うぅ。
せ、世界が揺れてますぅ……
「ぅぅ……にゃぁ……」
青い空、白い雲。
絵名に誘われて来た高原ハイキングの現地にて、僕は這う這うの体でケージから抜け出した。
「あぁっ、またマロちゃんがぺしょぺしょしちゃってるわ」
雫が頭上で慌てているみたいだけど、それに構う余裕もない。
心配そうな愛莉や絵名の目、苦笑いする瑞希もスルーして、僕は地面にごろりと転がった。
(な、舐めてたよ。ケージとバスの合わせ技がこんなに辛いものだったなんて)
名残惜しげに付いて行かないことを選んだまふゆに見送られて、
ケージに入っていればペットの乗車もできるという話だったので、好奇心に従って乗ってみたのが間違いだった。
バスの上に乗った時とは全然違う。
狭い所が得意であっても関係ないぐらい、上下左右にぐわんぐわんと揺れるのだ。
これがバス乗車。絵名達が楽しそうに喋っていた会話も右から左へ抜け出してしまうぐらい、過酷な旅路だった。
「マロ、暫くはボクが抱えてあげるよ」
(ありがとう、瑞希。面目ないけど、よろしく……)
「はは、返事できないぐらい元気ないねぇ。まふゆにもマロのことを頼まれたから、安心してよ」
そう言ってひょいっと僕を持ち上げる瑞希。
未だに元気が戻っていない僕の視界の端には、こっそりと親指を立てた絵名がいた。
(そういえば、瑞希のことを見なくちゃいけないんだったね)
始まりが始まりだっただけに危うく頭からすっ飛んでいくところだったが、このハイキングのメインターゲットは瑞希である。
事前に『マロは何とかして瑞希をよく見れるポジションを確保して』と無茶振りをされていたのだが、奇跡的に何とかなった。
(偶然だけど、それっぽい所に着地したからいいか)
できれば帰りはセカイ経由で帰らせてほしいけれど、ここには愛莉と雫もいるのでその願いも難しい。
まだ高原に来たばかりだというのに、僕の頭は帰りに備え始めていた。
……そんな感じで僕の脳内が帰りのことで悲鳴を上げている間にも、瑞希達は高原を進んでいく。
まだまだ頂上でもないのだけど、遠くの山まで見える景色を見ていると僕の現実逃避も落ち着いてきた。
(帰りを想像してる場合じゃないか。高原についてきた目的を思い出すんだ、僕)
幸いなことに、僕がぐったりしている間は平和だったようだ。
そう簡単に瑞希が尻尾を出すのであれば、絵名が猫を動員するはずがない。
そう考えると異変がないのは当然だろう。
「うわぁっ! こんな所からでも、遠くの山まで見えるなんてすごいなーっ」
「うん、本当に綺麗……絵の参考になりそうだし、何枚か写真撮っておこっと」
「あれれー、絵名ってば真面目じゃーん。こういう時、真っ先に自撮りすると思ってたのに」
「あのねぇ、私だっていっつも自撮りのことばかり考えてないから!」
瑞希と絵名のじゃれ合いもいつも通り、異常なし。
バスのダメージも癒えてきたので、このままだと瑞希の腕の中で寝ちゃいそうだ。
(何かないかなー。あ、そうだ。愛莉と雫は何してるんだろ?)
絵名と瑞希が盛り上がってるせいか、静かな2人が気になった。
僕ごと動く瑞希に合わせて視線を向けると、愛莉達は4人ぐらい座れそうな席を確保していた。
「ねぇ、皆! お腹も空いてきたし、丁度いい席もあるからそろそろ休憩しない?」
わたし、お弁当を作ってきたの。
なんて言葉と共に掲げられているのは、お洒落な包みを纏った箱だ。
僕の腹時計もお昼ご飯を告げているし、ひと休みするのも良いのではないだろうか。
視線を上に向けると、僕が何かを言う前に瑞希が目を輝かせていた。
「やったぁっ、食べる食べるー!」
……すごく元気だ。
元気なのはいいけれど、うっかり僕のことを落とさないでね。フリじゃないからね。
☆★☆
(うみゃーいっ!)
もしや愛莉はアイドルじゃなくて天使的な何かだったか。
瑞希の隣にちょこんと座って、猫用のお弁当を食べた僕は感激していた。
4人の好きなものを準備した上で、僕の反応がよかったおやつから好みを予測してご飯を準備してくれるとは恐れ入る。
愛莉はアイドルだから言わないけれど、アイドル以外のことでも大成しそうだ。
こういう細かな気遣いが輝いている人間は成功するんだ。僕が保証するよ。
「ん~、どれもすっごくおいしいよ! ね、マロ!」
(もぐもぐ……うむ、人間用の方は見た目だけしかわからないけれど、僕のが非常に美味なんだ。瑞希の言う通り美味しいんだろうねぇ)
急に声をかけてきた瑞希に、僕は顔を上げて頭を縦に振った。
僕の分は知らないけれど、4人の分は昨日の夜から仕込みをしていたらしい。手間暇かけた分、うみゃいものができたのだろう。
愛莉の努力のお零れに預かれて、今日の僕は運が良いのかもしれないな。
……糸の動きが微妙だから、ここで運を使い果たしていないことを祈っておこう。
「本当にすごいよね、愛莉ちゃん。アイドル活動もしてて学校にも行ってるんでしょ? そんな中でもお弁当まで作ってくれるなんてね!」
瑞希が並べ立てた言葉を考えると、確かに愛莉はすごい。
学生とアイドルという二足の草鞋を履いた上で、4人の弁当まで作るなんて中々できることではないと、猫でもわかる。
「褒めてくれてありがとう。でも、お弁当は作り慣れてるだけだし、アイドル活動の方もいつもグループのメンバーに助けられてばかりだもの。そう褒められるとむず痒いわ」
「あー。確か、愛莉ちゃんと雫ちゃんってMORE MORE JUNP!ってグループを組んでるんだっけ」
「えぇ、今は配信をメインに活動してるのよ」
配信とやらをしているのは知っていたけれど、愛莉達のチームの名前がそんな名前だったのは知らなかった。
もあもあジャンプ。
もやもやをジャンプで吹き飛ばせ~……という意味では、流石にないか。
『もや』じゃなくて『もあ』と、瑞希もハッキリ発音していた。
そう考えると、この単語は『ジャンプ』と同じく海の向こうの国のものなのだと思う。
ジャンプみたいな日頃からよく使われるようになった言葉なら僕もわかるんだけど。
そこまで使われてない言葉は僕の適応範囲外だから、あくまで憶測でしか話せない。
(だってだって、猫に高度な語学力は必要ないもん)
そもそも、日本語を習得してるだけでも僕ってすごい猫だと思うの。
何の手掛かりもなしに海の向こう側の言葉を身に着けるのは、猫に求められる技能じゃないって。
「──よかったわね、雫! 絵名みたいに思ってくれる人も、きっと沢山いると思うわ」
語源を考えている間に話が進んでいたようで、愛莉の声で意識が引き戻された。
全く話を聞いていなかったけれど、嬉しそうな雫と微笑む絵名を見るに、絵名が雫を喜ばせたって感じだろうか。
僕の予想は大幅には外れていなかったようで、雫が満面の笑みで頷く。
「ええ! 『希望を届けるアイドル』に近づけてるみたいで嬉しいな」
話の大部分を聞き逃した僕だけれど、1番見逃してはいけないところだけはハッキリと耳にした。
「希望を届けるアイドル……か」
周りの3人が笑っていたせいか、神妙な顔で呟いた瑞希が浮いているように見えた。
渦中にいるせいか、まだ察知しきれていない絵名は小首を傾げる。
「瑞希、どうしたの?」
「あ……希望を届けるって、なんか凄いなーって思ってさ。中々できないというか、どうやったらいいのかもわかんないし」
「でも、2人も聴いてくれる人の為に曲を作ってるんでしょう? それって希望を届けることと似てるんじゃないかしら?」
「……そうかな。そうだったらいいな」
瑞希の反応に愛莉が返すと、今度は外野以外にもわかりやすく反応する瑞希。
「瑞希?」
「瑞希ちゃん、どうかしたの?」
(これは……)
絵名と雫が心配そうにしているが、首を横に振った瑞希は僕の覚えしかない反応を返す。
「ううん、なんでもない! あっ、そうそう。愛莉ちゃん、このフライドポテトもっと食べていい?」
(む、うぅむ)
あまりにも心当たりのある行動に、僕は心の中で唸ってしまう。
(まふゆや奏的な危うさだったら、と思って付いてきたんだけどねぇ)
絵名にはとても申し訳ないのだけど、瑞希に関しては首を突っ込んでいいのか迷う。
だって、僕も今までずっと逃げてきた系にゃんこだもの。
どの面下げたら瑞希に何かを言えるのか、僕にはまったく見当もつかないよ。
(そりゃあ、糸にはそこまで変化は出ないよね。命の危機ってわけでもなければ、直近で何かが起きる前兆もないんだもの)
糸もダメ、問題への対処方法も似てるからどうしようもない。
瑞希の気持ちに猫の可愛さもその場しのぎになればいいのにな~って状態だし、僕ができることは本当に『見てるだけ』になってしまう。
(ごめん、絵名。猫の手も貸せそうにないよ)
うにゃうにゃ唸ってみても、僕の小さな頭では良さそうな案が出てこなかった。
「マロちゃんも急に唸ったりして、何かあったのかな?」
「上の空って感じね。もしかしてお腹がいっぱいなのかしら」
「にゃうっ!? にゃーっ」
待って待って。
ちゃんと食べることに集中しますから! お皿はそのままでお願いします、食べるんで待ってくださーいっ!
「……こっちは心配いらなかったみたいね」
「ふふ、そうだね。こんなに必死に食べてくれるのなら安心だわ」
「安心ねぇ。マロ、取らないから急がずに食べなさいよ」
愛莉と雫に見られながらもご飯を食べる僕。
微笑ましそうに見てくる2人の視線に気を付けつつ、静かな瑞希と絵名の姿を盗み見た。
(ありゃりゃ、さっきと逆になってるや)
瑞希のことをちらちらと見ている絵名と、表面上はニコニコと嬉しそうにフライドポテトを頬張る瑞希。
今回のお願いは僕も瑞希を見ていてほしいということなので、言葉通りの動きしかできないんだけど……さて、どうなることやら。
(ま、良かった点と言えば瑞希には絵名がいることかもしれないね)
これが奏やまふゆだったら、ぶん殴ってでも止めてやるっていう激しさが不足しているものだから、僕の仕事も増えたかもしれないけれど。
瑞希は人間なのだから、猫のようにはならないさ。
……きっとね。
☆マロ知識
当然のことだが、マロが車の中に乗るのは初めてである。
……上に乗るのはまた、別の話だが。
……
・もあもあジャンプ
ジャンプを使うことはあっても、モアを日常使いすることってない(?)ので、マロも知らなかったみたいです。
そのせいでアイドルなのに『もやもや』してしまうことに……
・瑞希さんの異変
猫的ではない意味で変わってしまうことは、とんでもない危機である。
……と、マロもわかってしまうだけに、現状では強く言えないみたいです。