夢過ぎ去りし跡の世界で転生者が生き抜くクトゥルフ神話   作:カーキtrpg

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他者視点 10話幕間

 ――シモン クオンタール――

 

 「……シモン。いつまでその陰気な顔で、貞久を見ているのですか」

 

 ソリアの呆れたような声が、焼肉の煙越しに響く。

 安物の焼肉店。

 油の跳ねる音があちこちから響き、肉の煙が漂うその空間に三人はいた。

 彼女は新しくできた「相棒」が焼いた肉を、実に満足げに胃袋へと流し込んでいた。

 

 シモン クオンタールは、グラスの中の水を揺らし、目の前の少年を睨み据えた。

 佐伯田貞久。

 魚乃目から『あれは別格だ』と聞かされてはいたが、実際に見るそれは、想像の範疇を遥かに超えていた。

 この世界の魔導師には、その術者の格に応じた世界共通の通称、『位階』というのが送られるのが通例だという。

 転移して日本に来たシモンも例外ではなく、日本政府から『生命』の位階を贈られていた。

 マナを生命力として定着させ、傷を癒やし身体能力を底上げする領域に至った者の位階。

 魔導師として生きていくには十分すぎる、輝ける命の証明だ。

 

 だが、目の前の子供はどうだ。

 シモンが捉える目の前にあるマナの奔流は、肉体や生命といった次元に留まっていない。

 この子供の身体に流れるマナに、シモンは宙の端くれを垣間見た。

 

 「ソリア。お前、よくこんなやつを相棒にしたな」

 

 シモンのある種の呆れたような声にソリアは怪訝そうに眉を寄せた。

 

 「何がですか? 強いですし、便利ですよ」

 

 分かっていない。

 ソリアは、隣にいる奴があのフィリ セイスに匹敵しかねない怪物だということに気づいていないのだ。

 しかもこの子供は、正常な肉体を保ったままこれほどの魔法の素質を得ているのだ、このような魔導師はリベール王国でも見たことがない。

 

 「……そこじゃない」

 

 シモンは力なく水を飲み干した。

 ソリアにとってはただの使い勝手のいい魔導師なのかもしれないが、シモンにはいつ爆発するかわからない核爆弾が隣に座っているようなものだ。

 

 「……こいつの横にいて、よく心臓が止まらないな。俺なら、こいつの指先が動くたびに生命保険の額を確認するぞ」

 「失礼な。貞久は気が利きます。肉の焼き加減も完璧です」

 「話が噛み合わなすぎる……」

 

 シモンはこめかみを押さえた。

 ソリアの言う『気が利く』だの『焼き加減』だのといった瑣末な事象を気にする余裕はない。

 

 「おい、貞久と言ったか」

 

 シモンは努めて冷静な声を出し、網の上の肉を引っくり返している少年に声をかけた。

 

 「あん? どうした」

 

 貞久は至って平然と、小生意気な顔でシモンを見返した。

 その瞳の奥にある、魔力の奔流が渦巻く魂の中心点に、一切の淀みがないマナの深淵を見た。

 シモンは反射的に身体を強張らせ、自らの心臓が警告音のように激しく拍動するのを感じた。

 

 「いや、なんでもない」

 

 シモンは諦めたように、再びグラスを煽った。

 

 「なんだよ。……俺の顔になんか付いてんのか?」

 

 貞久が冷めた視線をシモンに向ける。

 だが、その視線に構っていられる気持ちではもはやなかった。

 

 (魚乃目の野郎、『別格』なんて言葉で済ませやがって)

 

 それは強いとか弱いなんて次元の話じゃない。

 シモンが器を必死に磨き、マナを注いでいるバケツだとしたら、貞久はマナを湛えた海そのものが、無理やり人の形に押し込められているようなものだ。

 こんな自走式核爆弾を、こともあろうに焼肉屋で肉を焼く係に任命しているソリアは、一体どういう神経をしているんだ。

 

 「おい、シモン。箸を動かさないままで、さっきから肉を睨みすぎだ。それともお前は焦げた炭を食う趣味でもあるのか?」

 

 貞久がトングの先で、カチカチと音を立てて網の肉を指す。

 

 「……悪い。少し、考え事をしていた」

 「考え事ねえ。まあ、ソリアの食欲を計算してんなら無駄だぞ。こいつの胃袋は体重を気にしない、底なしの大食いだからな」

 「貞久。それは乙女に対して失礼です」

 「乙女? 食欲魔人の間違いじゃないか? ……イタッ! 悪い、謝るから!」

 「殴ります、私の気が済むまでサンドバックです。ポカッ」

 

 (……もう、好きにしてくれ)

 ふざけ合う二人を眺めながら、シモンは思考を放棄した。

 目の前で元の世界なら最強クラスだろう魔導師が、子供のような口喧嘩をして、安物の肉に一喜一憂している。

 この光景こそが、この異世界の最先端なのだとシモンは自分を納得させることにした。

 

 

 

 

――魚乃目 鉄造――

 

 安座等県警本部の怪異部の一角。

 岩木竹に呼ばれて来た魚乃目は、目の前の岩木竹(クソ野郎)に呪文を打ち込みたい衝動に必死に耐えていた。

 

 「魚乃目。なんだこの報告書は? これが通用すると思っているなら、私はお前を買いかぶっていたようだな」

 

 魚乃目からダゴン救世団の制圧時の報告書を受け取った岩木竹は、そう言って続けていった。

 

 「いやまったく、こんなぺら紙一枚で済むのなら私の業務も随分と簡単なものなのだがな、残念なことにそうではないのでね」

 

 (そもそもこの件の発端はお前の勇み足が原因だろうが!)

 現場の指揮官は自分だったはずだ。

 それなのに、岩木竹が自分の頭越しに勝手な指示を飛ばし、ダゴン救世団の壊滅を目論んだおかげで収拾がつかなくなった。

 そのせいで本部長から事態の迅速な収拾を命じられた岩木竹は『適切に処理しました』と体裁を整えるための尻拭いをすることになったのだが、なぜか自分もまきこまれた。

 (本部長から詰められたからって、手柄を焦った奴がどうこう言う筋合いじゃねえだろうが!)

 心の中でありったけの罵倒を叩きつけるが、ここでキレて投げ出せば、結局このぺら紙が正式な書類として受理されず、いつまでもこの事務地獄から抜け出せない。

 魚乃目は必死に理性を繋ぎ止めて口を開いた。

 

 「あのな岩木竹。言っとくが俺にはお前に対する報告義務なんてねえんだぞ。こうやって足を運んでやってるだけありがたいと思え」

 「確かにわざわざ来てもらったのはありがたいが、それとこれは別の話だろう。このぺら紙を出すつもりなのか魚乃目?」

 「俺に事務仕事を求めるのがそもそも間違ってるんだよ。文句があるならお前が上手くやればいいだろうが」

 

 そもそもこの報告書を書く羽目になったのは岩木竹のせいなのだから、魚乃目が四苦八苦する義理はない。

 

 「わかっていないようだな、今回の事件では私が現場につく前にお前が全てを終わらせたのだぞ。なら現場の報告は魚乃目がするほかないだろう?」

 「俺が連れて行った警官たちからの報告から作ればいいだろうが」

 

 魚乃目は普段の事務処理でさえまともにやっていないのだ、それなのに岩木竹の先走りの後始末の仕事ではやる気が起きないのだ。

 

 「……いいか、岩木竹。お前が勝手に越権行為に及んで、指揮系統を引っかき回したんだ。そのおかげで本部長から『最後まで自分でやれ』と釘を刺されたんだろう? 自業自得だ」

 

 魚乃目は、机の上に放り出された一枚の報告書を指先で弾いた。

 

 「現場に援軍にいったのは俺と、俺が連れて行った連中だけだ。お前は現場に一歩も踏み込んでねえ。なのに、なんで俺がお前の後始末のために、懇切丁寧に中身を埋めてやらなきゃならないんだ?」

 

 岩木竹の顔が、わずかに引きつる。

 彼は、自分が現場に乗り込んで全てを掌握するつもりだった。

 だが、ソリアが彼ではなく魚乃目に作戦の経過連絡をした結果、すべてが終わった。

 彼が慌てて到着した頃にはダゴン救世団安座等支部は既に沈黙し、魚乃目が手配した警官による後片付けの最中だったのだ。

 現在、岩木竹の手元には自分が主導した作戦という建前と、中身が空っぽの事実しかない。

 

 「お前の言うことはもっともだ魚乃目、だが現場を見ていない私に報告が書けるはずがないだろう。このぺら紙一枚で、本部長が納得すると本気で思っているのか?」

 「知るかよ。そんなもん、部下の報告書を適当にツギハギすりゃいいだろ。お前、そういうの得意じゃないか」

 「……出来るわけないだろう。これは公文書だぞ」

 

 岩木竹が頭を抱える、その姿には明らかな焦りがある。

 本部長からは『お前のしでかした結果だ、最後までやらせてやるから責任を持て』と厳命されている。

 しかし、魚乃目からの情報がなければ、岩木竹は「いつ、どこで、誰が、なにを、どのように」という肝心の内容を一行も書けないのだ。

 ソリアたちから話を聞ければ別なのだが、二人が自分をまともに相手にしないことは、岩木竹自身が一番よく分かっていた。

 

 「……わかった、ではこうしよう。私が部下たちの報告を基に叩き台を作る、お前はその報告書を見て細かいところの修正をしてくれ。これならそれほど手間がかかるわけではないだろう」

 「最初からそう言やあいいんだよ」

 

 魚乃目は岩木竹の妥協案に、鼻を鳴らして応じた。

 依然として腹の虫は収まらないが、これ以上この男と押し問答を続けても時間の無駄だ。

 何より、このままではいつまで経っても怪異部の一角から解放されないのだ。

 

 話が終わった魚乃目は岩木竹のデスクを背にして歩き出した。

 背後からは、岩木竹が焦りを紛らわすように書類を束ねる乾いた音が響いている。

 魚乃目は廊下に出ると、大きく一つ息を吐いた。

 

 「……修正、ね。適当に赤ペン入れて返してやるよ」

 

 エレベーターを待ちながら、魚乃目はポケットから煙草を取り出そうとして、ここが禁煙であることを思い出し、忌々しげに手を引っ込めた。

 

 「ったく、どいつもこいつも……。次はねえぞ、岩木竹」

 

 チン、という電子音と共に開いたエレベーターに乗り込む。

 閉まりゆく扉の隙間から見えた怪異部のフロアは、まるで底なし沼のように淀んで見えた。

 報告書の修正という最終決戦はまだ残っているが、ひとまずはこの息苦しい空間からおさらばだ。

 魚乃目は無意識に首を鳴らし、馴染みの酒場のことでも考えようと意識を切り替えた。

 

 

 

 

 

――メイベル――  イースリー中心街 神機本局にて

 

 「ですから、みなさんがどこにいったのかと聞いているのです!」

 

 メイベルの声が、神機局の冷たい石造りの廊下に鋭く響いた。

 

 「そ、その件につきましては、いまだ全容が掴めておらず。今現在、鋭意調査中でして……」

 「なにが調査中ですか! ここのところ何の調査もしていないのはわたくしの耳にも届いているのですよ!」

 

 ある日、突如として「英知の箱」の面々が行方不明になった。

 メイベルは即座に神機局へ働きかけ、捜査を要請したが返ってくるのは型通りの空虚な報告ばかり。

 募りに募った焦燥が、ついに限界を超えたのだ。

 

 「わたくしが何も知らないとでも思っているなら、それは間違いでしてよ。何も分かっていないと言うのなら、なぜ神機局局長自らがこの件に箝口令を敷いたのです? 説明していただきましょうか」

 

 メイベルの鋭い指摘に、対応していた局員の顔からさっと血の気が引いていくのが見て取れた。

 

「そ、それは……。箝口令などという話はとんと心当たりがないです、一体そんな話をどこでお聞きに……」

「とぼけないでくださいまし! 局内の風通しが良すぎるのか、あるいはわたくしの協力者が優秀なのか……。どちらにせよ、隠し通せるとは思わないことですわ」

 

 メイベルがさらに追及の手を強めようとした、その時だった。

 

 「そこまでにしていただきましょうか、メイベル嬢」

 

 廊下の奥から響いた重厚な声に、メイベルは不快げに眉を寄せた。

 現れたのは、「英知の箱」失踪事件の捜査指揮を執る責任者であった。

 

 「あら、ようやくお出ましですわね」

 「若い局員を苛めても、望む答えは出てきませんよ。この件は既に局長の預かりとなっています。もはや、我々の手の届くところではないのです」

 「局長の預かり……。それはつまり、神機局が捜査を放棄したと公言するのと同じではなくて?」

 「それは誤解です、軽々に動けない事態だということが判明した、というだけのことです」

 「軽々に動けない事態……? それは一体、どういう意味ですの」

 

 メイベルの声が、わずかに低く沈んだ。

 局員たちを追い詰めていた時のような激越な響きはない。

 代わりに、相手の言葉の裏にある何かを逃さんとする、鋭利な静寂がその場を支配した。

 

 メイベルの視線に射抜かれた職員は、観念したように短く息を吐いて、周囲の局員たちに目配せをしてその場を去らせた。

 廊下には、メイベルと職員の二人だけが残された。

 

 「……メイベル嬢、あなたは少々、動きすぎですな」

 

 指揮官は声を潜め、重い口を開いた。

 

 「英知の箱が消えたのは、ただの失踪ではなかったのです。調査の結果、『禁呪』が関わっているのが判明したのです、それも遺失魔法がらみの」

 

「禁呪、それも遺失魔法ですって?」

 

 メイベルの眉が、わずかに跳ね上がった。

 この世界において遺失魔法とは、単なる強力な魔法のことではない。

 世界の理を歪め、存在そのものが歴史の彼方へと消えていった、もはや古い伝承でしか語られない魔法の総称だ。

 

 「冗談を仰らないで。そんなお伽噺、今の時代に持ち出して何を誤魔化そうというのです?」

 「お伽噺であれば、我々もこれほど頭を抱えはしませんよ。現場に残されていた残留マガを解析した結果、局長は一つの結論を下したのです。遺失魔法、《異次元移動》だと」

 「《異次元移動》ですって? ふざけないでくださいまし。お伽噺どころか神話のそれではないですか。マイヤーたちがそんな呪文を使えるとでも?」

 「メイベル嬢、言葉を選ばずに申し上げれば、彼らが自らそれを行ったとは、我々も考えておりません」

 

 職員の眼差しが、さらに一段と暗さを増した。

 彼は周囲を警戒するように一度視線を走らせると、メイベルにだけ聞こえるほどの囁き声で続けた。

 

 「これは局長直々の調査によって明らかになったのですが、現場となった彼らの拠点に残っていたマガの痕跡は、世界の外側から引きずり込まれた痕跡だったというのです。……強制的な次元転移の跡だったということです」

 

 メイベルの指先が、微かに震えた。

 もし、それが事実なら。

 彼らは何者かによって、この次元そのものから排除されたことになる。

 

 「強制的な、次元転移……。誰が、何のためにそんなことを……」

 

 メイベルの脳裏に、いつも騒がしくも活気に満ちていた「英知の箱」の光景が浮かんだ。

 社長のマイヤー、そして仲間たち。

 彼らが跡形もなく、世界の理の外へと放り出されたという事実はあまりにも非現実的で、それでいて冷徹な重みを持って彼女にのしかかった。

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