夢過ぎ去りし跡の世界で転生者が生き抜くクトゥルフ神話 作:カーキtrpg
――リベール王国 王都イースリー 中央区――
「……すみません。いま、なんと?」
神機局局長室。
書類の山に囲まれたデスクの後ろで、フィリはピタリとペンを止めて眼前に立つ男を仰ぎ見た。
対するマイヤーは頭をガシガシと激しく掻きむしっていた。
エミリーの激しい癇癪を命からがら受け流し、逃げるようにここへ駆け込んできた疲弊がその荒い所作に滲み出ていた。
「だーかーらー、貞久があんたのとこの部下にそそのかされてスラムに行っちまったんだよ!」
「……」
思わず額を押さえ、深々と溜め息を吐き出しそうになるのをフィリは強い意志で踏みとどまった。
こめかみに走るかすかな頭痛を覚えながらも、感情を排した無機質な声で問いを重ねる。
「……エミリーは何を言ったのですか」
「オレ様の住んでる地区に奇跡の札っつー物を持って、スラムの中でも特別終わってる連中を集めてる不審者がいるって吹き込んだんだよ。それを聞いた貞久の奴、面白がりやがって……一人でスラムの奥へ調査に行っちまったんだ」
マイヤーは愚痴を撒き散らすように言葉を続けた。
「そのくせ、吹き込んだ当の本人は貞久が出て行った肝心なときに留守ときた。あいつほんとにオレ様達を助けるために来たのか? 余計な危険にオレ様の社員を突っ込ませられちゃたまんねえぜ」
「なるほど」
マイヤーの主張を静かに聞き終えたフィリは細い指先で顎を支えながらしばし思案に耽った。
(エミリー、彼女には実に困ったものです)
貞久の耳にこの件を吹き込んだのは完全にエミリーの独断専行だった。
もとより、フィリは貞久をこの事件の直接的な捜査員として投入するつもりなど毛頭なかったのだ。
あくまでも貞久は犯罪者たちの目を引き付けるための囮に使うつもりだったのだから。
その際にもし潜伏中のシシャが軽率な行動――例えば、証拠である方具を自ら破壊しに現れるなど――を起こした際、確実に返り討ちにできる戦力として彼を配置しておくだけで十分だったはずなのだ。
それにもかかわらず、余計な火を付けて単身スラムの奥深くへ向かわせてしまうとは。
「……彼女の意図は理解できます。神機局の手が届きにくい案件に、規格外の戦力である彼を巻き込むことで強引に解決を図ろうとしたのでしょう。ですが……一日、遅かった」
「遅かった?」
首をかしげるマイヤーに対し、フィリは冷ややかにかえす。
「議会を取り込み軍の戦力を使ってスラム全域を徹底的に網ざらいすることがつい先ほど正式に決定したばかりなのです、すでに先遣隊はスラムに向かっています。貞久を動かすのであれば、軍など使わず私の手駒だけで事を済ませていたものを……このタイミングで彼が単独で動いてしまうのは実に都合が悪い」
「軍が動いて不審者を引っ捕らえるならむしろ好都合じゃねえのか? 何か問題でもあるのかよ」
いまいち状況を呑み込めていない様子のマイヤーに対し、フィリは重々しく首を振った。
「今回出動する軍の部隊は私の配下ではありません。……つまり、スラムの奥で捜索中の軍と単身調査を進める貞久がかち合ってしまった場合、どうなるか全く予測がつきません」
静寂が部屋を支配した。
フィリの言葉の意味――争いごとを好み進んで喧嘩を買いに行く貞久と、法と力で強引にスラムを鎮圧しようとする軍。
その二つが最悪の形で衝突した瞬間の地獄絵図を脳裏に浮かべたマイヤーの顔からすっと血の気が引いていった。
魔導師であり英知の箱の社員として身元が確かな貞久だ。
本来であれば軍の検問や捜査に行き当たったところで何の問題もないはずである。
だが……あの男が、おとなしく軍の指示に従うはずがない。
むしろ「お前たちに俺の邪魔をする権利があるのか?」と言わんばかりの態度で煽り倒し、確実に泥沼の事態を引き起こすだろうという絶対的な負の信頼を二人は共有していた。
「そりゃ……
「はい、極めて
(頼む、せいぜい口喧嘩程度の小競り合いで済んでくれ)
(問題を起こすにしても私が収められる範囲で、……せめて人死にだけは出さないでください貞久)
立場も性格もまるで異なる二人の心が、これほどまでに深く、そして強く一致した瞬間はかつてなかった。
――リベール王国 王都イースリー郊外 スラム――
貞久をジョーのもとへ押し付け自分だけさっさとドロンしたはずのミックだったが、何を思い立ったのか不敵な笑みを浮かべながら再びスラムの奥へと足を踏み入れていた。
「いけねえ、俺としたことが手間賃をもらい忘れてたぜ」
なんとこの男、途中でトンズラしておきながら抜け抜けと案内料をねだるつもりらしい。
まあ、それくらいの面の皮と図太さがなければこんな陽の光も届かないスラムの底辺で生き残っていくことなど不可能なのだろうが。
「あのお坊ちゃんはイカレどもを見たがってたからな、たぶん広場だろ」
ミックはベニヤ板や布きれが無数にひしめくバラックの隙間をまるで己の庭であるかのようにすいすいと抜けていく。
やがて、目的の場所が目と鼻の先に迫った――その時だった。
「ここらのはずだが……うおっ!」
突如、視界の先で強烈な光が爆ぜた。
直後、青白の電撃が四方八方へと狂ったように飛び散り空気を歪めるほどの凄まじい衝撃波がミックの頬を激しく打つ。
「これは、まさか《
思わず脚を止めたミックの耳に、さらに重厚な轟音が幾重にも重なって届いた。
「……鉄砲だと?!」
ミックは驚愕した。
胸の奥を刺すような、冷たく澄んだ匂い――大気を引き裂くほどの高電圧が置き去りにしていったオゾンの匂いだ――が鼻腔を突く中で黒色火薬の焦げ臭さが混じっていたからだ。
元々は王軍の兵隊上がりのミックにとっては見慣れた煙の上り方、鉄砲の発砲煙だった。
「正気か?! 王都での勝手な発砲は厳禁だぞ!」
ミックの叫びを置き去りにするように、再び放電の爆ぜる雷鳴が空気を無残に引き裂く。
青白く鋭い閃光が薄暗いスラムの広場を埋め尽くし、彼の視界を白く染め上げた。
「――衝撃が、威力が足りないなあ。……お前らもそう思うよな?」
パリパリと電撃を周囲に纏わせながら、心底退屈そうに首を傾げて貞久は薄ら笑いを浮かべて呟いた。
ほんの少し前まで奇跡の札なる胡散臭い代物に群がり、ろくでなしどもが怪しげな集会を開いていたはずのスラムの広場。
だが、今やそこは立ち込める黒色火薬の硝煙と狂ったように明滅する放電が混じり合い、鉄と血の匂いが充満する凄惨な戦場へと変貌を遂げていた。
「ええい、たかが一人の犯罪者に何をてこずっているのだ?! 魔導師とは言えスラムでくすぶっている程度の者だぞ!」
怒号を張り上げているのは、王軍ロックホール独立旅団隷下、第三中隊を率いる隊長だった。
彼の怒声に応じ、前衛にズラリと一列に整列した兵士たち――精巧に削り出された木肌を持ち、人間の形に成形されたウッドゴーレムたちだ――が、一切の無駄がない完璧な動作でライフルマスケット銃を構え直す。
言葉も発さず、呼吸の音すらない。
不気味な静寂を保ったまま、ゴーレムたちの指が一斉に引き金を引いた。
――ドドン!――
重厚な破裂音とともに統制された一斉射撃から椎の実型の鉛弾が雨あられと貞久へ向かって牙を剥く。
しかし、激しい銃撃が届く直前――貞久の周囲の空間がぐにゃりと歪む。
「中隊長殿! ダメです、敵は《矢返し》を使っています! 銃撃が一切通用しません!」
下士官が悲鳴混じりに叫ぶのと同時に、放たれた鉛弾はことごとく透明な力場に弾かれ、あろうことか放った射手たちへ向かって恐ろしい精度でまっすぐ突き刺さっていった。
ゴッ、ゴゴッ、と木胴を穿ち貫く重い鈍音が連続して響く。
自らの放った鉛弾が木肌を深く削り、身体を貫通して木粉を撒き散らそうともゴーレム兵たちの動作に支障はない。
痛覚も恐怖もない木の人形たちは傷口から木屑を溢れさせながら、ただ機械的に次の装填作業を続けている。
跳ね返された猛射を喰らっても微動だにせず銃を構え直すゴーレムの静かな不気味さと、人間の将校たちの狂乱した怒号が広場全体で凄惨に交錯していた。
……なぜ、こんな目も当てられない悲劇的な事態になってしまったのか。
ことの始まりは、ほんの数分前にさかのぼる。
この広場に乗り込んだ貞久は始め、手短にその場にいた住民や怪しげな信者どもを片っ端から締め上げて情報を吐かせようと試みた。
だが、いくら締め上げたところで出てくるのは底辺スラム民の命乞いばかり。
本丸であるはずの「扇動者」はすでに影も形もなく、とうの昔にドロンを決めた後だったのだ。
一番の大物を逃したと知り、激しい不快感と苛立ちを募らせていた貞久。
そこへ、何たる不運か――スラムの網ざらいのため、先遣隊として意気揚々とやってきた第三中隊が鉢合わせてしまったのである。
当初、中隊長の対応は極めて慎重だった。
スラムの真ん中で転がる住民たちを一方的にボコボコにして暴れていた貞久を見つけ、危険人物と警戒しつつもまずは慎重に事情聴取を行おうと接触を図ったのだ。
だが、徒労に終わった探索で最高に機嫌を損ねていた貞久がそんなお上のお問合せをおとなしく聞くはずもなかった。
鬱陶しそうに彼らの詰問を完全無視した貞久に対し、軍の部隊は仕方なく強制的に「保護」*1しようと一歩足を踏み出した。
その瞬間。
言葉で返答する代わりに貞久が放ったのは凶悪な《爆裂電光》だった。
『スラムで暴れていた謎の魔導師が軍に攻撃を仕掛けてきた』
軍の隊長にしてみれば、この状況で貞久を「スラムの裏でろくでもない陰謀を企んでいた危険な犯罪者」だと判断するなという方が無理な話である。
こうして、貞久の短気(と最悪なコミュニケーション能力)、そして隊長の生真面目さが最悪の形で噛み合い――双方に一切の妥協がないまま、フィリ達が危惧した地獄のような全面衝突が幕を開けたのであった。
「総員着剣! 《矢返し》で銃が通用せんのなら泥臭くいくぞ!」
「ハッ!」
中隊長の緊迫した号令が広場に響き渡ると、人身の将校たちが素早く抜剣するのと同時に、陣形を整えた無数のゴーレム兵たちが一斉に動いた。
ジャキン、と硬質で冷たい金属音が幾重にも重なり、マスケット銃へ一斉に鋭利な銃剣が装着されていく。
感情の抜け落ちた木の顔を一丸にして詰め寄っていくゴーレムの群れ。
先ほどまでの銃撃戦から打って変わり、泥泥とした白兵戦の殺気が広場を満たしていく。
だが、刃の群れに囲まれた貞久は逃げるどころか愉快そうに口元を吊り上げるだけだった。
「へえ、まだ付き合ってくれるのか。……なら、わざわざ空に飛んで逃げたりしないで、地上で相手してやるよ。嬉しいだろ?」
貞久は肩をすくめ、嘲るような薄ら笑いを浮かべながら地面を軽くトントンと靴底で叩いてみせた。
そのどこまでも見下しきったその態度に、前線で指揮を執る人間たちの顔が屈辱と怒りで朱に染まっていった。
「戯言を! 貴様ら、これ以上奴にたわけた口を利かせるな! 突げ――」
「遅い、本気なら十発は打ち込めた。……《
隊長の号令が最後まで紡がれるより早く、貞久の手元に高圧で超凝縮された空気の球体が練り上げられた。
寸分の狂いもない見事な精度で放たれたその不可視の弾丸は、隊列の真っ芯へと吸い込まれ――極限まで圧縮された大気が一気に弾けた。
《爆裂電光》と違い爆発の光すらない。
ただ、鼓膜を直接叩き割るような絶大な衝撃音と炸裂した空気の膜がおよそ四十数ヤードの空間を激しく振るわせた。
「ぐ、あッ……?!」
「な、にが……ッ?!」
直撃を受けた兵士のみならず、周囲約十ヤード以内にいた全員の脳が揺さぶられ平衡感覚が一瞬で吹き飛ぶ。
その身に着けていた自慢の鎧ですらあまりの音圧と物理的な衝撃波に耐えきれず、人間である将校や下士官たちは強烈な眩暈と嘔吐感に見舞われ、頭を抱えて泥の中に膝をついた。
一方で、木でできたゴーレム兵たちにも容赦ない衝撃が襲いかかる。
痛覚も脳もない彼らは悲鳴こそ上げないものの、目に見えない強烈な圧力の波に身を削られて木肌が悲鳴を上げてギギギ、と苛烈に狂い破砕していった。
体を力任せに圧壊された木人形たちは、地面へ打ち付けられながら関節をきしませて動作を停止しガタガタと沈黙していく。
「……まあこんなもんか」
朦朧として意識すら保てない人間たちと、機能を停止して木片と化した無数のゴーレム兵たち。
惨状を冷ややかな眼差しで見下ろした貞久は彼らへの興味を失ったのか、踵を返してその場を立ち去ろうとした。
「旦那! 一体なにがあったんで、こりゃあ……!」
その貞久の背後から、上ずった間抜けな声が飛んできた。
煙の立ちこめる広場に辿り着き、目の前に広がっていた地獄絵図を前に呆然と立ち尽くしたミックだった。
「なんだお前か、とっくに逃げたと思ってたんだが」
貞久は足を止めて面倒そうに上半身だけで振り返った。
「おいおいそう邪険にしないでくれよ、案内料くらいは頂いたってばちはあたらねえだろ? ……って、それどころじゃねえ! なぁ旦那、マジでここで何が起こったんだよ?!」
ミックはゴクリと唾を飲み込みながら、恐る恐るあたりを見回した。
視界に映るのは、歪んだ鉄と焦げた土、そして青白い電撃の余韻が残る惨状だ。
その中心には、かつては誇り高く整列していたであろう王軍の部隊が転がっていた。
苦悶の表情で泥に顔をうずめる人間の将校たちと、衝撃波で節々を破壊され、木粉をまき散らして沈黙する無機質なゴーレム兵たちの群れ。
その異様な惨状にミックの背筋を冷たい汗が吹き抜けていく。
このありさまでは彼でなくとも問い詰めたくなるのは当然であろう。
「いや、こいつら俺をスラムでバカどもを集めてた奴だと勘違いしたみたいでな。……イラっとしたからつい、な」
「『つい』で軍に喧嘩売ったのかよ、ほんっとクソだな旦那は!」
手前勝手すぎる言い訳に、ミックは思わず頭を抱えて怒鳴り散らした。
目の前の男が
そんなミックの口汚い罵倒にも反応する気配すら見せず、貞久はどこか他人事のように頭をガリガリと掻いた。
「お前もいい度胸してるよな……。なあ、これってやっぱ、まずいか?」
「まずいなんてもんじゃすまねえよこりゃあ。坊ちゃんはこれをもみ消せるような伝手とか軍にはねえのか?」
「……一応心当たりはあるな。凄まじく気は進まないが」
貞久が嫌そうに顔を顰めると、ミックは思わず一歩詰め寄った。
貞久がしでかしたことはあくまで他人事のはずなのにこの男、なんだかんだで絶妙な面倒見の良さを発揮している。
「気が出向かないとか言ってる場合じゃねえだろ! 今すぐその伝手とやらに泣きつけ!」
「だよなあ……はぁ~~~……」
貞久は胸の奥から吐き出すような、深々としたため息をついた。
そんなに嫌ならそもそもこんなことをしなければいいのに……なんて至極まっとうな正論は、いまの貞久の耳には毛ほども届かないだろう。
貞久の脳内は、これから待っているであろう面倒な後始末と、何より連絡を取らざるを得ない「
バイオテック施設
遺伝子工学はキッチンのテーブルの上で手軽に行えるようなものではなく、専用の機器を必要とする。
研究施設(Lab Facilities)
これらは遺伝子工学の作業における基本的な機器要件を満たすために不可欠である。TLが高くなっても重量やコストが削減されるわけではなく、代わりに高度さが増していく。
微細な作業(minor tasks)と重大な作業(major tasks)の双方に対して修正値が与えられる。
微細な作業とは、遺伝子検査や既知のタンパク質の合成といったものを指す。
重大な作業には、クローニング、染色体マッピングおよびシークエンシング(配列解析)、遺伝子再構成、そして遺伝子工学が含まれる。
完全遺伝子研究室[TL8](Full Genetics Lab)
この研究室には、1人の研究者と最大4人の助手が高度な生体工学を行うのに十分な機材と作業スペースが備わっている。
作業台、ラボ用カウンター、冷蔵庫のほか、複数のPCR装置、インキュベーター(恒温培養器)、培養槽、顕微鏡、その他の各種イメージングシステムといったハイテク(かつ壊れやすい)機器が設置されている。
〈生物工学〉技能に+2の(品質)ボーナスを与えるが、最先端の研究室を必要とするような複雑な遺伝子工学の研究プロジェクトに使用する場合、ボーナスは得られない。
大規模なラボ複合施設(コンプレックス)にはこうした研究室が複数含まれており、複数の研究チームが同時に作業を行うことができる。100万ドル、20,000ポンド。LC4。
標準遺伝子研究室[TL8](Standard Genetics Lab)
小規模なバイオテック企業や一般的な大学に見られるもので、上記の「完全研究室」よりも安価でコンパクトなバージョン。
〈生物工学〉技能に+1の(品質)ボーナスを与える。20万ドル、4,000ポンド。LC4。
小型遺伝子研究室[TL8](Small Genetics Lab)
作業台またはカウンター1基、冷蔵庫、および基本的な遺伝子工学機器。
コミュニティ・カレッジ(地域短大)や隠遁した天才、あるいはアマチュアのバイオテロリストなどに典型的な装備である。
これは基本性能の機器であり(技能への修正なし)、スキルチェックにボーナスもペナルティも与えない。5万ドル、500ポンド。LC4。