夢過ぎ去りし跡の世界で転生者が生き抜くクトゥルフ神話 作:カーキtrpg
――リベール王国 王都イースリー 南区 白猫の髭――
王都南区の一角にそびえ立つ、赤レンガ造りの近代的な八階建てビル。
ワンフロアあたり百八十坪はあろうかというその真新しいオフィスビルの二階に、運送系血社「白猫の髭」の事務所は入っていた。
俺が普段ねぐらにしている「英知の箱」は、各階五十坪ほどの古臭い建物だ。
地下に倉庫、一階に事務所、二階に住居を構えた職住一体の典型的な中世のタウンハウス。
それに比べるとこの「白猫の髭」の事務所はまるで別世界のように垢抜けていて、手間暇のかかった内装は、いかにも「文明の最先端」を気取っている。
もっとも、あくまで「英知の箱」と比べれば、の話でしかないがな。
この程度で圧倒されてくれるのは農村からの出稼ぎ労働者か、さもなくば辺境都市から出てきたばかりの人間くらいのものだ。
本物の王都の最先端を知っている者からすれば、これ見よがしでかえって安っぽく映るだろう。
ましてや、現代日本の超高層ビルや多様な内装を見慣れた俺からすれば「ふーん、まあモダンな雰囲気でいいんじゃね」くらいの感想しか浮かばない。
そんな見かけ倒しの空間で俺は応接スペースの安楽椅子に深く腰掛け、対面に座る窓口の男にじわじわと圧力をかけていた。
男の額からはじっとりと汗が滲み出ている。
「それで、これは一体どういうことかご説明いただけるんでしょうね。『白猫の髭』さん」
俺が(極めて珍しいことに)丁寧な口調で静かに問い詰めると男はビクッと肩を揺らしてその汗を拭った。
「いや、その……今回の件に関しましては、弊社といたしましても、まさに寝耳に水のことでして……」
「ほー。だからこちらに言うことなど何もない、と?」
「ご、誤解です! 弊社として確認できている事実に関しましては、すべて包み隠さず開示しております!」
「『担当者が不在でわからない』が説明になると? いやはやずいぶんと面白い冗談ですね。……面白いですが私も『何もわかりませんでした』なんて子供の使いのような報告を持って帰るわけにはいかないんですよ。少なくとも魔法具店のロディ店主にはある程度の進捗は届けないといけないんでね。『土竜の脚』からは『白猫の髭』がロディ魔法具店への運送を引き受けたと聞いています。彼らのご厚意で、運送代金の領収書も、御社が確かに荷物を受け取ったという証明書類も、すべてこの目で確認させてもらいました。……この期に及んで『白猫の髭』さんだけに知らぬ存ぜぬをされては『土竜の脚』の方々もさすがに面白くは思わないでしょうね」
「し、知らぬ存ぜぬなどと、そんなことでは……」
哀れなほどに男の声が裏返る。
これ以上言い逃れをすれば、他社との信頼関係まで致命的に破綻する。
そんな恐怖が男の表情にありありと浮かんでいた。
「なら、情報提供にご協力願えますね?」
「は、はい。承知いたしました……」
これ以上余計な手間をかけるんじゃねえ、とばかりに視線で畳みかける。
そんな視線にがっくりと肩を落とした男は、絞り出すような声でそう答えるしかなかった。
「くそがっ! 勿体ぶりやがって馬鹿どもが!」
「白猫の髭」の事務所が入るオフィスビルを出るなり、俺は吐き捨てるように毒づいた。
せっかく時間を割いて窓口の男を脅し上げて情報を引き出したというのに、そのリターンがこれでは割に合わなさすぎる。
「随分とご機嫌が悪い様子でありますね、貞久殿。中の様子までは伺えませんでしたが、『白猫の髭』の皆様と何かあったので?」
不意に背後から少しからかうような、そしてどこか楽しげな鈴の鳴るような声が降ってきた。
振り返らなくてもわかる。
いつの間にか俺の後ろに音もなく並んで歩いていたエミリーだ。
相変わらず、ひまわりめいた無駄に明るい笑顔を浮かべてこちらを覗き込んできている。
「ああ?! 機嫌が悪いだあ?! そりゃあ悪くもなるさ! 白猫のクソカスどもめ、大したことない三流血社のくせに大手を気取っている暇があるなら、とっとと情報を出せばいいんだよ! 無駄に出し渋りやがって!」
俺が本気で苛立ちを露わにして声を荒らげると、エミリーは「おっとっと」と小さく両手を挙げておどけてみせた。
その態度がまた少し癪に触る。
「そのうえ、あいつらあそこまで勿体ぶっておきながら肝心の有力な情報はこれっぽっちも持ってやがらねえときた! あんな無能どもの相手をさせられたこっちの身にもなってみろ!」
あまりの徒労感に、俺は自分の髪を乱暴に掻きむしった。
「なるほど、お怒りの理由はよく分かりました。……それで、結局何もわからなかったと言うことでありますか?」
「……荷物を受け取りに行ったのは、ベンって名前の社員だそうだ。そいつが『土竜の脚』に死霊系の魔原石を受け取りに行ったきり、そのままバックくれたんだとよ」
「行方不明ということですか? ……あれ? それなら警察に届けてあると思うのですが。血社の社員が荷物を持ったまま行方不明なんて、普通ならすぐに神機局にまで回ってくる事件ですよ? それなのに、私はそんな報告を聞いたことがないです」
「事件性がなさそうだから通報しなかったんだとよ、ふざけやがって!」
「えーと、つまり『白猫の髭』は、そのベンさんという方を『何者かに誘拐された』とかではなく、『荷物を盗んで逃亡した』と判断した、と言ったのでありますか?」
エミリーが人差し指を顎に当て、不思議そうに首を傾げる。
そう、あいつらはそのベンとかいう社員がただの「荷物の横領」で消えたと思い、なんとかその醜聞をよそに漏らさないように身内で揉み消そうと動いていたのだ。
「聞いたところ、ベンはギャンブル好きで賭場に三日と開けずに顔を出すような奴らしい。賭場で作った借金の返済にあちこちから金を借りていたそうだ」
「なるほど、彼らはベンさんがついに首が回らなくなって荷物を持って逃げたと考えたんですね」
「そういうことだ。念のため俺も《方向探知》で探ってみたが抵抗された、本人がやったかは知らんが少なくとも明確に逃げを売ってやがる。だが、これじゃロディの爺さんへの進捗報告としては、あまりに中身が薄すぎるんだよな。あーあ、めんどくせえ……。結局、俺がその消えたベンって奴の足跡を直接洗う羽目になりそうだな」
俺は深いため息をつきながら、王都のどんよりとした空を見上げた。
ベンが逃げた動機は、おそらく賭場で作った借金で間違いないだろう。
もしもそいつが金に困った挙げ句、目先の欲に目が眩んで一人でドロンしただけなら話は簡単だ。
魔導師とはいえ、素人の逃亡劇なんて行き着く先は決まっている。
どこかの安宿か郊外のスラムにでも転がっているところを探し出し、俺がぶちのめしてやればそれで済む。
だが、問題は「裏」があるケースだ。
もしもベンの逃亡を手助けした奴がいるとしたら、一気に面倒なことになる。
そもそも、ベンが持ち逃げしたのはただの金目の物じゃない。
「死霊系の魔原石」だ。
この手のブツはその性質上、入手経路が極端に制限されている。
まともな市場に出回ることはまずないし、確かな信用がある人物でなければ売買はおろか所持することさえ法律で厳しく規制されている代物だ。
欲しくても手に入らない連中なんて腐るほどいる。
つまり、金に困って首が回らなくなったベンをその魔原石欲しさに唆した黒幕がいる可能性が高い。
「借金を帳消しにしてやるから、その荷物を持って指定の場所へ来い」、そんな甘い言葉でベンを操り、お目当ての魔原石を安全に確保しようとしている奴が裏で糸を引いているのだとしたらさっき俺の探知呪文が弾かれたことにも説明がつく。
――もっとも、それでさえ面倒で済む範囲でしかない。
おもしろっ、いやいや、最悪なのはシシャが絡んでいた場合だ。
いや、このきな臭さは間違いなくシシャの仕業だろう。
奴らが《死人使い》の方具を量産するために、なりふり構わず死霊系の魔原石を集めているのだと考えれば、すべての辻褄が合ってしまう。
「おい、エミリー」
「はい、何でありましょう?」
隣を歩くエミリーに声をかけると、彼女はすぐに小首を傾げてこちらを見た。
「今の死霊系の魔原石の市場価格はどうなってる? 他の魔原石と違い死霊系だけは会員制の専門市場でしか売買されないから俺じゃ調べようがないんだが」
「死霊系ですか? 今朝の初値は400マギスですね」
「400だと? なんでそんなに高騰しているんだ」
思わず足が止まった。
「神機局でも調査中であります」
いつものおどけた調子を少しだけ潜め、エミリーは真面目な顔でそう返してきた。
400マギス。
異常な数字だ。
裏で何かが確実に動いている。
「常の魔原石の値段なんてせいぜい200だぞ。よっぽど高騰しても300を超えるか超えないかが相場だ。ましてや需要があっても売り先が限られる死霊系でこの値段は暴騰と言っていいレベルだぞ」
「そのとおりであります。魔原石の価格が、それも市場の初値で400マギスを超えるなど異常です。もっとも、例がないわけではありませんが」
エミリーの言葉に、俺の脳裏に半年前の記憶がよみがえる。
「……半年前に火霊系と地霊系の魔原石が400マギスを超えていったな、だがあれはシシャが『朱塗りの爪』を利用して買い占めたからだ」
「ですので神機局はいま局員を総動員して事態の把握に努めてるであります。私が貞久殿につけられたのもそれだけ我々がこの件を重要視していると思ってもらえれば」
「やはり、《死人使い》の方具の材料の出どころはそこか」
「少なくとも神機局はそう考えています」
こうなると、ベンの持ち逃げをただの借金苦による凶行と考えるべきじゃないな。
「ベンなんて小物、相手するのも時間の無駄だな。……こういうのありにすると詰まんないんだが、スラムを走り回るよりましか」
「貞久殿?」
怪訝そうに首を傾げるエミリーを余所に、俺は意識を切り替える。
ここは手っ取り早く、奥の手を使わせてもらう。
「《
――リベール王国 王都イースリー 神機局――
「――それで、そのベンとやらは受け取った魔原石を『朱塗りの爪』の下部組織に売りつけた後、その下部組織の違法方具を売りさばく売人になっていたと」
「さすがに顔も変えずに堂々と酒場で管を巻いてたのを見た時には呆れたね。スラムだからって見逃されるわけないだろうに」
俺がやれやれと首を振ると、報告を聞いていたフィリは呆れたような声色で溜め息をついた。
「それで、あなたがやったことが『酒場を丸ごと一つ吹き飛ばし、周囲の民間人十数名に重軽傷を負わせた』のですか? ベンという売人に至っては、いまや虫の息だと聞いていますよ」
「おいおい、人聞きが悪いな。最低限の治療はしてやったさ。ベンだって死んじゃいねえだろ? それに酒場だってただの飲食店じゃなくて、違法方具売買の斡旋所だったんだ。民間人って言っても、どいつもこいつも下部組織の準構成員かゴロツキの類だぞ。第一、あいつらは逃げようとして素直にお縄にかかる気がさらさらなかったんだ。俺は悪くねえ」
「ふふ、別に責めているわけではありませんよ。ただ、次からはもう少し考えていただければ助かるのですが」
「それは相手が素直につかまってくれるか次第だな」
俺は鼻で笑い、ふんぞり返るようにして応じた。
「大体、身内の恥を隠蔽しようとしていた『白猫の髭』に比べて、俺は横領犯のベンを引っ捕らえて、ついでに違法方具の流通経路を一つ叩き潰したんだぞ。神機局としても、むしろ俺に感謝として何かくれてもいいくらいじゃないか?」
「そうですね、では私の笑顔などはいかがでしょう?」
そう言ってフィリは、両手の人差し指で自分の両頬をニイッと持ち上げてみせた。
世界最強の魔導師と謳われる女が一体何をやってるんだ。
お茶目なつもりか知らんが、その感情の浮かばない整った顔立ちと、内側から溢れ出るような底知れない魔力のプレッシャーのせいでコミカルというよりは一種のホラーになっている。
見ていて背筋が寒くなる類のシロモノだ。
「……結構だ。そんな安上がりなもので俺の労働力を買い叩こうなんて、神機局の局長様も随分とケチなことで」
俺は心底嫌そうな顔を隠そうともせず、ふん、と鼻を鳴らした。
「貞久くん! なら私はどうかな?!」
そんなホラー空間に、これまた場の空気を読まないアホな声が割り込んできた。
見れば、フィリの真似をして同じように自分の頬を指で引っ張り、期待に満ちた目でこちらを覗き込んでいるクララの姿がある。
「ペッ」
間髪入れず、俺は盛大な舌打ちとともにエア唾を吐き捨ててやった。
「ヒィン!」
俺の拒絶を食らったクララは、まるで大型犬が鼻先を叩かれたような情けない悲鳴をあげてその場にへたり込んだ。
いちいち大袈裟だなお前は。
フィリに続いてふざけはじめたクララには容赦なく現実を突きつけてやったが、これで完全にオフィスの中は脱線ムードだ。
俺は乱暴に頭を掻きむしり、未だに指でニイッと頬を持ち上げたままの局長様へ軌道修正のための冷ややかな視線を突き刺した。
バイオテックの発展経路(Biotech Development Pathways)
『GURPS Ultra-Tech』に記載されているUltra-Techの発展経路と同様に、バイオテックもまた、いくつかの異なる速度で、かつ別の方向性へと発展していく可能性がある。
他のテクノロジーにも増して、バイオテックは技術的な困難と同じくらい――いや、それ以上に――世論や倫理的懸念、宗教的非難、そして法的規制によって発展を阻まれやすい。
バイオテックを扱うキャンペーン設定は、異なる分野における発展のペースや、その差異が生じた理由の「ノブをひねって微調整する」ことで、様々な形にカスタマイズすることができる。技術的に克服できない困難があるためにクローン人間が存在しない世界は、クローン人間が実現可能であると実証されているものの法的に禁止されている世界とは、大きく異なるのである。
スロー・ナノテック(Slow Nanotech)
生物学的なウェット・ナノテクノロジーの発展が予想以上に困難であるか、あるいは社会的圧力によって阻まれている設定。
これにより、医療用ナノボットに依存する技術の発展が遅れ、生物ロボットの発明が不可能になる。
変異人類の種族は生殖系列の遺伝子組換え技術によって作成されなければならず、一方で診断用ナノ技術、ナノウイルス、バイオジェネシスといった技術は、存在しないか、実験段階に留まるか、あるいは違法となる。
スロー・ジエンジニアリング[遺伝子工学の停滞](Slow Gengineering)
遺伝子組換え技術が、理論的な、あるいは社会から課された大きな障害に突き当たると仮定する設定。
これにより、人間のクローンの生成、組織工学によるインプラントや生体改造、そして遺伝子的にアップグレードまたは変更された変異人類種族の作成が制限される。
ヒトゲノムへの生殖系列の改変は存在しないか稀なものとなり、遭遇する変異ヒューマノイドはすべてバイロイドとなる。
過酷な環境に入植可能なパラヒューマン(亜人類)種族が欠けている分を、バイオジェネシスやバイオガジェットによるアイテムが補う可能性があり、それゆえに変異人類が生存するためにはこれらのテクノロジーに依存せざるを得なくなる。