猫は見守ることしかできないのです。
空も赤々と染まる時間になった頃。
縄張りのパトロールが終わった僕は宮女の校門前に来たのだけど、まふゆの姿はどこにもなかった。
暫く待ってみても、僕が見たのは思い詰めた顔の雫だけ。
この僕が目に入らないぐらい悩んでいるとは珍しい。
追いかけようかと思ったけれど、僕の先約はまふゆであり、優先順位もまふゆの方が上だ。
少し考えた末に、追いかけないことを選んだ。
……選んだ結果、もうちょっと何かあったんじゃないかなって、思う僕もいるんだけどね。
「お待たせ、マロ……何かあった?」
うにゃうにゃ悩んでいると、まふゆが出てきた。
委員会も問題なく終わったようで、当然のように抱き上げてくる顔には猫被りの笑顔が張り付いている。
何かあったといえばあったけれど、もうどうしようもない話だ。切り替えるしかない。
「にゃぁー」
「……変なマロ」
曖昧に鳴き返すと、まふゆは首を傾げて歩き出した。
無表情に戻ったまふゆの足はいつも通り、家に真っ直ぐ向かっていて早い。
軽々と人を抜かしていく姿は見ている分には面白いのだけど、今日は途中で失速した。
雫だけでなく、まふゆの方でも何かあったのか。顔を上げると、いつもより固く見える無表情がこちらを見る。
「みゃあ?」
「……別に、心配するようなことはなかったよ。最近は合唱祭で忙しかったせいで、委員会の方が溜まってたってだけ」
(つまり、疲れてるってことだよね)
それは『何もない』とは言わないのではないだろうか。
全く、うちの後輩は甘えるのが相変わらずド下手である。
(うーむ、こういう時は……)
疲れてるなら僕も隣を歩こう、という気遣いは物凄く抵抗された上に、禁止されたし。
ミクが『嬉しそうだった』と言っていたのは、甘える見本を見せた時だったかな。
(嬉しそうだったのなら、やってみるのもアリか)
前は甘えた後、まふゆが固まっちゃったから効果はよくわかってない。
何なら僕の視点ではあまりにもぎこちなくて、ミクの言う『嬉しそう』には見えなかったのだけど……ここは1つ、落ち込む後輩の為にやってみよう。
「みゃーお」
胸辺りにあったまふゆの髪ごと擦り寄って、甘えてみる。
少しでも表情が和らいでくれたら。
そう思ったはずなのに、まふゆは表情どころか足まで止めて、固まってしまった。
(あ、あれー?)
「……マロ」
「にゃ?」
「そういうのは、外でしちゃダメ。危ない」
まふゆは酷く真剣な様子で首を振る。
「続きは、セカイでやってほしい」
そんなことを真顔で言った後に、僕を抱き締めたまふゆが風になった。
さっきまで元気がなさそうだったのに、今は羽のように軽そうな足取りで駆け抜けているまふゆ。
(元気になったから、良いことではあるのか?)
その元気は一体、どこから湧き出ているのだろうか。
もう甘えるのもいらない気がするのだけど、やらないと今度は僕の命が危ない気がする。
時に駆け足で、人が多いところは早歩きで帰るまふゆはあっという間にスクランブル交差点まで辿り着いた。
「……あれ?」
信号が変わったらそのまま駆け抜けるのかと思いきや、まふゆは前を見て首を傾げている。
(どうしたの?)
「あそこ」
まふゆが視線を向ける先には、不自然に人が集まっている場所があった。
集まっている糸も黒くて不穏だ。思わず喉から威嚇の声を出してしまうぐらい、嫌な気配を感じる。
「……マロも見つけたんだね」
「にゃ?」
「中心に日野森さんがいて、マロが唸ってるから。このまま放っておくのは良くないんだろうね」
僕は糸を見ていたんだけど、まふゆは糸の中心にいる雫を見つけたようだ。
正直に言おう、糸のせいで雫がどこにいるのかまっったくわからない。
何かまふゆは勘違いしてるみたいだけど、ミクもいないし訂正も面倒だ。
よし、ここはそれっぽく見栄を張って鳴き返しておこう。
「にゃっ!」
「うん、行ってみよう」
僕の意図を勘違いしたまふゆは小さく頷き、雫の元へと駆け寄った。
無表情から素早く猫を被ると、まるで最初から待ち合わせしていたかのように、自然と声をかける。
「日野森さん!」
「──え、朝比奈さん?」
「こんなところにいたんだ。探したんだよ? ほら、一緒に帰ろう?」
「でも、朝比奈さんに迷惑をかけてしまうかもしれないわ」
困った顔をする雫は、いつもよりも落ち込んでいるのかやっぱり元気がなさそうだ。
それを見たまふゆは一瞬だけ、周囲を威圧するような綺麗な笑みを浮かべた。
しかし、雫への興味が強いようで、黒い糸はまだまだこちら側に絡みつこうと伸びてくる。
効果がないと判断したまふゆは、僕に目を向けた。
「マロ」
「にゃーん」
お任せあれ、
どうして雫がここまで悪目立ちしてるのかは知らないけれど、僕にかかれば目立たない一般美少女の出来上がりだ。
人の目も猫パンチしてしまえば、どうにでもなるのさ。
「日野森さん、大丈夫だよ」
「大丈夫って……」
「これぐらいならマロがどうにかしてくれるから、一緒に帰ろう?」
「にゃっ!」
ふふーん。エリートな猫である僕が今もどうにかしてる最中なので、是非とも任せて欲しい。
あまりにも自信満々な僕らに、雫は目を瞬かせてから小さく吹き出した。
「ふふ、マロちゃんがどうにかしてくれるって……」
「ダメかな?」
「いいえ、朝比奈さんの気持ちは伝わったもの。お言葉に甘えて、一緒に帰らせてもらうわね」
「にゃんっ」
「ええ、マロちゃんもよろしくね」
(やったぜ)
説得は成功したので、黒い糸を退散させてしまおう。
最近、ちょっと目立ったことでもしたのか、雫に向かってくる糸はかなりしつこい。
まふゆと雫が並んで帰ってる最中も糸の対処に追われたけれど、ちょちょいと撃退した。
(活かしたくはなかったけど、えむと神高に侵入した時の経験が役に立ってるね)
成長を感じている間に、ひと仕事を終えた。
周りの人と雫達との縁も暫くの間は遠くに追いやったので、これでもう、交差点のようなことにはならないはず。
視線の質が変わったのを感じ取ったのか、雫も強張っていた顔が少しだけ和らいだ。
「……ありがとう、2人とも」
「ここまで歩いただけだし、お礼を言われるようなことじゃないよ」
「それでも、朝比奈さん達には助けて貰ったもの」
「……そうかな。そう言ってくれる日野森さんは、浮かない顔をしてるけど」
珍しくまふゆが一線を超えた。
僕も驚いたけれど、雫も触れてくるとは思ってなかったようで、目を丸くしている。
「あぁ、ごめんなさい、顔に出ちゃってたのね。少し見ただけで気が付かれちゃうなんて……私ったら、本当にダメね」
「……」
弱々しく笑う雫を見て、一瞬だけどまふゆの猫が剥がれた。
何か思うところがあったのか、僕の尻尾へとまふゆの手が伸びる。
(今、まふゆが何を思ったのかわかんないけど……それを相手に言わなきゃ、伝わらないぞ)
尻尾を弄る手に、僕の前足を添えた。
大丈夫だ。相手は参っていたとしても雫である。
絵名を相手する時みたいに当たりの強い言葉選びさえしなければ、まふゆの言葉はちゃんと届く相手なのだ。
(頑張れ。まふゆはちゃんと、こうして動いてるんだから。続きも言葉にできるはずだよ)
僕の想いも少しは伝わったようで、まふゆは小さく頷いてから尻尾を手放した。
「私には、日野森さんが何に悩んでるのかはわからないけれど……その悩み事を『自分はダメなんだ』って否定せずに、向き合って欲しいなって思うよ」
「……え?」
「自分を否定しちゃったら、自分以外の何かになろうとするしかないから。そうやって無理して頑張っていたらきっと、それこそ今以上にもうダメだってなっちゃうと思うんだ」
まふゆは僕を一瞥してから、再び視線を戻す。
どうやら僕にもひと仕事あるようだ。了承の意を込めて、尻尾を手に絡めておいた。
「私は部活や中庭で話す日野森さんしか知らないから何とも言えないけれど、息が苦しい方を選ぶ日野森さんは見たくないかな」
「にゃあ」
「ほら、マロも今の日野森さんが好きだって言ってるし……私ができることはあまりないけど、日野森さんが苦しくない方を選べるように、応援してるよ」
「にゃっ」
僕も雫のことは好きとまではいかないまでも、良い子だとは思っている。
正直、まふゆに良いように使われた気もしなくはないが、僕も雫を応援しているよ。
「ありがとう、2人とも……私もすぐには答えられないんだけど、もう少し悩んでみることにするわね」
まふゆの気持ちが伝わったのか、雫は交差点で会った時よりは表情が明るくなっていた。
しかし、今度は動いた方のまふゆに思うところがあったようで、雫と別れて猫の皮を脱いだまふゆの顔はいつもの無表情でありながらも浮かないように見えた。
「みゃあ?」
「あれは、どこまでが私の言葉なんだろうね」
まふゆは前を向いたまま、ポツリと呟いた。
「私は本当にあんなことを考えて、日野森さんに言ったのかなって」
(もう……このお馬鹿さんめ~)
猫を被ろうが何を被ろうが、『困ってそうな友達を見つけて、動いた』という行動の結果そのものが大事だろうに。
人間は皆、行動した理由を瞬時に弾き出して、動いているとでも思っているのだろうか?
僕はそうは思わない。理由なんて後々、あーでもない、こーでもないと考えて後付けしたものの方が多いに決まってるのだ。
(僕は雫を見ても動けなかったんだ。だからこそ、動いた時点でまふゆは偉いし、凄い! 今はそれでいいし、自分の行動の理由なんて悩まないでいいんだよ)
まったく、うちの後輩はあわてんぼうさんなんだから。
仕方がない後輩の頬を肉球で捏ねてると、思い出したように声を上げた。
「そういえば、セカイに行って続きをしてもらうんだったね」
「!?」
……あ、あれ。おかしいな。
機嫌が治ったかと思いきや、様子がおかしいぞ。
さっきまでとは違う意味でおかしいまふゆに、ヒゲも糸も嫌な予感を告げている。
「思い出させてくれてありがとう。私も、日野森さんを見習って、セカイでゆっくり考えてみるね」
「……に、にゃぁぁ」
僕も色々と思ってたから、アレなんだけどね?
でも、今日は先輩ができなかったことを後輩ができるようになった、おめでたい日だ。
だからその。お手柔らかに、ね?
☆マロ知識
この後。
何かを吸われたかのように、しょぼしょぼしたにゃんこがセカイで目撃されたとか。
……
・一応
イベストの『Color of Myself!』を微妙に掠ってます。
原作よりも弓道組は猫を挟んで仲良くしてるので、まふゆさんも声をかけたみたいですね。
・水筒味噌汁
その発想がなかったので、天才か? と思いましたが、イメージと違うというのは恐ろしいものですね。
……水筒よりも、インスタント派ですけど。