覚悟ってなんでしょうね?
ミステリーツアーに行った甲斐があって、奏のスランプはどこかへ旅立ったらしい。
それと同時に崩壊した生活習慣が「おひさー」って顔を出してるらしいけど、猫の僕には関係のない話だ。
「マロ、行くよ」
「にゃ!?」
どうやら、他
優雅にセカイでひと眠りをしていた僕は、あっという間にまふゆにテイクアウトされてしまった。
(良くも悪くも、日常が戻ってきたなぁ)
いつものねっちょりとした空気のお部屋に連れ込まれると、本当にそう思う。
まふゆが勉強をしている間に部屋の糸を片付けてから、時計を見る。
(うにゃっ、今日はすっごい早いじゃん)
予備校がない日だとしても、夜ご飯も食べてなさそうな時間に帰っているのは早い気がする。
驚き過ぎて時計とまふゆと視線を行き来させていると、こちらの視線に気が付いたまふゆが手を止めた。
「早いって言いたいの?」
「にゃぁ」
「最近、頼まれることがなくなったから。マロは心当たり、あるんじゃないの」
(……しーらないっ)
僕は
じっとりとした目を向けられたので、僕は顔ごと視線を横に逸らした。
その件に存在したのは1匹のマヌケな猫である。ヤツの名誉の為に、何も触れないでほしい。
そんな思いが伝わったのか、まふゆは目を細めつつも追及の手を緩めた。
「マロがよく知ってる理由で学校も早く終わって帰ってきた。それだけだよ」
(それだけ、かぁ)
その『それだけ』で僕の毛並みが暫く犠牲になったのだから、まふゆの負担がよくわかるよね。
それを言ったら藪蛇になるから、触れるつもりはないんだけど。
「マロ。顔を逸らしていないでこっちにきて」
ずっと顔を逸らして距離を取っていたのが不満だったのか、まふゆは膝の上をポンポン叩いている。
いつものすまし顔は全く変わっていないが、圧をかけられている寸前だ。僕はわかるんだ。
逆らう理由もないので膝の上に乗ると、早速左手が僕を撫でた。
「今日の毛並みは良いね」
「にゃふん!」
前はやらかしてしまってゴワゴワしていた毛並みも、お陰様で完全復活済みさ。
それをまふゆも素直に褒めるとはお目が高い。
大変気分がいいので、存分に撫でてくれたまえ。僕も変なところのお触りと毛並みを乱されない限り、まふゆの手を止めるつもりはないよ。
(……けど、これって集中できるのかな?)
僕が嫌がらないことを良いことに、まふゆは左手で僕を撫で、右手で勉強をし始めた。
丁度、机の上が見える位置に僕がいるから邪魔になってそうだけど、まふゆの視線はこちらを一瞥することもなく机の上を見ている。
(余計なお世話だったね)
まふゆの集中力を舐めていたのは僕の方だったのだ。
足が痺れてもおかしくないのに、まふゆは全く顔に出さずに綺麗な姿勢を維持したまま。
忙しなく目を動かしてペンを走らせているというのに、僕を乗せている膝だけはピクリとも動かさなかった。
(このまふゆの集中力を乱すなんて、相当だよね)
次々に問題が解かれていく姿をじっと見ていても揺らがず、目はノートと本を行き来してもズレない。
猫1匹膝に乗せても乱れないこの集中力を妨害できる人が家にいるのもまぁ、考えものである。
(まふゆの母親も、僕の見立てだと役割に真面目過ぎて視野が鋭角になってるタイプっぽいんだよね)
娘的には厄介だけど、学校側やご近所さんからすると『いい
外野の僕としては、2人とも親子なんだなーって思ってしまう。
お上の方の中にも完璧主義で理想が高く、自分が思い描く存在として振る舞ってるのだから、信者も『ぼくのかんがえたすごいしんじゃ』じゃないと許せないお方もいた。
(理想のお母さんの娘が理想からズレるのが、気質的に受け付けられないのかねぇ。人間も大変だ)
偶然、部屋に来た時に糸を触ろうとしたんだけど、弾かれるように拒絶されたし。
まふゆに隠されてた状態だとしても、僕が触れない糸なんて相当だ。
あれでは一筋縄ではいかないだろう。
無力な猫はがんばれーって応援するしかない。
『──まふゆ、マロ』
勉強の邪魔もできずにあれやこれやと考えている僕の耳に、ミクの声が聞こえてきた。
まふゆの視線も僕と同じく声の方──スマホが置かれた机の隅へと向けられる。
『あ、邪魔しちゃった?』
「ううん、そろそろ休憩しようと思ってたから」
まふゆは手早く机の上を片付けて、スマホから顔を覗かせたミクが引っ込むのを阻止する。
集中力も高いが、切り替えの早さも一級品だ。
相手に罪悪感を抱かせない姿勢に、全てを見ている僕は舌を巻いた。
「……ミクが来たのなら、ちょうどいいかな」
『ちょうどいいって?』
「昨日の委員会で、気になることがあったから」
まふゆはミクがいるスマホを隅っこから自分の前へ、移動させる。
僕も膝から机の上に移されてから、まふゆは話し始めた。
「マロとミクは『覚悟』って何だと思う?」
『かく、ご?』
(えっと、言葉の意味的なモノを聞いてるわけじゃないよね?)
「心構えしたり、決意することって辞書的な意味なら私も知ってる」
それもそうだ。
まふゆにそういう関連で対抗する方が間違ってるか。辞書的な意味なら、僕より詳しそうだ。
『委員会で覚悟の話が出たの?』
(えぇ? 委員会ってそんな場所だったっけ?)
もっと別なことをしている印象だったんだけど、覚悟が問われる委員会とは一体何だ?
ミクと揃って首を傾げていると、まふゆが口を開いた。
「今日の委員会で、後輩の子がずっと上の空だったの」
『体調、悪かったのかな』
「私もそう思ったけど、違うみたい。何かに悩んでるらしくて、その時に聞かれたのが覚悟の話だった」
なるほど、それで『覚悟』って何だと思う? に繋がるわけか。
高校生で覚悟について上の空になるぐらい考える子なんて、猫でも少数派だとわかるけれども。
まふゆが気になるというのなら、一緒に考えるのも悪くない。
(覚悟が何かって言われたら、大雑把には気持ちの一種だよね)
「心構えって言うから、間違ってはないだろうね」
ミクの通訳越しで伝わった言葉に、まふゆは頷く。
(あくまで僕の感想だけど。覚悟の気持ちを分類するのならば、たぶん『ストッパー』とか『支え』に当たるんじゃないかなぁ)
『そうなの?』
(ほら。逃げたいなー、怖いなー、めんどくさいなーとか、色々と思い浮かぶでしょ。それは皆あるものだから、悪いことじゃないんだけどね)
……あの、まふゆ?
お願いだから、そこで首を傾げないでくれるかな。
まふゆがそういう気持ちに鈍めであるのは存じてるけど、普通はそういう気持ちに正直なの。
ねじ伏せなきゃいけなかった環境で張り詰めてる僕の後輩は、残念ながら少数派だよ。
(逃げるのも大事だし、怖いのも面倒なのも無意識に出てる救難信号の場合もあるから、絶対に悪いものじゃない。でも、その気持ちに従い続けてると、ある時に物凄く後悔しちゃうんだよね)
これでよかったのか、どこで間違えた?
もっと何かなかったのか、ああすれば……とか。
逃げるのは1つの正解なのだけど、逃げてばかりだと嫌になるぐらい引き摺ってしまう。
(適切ならば薬になるけど、使い過ぎると毒になる。そんな気持ちのストッパー兼立ち向かう為の勇気の支えになるのが『覚悟』だって、僕は思うよ。ミクはどう思う?)
『……マロ、おばあちゃんとかおじいちゃんみたい』
(猫だし、老けてないんだけど!?)
このツヤッツヤな毛を見て、老猫どころか老人扱いするとは。
猫どころかお年を召した扱いをされても困る。僕には年相応の貫禄なんてものはありません。
「……マロ」
(何ー?)
「マロは今、覚悟ができてるの?」
(……さて、ね。感情全般、そのスマホってヤツのようにパッと何かを出して、すぐにどうにかできるもんじゃないからね。できてるかどうかは、その時じゃないとわかんないよ)
「ふぅん」
じっと見てくるまふゆの目が耐えられなくて、僕は机の上から飛び降りた。
(あ、そうだ! パトロールしてないところがあったんだった! それじゃあ僕は帰るよ。じゃあねー)
『あ、マロ──』
ミクが何か言おうとしたけれど、僕は無視してセカイへと跳ぶ。
セカイから宮益坂へ跳び、追跡されないように移動を完了した。
(まったく、勘の良い後輩も困りものだね)
あの目はきっと、僕が自分のことを喋ってるんじゃないかと尋ねていたのだろう。
そんな後輩が嫌いとは言わないけど、バレてそうなのが居心地が悪い。
(そもそも、何の覚悟だって話だよねー)
挑戦するだとか、夢の為に立ち向かい続ける覚悟だとかならば、必要だろうけど。
世の中、しちゃいけない覚悟だってあるだろうに、何ともらしくないことを語ってしまった。
(……本当はね。覚悟なんて、僕には1番縁遠かった言葉なんだよ)
だからこそ、ずっと考えていたのだろう。
何も決められず、言われた通りに今まで過ごして、疲れてむしゃくしゃしてたから感情的に動いて、後悔して。
消えかけてやっと、自分が逃げていただけだったと思い知って、怖くて見ないフリをしていた。
(しかーし、僕はエリートですから。自覚したら改める猫なんだよねー)
怖くて、強がっていた雨の日に──君に出会えて、どれだけ僕が救われたか。
(ま、こんなこと言われても困るよね)
覚悟は立ち向かう選択肢を選ぶための支えであり、逃げたり立ち向かったり、選択肢を適切に選ぶ為に『視野の広さ』が必要になる。
それを頭で分かっていても、覚悟が全く育ってなければ、怖くて逃げる道を選んでしまうのが感情がある生き物なのだろう。
(僕の覚悟の有無は、もう暫く秘密だね)
選べたはずの選択肢を、ずっと怖くて逃げ続けてきた長かった旅路の終点も。
君達の為なら選びたいと、そう思ってるのも内緒だよ。
☆マロ知識
猫は言われた通りに生きてきただけに過ぎないのだ。
……
・覚悟に悩んでいた後輩
名前は出てませんが、この辺りの話にてバンド関係でプロになる覚悟を悩んでる、学級委員会所属の焼きそばパン好きな子が怪しいかもしれません。
・逃げてた
そう本猫は自己申告してますが、この語り部は信用してもいいのでしょうか……?