夢過ぎ去りし跡の世界で転生者が生き抜くクトゥルフ神話 作:カーキtrpg
九智依羅分室に転がり込んだ俺は、そのまま応接スペースへと雪崩れ込んだ。
視線の先には、ソファにふんぞり返りのんきに菓子パンを頬張る元凶の姿があった。
俺は怒りに任せて、半ば八つ当たりのように呪文を叩きつける。
「《消臭》!《消臭》!!《空気浄化》ぁぁぁッ!!」
淡い光が室内に弾け、空気が一瞬だけ澄んだ気がする。
だが当の本人は眉ひとつ動かさない。
むしろ心外だと言わんばかりに、菓子パンをもぐもぐと咀嚼しながら抗議してくる。
「……いったいなんだというんだ小僧、俺は毎日風呂に入っているぞ、そんな汚物のような扱いはされたくない」
魚乃目はそう言って抗議してくるが知ったことか。
こいつのせいで俺は暫く逃げ回らなくてはいけない羽目になったのだ、《火球》であぶられないだけありがたいと思え。
「まだ9時にもなってないぞ、学校はどうしたんだ。さっそくサボるとはいいご身分だな」
その言葉に、こめかみに青筋が浮かぶのを自覚する。
学校から逃げ出す原因の一端を担った男が、よくも言えたものだ。
「お前のせいで学校どころではなくなったんだよ。神尾先生がいきなりおかしくなって、もう授業なんて受けていられる状態じゃなかったんだ」
吐き捨てるように言うと、魚乃目は肩をすくめ首を振る。
「まるで意味が解らん、一体何があったんだ」
俺は深く息を吐き、苛立ちを押し殺しながら説明を始める。
学校で起きた騒ぎを、順を追って吐き出した。
「先生がいきなり潮の匂いがするとか言い出した、それで俺を抱き寄せて匂いを確かめ始めたんだ。それでクラスメイトや他の連中がうるさくてな」
虚華や灯については……まあ、関係ないか。
わざわざ話題に出すことではない、あれを説明し始めたら余計に話がややこしくなる。
「あの時の教室の空気、すごかったぞ。熱気と騒ぎで、もう学校に居続けるなんてできそうもない状態になったんだよ」
言葉にするだけであの教室の騒ぎが蘇る。
あそこまでの混乱は、灯が初めて教室に押し入ってきた時以来だ。
まあそれは些末な問題だ、重要なのは神尾先生の異常行動の原因についてだ。
「明らかにお前がらみだろ」
俺の声に怒気が混じる。
一拍の空白の後、魚乃目は顎に当てた指先で不規則にリズムを刻みながら、こちらをじっと見る。
「……ふむ、確かに俺が原因かもしれんな。だが小僧、神尾の奴は匂いに関しては出汁にしただけだぞ」
「なんだと?」
思わず声が裏返る。
だが、こいつは俺を意に介さず続ける。
「確かに匂いがきっかけなのは間違いないだろう。だがそのあとの行動に関しては、ただ単にお前に構いたがっただけだろうな」
俺は目を丸くする。
つまりあの抱きつきは、神尾先生が潮の匂いに惹かれたわけではなく、ただ俺に干渉したいという純粋な欲求の表れだというのか。
「余計に納得できるか!俺の都合は完全無視じゃないか!」
声が自然と荒くなる。
しかし魚乃目は菓子パンをかじりながら涼しい顔で俺を見下ろすだけだ、その余裕がさらに俺の苛立ちに油を注ぐ。
「小僧、お前だって人のことなんぞ、自分にとって都合がいい時にしか気にしないだろうが。随分暴れているようじゃないか」
呆れたようにため息をついた魚乃目は、今度はシリアルの袋を取り出しさらさらと皿に盛りつけていく、牛乳まで用意しやがった。
「いつまで食ってんだ、ていうかなんで俺のことをそんなに知っているんだ、昨日の今日だぞ」
俺が問い詰めると、魚乃目は牛乳を注ぎながら答える。
「神尾の護衛を始めたときに簡単な聞き込みもさせていたんだよ、お前のこともその時にある程度の情報が集まってたんだ」
そう言って、机の端に積まれていたクリップ留めの紙束を取り上げる。
「これだこれ。お前が帰ってから存在を思い出してな、さっきまで読んでた。驚いたぜ、随分とやんちゃで有名なようじゃないか」
紙束にはクラスの名簿、クラスメイト達に関する聞き込み結果、そして神尾先生の細かい行動メモがびっしりと記されていた。
そこには俺に関する情報も少ないが確かに乗っていた。
魚乃目はわざとらしく一枚を掲げ、読み上げ始める。
「えーと何々、佐伯田 貞久13歳。
淡々とした声音が、やけに腹立たしい。
「常に縫殿 虚華、佐伯田 灯と行動を共にしている。加えて茂歩 一尾を含め、通称『安座等四馬鹿』。校内外での喧嘩騒ぎを頻発。深夜の繁華街での目撃情報多数。両親は資産家の名家で現在海外赴任中、妹と二人で国内に残留――」
そこまで読んだところで魚乃目は一度言葉を切り、書類から視線を上げた。
「大した経歴だな」
「俺のことは別にいいだろ」
俺がそう吐き捨てると、魚乃目は鼻を鳴らす。
「本気で言ってるのか?お前は国のエージェントとして仕事をするんだろ、それなら調査されるにきまっている」
そう言って魚乃目はシリアルを一口すくい、咀嚼しながら続ける。
「まあ安心しろ。この程度のことを問題にする奴なんていない、怪異を相手に仕事をしてくれるのなら国は多少の素行など気にもしないさ」
魚乃目はそう言ってスプーンを動かしてシリアルの山を崩す作業に没頭し始めた。
「少なくとも、お前みたいなのが許されるくらいには逼迫してるってことだな」
俺は相も変らぬ減らず口を叩くが、魚乃目は肩を震わせて静かに笑うだけでシリアルに没頭するのを止めそうにない。
俺は諦めて神尾先生に関する報告書を読み取りにかかる。
(なんだこれ?学校やその周辺での行動は詳しく書かれているが他は真っ白じゃないか)
資料によれば、先生は明らかに監視の存在に気づいていたという。
複数人での尾行にもかかわらず、すべて振り切られたらしい。
「怪異事件に回ってくる人材は無能ばかりなのか?一般人に、それも護衛対象に撒かれるなんてどうなってる」
思わず口から愚痴がこぼれてしまう、言うほど警官たちが役立たずとは思っていない。
だがこの報告書を見るとため息ばかりが出てくる。
「そう言うのはやめてやれ、あいつらはよくやっているよ」
「お前がかばうのかよ、一番先に文句を言う男だと思ったが」
意外だったな、魚乃目は他人の不完全な働きを評価するような人間ではないと思っていたんだが。
「俺だって神尾がただの一般人なら同じことを言ったさ。だがあの娘は違う。普通の警官には荷が重い」
シリアルを片づけた魚乃目は続ける。
「神尾はな、呪文が使えるんだよ。しかも俺よりも数段上の使い手だ」
一瞬、魚乃目が何を言ってるのかわからなかった、先生がこちら側だというのか。
「嘘だろ、今日教室で見てもそんな気配はなかったぞ」
そう、教室で先生は俺の目の前にいたんだ、昨日までと違って先生に神官として高い素質があるのを聞いた状態で見ていたんだぞ。
いくら何でも気づかないはずがない。
「いいや、お前は気づかなかったんだよ。というか、言うほど熱心に神尾のこと調べてなかったろ?」
魚乃目は何でもないように俺の内心を言い当てて見せた。
やっぱりこいつは嫌いだ。
「俺が気づかなかった?」
少しだけ考え、首を振る。
確かにただ素質があるだけなら気づかなかったのもあり得るが、魚乃目は先生が呪文が使えると言ってる。
それなら魔力の質や流れは一般人とはまるで違うものとなっていたはずだ。
あれだけ密着しておいて、それを見逃すはずがない。
「違うな。神尾先生は漏らしていなかっただけだ」
魚乃目が片方の眉を少し上げ、わずかに首をかしげる。
「どう違う」
「いくら隠しても魔術師の魔力は無意識に場の空気にまじる。だが先生にはそれがなかった」
一度口を閉じ、心を落ち着ける。
そして続けて魚乃目に告げた。
「つまり、本当に呪文の使い手なら、魔力を完璧に制御しているってことになる。相当だぞ」
魚乃目が静かに笑う。
「俺より上だと言っただろう?」
まるで自分のことの様に言う魚乃目。
その姿に思わず軽口が出てくる。
「お前を比較対象にしたところでな、ありと像の大きさを比べるようなものだ」
俺の悪い癖だな、煽らずにはいられない。
だが真実でもある。
魚乃目の腕は間違いなく未熟者のそれだ、何度も呪文で探りを入れたんだ、これは間違いない。
その腕前で先生と比較するのはおこがましい。
しかし俺の言葉を聞いた魚乃目は肩を小さくすくめ、目だけでこちらを見返す。
「小僧、勘違いしているようだが俺だってそれなりの腕はあるぞ。変なのは小僧のほうだ」
その言葉に俺の気分はダダ下がりになる。
(魚乃目がそれなりだって?レベルが低すぎだろ)
どうやらこの世界での術師は俺が思っているよりもはるかに下回る水準の様だ。
思わず渋面をする俺を魚乃目がちらりと見る。
「小僧、そんな顔してどうした。別にそんなに嘆く必要もないだろう」
俺は頭を抱えながら言葉を返す。
「認めたくない現実ってやつだ。俺はお前と同じ土俵で争う連中の相手をするのかよ」
言葉にしてもやはり納得できない。
悔しさと、半分呆れた気持ちとが入り混じり、この世界に対する期待が急降下していく。
そんな俺をしり目に、魚乃目は食器をかたずけながら軽く肩をすくめる。
まるで日常の会話の一部のように自然体で、俺の動揺を受け流す
「だから言っただろ、俺から見ればお前は別格だって。お前が強すぎて下の連中が全てチンケに見えるだけだ」
「……ったく、余計に面白くないじゃないか」
俺は頭を振り、視線をそらす。
「そんなこと俺は知らん、つまらんのはお前の勝手だろうが。それより神尾の護衛はちゃんとやれよ」
そうは言っても襲ってくるのが、かつて魚乃目に壊滅させられた連中なら先生に返り討ちにされるのが関の山だろう。
「と言ってもな、自分でことを片付けられる奴を守るのは、ただ面倒なだけだ」
ダゴン救世団がもっと強ければまだやる気も湧くのに、寄せ集めの残党相手ではどうにも心が動かない。
よほど大勢で襲わない限り先生は何とでもしてしまうだろう。
そして、そんな大人数で襲うのを見過ごすようなら、警察も間抜けすぎる。
こんな状況では護衛に対する熱意など湧きようがない。
そもそも、俺はしばらくの間先生には近づきたくないのだ。
教室で起きた状況が外でもおきたら最悪だ。
近所の噂はしばらく、間違いなく俺と先生のことでいっぱいになるだろう。
さらに、そんな膨れ上がった根も葉もない噂が虚華と灯の耳に入った日を想像するだけで頭が痛い。
結末は目に見えている、俺が二人にしばきまわされるのだ。
その時、魚乃目のスマホが着信を告げる着信音を鳴らした。
電子音が静かな応接室に響き渡り、魚乃目はスマホを手に取り通話を開始した
そして相手の声に耳を傾けると、すぐに大きくため息をつく。
「まだ時間じゃないといったのに、来やがったか」
その呟きに、俺は思わず顔を上げた。
「……なに?」
魚乃目はスマホを耳に当てたまま、淡々と続ける。
「実は小僧を、この九智依羅分室に配属されている連中と顔合わせをしようと思ってな。それで日程を調整してたんだが……」
一拍置き、露骨に嫌そうな声になる。
「お前が今ここにいると聞いて、一人だけ無視して来やがった」
そのまま短く何かを言い、通話を切る。
スマホを手にしたまま、魚乃目は大きく舌打ちした。
「普段は分室に碌に顔を出しやがらねえくせに、たかる相手が出来たと思ったらこれか」
吐き捨てるように言うと、スマホをソファに放り投げた。
「……俺は今来たばっかだぞ、その相手はなんで俺がいると知ったんだ」
「昨日のことはすでに分室の連中には連絡してある。それを聞いて、ビルの来客対応の職員に小僧が来たら連絡しろと頼んでやがったらしい」
魚乃目は苛立ちを隠さず続ける。
「何よりも腹立たしいのは、そのことを臆面もなく通話で言ってきた職員連中だ。分室の情報は本人の許可を取ってから話すのがルールだというのに、あいつらときたら」
「俺は気にしてないさ、それよりその相手はもう来てるんだな?」
魚乃目は一瞬だけこちらを見て、ため息をつきながら言った。
「……ああ、ついさっきエレベーターに乗ってこっちに向かってるらしい。もう来るぞ」
魚乃目が言い終わると同時に部屋のドアが開いた。
遠慮なく入ってきたのは、意外なことに子供――いや、幼女だった。
身長は一三〇センチにも届かない、小学校低学年くらいだろう。
だが、その姿はどこか普通ではなかった。
髪と瞳は宝石のように鮮やかな色をしている。
光を受けてきらりと輝くその色は、どこか現実味が薄い。
そして何より目を引いたのは、背中に背負った武器だ。
幼い身体には明らかに不釣り合いな巨大なグレートソード。
おもちゃではない、本物だ。
だが少女は、その重量など感じさせない様子で平然と歩いてくる。
足取りは落ち着いていて、妙に堂々としている。
その姿からは匂いこそしないが、血の空気を感じた。
暴力に慣れきった人間特有の、危険な落ち着きだ。
その姿を見た瞬間、俺は妙な感覚を覚えた。
(あれ?)
胸の奥に、小さな違和感が引っかかる。
(どこかで……見たことがある?)
いや、初対面のはずだ。
流石にこんな目立つ外見の子供はあっていたら忘れないだろう。
それでも、この幼女の姿には妙な既視感があった。
俺が記憶を探っていると、幼女の透き通った瞳がこちらを捉えた。
少女は俺の前でぴたりと立ち止まり、腕を組む。
そして、静かに口を開いた。
「お腹が空きました」
ズルッ。
その言葉を聞いた瞬間、俺はソファからずり落ちてしまった。
「俺が奢れってのか」
魚乃目はたかる相手が出来たから来ると言っていたが、なるほど。
こういうことか。
少女はさらに一歩近づき、真剣な顔で言った。
「お腹が空きました。ご飯をたくさん食べたいです」
完全に催促だった。
その姿を見ながら、俺は首をひねる。
やはり俺はどこかで見たことがある気がした。
どこでだ?
思い出せない。
「わかった、それならビルの近くにファミレスがあったからそこで好きなだけ食わせてやるよ」
俺がそう言うと幼女は満足したのか目尻を下げ、すぐに行こうとこちらを手招きする。
「ありがとうございます。貞久はいい人です」
「俺の名前を知ってんのか、魚乃目少しは遠慮しろよ」
あっさりと人の情報を広めた魚乃目をにらむが、奴は肩をすくめて何も言ってこない。
いや、言わんとすることはわかる。
あいつの顔は、「いいからその幼女を連れてファミレスに行ってこい」と言っている顔だ。
俺が魚乃目をにらんでいると幼女が俺の袖をつかんで引っ張ってきた。
「貞久、早く行きましょう」
「おっと。そんな引っ張らないでくれ。え~と……」
「私はソリア スーリア。ソリアと呼んでください」
「わかったソリア。行こうか、……ソリア?」
「?」
俺の疑問の声にソリアは首をかしげる。
だが、その姿が目に留まらない程の衝撃を俺は今受けていた。
ソリア スーリア。
ガープスリプレイ小説出身のキャラクター。
本来地球ではない異世界で活躍した存在。
目の前の幼女を見て、俺は自分を転生させた女の作為を感じた。
(まさか、他のリプレイキャラクターもいるのか?)
いや、いると考えるべきだろう。
わざわざソリア一人だけ、この世界に配置する理由がない。
少なくとも「英知の箱」のメンバーはいるはずだ。
目の前のソリアが、あの世界のソリアと同一人物かどうかは分からない。
だが、俺の感覚は本人だと訴えている。
なぜならソリアからは、次元転移の匂い――《異次元移動》の呪文の残り香が感じられるからだ。
あの女が仕組んだに違いない。
「貞久」
不意に呼ばれ、思考が引き戻された。
ソリアは少し眉をつり上げている。
「私はもう、暴れそうです」
「待て待て待て!」
俺は慌てて手を振った。
「行くから!ほら行こう!」
俺が立ち止まって考え込んでいたのが気に入らなかったのだろう。
背中の剣の柄に手をかけ、もう片方の手で俺を急かしてきた。
流石にこんなくだらないことで暴れるのは俺でも嫌だ。
俺は慌てて部屋を飛び出した。
袖を引っ張るソリアを連れ、エレベーターへ向かう。
目指す先は、ビルの近くのファミレスだ。