて、僕には無理だ。
「これで、会ってもいい?」
「に、にゃんっ」
「じゃあ、あげる」
「にゃーんっ」
うん、屈したよね。
笑顔が怖いのだって猫を被るのが下手っぴだからだし、猫撫で声も苦手な子なのだからしょうがないもの。
供物を渡されたら答えなければ、僕としての矜持に関わる。
猫の皮を上手く被れない後輩の為に、ひと肌脱ぐのは先輩の勤めだ。
「うにゃー」
このおやつ分ぐらいは人の子と──まふゆって子と、付き合うのも悪くないかな。
・美人な三毛猫
このお話の主人公にして、とっても可愛い三毛猫(猫としての自己肯定感だけはマシマシ)。
スーパーお猫様スペック以外にも、黒い模様がまるで歴史の教科書に載ってそうな平安時代の貴族を彷彿とさせる眉毛っぽい位置にある為、見た人の記憶に残りやすい見た目らしい。
色々と複雑な事情があるらしいが、この度、予想外な出来事によって猫被りが下手な後輩ができた。
自称・猫というものは何たるかを教える先輩らしいが、相手がそう認識してるかは不明である。
・朝比奈まふゆ
プロジェクトセカイにて『25時、ナイトコードで』の作詞担当……なのだが、現時点ではそんなグループは存在しない為、今はまだ少々込み入った事情のある女子高生。
この度、三毛猫を運が良いのか悪いのか、見つけたことによって後輩認定された。
ただし、この認定は一方通行なので彼女が何を思っているのかは不明だし、おやつも会ったら絶対に渡す約束はしていない、強かな後輩である。
☆本作品は基本的にプロセカに出てくる皆様と猫がわちゃわちゃしてるお話です。なので、進行度なんてどこかに置いていってます。
更新は猫の気まぐれの如く、基本的に5か0のつく日に予定です。
主人公である猫様の気分で更新できなかったりするかもしれませんが、どうぞ気長によろしくお願いします。